目指せ!コラムニスト!!


制服の意義

制服。オイラは制服が嫌いです。まあ、毎朝着る服を考えてこなくていいという一点
のみは認めてるけど、他は大嫌い。理由は色々あるんですがね。さて、そんな数々
の不満・疑問を語っていきたいと思います。

そもそも、制服の存在意義って何なんだ?これがこのコラムの根幹となる疑問です。
その疑問について学校(生徒手帳)では、このように書いています。
「本校は学校服を制定しているので、学校生活の場にあるときは、特に指示のある場合
のほか、学校服を着用すること。」
え?これだけ?「学校服を制定しているので」だけ?こんなさらっと流してるの?
学校服を制定している理由を書けよ、理由を。
そういえば、三学期の始業式で生徒指導の先生がこんなことを言っていた。
「みなさんはネクタイをちゃんと締めたり、ピアスを禁止したり、髪の色を変えるのを
禁止したりするのに疑問を感じるかもしれません。『誰にも迷惑かけてへんねんから』
などと言うかもしれません。しかし、制服のキチンとした着用が校則で定められて
いるのですから、それはちゃんと守らなくてはいけません」
は?何が?いや、だからさ、「制服のキチンとした着用」を校則で定めている理由を
オイラ達の前に明確に呈示してくれ。ちゃんとした説明もないのに盲目的に従って
られるか。
そして、一番わけわからんのが、生徒手帳に頻繁に登場する「本校生徒としてふさわしい」
という表現。ふさわしいって何だ?どういう基準でふさわしい、ふさわしくないが
決まってるんだ?一人一人の考え方によって全く変わってくるような基準を、生徒を
罰する根拠にもなる生徒手帳に表記するなよ。

さて、オイラが制服で嫌いな点はいっぱいあるんですが、そのうちの1つ、「ネクタイ」。
もうあれが大嫌い。首が締められる感じがするし、締めるのめんどくさいし。あれ、
なんでいちいち締めなきゃならんのでしょうかね?その理由は学校側は呈示してくれて
いないので、とりあえず自分で考えてみよう。そのために、まずネクタイの起源から
調べてみた。

ネクタイの一番初めの形態、つまり首かざりは本当に大昔からありました。もう5万年前
とも10万年前とも言われるころからなんですね。しかも使ってたのはネアンデルタール
人。今の人類ですらない。まあ、このころの首飾りなんてホントにただの飾り程度
ですがね。ネックレスのシンプルなヤツって感じかな。現在のネクタイに近い形態の
ものが出てきたのは、ローマが頑張ってるころ。当時のローマ兵士のユニフォームとして、
今のネクタイみたいな感じの巻き方で、ネクタイが使われていました。
なんだ、軍隊かよ。軍隊が起源かよ。オレらってそんなの巻いてたの?歴史を紐解いて
みると、ネクタイはやたらと軍隊に使われている。ローマ兵の他にも、1656年頃、
パリに赴任したクロアチアのクロアット連隊が、統一された布片は力強い戦意を
アピールするなどの理由でネクタイをユニフォームに採用している。
はぁ?強い戦意?オレらはそんなの巻いてたの?それだけじゃない。ネクタイが最初に
伝わってきたのは幕末。日本人で最初に巻いたのはジョン万次郎みたいだけど、最初に
採用したのは幕府の洋式軍隊。
もうとことん軍隊だ。ネクタイ=軍隊。そんな図式さえ成り立ってしまいそうな勢いだ。
こんな歴史を歩んできてるものが「本校生徒としてふさわしいもの」ですかぁ。へぇー。

まあ、軍隊で使ってるだけならオイラ達一般人が使うことはなかった。これが一般に
広まっていったのは、フランスのルイ14世が、さっき出てきたクロアット連隊が
着けていたネクタイを見ていたく気に入り、全面的に取り入れ、宮廷ファッションとして
奨励、ネクタイの定着への道を開いたからだ。あと、この時代に爆発的に普及したもう
1つの要因として、当時の男子服は襟無しの長上衣(正確な形はわからんけど、今の
モーニングやタキシードの原型ってくらいだから、そんな感じなんだろう)で、
どことなく間が抜けた印象だった。だからひきしめるポイントとして胸飾りが必要で、
ネクタイはアクセサリーとして定着するようになった。
んあ?アクセサリー?ひきしめるポイント?そんなのただの過剰装飾じゃねぇか。
機能美じゃなくて装飾美。なんだそれ。それだったら、耳元をひきしめるピアス、
指元をひきしめる指輪、頭を引きしめる染髪、何しても問題ないじゃねぇか。

つまるところ、ネクタイの本来の用途は軍隊を統率するための意識統制。そして一般に
普及した目的はただの無駄なファッション。そんなのを学校服として制定してるん
ですかー。おもしろいねー。
いやまぁ、制定するだけなら別にどうでもいいんだけど、それを「学生らしい」とか
言い切ってるのがおもしろい。

