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22 秘湯で秘宝

 あかねは良牙を引きずるみたいに、どしどし足を進めた。下草が生い茂っていて、足首に何度か絡んだが、乱馬がついてくるので無理やり歩いた。
「ついて来ないで」
「つけてるわけじゃねえ。この地図のとおり宝を探してるだけだ」
 乱馬は、八宝斎の古ぼけた地図をポケットから出して示した。あかねはそれを横目で見ながら、あたしが旅館に置いて行ったやつだわと思った。
「宝を見つけたって許婚には戻らないわよっ」
 乱馬はポケットに地図をしまいながら、
「うぬぼれんな。おめーのためにさがしてるわけじゃねえや。おれが勝手にやってんだ」
 良牙は乱馬とあかねを交互にうかがっている。
 あかねと良牙が森の奥へ進んでいき、乱馬はその後につづいている。3人が草を踏み分けて土を踏む、鈍い音だけが辺りに響いた。あかねは精一杯早く歩いたつもりだったが、いつの間にか乱馬は良牙と同じくらい近くに追いついてきていた。
「ところでおめーら、宝の場所わかってんの? 地図はおれが持ってるんだぜ」
 乱馬と並んで歩きながら、良牙が、
「ふん、地図がそれだけだと思ったら大間違いだ! これを見ろ!」
 と襟元に手をつっこみ、懐から紙を取り出した。それを広げ、両手で乱馬につきつけた。乱馬と良牙は歩むスピードをゆるめた。
 良牙の地図は、ナイロン加工され表面がつるつるしている。カラー印刷で、ゴチック体の題字には「〜これであなたも温泉通〜飛騨秘湯マップ」とある。駅前の土産屋で購入したものである。
 良牙は、
「このマップにある、”鏡”のつく温泉といえばただひとつ! 鏡温泉! おれたちはそこを目指してるんだ!」
 親切丁寧に説明した。
 あかねは、そんなこと乱馬に言っちゃ駄目! と言おうとしたが遅かった。
 乱馬が手を伸ばした。
「よこせっ」
 乱馬は良牙の手元をかすめた。間一髪で避けた良牙は、素早く地図を懐へしまった。
「渡すもんか。貴様の地図は100年前のもの…。おおかた、正確な位置まではつかめていないんだろう」
「ならどうした。力ずくでお前の地図をぶんどれば済む」
 乱馬と良牙は立ち止まった。にらみ合っている。空気が熱されてはりつめた。
 乱馬がリュックを降ろす。
「勝負だ。来い!」
「望むところだ!」
 乱馬と良牙は、あかねを残して駆け出した。あかねも走り出したが、全然追いつけない。ずっと先の方で木の間から、ふたりが飛び交うのが見えた。赤い乱馬の上着と、黄色い良牙の服がちらついた。あかねは息を切らしながら目で追うのがやっとだ。鞄を持っているので走りづらい。ずっと遠くで、赤が黄色と一緒になって草の中へ飛び込んでいくのが見えた。




