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18 会ってはいけない

 乱馬は速度を速めて駆け寄った。しかし近くまで行くと、あかねではなく、なびきだとわかった。
「なんだ、なびきか…」
 なびきを前に思わずそう言ってしまった。
「あら、ごめんね。あかねじゃなくて」
 なびきの機嫌をそこねたらしい。「荷物の面倒も見てあげたのに、随分ご挨拶じゃない」
「わ、悪かった。すまねえな」
 乱馬はしゃがんで、足元の荷物を確かめた。
「おじさんまだ怒ってる?」
 なびきは家のほうを見たので、乱馬は、門灯に照らされたなびきの横顔をながめた。
「えらい剣幕よ。あかねは乱馬くんと会っちゃだめだって。会うにしても、ふたりきりにならないようにって。許婚どころか敵同士なんだから、仲良くなんてもってのほか! だってさ」
 乱馬はあかねの部屋を見上げた。今度は部屋の明かりがついていて、あかねが窓辺にいた。こちらを見ているのだと思うが、部屋の中からの光に背を照らされて、黒い影になってしまっている。顔は見えない。なびきがいなければ屋根にのぼって近づくこともできるのに。
 なびきがせかして、乱馬にリュックを背負わせた。
「ぐずぐずしてるとお父さんが出てくるわよ」
 結局乱馬は、荷物をとっただけで天道家をあとにした。家にはあげてもらえなかった。家どころか、あかねと話すのもいけないなんて。事はえらく大ごとになってしまった。
 乱馬は玄馬がどうこうよりも、早雲の怒りがとけるのを心底願った。
 だが、早雲にはどこか筋のとおった、きっちりとしたところがある。うやむやに許してくれるような人ではない。家庭と道場の大黒柱をつとめてきた早雲は、気ままな武者修行をしていた玄馬とは違うのだろう。
―――まぁ、あかねとは、明日学校で会える。
 乱馬は何度もそう思うことで希望の糸をたぐり、自分をなぐさめた。




 翌朝、乱馬は学校に一番乗りした。することがなかったし、テントの朝は寒かった。用務員に挨拶し、まだ誰もいない教室の匂いをかいだ。粘土の匂いに似ている、と思いながら、窓を開け放った。運動場側の窓からはさわやかな風が入り込み、こもった教室の空気を動かした。
 乱馬の寝不足もいくらか晴れた。朝日に照らされたまっ平らな運動場と、その先に校門があった。あかねはあそこから登校する。
 そのまま窓枠にもたれて、足を組みかえたりして、校門とその周辺をながめていると、だんだん眠くなってきた。
 自分の席につき、つっぷした。右の頬をべったり机につけて、静かに息をする。
 気持ちいい。
 まだ十分時間はある…。

「乱馬」
 呼ばれて目覚めると、隣席にあかねがいた。
 教室はすでにほとんどの生徒が登校してきていた。生徒たちはてんでにおしゃべりしている。
 乱馬は雑音に負けないよう、少し声を大きくして、「よお」と言った。
 あかねは肩で息をしている。額は汗ばみ、逆に顔色は紙のように白かった。貧血を思わせた。
「おめー、顔色悪いぞ」
「うん」
 あかねは息をととのえていて、視線を一点には定めず、いろいろな方向を見ていた。ジョギングした後と同じ様子だ。
「九能先輩とか、色んな人が交際申し込んで手合わせして来たの。許婚解消のことバレて。久しぶりだから遅刻しそうになっちゃった」
 言葉を何度か区切り、息をつきながら、言った。
 乱馬はそれを聞いて、寝ていたことをひどく後悔した。窓からでも見ているべきだった。
「そばで見ていなくて悪かった」なんて、あかねに言えるわけはなく、乱馬は胸の中にしまいこんだ。
 あかねの息がなおるのを待った。あかねは手をうちわのようにして、ぱたぱたとあおいでいる。
 いつものあかねとどこかちがう気がした。乱馬はじっと、横目で短い髪の少女を観察していたが、どこがいつもとちがうのか、見極めることはできなかった。
 あかねの呼吸がなおった。
「おめえみてえなのに交際申し込むなんて、物好きが多いよな」
 あかねの鞄が乱馬の後頭部にヒットした。
 乱馬は激しく机に額をうちつけながら、心のどこかでコレを待っていた気がした。
 同時に始業ベルがなり、教師が入って来た。あかねは前を向いて座りなおした。




 移動教室やなにやらで、あかねとはそれきり話さなかった。早雲のことで言いたいことがあるのだが、昼休みになっても姿が見えない。それに乱馬は朝食を食べていなかったので、空腹で限界だった。
「ひろし。昼メシ代かしてくれ」
 と頼んだが、
「さいふ忘れた」
 と短く断られた。空腹で気が立っており、軽くシメてやろうかと思ったが、やめた。
「らーんちゃん!」
 学生服に巨大ヘラを背負った右京が、乱馬の腕をからめとった。
 不意打ちに驚いた乱馬は、ひっつかれた方の腕を浮かせた。
「ウッちゃん」
 右京はにっこり微笑みながら、
「お腹へっとるんやったら言うてくれたらええのに。いつでもお好み焼いたるで?」
「やった! じゃあ、頼むかな」
「よっしゃ!」
 右京はその昔、荒波に向かって修行したという職人技で、素早く焼きにかかった。簡易コンロの上でぺんぺんとお好み焼きが宙を舞う。
「ところで乱ちゃん、あかねちゃんと婚約解消になったっちゅうんはほんま?」
 右京は笑顔のまま言った。
 お好み焼きを食べかけていた乱馬は、舌をやけどしてしまった。慌てて水を飲む。ひいひいと息をつき、右京を見たが、さっきの笑顔のままだった。
「う、うん。一応…。あかねのおやじとうちのおやじが喧嘩してさ…」
「ほんなら、晴れて乱ちゃんの許婚はうち一人になったんやね。嬉しいわぁ」
 乱馬は右京につられて、微妙な笑みを返したが、冷や汗が止まらなかった。
 急いで残りを詰め込むと、「ごっそさん!」と教室の後ろのドアから飛び出した。
「一枚でええのん?」
 そう尋ねた右京だったが、すでに乱馬はいなかった。