次の嫌いな点。それは値段。制服って、なんでか知らんけどやたら高い。めちゃくちゃ
高い。というか、無駄に生地が分厚くて、無駄にポケットが多くて、無駄にボタンが
ついているせいで高い。あと、制服に限らず教科書にも言えると思うけど、絶対業者と
教師は癒着している。まあ、それはいいとして(良くない)、うちの制服、ブレザーと
ズボンそろえたら三万円くらいする。しかも、こんな大枚はたいても買えるのは1着。
それにまたカッターやらネクタイも買わなくちゃならない。あの程度の機能・
ファッション性を普通の服で出そうと思ったら数千円で十分だ。ユニクロの服の方が
だいぶマシ。というか、ユニクロが本気出せば数百円でも作れそうな気がする。それに、
ブレザーやらズボンみたいなのは、一着しか持ってないヤツもざらにいる。これって
めちゃくちゃ不潔じゃん。そりゃ、肌に直接触れるのは着替えるけどさ、上着とはいえ、
同じ服を来る日も来る日も着つづけるってのはねぇ。どう考えてもおかしいでしょうが。

他の嫌いな点。暑い寒い。これはもう最悪にイヤ。決められた服を着るのがイヤ!とか
そんな精神レベルの話じゃなくて、実際に肉体が耐えられない。夏は夏で、長ズボンを
はかなければいけない上に、カッターシャツもTシャツの上に着なけりゃならない。
休み時間に遊んだり、体育のあととかで暑くても脱いじゃいけない。冬は冬で、どんなに
寒くてもブレザーの上には授業中は何も着たらダメ。それにネクタイを顕示しなけりゃ
ならんので、ブレザーの下にも襟の長いセーターとかは着れない。
これ、どういうことなんですか?人類が服を着るようになったのは色々の理由があります。
その中で一番初めに、人類に服を着たいという衝動を起こさせたのはどの理由かという
問には、体保護説、装飾本能説、呪術説、羞恥説などなどがあります。これらの中で、
何にもまして、最優先に取り入れられなくてはならないのが体保護です。この保護って
言葉の中には、もちろん暑さ寒さからの保護も含まれています。呪術は別として(国や
地域、信仰、思想によっては無視できない要素かもしれないけど)、他の要素も重要な
ことは重要だと思うけど、でもとりあえずは体の保護が一番大事。なのに、制服は
こんなことすら守られてない。必要最低限の保護はしているけど、その日の天気に
合わせた着こなしなんてのが全く出来ない。春やら秋の季節の変わり目、クソ暑い日や
クソ寒い日が交互に来るようなときにでも、毎日毎日バカみたいに同じ服だ。いや、
バカみたいっていうか、ホントにバカだ。私服でこれやってるヤツがいたら頭おかしい
でしょ?一番大切な体保護をおろそかにしてまで、制服を着せて学校が得ようとして
いるものって何よ?そんなに大切なものが存在するんですか?

制服を反対する意見の中で「個性が失われる」という意見があります。そしてそれに
対する制服推進派の意見は、「街を歩く若者の服はみんな流行のものばかり。どこにも
個性なんて感じられない。それなら制服の方がいい」
頭おかしいんちゃうか?流行のもののなかにも個性はあるに決まってるだろうが。
いろいろな種類があるし、パターンがある。クラスの友達40人が私服で集まっても、
誰一人同じ服は着てないよ。学校の生徒全員集まっても同じ服はないだろうね。それに、
みんながみんな流行のものだけを着てるわけじゃない。というか、流行を追うのが嫌い
な人もいるでしょ。流行に疎い人だっている。そういう人達に対しては、さっきの
制服推進派の意見は全く意味をなさなくなる。これに対してもちゃんとした反論を
述べて欲しい。

結局、ここまで書いても制服の意義が見えてこない。そんなとき、あるHPのカキコで
こんなのを発見した。制服の意義を、教師ではないけれども教師の視点になって書いて
くれたものです。4つほどあるので、1つ1つ反論していきたいと思います。
「●」以降がカキコの文で、「→」以降がオイラの反論。

●制服がないと毎日何を着ていくか考えなくてはならない。勉強よりもそっちに
神経を注ぐ子どもが出てきてしまう。
→確かに考えなくてはならないと思います。その点に関してはオイラも認めています。
しかし、別に制服があろうとなかろうと、ファッションに気を使うヤツはいくらでも気を
使いますよ。服だけじゃなくて髪型とか靴とかマユゲとか化粧とか爪とか、校則で規制
されていないだけでもこれだけ神経を注げるところはある。結局結果は一緒ですよ。