 あかねがようやく乱馬と良牙が小競り合いしていたあたりにかけつけたとき、すでに勝敗は決まっていた。
 その場は膝上までの草が茂っていて、木が少なく、空き地のようになっていた。草に埋もれるみたいに、うつぶせで、良牙が倒れている。その横に乱馬が立っている。
「良牙くん!」
 あかねは駆け寄って良牙を表がえした。良牙は失神していた。揺さぶっても反応はない。
 乱馬に殴られたのだろう、頭の後ろにたんこぶがあった。
 乱馬はあかねに背をむけ、地図を広げて読んでいた。
「その地図良牙くんのよ! 返して」
「なんでえ、鏡温泉ってすぐ近くじゃねえか」
「返してったらっ」
 乱馬は地図を投げてよこした。あかねは宙を舞う地図をつかまえた。その拍子に良牙はあかねの腕の中から投げ出され、ふたたび地面で額を打ったが、誰も気にとめるものはいなかった。
「おさきっ」
 おさげをひるがえして乱馬は駆け出して行った。
 あとには良牙とあかねが残された。
 あかねはあきれながら地図を整えた。
 と、何か、地図を折り返したあたりにはさまっている。指を入れると明らかに紙質のちがうものがあって、あかねはそれを取り出した。白い封筒だった。表には「天道あかね様」。裏返したが差出人はない。地図を脇にはさみ、封筒の口を切った。
 手紙を取り出し、広げる。目を通す。
 …。
「うそ」
 あかねは口元を手で覆った。
 ラブレターだった。
 息のできない感覚があかねを襲った。落ち着こうと思いながらも、頭の中が真っ白になっていく。
 詩のように短い3行だけの手紙を、何度も何度も読み返した。
 ようやく思考力が帰って来た。よくこんな歯が浮くようなこと書けたものだ、と思った。筆をとり、文面を考えている乱馬の姿が思い浮かんだ。
 乱馬に愛されているという感じが、おずおずとあかねの肩を抱いた。最初はこちらをうかがいながら。
 読み返すうちにそれは強く、一方的に、熱烈にあかねを抱きしめた。あかねはとまどった。
 小さな疑いを覚えた。
 乱馬は目的のためには誰とでもデートをする。性愛さえも切り売りする。この手紙もその一種じゃないかという疑いが、一瞬かすめたのだ。
 が、その不安は一秒も待たずに消えた。
 嘘だったとしてもだまされてみたいような、飛び込んで行って酔いしれたいような、強い魅力がその手紙にはあった。乱馬の甘い文句の前では、やはり、ずっとこれを待っていたのだと思った。
 まだ背筋がじぃんとしびれていた。
 …。…にしてもキザったらしい。照れ隠しにわざと芝居がけたのかしら。
 それでも多少は―――ここに書いてあることの何割かは、本当にあたしを想って書いたのよね。
 あかねは、丁寧に手紙を封筒へしまった。もう一度地図を広げて位置を確認し、鏡温泉へ向かって歩き出した。




 乱馬は思い切り硬く拳を握り、良牙を殴った。
 良牙は受けきることができずに、後ろに張り出した木のこぶへ後頭部を打ち付けた。
「うがっ」
 そううなったきり、良牙の体から闘気が抜けた。白目をむいている。
 乱馬は勝手に良牙の懐に手をつっこみ、探った。地図が出てきた。何かはさまっていたが、気にせず地図を広げた。
 草の音がして、あかねが追いついて来た。良牙を抱き起こしている。
 乱馬はちょっと目をやったきり、気にしないふりをして、地図を見つめつづけた。
「その地図良牙くんのよ! 返して!」
「なんでえ、鏡温泉ってすぐ近くじゃねえか」
「返してったら!」
 乱馬は下から上へ目くらましみたいに地図を投げ上げた。あかねが地図に気をとられた。
「おさきっ」
 乱馬は走り出した。
 鏡温泉の位置はわかっている。さっき勝負の邪魔になるから置いていったリュックを拾い、木の間を駆け抜けた。
 水音が聞こえた。目的地が近い。
 湯の匂いが鼻をかすめた次の瞬間、目の前が開けた。
 水面がひろがっていた。少し大きな池といった風だ。
 乱馬はせりだした木に手をかけ、身を乗り出した。水面から湯気が上がっている。温泉だ。水面は岸辺の草木と空を映し出している。水面下が見えないくらい完全に反射している。
 乱馬がしゃがんで覗き込むと、自分の姿が映った。手暗がりだが、髪の一本一本や、人民服の布地まで見える。まるで鏡だ。
 手を入れて湯加減を確かめていると、あかねがやってきた。しゃがんでいる乱馬の少し後ろに立っている。乱馬は気配を感じながらも放っておいた。代わりに声をかけた。
「ここが鏡温泉みたいだな。宝のある秘湯ったって、宝はどこにあるんだろうな」
 あかねは答えなかった。また機嫌をそこねているんだろうと思った。あかねは無言で乱馬の隣にしゃがんだ。温泉の淵は木が密集していて狭いから、ほとんど乱馬と肩が触れ合うくらい、近くにしゃがんでいた。
 乱馬は少し戸惑いながらあかねを見た。目が合うとあかねは困ったみたいに向こうをむいた。
 乱馬は直接見るのをやめて、水面に映ったあかねを見た。あかねは向こうを見ているから、横顔を下から眺めた像が映っていた。何か思案しているみたいにも見えた。数秒して、雰囲気から、あかねが恥ずかしがっているのだと気付いた。
 あかねが言った。
「あんなこと、突然言われても困るわ」
「へ?」
「びっくりした。嫌だってわけじゃないのよ?」
 怒ってるわけじゃないらしい。何の話かわからない。
 乱馬は宝がその辺に転がってやしないかと、辺りを見回した。岸辺の数メートル先に、立て札があった。乱馬は立って近くへ行った。あかねもついてきた。

