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21 みちのく湯けむり事件

「さよなら!」
 とあかねは言い捨てて、駆け出して行った。
 明らかに様子が変だ。
「あかね!」
 乱馬は追いかけようとしたが、右京が乱馬のスリッパの甲を踏んだ。勢いあまった乱馬は、メンコを叩きつけるみたいに、真正面から床へうちつけられた。ロビーの床から起き上がったとき、あかねはすでに旅館から出ていた。
「帰りたいて言うてる人、無理に止めることあらへんやん」
「いやっ、ちょっと行ってくる!」
 右京を振り切り旅館の玄関で自分のカンフー靴を履いた。旅館の下駄ではうまく走れない。表へ飛び出し、通りをせわしなくみまわしながら、駅へ向かった。あたりはすっかり夜だ。
 浴衣にカンフー靴といういでたちで、乱馬は駅へ来た。途中で追いつくと思ったのに会えなかった。
 あかねは別の道を使ったのだろうか。それとも先についているのか。
 無人駅に走りこむと、電車が停車していて、発車1分前だった。乱馬は全ての車両を確かめたが、乗客自体少なく、すぐにあかねが乗っていないとわかった。電車は発車した。
 乱馬はそれを見送った。
「どこ行ったんだ、あの馬鹿」
 なんで急に帰るなんて言い出すんだ? 駅の時計を見ると8時だ。もう暗いのに女一人でうろうろして。バスか何か使ったのか? あいつ、ニブいから、悪いナンパにでもつかまっているのかも知れない。
 乱馬はじっとしていられなくて駅から出た。
 駅のターミナルに沿うように、大きな土産物屋があって、シャッターが降りるところだった。その前の歩道に、真下の道を照らす白色電灯がともっているのを、乱馬は見た。一瞥しただけでまた別の方向へ駆け出した。
 あかねが行きそうなバス停、泊まりそうな旅館を思い浮かべながら。




 良牙はその少女の後姿に見覚えがあった。硬質な白光の電灯に照らされた短い髪、丸い肩の感じは間違いなかった。
「あかねさん!?」
 少女は振り向いた。
「良牙くん!」
 やはりあかねだった。
「どうしたんですか、奇遇ですね! こんな辺鄙な東北で!」
「ここは飛騨の温泉よ。あたし、旅行で来たの。…良牙くんは修行の旅?」
「はい、まあ。そうです」
 良牙は羽織っている茶色い半被(はっぴ)を、少し恥じ入りながらあかねに示した。半被には土産屋の屋号が入っている。
「旅の途中で金がなくなっちまって。住み込みでバイトしてるんです」
「そうなの」
 良牙は、あかねの話し方に元気がないことに気が付いた。いつもは女の子特有の、抑揚をつけたコロコロした話し方なのに、今日はまるで棒読みである。
「あかねさん、どうかしたんですか?」
「え?」
「なんだか、疲れているみたいな…」
 あかねはそこではじめて、無理に少し笑った。
「たいしたことじゃないの。良牙君、ここのお土産やさんで泊めてもらってるのよね。よかったら、空いてる寝袋貸してくれない?」
「かまいませんけど、どうして?」
「実は…。泊まるところ、ないの」
 良牙は驚いて、少し声を緊張させた。
「ええ? とりあえず、中、入りませんか」
 良牙はあかねの荷物を持ち、勝手口へ案内した。とはいえ、他人の家である。主人に断らなければいけないが、夜中に女の子を連れ込むのはまずい。
 良牙が一瞬ためらうのを見て取り、あかねは上がらず「ここでいい」と止まった。
 ここでは茶も出せない。あかねは薄暗い、声のこもる勝手口で、話し出した。
「実は、親同士が喧嘩して、乱馬とあたし許婚じゃなくなったの。皆には内緒で乱馬とこの飛騨温泉に来て」
「待ってください! あかねさん、乱馬と駆け落ちを……!?」
 あかねは手をぶんぶん横に振り、「そんなわけないじゃない!」と叫んだ。
 良牙は安堵のため息をついた。
「右京も一緒よ。あたしたち、宝さがしに来たの。飛騨の秘湯に隠されているらしいんだけど、いろいろあって、旅館から飛び出しちゃった」
「じゃあ、あかねさんはもう乱馬の許婚じゃないんですね」
「うん」
「やった!! …じゃない、おれの力になれることがあったら、何でもしますよ。宝さがしでも。やっぱり中にあがってください。店にはおれからうまく言っておきます」
 あかねは強くうながされ良牙について入った。何とか頼み込んで、親戚の子だということにして、あかねは泊めてもらえることになった。
 もう乱馬の許婚じゃなくなったというあかねには、いつものようなはつらつさはなかった。
 きっと乱馬にひどいことを言われたとか、されたとかあったのだろう。
 あかねさんに路上で夜明かしさせるなんて、乱馬は何考えてるんだ!
 その分おれがやさしくしてあげよう。(今がチャンスだ!)
 頭ではそういうことを考えるのだが、いざ、あかねの肩を抱こうとすると、あがってしまってうまくいかない。
「良牙くん、あたし、お風呂借りてくるね」
 あかねはすりぬけるような動きで良牙を交わすと、従業員用の風呂へと向かって行った。
「落ち着け、落ち着け響良牙」
 部屋にひとり残されて、良牙はつぶやいた。
「もうあかねさんは乱馬の許婚じゃないんだから、ゆっくり口説けばいい。おれが落ち着いて告白しさえすれば!」
 良牙は思いついて、リュックから紙と筆を引っ張り出した。
「恋文にすれば簡単じゃないか! あかねさん、おれは君のためなら何だってする。化け物退治だろうが、宝さがしだろうが…。そうだ! 宝とやらを探しだして君にささげよう」
 良牙はいい文句を思いついて、さらさらと紙にしたためた。出来上がった手紙は短い文ながら、会心のできばえだった。
 宝を見つけてこれと一緒に渡せば、女の子なら感涙にむせびながら「あなたって何て素晴らしいの」と抱きついてくること請け合いだ。
 良牙はクスッと照れ笑いしながら、懐に手紙をしまった。
 頭の中では、金銀宝石のイルミネーションが山のように積まれ、まぶしく輝いている。そしてその頂上に自分とあかねが寄り添って立ち、愛を誓っているのだった。
 良牙はみちのくでの思わぬ幸運に酔いしれた。




