「最近のイベントを通じての雑感―アイリッシュダンス活動の現場から」  宮澤 紅子
『日本アイルランド協会会報No.40』(2001年2月発行)掲載



[はじめての発表会]

 昨年12月頭、設立10年近い私どもCCE JAPANの初の発表会が行われた。(お越しいただいたアイルランド協会の先生方には感謝しております。) 何しろ我々は純然たる文化団体で、プロの公演ではない。大赤字になって困らない程度にチケットが売れ、見る方には飲食しながら楽しんでいただければ程度に思い、通常行うケーリーのような宣伝−チラシの積極的配布、ウェブ掲載−も一切しなかった。

 ところが蓋を開けてみると、広めのパブの会場が混雑のため人が前にせり出してステージ部分が狭くなるほどの盛況ぶりであった。(全体で200人弱)内容は、うらプ等楽器演奏を含め、オールドスタイルおよびモダンスタイルのステップダンス、セットダンス、ケーリーダンス、シャンノース、ケーリーバンドと、出来はともかくも一応は「王道」(?)路線で、アイリッシュダンス各種取り揃え、といった具合である。商業的な公演を目的としない我々であるから、工夫こそしたものの、もしお客様が飽きたらどうしよう?と開演後も不安がつのった。しかしその心配も、終始上がる笑い声や歓声に次第に薄れていった。

 終演後、多くのお客様たちが口々に、「あー楽しかった。」と語り合っている。見るからに今風の若い人が、紅潮した面持ちで「伝統的なダンスって、こんなに面白いもんなんですねえ。びっくり。」という思いもよらぬ反応もあった。全体に予想外の好評であり、「伝統文化」としてのアイリッシュダンスに素直に興味を持ち、かつ楽しんでくれていた。企画兼イベント責任者としては、誠に嬉しく苦労の報われる思いであった。
皆様ご存知のとおり、我々は「アイルランドの伝統芸能を学び、普及させる」団体という、ともすると「ピュアリスト」だの「右翼的」だの「石頭」だの言われがちな立場なのであるが、見る人を喜ばせたのが、ほぼ筋を通した内容のもので構成した結果であることは、自分たちのやって来たことが正しかった、と確信するに足ることであった。学術的サンプルを集めただけではなく、皆が集まった場所において、働く人、演じる者、お客、が相互にコミュニケーションをとりつつ、全員がその時間を楽しむという、「場」を設けたことで、民間に生き続ける伝統文化の本質的な部分を異文化の国において僅かにでも再現し、微力ながら伝えることができたのでは、と思うのは調子に乗り過ぎであろうか。(上記一部T.Y.氏の表現を拝借させて頂いた)


[伝統の力―若きダンシング・マスター]
 先日、ステージ出演(守安ご夫妻、B. McNamara氏他との共演)とワークショップのため来日していた 23歳のトラベリング・ダンスマスター、
Patrick O'Dea氏のダンスを学び、見る機会があった。もちろん最近流行のショー・ダンスで売り物の、高いジャンプだのハイキックだの派手な振りは一切無い。(あれはあれで立派な芸だが、本質的にあり方も考え方も別物なので一緒にされても困る)
伝統的スタイルのものというと、単純で退屈なものという偏見を持っている人が未だにいるようだ。とんでもない話で、そんな人は一度優れたダンサーによる本当の伝統的なダンスというものをしっかり見ていただきたい。力の抜けた曲線的優雅さ、体が宙に浮いているかのような足元の軽やかさ、音階が聞こえてくるような繊細な足音の巧みさに、目からウロコが落ちること請け合いである。
さらに、非常に巧みであるにも関わらず、見るものを威圧したり、威嚇したりするようなものが全く無く、むしろどこか暖かい雰囲気に包まれて心地よく和ませるのである。ポイントはここである。
 Patrickは、伝統的アイリッシュダンスの世界では、世界的に有名なダンサー兼教師である。彼がなぜ世界中から声が掛かるか?彼が技能的に優秀なためだけではない。利益優先の紛い物ダンスすら横行する、経済原理で全てが決めかねられないこの世の中で、若年ながら声高になることなく伝統を守ろうとする姿勢が尊敬され、またどこまでも謙虚で、明るく思いやり溢れた人柄が愛され、何よりそんな彼に教わる「時間」を持つことを多くの人が切望するからである。
そこには、カルト的権威的なものは一切存在しない。ただ、フランクで楽しくかつ真剣な場があるのみだ。彼自身が、それもまた「伝統文化」の一つであることを良く知っているのだろうと思う。
 こんな体験を通じ、頭で理解していたはずのこと―アイリッシュダンスと音楽が、コミュニケーションをもって、またコミュニケーションの手段として、生活の中で育まれていたもの、受け継がれていたものということが、ここまで来てやっと少し実感出来たような気がするのだ。
私にとってのキーワードは「和やかさ」である。活動の道は障害多く険しいものの、同時になんだか楽しみなものも感じるのも事実である。

