「デフレ・スパイラル」の可能性



 ”デフレ・スパイラルの瀬戸際”
 
1998/06/06
日銀、今後の「デフレ・スパイラル」の可能性を認める
日本銀行は5日に公表した年報「1997年度の金融経済動向」のなかで、日本経済が今後、物価の下落と需要の減少が連鎖的に起きる悪循環(デフレ・スパイラル)に陥る可能性があることを事実上認め、今後の日本経済の課題の第一に、このデフレ・スパイラルの回避を上げた。日銀の速水優総裁は5月21日の記者会見で「いまの段階で、デフレ・スパイラルに入っているとは思わない」と述べたが、日銀としても、デフレ・スパイラルの瀬戸際にあるとの認識を持っていることが示された形で、今後の政策論議にも影響を与えそうだ。

 ついに日銀も認めたデフレ・スバイラル。現状を見れば誰の目にも明らかだが、公的に認識を発表したことは、今後の推移について一層の危機感をもって対峙しなくてはならない。わずか半月の間に、発言を180度転換させた裏には、予想以上の足並みの速さが、各指標として明確になってきたからに他ならず、また、回避する対策が取られていないことが明らかになったといえる。

 失政で招いた危機を、政府が元に戻せないのだすから、市民はデフレ時代の自己防衛策を、自らが講じなければならない。景気は悪化、資産は減少、給与は下がる、会社は倒産..そんな悪夢洞窟の入り口に、私たちは吸い込まれてしまったようだ。945(昭和20)年7月26日に発せられたポツダム宣言に対し、8月10日「天皇大権不変更」を条件に受諾回答、これに対する無条件のポツダム宣言受諾を強制する連合国側の回答、14日の御前会議決定、15日の国民に対するポツダム宣言受諾の詔書発布という20日間の大戦終結の『瞬間』における当時の日本為政者達の思考の中心は、「主権的統治者としての天皇の大権」によって成り立っていた日本の「国体」が「護持」されるか否かという一事にあり、15年間の侵略戦争の犠牲になった無辜なる他国民や日本国民の運命ではなかったという事実がそれである。国体護持に固執してただ空しく費された「20日間」のため、少なくとも38万人の日本国民が犠牲となった。それは、太平洋戦争の1,347日間での官民合わせて300万人の犠牲者(死者=推定)の13%に相当する数であり、まさに『悲劇の20日間』であった。


1998年06月29日
原宿ホコ天圧殺される“最後の日”
竹の子族やロックバンドなど最先端の若者文化を全国に発信し続けた東京・原宿の「ホコ天」(歩行者天国)。中止が決まり事実上最後の日≠ニなった二十八日も、梅雨の曇り空の下、派手な衣装を着た若者のダンスやロック演奏などでにぎわった。
原宿のホコ天はJR原宿駅から東に延びる表参道の約一・一`で、一九七七年七月にスタート。日曜、休日の午後に実施され、当初は「のんびり歩いてもらおう」と始まったが、次第に若者のパフォーマンスの場となった。