夜遊

 

 

 屋根の上,ひとつ溜息をついた。

 家の中は退屈だ。この家の猫たち―――彼女にとっては親兄弟だが―――ときたら,まるで猫であることを忘れたようで。

 外への興味をもつでなく。ぬるま湯のように温かく,昼下がりのように気怠くよどんだ館の中から出るつもりもなく。

―――そんなのは嫌。

 ささやかな家族への反抗。この家の壁の外に一歩でも踏み出すことを皆が異常なまでに厭っていると,知っていながらわざと抜け出す。かといって館の敷地から抜け出すでもなく―――ただ,屋根の上で時を過ごす。

 けれどそれでは,

―――何も変わらない。

 どっちつかずの半端な位置のまま。屋根を蹴って飛びだせば,そのむこうには『外』が広がる。ぬるま湯の温もりでも優しく微睡む鳥籠でもなく,厳しく張りつめて懸命な―――自由が。たった,ひと蹴り。

 そのただ一歩が踏み出せないまま,今日もひとり屋根の上にいる。見ているのは月だけ。銀色の,無心な輝きに包まれる。静寂の中確かに透明な旋律―――すべてを照らす,優しくて厳しい月光そのままの。それは月の,歌声。

 自分の弱さを責めるのではなく,けれど許してしまうのでもなく。ただ,見守ってくれている。

 見上げて手をさしのべる。ふわり,白い身体が宙に舞った。

 月の旋律と白い舞が溶けあう。音のない夜にあまりにも似つかわしく。時を止めて―――

 

 ――――風の音が聞こえた。

 

 音を追って瞳をめぐらす。とらえた先には黄昏の黄金。明るい気まぐれなその気配は,この季節とあまりにもかけ離れていて。

 街の他の猫たちのようにあわてて踵を返すのではなく,まじまじと眺めている。この『自分』を。『白の館』の子供をではなく。

 だからか,気がつくと問いかけていた。

 

「あなた,だれ?」

 

 

 

 

 

 

 『白の館』に幽霊が出る,という。

 街の北側,丘の斜面に並んだ数ある邸宅のうちでもひときわ由緒正しいというそれ。幽霊だの家憑きの妖の類だのひとつやふたつ抱えていたって無理もない。とはいえ真っ白い家の上で真っ白い影が踊っているのはそれなりに恐ろしげに映るらしく。

―――いわく,先祖の亡霊。

―――いわく,滅びの魔物。海の向こうでは家が滅ぶ前,女祖先が来て泣くという。

―――いわく,子供の魂。…どこが怖いのか怖くないのか。

 

 屋敷猫たちのバカ話の一つだ。当然のようにそんなもの,彼は信じちゃいなかった。もともとが天の邪鬼である。

―――人間じゃあるまいし,幽霊の一つや二つやその他大勢,怖がってどうする莫迦らしい。

 そう思っていた彼が,思いがけず当の『幽霊』に会ったのは真冬の十三夜の月の晩。例によって夜の散歩と,家を出たままふと思いたって件の『白の館』を通ることにした。ほんのささやかな,気まぐれ。彼らしいと,いえば言えた。

 

 

 軽く屋根を蹴って空を駆ける。静まりかえった夜の中で、自分の足音だけがかすかに響いた。

 『塔の館』の青い屋根をまわり向かいの平らな屋根へ飛ぶ。ふと『白の館』へ目を向け―――『幽霊』を、初めて見た。

 真白い影が舞っている。

 月光に照らされて銀粉を振りまくようにぼやけた輪郭は確かに現実離れして見える。

―――箱入りの奴らがユーレー呼ばわりするわけだ。

 そう思いつつも目が反らせずに、まじまじ見ていたら『幽霊』に気付かれた。

 動きを止めてこちらを見ている。その視線は意外なほど強くて、それが現実の生き物だと示していた。

 

「…あなた,だれ?」

 淡い金の眼が琥珀の眼を見上げる。『幽霊』―――もとい,真っ白い仔猫は物怖じということを知らないらしかった。この自分に対して,これほど素直に言葉をかけてくるような相手などこの辺りにはいない。こんな真っ直ぐな目を向けてくるのは―――そう、たとえばこれから向かう先の仲間たちのように相手のありのままを映すその瞳。ほんの少し,興味がわいた。

 

 

 

 

 

「お前,ここの猫か?」

 こくん,と少女が頷く。

「何してんだ,箱入りがこんなとこで」

「踊っていただけ。月が歌っていたから」

 風もない冬の夜。凍りついたような,静寂の中で―――何が,歌って?

