残光

 

 

 夢をみた。

 子猫の夢だ。

 濡れた朱い毛並みもそのまま,黙って空をみつめている。

 そしてその周りは―――。

 

――――ああ,あれは。

 

 金の瞳は何もみていない。

 うつろな瞳の奥にちろちろ,かすかなみどりの鬼火が燃える。

 

――――あれは俺か。

 

 まだ名を持たぬ子猫。

 ―――それともすでに決まっていたのだろうか?生まれる前に,その手を血に染めて。この二つ名のそのままに―――?

 空が,緋い。

 夕焼けが赤く燃えている。やがてすべてが朱に染まった。

 

 

 

 

 

 

 信じられない面差しで、彼女は目の前の光景を見ていた。

―――――どうして。どうして,こんな―――。

 一面の赤はその鮮やかさを失い,既に黒く変色している。その中でひとつ,ソレだけが鮮やかに赤かった。

 

 金緑の眼が無表情に見ている。

 

 生まれてきた子供たちにすでに息はなかった。ただひとり,ソレだけを除いて。

 まだはえているかすらあやしい爪を,朱色の滴りが染め上げている。息のない兄弟たちの身体に,喉に,刻まれた爪痕の主は明らか。

 ―――悪い夢かと,思った。あまりにもそれは禍々しすぎて。

 甲高い叫びが聞こえている。恐怖と絶望と悲しみの固まり。

 呆けたように宙を見つめる自分の声だと気付くのにはしばしの時を要した。

 錆びた朱色の毛の固まりは、彼女の涙を浴びながら―――うっすらと金緑の瞳を細めた。

 

 

 子供に名前は付けなかった。

 兄弟たちの血に濡れて生まれた仔猫は、それでも彼女にとってただ一人の子で。それ故に愛しくはあったけれど同時に仔猫への恐怖もぬぐえず、子供を殺した存在への憎しみは容易には消えるはずもなくて―――恐怖と憎悪と愛しさの狭間で、少しずつ精神がバランスを崩す。

 

――――…否。多分、あれはもう狂っていたのだろう。

    あれに名を呼ばれたことなどない。俺を見る眼はいつも恐怖と憎悪に染まっていた。

    そのくせ、時にひとが変わったように俺を抱きしめて涙をこぼしていた。     ―――――

 

  極端な偏った感情しか向けられないまま、しかしそれでも仔猫にとって彼女は世界のすべてだった。

 そして成長はすなわち、自らの世界に染まることを意味する。

 仔猫の誕生により崩壊し、ひび割れた虚ろとなった彼女の世界は彼のうちにも虚空を育んだ。

 

――――淋シイ。寒イ。…哀シイ。言葉として知ってはいても、そんなものは記号に過ぎない。

    そんな想いは知らない。俺は、

    兄弟殺シの悪魔ノ子だったし、現にいつだって何も感じなかった。

    あれに打たれても、抱きしめられても。罵られても、…――――そう、あの時でさえ何も感じなかった。ただ―――

 

 

 

 

 

 何がきっかけだったのかはわからない。

 ただその日、彼女が本気だったことは確かだった。

 本気で――――

 彼の頸に細い手が絡みつく。そのままこめられた力が弛むことはなかった。

 

 見上げた目の中に見慣れた線の細い顔が映る。表情のないままこぼれる涙が、やけに朱く輝いて見える。

―――そらが、アカい。

 妙にはっきりとそんなことを思う。

 何も感じていなかった。恐怖も、哀しみも、憎しみも。だんだんと息が詰まる。視界が霞む。

 空が緋い。目の中が赤い。朱い雫が輝いて――――耳のなかに、ノイズ。

 

 すべてが、緋く、染まった―――――――

 

 

 あたたかいものに包まれている。

 甘い香りが鼻腔をくすぐった。

――――これは。

    ナンダロウ―――――?

 

 一面の、朱。

 

 

 朱い水溜まりのなかに彼はいた。甘い香りはその匂いとしれる。

 傍に朱い何かがころがって… コレハ、何ダ。

 しゃがみこんで手を伸ばす。そのせいで四肢が朱に染まった。

 そして、気付く。 …なんてあたたかい。

 触れた冷たいモノにもう興味はなかった。

 

 朱い、ぬくもり。彼女の腕の中の何倍もあたたかい。

 くすくす。くすくすくす、喉が震える。やがて哄笑が波紋を描く。

 母の血にその身を浸しながら、彼は初めて声をあげて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暖かい記憶など知らない。赤い想い出がすべて流してしまった。

 ふらりと立ち上がり,身を翻した。

 

―――少し寒い。

 

 赤い夢が尾を引いている。

 目が冴えて,感覚が研ぎ澄まされて。身体だけが凍えたように冷たい。

 温もりを求め、ココロが彷徨いだす。

 瞳にうかぶのは濡れて甘い,ぬるい――緋。

 

 ―――月が朱く染まった。

 

 

 さあ,

 ――――狩りの,時間だ。

 

 

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なんだかなぁ。この猫が出てくるとどうしてこう赤くなるかしら。

というわけでやってしまいました。しかしマキャさま,やっぱり空っぽなキャラなのね…

 

 

 

 

 

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