 教室から飛び出すと、人とぶつかりそうになった。
 乱馬は「あ」と言った。
 友人たちと連れ立った、あかねだった。購買帰りらしく、袋を下げている。
 あかねは乱馬から目をそらすと、友人たちをうながした。
「行こう」
 教室のドアはさっきから半分開いたままだったし、右京の話を聞かれたのだろう。
 弁解したかったが、あかねの友人たちの手前、何も言うことができなかった。あかねは乱馬の脇をすりぬけて行った。あかねに続いて女子たちがちらちらとこちらに視線を投げながら通り過ぎた。
 あかねはこれから昼食らしい。一緒に昼メシでも食べながら話をしようと計画していたのに、うまくいかないものだ。
 遠ざかっていくあかねの後姿は、小さくなり、教室の前方のドアへ吸い込まれて行った。




 らんまはスカートのすそをととのえた。通りすがりのショーウィンドウに自分の姿を映して確認する。
 水をかぶって女になり、ひらひらしたスカートに、フリルのついたブラウス、おさげは高い位置に結いかえてバレッタでとめてある。くねっとしなを作ってみる。丸い健康そうな尻の動きに、スカートがついてゆく。細い腰からつづく豊かな乳のライン。
「おっしゃ、可愛い! 完璧な変装だぜっ」
 小さくガッツポーズをとるらんまだった。通りすがりの青年が、ぎょっとしてらんまを避けて行った。
 放課後右京につかまって、まくのに時間がかかってしまった。あかねに会いに行くだけで女装するのも大そうな気がしたが、天道家に潜入するにはこれしかない。
 とうとう天道家前まで来た。やたら門がでかく感じる。
 勇気を出して、肘を張って、がに股で玄関へ近づく。戸の前で楚々と身づくろいをした。
「ごめんくださあい」
 しばらく待ったが、反応はない。
「ごめんくださーぃ…」
 さっきより小さく呼んでみる。
「はぁい」
 と奥からかすみの声がした。
 このまま誰も出なかったら、勝手にあかねの部屋まであがってしまおうと思ったのに。
 エプロンで両手をふきながら、かすみが出てきた。
「はい、どちら様? あら、らん」
「あたし、あかねちゃんのお友達でぇす。遊びに来ましたー」
「…」
 かすみは頬に指を当てて、ゆっくりした動作で首をかしげた。「人違いかしら。よく似てるものだから」
 らんまは慌てて、
「お邪魔していいかしらん」
「どうぞ。あかねの部屋までご案内するわね」
 玄関をあがって、居候部屋と居間、早雲の部屋の前を通り過ぎたところに2階への階段がある。
 なるべく誰にも会いませんように!
 らんまはそう願って、かすみのあとをついて行った。一歩一歩がいつもの数十倍長い気がした。やっと階段が見えた。
 が。不運にも、早雲の部屋の障子が開いた。逃げることはできない。
「お客様かい」
 早雲はかすみに尋ねた。
「ええ、あかねのお友達」
 らんまはなるべくかすみの後ろに隠れるようにしていたが、早雲がかすみの背をのぞきこんだ。思い切って、
「えっと、えー…ランカっていいまぁす!」
 と叫んだ。
 らんまは小動物のようにおびえながら、早雲の出方を待った。
 早雲は、「ゆっくりしていきなさい」と言った。
 助かった。
 しかし、らんまがホッとしたのもつかの間、2階から人の気配がした。なびきが降りてきた。
「あら、お客さん?」
 よりによって一番眼の効きそうな奴が出てきた。らんまはそれでも、早雲とかすみに見破られなかったことに自信を得ていた。
「はじめまして、あかねちゃんのお友達のランカです!」
 なびきはらんま、もといランカを値踏みするように上から下まで眺めた。かすみと早雲は、なびきとランカのやりとりを見ている。
「ふぅん」
 となびきは眼を細めた。
 いやな眼つきをしやがる、とらんまは思った。
「ランカちゃん、男パンツ見えてるわよ」
「え!!」
 らんまはスカートのすそを押さえた。
「やっぱり乱馬くんじゃん」
 らんまはなびきをにらみつけたが、なびきは鼻で笑っている。
 早雲が、ランカの肩に手を置いた。
「本当に乱馬くんかね」
「ち、ちがうんですっ。おれは」
「出て行きたまえ」
 早雲の怒号が、天道家に響きわたった。「あかねに会うことは許さん!」

つづく

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