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飯田線vs高速バス


国鉄時代の飯田線には、「急行全盛期」があった。

長野方面へ3往復、東京方面へ3往復、名古屋方面へ4往復あり、
現在の飯田線のように短距離輸送に徹するローカル線ではなかった。

しかし、長距離利用も大きかった飯田線の一大転機となったのが
中央自動車道の開通である。

中央道の開通により長距離高速バスが運転を開始し、
線形の悪い飯田線を尻目に「速い安い便利」を売り物に飯田線の利用客を奪っていった。

高速バスの運転開始は国鉄・飯田線に大きな衝撃があった。
飯田線は急勾配・急カーブや軌道が私鉄建設線のため貧弱で、
スピードアップがままならず、高速バスに対抗する手段はなかった。


飯田線と高速バスの比較(昭和58年当時)
区間輸送機関料金(円)所用時間
飯田〜新宿国鉄5600円5時間15分
高速バス4000円4時間15分
伊那〜名古屋国鉄4100円6時間09分
高速バス3500円3時間22分
(国鉄・飯田〜新宿は急行こまがね、伊那〜名古屋は豊橋乗り換え)


開通前まで4両編成の列車一杯に乗客が乗っていたが開通後は利用者が激減。
1本あたり300〜400人程度の利用が10〜20人程度に激減した。

51年6月の飯田駅の遠距離乗車券の売上を中央道開通直前の50年6月と比べてみると、
名古屋行は1097枚から76枚と93%の大幅な落ち込みようであった。

名鉄線接続95%減、名古屋以西76%減、本来は中央道と関係のない豊橋も57%減と、
飯田線長距離列車は、壊滅的な状況に陥った。

また飯田線の1日平均乗降車客も40年の10万7千人をピークに
50年には、6万1千人とほぼ半減。

まさに中央道の開通により長距離客の激減と飯田線の利用客は
減少に一途をたどる飯田線にとっては試練の連続となった。

当時の長野県の地元紙・信濃毎日新聞に国鉄の石田鉄局がインタビューに答えている。

そこで、石田鉄局は悲観的な見通しを示唆し、
「ここまでの運賃・所要時間の差では如何ともしがたく、将来的には廃止、
運行区間の見直しが必要である。沿線住民のマイレール意識がないと厳しい」としている。

高速バスの対決に負けた飯田線は61年までに急行列車全廃、
とうとうローカル線と成り下がったのである。

飯田線急行列車の敗因のすべてはスピード不足という致命的な欠点にあったことは、
隠しようのない事実ではあるが、「いずれは特急化」といわれた急行列車もあり、
それが普通・快速列車に格下げされた事は、
あまりにも飯田線の敗北を象徴づける結果になってしまった。



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