●服装を自由にすれば、誰のうちがお金持ちで誰が貧乏なのか一目瞭然で分かってしまう。たんに家が貧しくて流行ものの服が買えないだけの子どもが、センスの悪い
ダサイ子と見なされ排除されてしまう。
→いや、服だけじゃそんなのわからないでしょ。っていうか、金持ち!ってバリバリ
わかるような服を着てるヤツってそんなにいますかね?ブランドものの服着たり
してるヤツもいるかもしれないけど、そんなにいないよ。それに、お金をかけなくても
センスのいいカッコイイ子ならいくらでも着こなせると思うんですよ。aikoの服とか
テレビ出る時でも安いのを着てるときあるじゃん。逆に金持ちでもセンスの悪い
ダサイ子は、センスの悪いダサイ服を着ると思うんですが。それに、いくらなんでも
センスが悪くてダサいってだけで排除したりしませんよ。

●私服だと学校を気楽にサボれる。気が向かなければ学校ではなくて盛り場に
直行してしまえばいい、そう考える子どもが出てくる。
→制服でもサボるヤツはサボりますよ。普通のマジメなヤツらは制服だろうが私服
だろうが、学校をサボるということ自体に抵抗を感じますから。それを感じないヤツらは
どんなカッコしててもサボると思うよ。

●極端にはめをはずしたファッションをしてくる子どもがいると、
授業にしまりがなくなる。
→いや、その「しまり」の意味がわからない。さっきの「本校生徒としてふさわしいもの」
と同じで、あまりにも曖昧な表現すぎる。それに、仮にそうだとしたら、塾はどうなる。
この場合は「授業に」と限定されてるので、学校の役割の中で、人間形成の場としてでは
なく、学業を教えるという点にのみ語られてる。それなら塾も条件は一緒。それでも
ちゃんと授業は教えれてるでしょ?それどころか学校なんかより遥かにクオリティーの
高い授業が。この事実はどういうことですか?

とまあ、こんな感じで。一応あのカキコにあった全ての意見にはオイラ的に反論できた
わけですが。他にも意義があるんだったら、オイラに言ってきてください。特に
学校関係者の方、メール待ってます。ああ、でも別にケンカしようってわけじゃないから
ケンカ腰のメールはちょっと勘弁です。

さて、そんな感じで制服はいらない!っていう感じの結論に近づいてきました。
そしてそれを裏付ける何よりの証拠は、私服OKの学校が多数存在するという事実。
これは最強の証拠です。すでに私服でも全然問題なく学校運営できてるとこがいくらでも
あるんですよ。それなのに、うちの学校では制服を着せている意味がわからない。
なんでだ?

どうでもいいけど、うちの地区で私服OKの学校は、頭の良さでいうところの上位2校。
ってことはあれですか?頭のいいヤツらなら私服でもOKだろっていう兵庫県の考え
ですか?それは偏見じゃないですかねー。いい加減にしてほしいですね。


はい、結論。
制服はいらん!
うむ、実に単純。実に明快。そして実に理想的。


<追記 06年10月18日>
このコラムを書いたのは01年1月19日。現在社会人一年目のオレが高2のときのことです。
もう5年半以上も昔ですね。その間に一人称が「オイラ」から「オレ」に変わったりも
したわけなんですが、今でもこのコラムをちょこちょこ読んでくださる方がいるようで。
グーグルで「制服の意義」で検索するとトップに出てくるし、ヤフーでもそれなりに
上位だしということが理由のようですが。

あれから5年。制服だった高校を卒業し、私服の大学時代を過ごし、
私服とスーツが半々くらいの会社に入った現在、制服に対する考え方もかなり
変わっています。あの頃は主に反発心から制服反対を叫んでいて、それを補強するために
理論武装をしていった感じでした。牽強付会もいいとこです。
まぁ今読み返しても基本的に間違ったことは書いてないし理論も概ね正確だとは
思いますが、この程度の理論武装ならディベートしたら完敗します。
大学のときに制服肯定派の立場でディベートをしたのですが、この程度の知識だった
相手をボコボコに叩きのめした記憶があります。
例えば学校の安全問題が取りざたされている昨今、「侵入者の弁別が容易になる」という
ところを攻められるだけでかなり劣勢になるわけで。
他にも反論のしようがない制服のメリットはたくさんあります。
もちろんデメリットも同様にたくさんありますが。

そんなわけで、このコラムはあまりにも多岐に渡る「制服の意義」に関する論点の
ごく一部しか扱えていません。これが当時のオレの限界だったわけですが。


ちなみに理屈とか抜きにして、今現在のオレの制服に対する考えはというと
「制服っていいものだよね」
です。物凄くノスタルジックな感情がこもっております。私服の学校だったヤツを見ると、
昼飯が弁当で給食を食べたことの無い人に対するのと同種の哀れみを感じてしまいます。
お前は学校生活の代名詞とも言える制服を経験していないのか、と。
制服を経験せずして何が学生かと、と。そんな風に考えています。
確かに当時は嫌だったけど、学生時代の嫌な思い出は、時間と共に99%は
いい思い出に変わるものですから。



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