 【鏡温泉】

効能:水面が鏡代わりに使えます。美肌、髪のツヤに効果有り。

警告:湯の反射効果を利用したのぞきに注意

「のぞき注意…?」
 乱馬はつぶやいた。嫌な予感がした。
 突然、背中のリュックがうごめいた。
「げへへへへっ」
 八宝斎が飛び出した。乱馬は思わずリュックを投げ出した。中にはスコップとツルハシが入っていたはずなのに、いつのまにか八宝斎にすりかわっていた。
「乱馬、宝さがしご苦労であった」
 八宝斎は器用にリュックから抜け出し、地面に降り立ちながら、にやありと笑った。
「じじい、…」
「鏡温泉がわしの宝じゃっ。この湯を使えば、下から、横から、見放題! さあ、婦女子に入ってもらって、じっくり拝むとするかのう!」
 小さな腕をめいっぱい広げ、八宝斎は、あかねに向かって駆け出した。
 ひっ、とあかねが叫んだ。
「てめーっ」
 八宝斎の後頭部めがけて、蹴りをかます。
 あかねを通り越して乱馬と八宝斎は温泉へつっこんだ。湯柱があがった。
 乱馬は多少口に湯が入ったが、八宝斎の頭を捕まえると、両手でアイアンクローをかけた。手の中で八宝斎がもがいた。
 きゃあっ、と高い女の声が複数聞こえた。見ると、反対の岸に裸の女が数人いる。
 女湯に飛び込んでしまったのだ!
 乱馬はひるみ、握力が弱まった。
「うぉのれえええっ」
 八宝斎はハゲの滑りを利用して、乱馬の腕から抜け出した。水面に高く飛ぶと、懐からビニール袋を投げた。花火が入っている。
「お前のせいでのぞきは台無しじゃ八方大華輪!」
「のっ…」
 爆発した。
 八宝斎と乱馬を爆心地にして、半径5メートルの湯が人の背丈の何倍にも跳ねた。硝煙と湯煙が混じって辺りに降り注ぎ、石つぶてなんかも降ってきた。
 女湯では人が逃げまどい、木が倒れ、湯船が割れた。