 翌日のこと。
「乱ちゃん、ごめんな」
「いーよいーよ」
 乱馬は手のひらを上下に振った。「おれのことは気にしないで行ってきな。おれも一人で温泉楽しんでくるから」
 右京はいつもの「好」の字が入ったお好み焼きのコスチュームに、巨大ヘラを背負っていた。
「ほんまに? ほんならせっかくの旅行やけど、お言葉に甘えさしてもらうわ。」
 なんでも、温泉タマゴを使った新しいお好み焼きを考案したので、売れ行きを確かめたいのだそうだ。右京は温泉の横で焼いてみると意気込んで、旅館の部屋を出て行った。
 乱馬は部屋から出て行く右京を見送った。そして宝さがしの準備を始めた。
 結局昨夜、あかねを見つけることはできなかった。多分、バスで東京に帰ってしまったのだ。旅館に帰ると、地図のようなものが部屋に投げ捨ててあった。あかねは宝をあきらめると言っていた。本気か?
 勝手に右京を連れてきたのは悪かったが、来てしまったものは仕方ない。あそこまで怒ることないだろう。
 乱馬はツルハシとスコップをリュックにつめ、地図を懐に入れた。旅館を出ると硫黄の匂いがした。土産屋の並びを抜け、裏手の道へ入って行く。そこから山道へ入る。
 何も帰ることないのに。短気なやつだ。静かに、厳しい怒りの目で乱馬と右京をにらんでいたあかねが思い浮かぶ。あかねはいつもみたいに幼いやきもちを妬かなかった。
―――嫌われたかな?
 今更ながら、右京に旅費の相談をしたことを後悔した。あかねに借りるのはかっこ悪いと思ったのだ。愛想を尽かされてから反省しても後の祭りである。
 山道が深く、細くなってきた。何度か下草をかき分けた。鳥の声が高く聞こえる。乱馬は着実に足を進めながら、水音はしないか、八宝斎の宝がある秘湯はないか、神経を澄ませた。地図は古くて読みづらく、大体の方角しかわかっていなかった。
 宝を持って帰って、ちゃんと謝って…。そして許婚に戻ってもらおう。今ごろ東京でどうしているだろう。早雲おじさんはどんな顔であかねを迎えただろう。
 あかねのことを考えると、不安とあせりでじれた。許婚という根っこの絆がなくなり、こうしている間にもつながりが薄く遠くなっていく気がする。どんどん他人になっていく。もうちょっと優しくして、彼氏にでも昇格しとくべきだったか。「彼氏なァ…」とつぶやきながら乱馬は進む。
 そのとき、ガサガサッと横の潅木が揺れた。中に何かいる。熊かと思い、乱馬は構えた。
 だが衣服の色が見え、人間だとわかった。
「あっ」
 乱馬は叫んだ。あかねだったのだ。目が合った。その一瞬、あかねは何か言いたげな表情を見せた。
 あかねに続いて良牙が出てきた。
「乱馬じゃないか」
 と良牙が言った。
「あかねお前、どこ行ってたんだよ」
 乱馬が近づくと、あかねは同じ距離だけ離れた。
「あんたに関係ないでしょっ」
「おめーがいきなり帰るとかゴネるからだ。アホ」
「知らない! 良牙くん、行こう」
 会えて嬉しかったので調子づいて、いらぬ悪口まで言ってしまった。あれ? 確か謝るはずだったような。
 あかねは良牙の腕を引っ張り、乱馬の前を通り過ぎて行く。
「こら待て。ここで何してんだよ」
 乱馬はあかねに言ったのだが、良牙があかねの前に割り込んだ。
 良牙は偉そうに、
「あかねさんに対して馴れ馴れしいぜ」
 と胸を張った。
 気に入らなかった。
「なんだよ良牙。邪魔すんな」
「お前はもう、あかねさんの許婚ではないっ! おれたちに付きまとうな」
 おれたち? いちいち勘に触る言い方をしやがる。乱馬は良牙をひじで押しのけながら、あかねをにらんだ。
「もしかして宝さがしてんのか」
「勘違いしないでよ! あたしは別にいいんだけど、良牙くんがどうしても宝見つけたいって言うから」
「なんでお前は良牙とウロウロしてんだ。東京帰るんじゃなかったのか」
 なんだか冷たい言い方をしてしまった。
 あかねは眉をつりあげて、
「あんたこそ、もう宝さがしなんてやめて帰ればっ。言っとくけど、宝が見つかってもあんたの許婚になんか戻らないわ! …大っ嫌い!」
 あかねの勢いに、乱馬はひるんだ。
「そ、そんなこと…」
「良牙くん! 行こう!」
 あかねは良牙をつかんで、今度こそ森の奥へ進んで行った。


(温泉行ったことない入ったことない)
つづく

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