『日本アイルランド協会会報No.40』(2001年2月発行)より転載。 ※日本アイルランド協会 転載許済



 
 今読むとかなり恥ずかしいですね。私は実際にはモダンスタイルも勉強中ですが、
なんだかオールドスタイルオンリー!と とる人もいるかもしれないですね。
自分たちだけが正しい、ってことを言いたかったのではなくて(正しいことをやっているとは信じていますが)
所詮外国人である我々が、他国の文化に土足で踏み込んでいる状態なのだから、謙虚な姿勢でできる限りは尊重したい、と思うのは
当然ではないかということなのです。(「伝統」云々については、ここでは触れませんが)
流行とか流行でないとかは関係ないです。たまたまある伝統芸能をソースにした大規模商業ステージが大ヒットし、認知度が高くなったからといって、
都合よくそれを看板にし、商売のネタにすることは、現在世界中で見られる現象ではありますが。
ハリウッド製ミュージカル映画は、子供の頃から好きだったし、舞台芸術も好きです。でも何でもそういう発想と基準で決めてしまうのって、つまらなくないでしょうか。 
私が愛蘭のダンスを好きな理由のひとつは、現在においても、必ずしもそのような基準や見方によってのみくくられるものでない、というところに
新鮮さを感じたということもあるのです。

今でこそ正会員数50名を超え、非会員ダンスクラスメンバーを加えると結構な大所帯となり、各種クラスや勉強会も設けられたものの、
会発足初期は、石ころだらけの荒地のような状態でした。映像資料もアイリッシュダンス専門の指導者もなく、当時の先生を含めて試行錯誤を重ねながら、荒地を耕すような状態。
集めきれない程の資料も簡単に入手可能であり、練習場所もあり、学ぶものも選択できる現在の整った環境を思うと、本当に「開拓者時代」とも言えるスタートだったと思う。

  パトリックとの出会いは、93年のウィリークランシー・サマースクールのリサイタルです。シャイそうな笑顔の小柄な少年でした。
しかしダンスは壮年のベテランのように落ち着いて見事であり、重鎮のジョー・オドノヴァン先生と堂々と渡り合っていたのには、
皆驚嘆の声を上げていたのを良く覚えています。
その3年後、ケリーのリストウェルで開催されたフラー・キョールというイベントのダンスクラスで、再び彼に会いました。
私が夢中で練習しているのを、ニコニコしながら見ていたようです。(米デトロイトCCEのクラスメイト、こっそり教えてくれました)
一昨年、成人したパトリックがついに来日し、ワークショップを受けることが出来たのですが、その際、彼は懐かしがって、
オドノヴァン先生のこと、昔のことを嬉しそうに話してきました。
自分の敬愛する師をまた敬愛する人に対する親近感なのでしょうか。(ダンスは天と地以上の違いがありますが…)
現在トラディショナル・ダンス界では世界的なトップクラスの踊り手で、人間国宝的存在の彼ですが、何時会ってもその気さくで慎ましい人となりはちっとも変わりません。
きっと、本当に実力と自身のあるひとというのは、こういうものなのだなあ、と思いました。
(2001年6月21日)



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