
Home > ヴィスコンティの肖像 > 地獄に堕ちた勇者ども
「地獄に堕ちた勇者ども」(1969年)
出演/ダーク・ボガード イングリット・チューリン ヘルムート・バーガー ヘルムート・グリームこの「地獄に堕ちた勇者ども」で、ドイツ三部作は幕を開ける。この三部作は、豪壮・典雅な美術構成と洗練された文化、知性、そしてデカダンス、生と死、欲望、表層と深層の対比といった要素がふんだんに盛りこまれており、一旦その雰囲気に呑まれたら、どう足掻いても脱け出せない魔力を持っている気がする。逆にこの雰囲気についていけないと、どうしようもなく退屈な駄作として捉えられることだろう。名作と駄作は常に表裏一体ということを体現する作品でもあるのだろうか。
さて、まずこの「地獄に堕ちた勇者ども」だが、この作品で最も印象に残ると思われるのはヘルムート・バーガー演じるマルティンの変わりぶりだろう。実際私は彼の異常な性格に惹き付けられ、最終的にSSの黒服を着て敬礼する彼の姿にぞっとさせられた。彼の姿には「堕ちる」という形容は当てはまらない気がする。むしろ彼の場合は、嫉妬と欲望によって精神が昇華した結果だと考えられないだろうか。それは「ナチス第三帝国」という異常世界の幕開けを示していることに他ならない。
それよりも堕ちていくのは彼の母親ソフィ役を演じたイングリット・チューリンだろう。常にマルティンを手中に収めておきたいという彼女の束縛欲は、結果的にマルティンの壮絶な反撃を食らうといった悲劇を演出することになる。前半ではダーク・ボガード演じる愛人のフリードリヒ、ヘルムート・グリーム演じるSS将校アッシェンバッハを操って保身を図ろうとするが、アッシェンバッハの方が一枚も二枚も上手だった。マルティンに犯されるシーンは官能とか耽美とかそういう次元を越えた壮絶な退廃的シーンだ。最後の結婚式での彼女は死に装束をまとっているようにしか見えなかった。
では彼女の愛人で、製鉄工場の実権をなんとしてでも握ろうとするフリードリヒはどうか。間違いなく、彼こそがこの作品の中で最も情けない人物ではないか。最初から最後まで、アッシェンバッハに操られていただけだ。ソフィとの情事を重ね、工場長として就任するも、結局家族内での策略の犠牲になっただけだ。しかも、あきらめが悪く、最後まで再起を図ろうとする、身のほどを知らない可哀相な人物でもあった。彼も結局権謀術策を講じたのだから同情の念はなかなか起きないが、アッシェンバッハに比べればまだカワイイものだ。
さて、そのアイシェンバッハ。エッセンバッハ家随一の切れ者であり、コンピュータのように正確な思考で、家族を操る。まず標的にしたのが、フリードリヒ。既得権で保身を図るエッセンバッハ男爵を殺害させ、自由主義者の従兄弟ヘルベルトに罪を着せる。そして次が、マルティンだ。フリードリヒとソフィが邪魔だと判断し、愛憎に苦しむマルティンをすぐに手元に手繰り寄せる。そして最後に、自らが粛清したコンスタンチンの息子で純粋な心を持つギュンターを、家族の欲にまみれた醜い争いを拭きこむことで、これも手中におさめてしまう。最初から最後までおいしいところを持って行くキャラクターだ。
彼が指示した設定になっている「血の粛清」の場面は凄まじい。コンスタンチン他突撃隊が宿舎で饗宴に興じるシーンは、究極的カタルシスともとれるが、その後に起こる惨劇を連想すれば、それが途端に死の舞踏に見えるのだ。表層での生、そして待ち受ける死を対比させたシーンだと思う。
そして最後だ。これが本当に壮絶。エッセンバッハ家の屋敷にはナチスの党旗が掲げられ、ソフィは死に装束をまとったように見え(白化粧はまさに「ベニスに死す」のアッシェンバッハと同じ死に化粧だ!)、フリードリヒはやつれ、マルティンはSSの黒服を着て表情は威厳に満ちている。そして影で操るアッシェンバッハ。さあ、この残酷な結婚式を見よ!そこには表面的な豪華絢爛たる世界が描かれているが、深層は死そのものではないか。神前での誓いが終ると、新郎新婦は別室に閉じ込められ、マルティンは机にそっと何かを置く。毒薬だ。そして外では集まった出席者がそれぞれ享楽にふける。そして新郎新婦の無残な姿を前に、マルティンは敬礼をする。エッセンバッハ家の欲望渦巻く醜い争いは、1人の忠実で優秀なナチス党員を生み出し、終りを告げる。そしてナチスドイツとともに、異常世界へと足を踏み入れていくのだ・・・