 あかねは腕で爆発から身を守りながら、なんとか空を見上げた。しぶきが全身にかかった。高く上がった湯しぶきの向こうに、飛行機雲みたいに尾をひきながら、乱馬が飛ばされていくのが見えた。
 岸辺を周り、女湯の岸へ行った。そこから出ればちゃんとした道があるだろう。脱衣所では女の人たちが文句を言いながら、服を着ていた。
「だれだ、温泉ぶっこわしたのは!」
 温泉の持ち主らしい、半被をきた男が怒鳴っていた。あかねは脱衣所から出た。
 表は緩やかな坂になっていた。温泉街から続いているようだ。最初からこっちからくればよかったのに、わざわざ森の中を通って遠回りしてしまったようだ。良牙に地図を持たせたのが悪かったのだが。
 すぐそこに屋台が出ていた。右京だった。
「あかねちゃん」
 すぐあかねに気付いて、フライ返し片手に屋台から出てきた。
「何があったん? どえらい音したけど」
「湯船が壊れたの」
 あかねはそれ以上は答えず、駆け出した。坂の上へ走った。やがて民家ばかりになり、木が多くなった。道の舗装がなくなったところで、あかねは道からそれて森の中へ入って行った。
 確かこの辺のはずだ。さっきかぶった湯が冷えてきたので、あかねは上着を脱いだ。そのとき、上着のポケットを触って、手紙を落としてしまったことに気付いた。でも今は拾いに帰っていられない。鞄と上着を持ち、奥へ進んでいく。
 斜め後ろでパタタタッと葉を打つような音がした。
 あかねは振り向いた。
 見上げると、乱馬が上着をしぼっていた。
「乱馬っ。乱馬!」
 呼ぶと、乱馬は枝からひとっとびに降りた。リュックを持っていた。あの騒ぎの中でどうやってとってきたのだろう?
「大丈夫だった?」
「おお。にしてもじじいのやつ、とんでもねえな」
 乱馬は上着を片方の肩にかけた。
「のぞきのための温泉だったとは」
「結局、宝って鏡温泉のことだったの?」
「そうみたいだな。秘湯が秘宝そのものだったんだ」
 乱馬は、思い出したみたいにリュックに手をかけた。何か探っていたと思うと、中くらいのペットボトルを取り出して、軽くあかねに投げた。
 あかねは手の中のペットボトルを見た。中の水は太陽光を受けてまぶしく乱反射し、周りの緑の色をあかねの指へ映し出した。あかねの肌色も映っていた。水銀みたいで、美しかった。
「これって…?」
「鏡温泉の湯だよ。やる」
 ペットボトルはまだ温かかった。
 乱馬はちょっとあさっての方向を見ながら、言った。
「好きにしろよ。一応それが宝だったんだ。早雲のおじさんとおやじに見せれば、馬鹿らしくなって、喧嘩もやめちまうんじゃねえの」
 好きにしろ、と言いながら、持って帰れと言っている。
 あかねは確信した。
 やっぱりあのラブレターは乱馬からだったのだ!
 あかねはラブレターの文句を思い出していた。忘れるはずがなかった。
「ありがと! 乱馬。きっと全部元通りになる」
 笑いかけると、乱馬はちょっとまごついた。
「お前、なんか怒ってたんじゃなかったっけ」
「別に? なんで」
「いや、いいけど…」
 乱馬は上着を振って乾かしながら、宣言するみたいに、帰るか、と言った。
 ふたりは歩き出した。
「この道通ったら怒られるわよ」
「なんで」
「湯船壊したって、温泉の人が怒ってた」
「じゃー、裏道から帰るか。見つかるとやばいな」
 あかねはちょっと思い切って、乱馬の手を握った。乱馬は予想外のことに一瞬手を引こうとしたが、腕をだらんとさせて、あかねの好きにさせてくれた。
 あかねは乱馬の手の感触を確かめた。
 歌いだしたいような気分になって、笑いながらペットボトルを抱きしめ、言った。
「駆け落ちみたいね」




 良牙は痛む後頭部を押さえ、起き上がった。
 乱馬もあかねもいない。ひとりではあかねを探すこともできない。懐からは地図も、昨夜書いたあかねへの手紙もなくなっていた。乱馬にとられてしまったのだ。
「くそっ」
 また負けてしまった。
 気を失っている間に宝がどうなったのか、知るすべもない。
 みじめな気持ちで、あてどもなく歩きはじめると、あかねへ宛てた手紙が落ちていた。
 濡れたらしく、汚れて、バリバリに歪んで乾いている。封を切ったあとがあった。乱馬に読まれたのか。
「あかねさん。また、愛を打ち明けることができなかった…」
 宝と一緒に渡す計画も台無しだ。
 良牙は手紙を広げ、ちょっと読むと、その場へ捨てて行った。
 一枚の便箋が、秋風になぶられている。



 天道あかね様

愛しています

宝は君に  そして

僕の宝はあなただ



おわり

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