「アレがか?」

「形あるものはみんな歌っているわ。猫でもヒトでも、樹も月も風も―――誰も聞こうとはしないけれど」

 何を、自分は言っているのか。まるで自分ではないようだ―――そう思って少女の目がかすかに揺れた。

 普段なら家族にすら話さないはずのことを、見ず知らぬこんな猫に話していることが信じられない。

「…へぇ。そりゃー聞いたことねーな――――で、なんてってんだよ?」 

「――――あなた、かわってる」

「あ?」

 わずかに彼女の声が揺れている。

 そのせいか、言われ慣れているはずの言葉に妙に間抜けた声を漏らしてしまった。

「変な子だって言わないのね」

「嘘じゃねー、だろ?」

 するすると紡がれる琴糸の声。月光をうけ、語る姿はさながら巫女のごとく。

疑う気すらおこらなかったのだ。この自分が。

「なら聞こえてんだろーよ。それとも驚かしたかったワケ?」

「家の人はみんな笑ったわ」

 おかしなことを、と。誰にも聞こえない『彼ら』の声を、わかってくれる者などいない。

「そりゃそいつらが判ってねーだけだ」

 世界のとらえ方は一つではない。『たった一つ』『絶対の真実』そんな言葉の外にある領域。

 友人の魔術師ならそういうはずだし、だいたい猫など超常世界とは本来オトモダチなはずである。

―――――ったく屋敷猫って奴らは。んなことまですっかり忘れてやがる。

「でもあなた、やっぱりかわってる」

「そりゃどーも。ありがてー褒め言葉だな」

 牙をみせて笑ってやると、淡い金の目がかすかに和んだ。

 

 

「ま、俺に言わせりゃお前だって変わってるぜ。フツーこんな家の連中は屋根の上なんて出ねーんじゃねー?」

「…『中』にいると、息が詰まるの」

「ここの連中、化石だからなぁ」

 クスリ、少女が笑みをこぼした。

「それなら私も化石のひとつ?」

「そーだな、さしずめ生きた化石か?」

「やっぱり、化石ね」

「とびきり変わったヤツな…ぜってー博物館になんざ入らねーの」

 入りたかねーだろ?と瞳を捉える。

 確信めいたものを感じた。この少女は『同種』だ。籠の鳥でいられない―――自分と、仲間たちとおなじ自由な魂。けれどその輝きを、消すか守るかは彼女次第。

――――さて、どう出るか。

 受けて少女の瞳が瞬く。

 風の音に背中を押される。夏の陽射しをのせた風が冬の霧を払っていく。

――――今なら跳べる。 

「――――ねえ。連れて、いって?」

 真剣な瞳が見つめてくる。喰らいつかんばかりの強さ。眼だけで笑い、受けて立った。

「帰れんのか?送らねーぜ」

「かまわない」

「―――じゃ、来いよ」

 ニッと笑って手をさしのべる。冷たい小さな手が重ねられた。

 耳の中に風の音。

 白い足が屋根を蹴った。

 

 

 

 十三夜の月を駆け抜ける。後ろをちらと振り向くと、白い仔猫は意外にも息ひとつきらさず駆けていた。

 ヤワなお嬢さんではないらしい。やるな、と思いながら笑っていると気付いたように視線を合わせてきた。

「そういえば―――」

「ん?」

「あなた、誰?」

「―――あ゛…」

 …確かに名乗ってはいなかった。自分の名は仲間にしか言わないから、『他猫』にははぐらかしていた癖が出たらしい。

 けれど、彼女には。告げてもよいと―――判っている。

 自分だけを示すこの名を。自分の本質を刻んだこの名を―――

「俺は――――ラム・タム・タガー」

 告げられた名にまた少女は笑う。名前も変拍子なんて、あなたほんとに変わってる。

「るせー。お前は何てんだよ」

「わたしは…」

 これまではこの名が嫌いだった。けれど彼ら――今から行く先にいるのだろう誰か――に呼ばれるのなら、好きになれそうなそんな気がする。

 笑みを唇に浮かべたまま、誇らかに少女はその名を告げた。

「ヴィクトリア」

 

 

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ヴィクトリア、タガー出会い編。 

っていうかヴィク、小話の登場率高いですね。おや〜? 

なんというかネタが出やすいのです、彼女。 

ちなみにうちのジェリクルたちの間には「拾ったものの面倒は自分で」という不文律があったりします。 

それをベースに彼らの中の兄弟分関係が成り立っていると。 

コリコがジェリロの弟だったりヴィクがタガーの妹だったりするのはそういうわけです。 

っていうか蛇足ですねι 

 

 

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