タップダンス講演会に行ってきた時のおはなし


リバーダンスにも出演していた黒人ダンサー
 少し前の話になりますけど、タップダンスの講演会に行ってきました。このサイトで「タップ」などというと ヤリの雨が降ってきそうで怖いです。
でも、本来の姿のタップダンスは、美しいし見る人を楽しませてくれるし 何より語りかけてくるものがあって、
誰デモ心ヒカレルモノガアルと思う。
 講演者は、リバーダンスにも出演経験のあるアメリカ人ダンサー。振り付けもやったかもしれません。
ほら、黒人タップ組とアイリッシュダンス組が踊りくらべをするシーンです。彼の祖父がやはり昔活躍したタップダンサーで、
公演は昔のフィルムのダンスシーンや実演を見せながら、アメリカにおける黒人タップの歴史を語るというような内容で構成されていました。

 1920-30年代のモノクロのフィルムは、金属のタップスがまだ靴の裏に取り付けられるようになる前の時代のもので、
人によってはジグシューズのように前部分が厚くなっています。映画「ザッツ ダンシング!」(1984? 85? / MGM, UA)も出てきます。
この時代はまだ黒人には人権などほとんどなく、「意図的に最盛期に撮影されなかった4人組黒人ダンサー」の中に後援者の祖父がいたように
記憶しています。なぜ、フィルムが残されなかったかというと、あまりにすぐれた踊り手たちだったので「白人ダンサーの陰が薄くなってしまう」から
白人の映画製作者たちが故意に撮影しなかったということです。


奴隷として連れて来られた人々
 最近では以前よりも人種差別の度合いは低くなり ―それでもまだ人種差別は続いていますが― 現在のこの社会からは考えられない
ような昔の社会。
お話はアフリカからアメリカ大陸に奴隷として強制的に連れてこられたひとたちの話から始まります。
白人の経営する農場で働かされていた黒人たちは、白人から「太鼓」を取り上げられてしまいます。
白人は、太鼓を黒人の通信手段と考えたから。広大な農場の中で働く黒人どうしが何かを太鼓で伝達することを白人は恐れました。
それで太鼓をとりあげられた黒人たちは、足を踏み鳴らしたり手のひらで体をたたいたりして体でアフリカのリズムを刻みます。
やがて踊りは農場の地域単位でコンペのようなものが白人によって開かれるようになり、たいへん盛んになったといいます。
この踊りが公演者の言うところの「タップダンス」に発展していく、というのです。
 黒人ダンサーが舞台や映像の中で活躍するころになっても、依然として差別は続きます。
上映されたフィルムの中に、片足が義足のダンサーが出てきます。少年の時に仕事場で機械に巻き込まれて、ひざ下がだめに
なってしまうのですが、当時は黒人が病院に行って手術を受けることは許されていなかったので、家にかつぎこまれて台所の
キッチンテーブルの上でひざ下を切断ました。
「貧乏、差別、身体障害」の三重苦にも負けずに立派なダンサーとなった彼を、公演者は心からたたえるとともに、
ひざ下からの切断でひざが使えたことと、彼の明るく前向きな姿勢がダンサーになりえた要因ともコメントしています。


「タップダンス」という踊り
 公演者が「タップダンス」と呼ぶのは、黒人の踊りに限定しています。これが彼の曲げることのできないポリシーのようです。
会場には、NYスタイルの白人タップをも踊る日本の有名なプロダンサーやダンス教師たちの面々がずらっと並んでいますから、
もちろんズバリそのものは言いませんが、言っている内容がそう語っています。
彼の主張もある意味では納得できます。なぜなら、白人たちは黒人から踊りを盗んで自分たちのスタイルに取り入れていったから。
彼は何度も言います。「ルーツが見えなければ、それはタップではない。」と。
 上映フィルムには、白人が黒人の仮装をして踊るシーン、トウシューズでポアントをしながらポアント面のエッジでシャッフルを
したりポアント面を使ってビートしたり(ターンアウトはなし)する群舞やソロのシーン、前半部分のみの短めスキー板をはいての
トウスタンド(と言えるのだろうか?)を面白おかしく見せるシーンまで。黒人4人組のフィルムでもトウスタンドをやっているので、
このころは流行っていたのかなあとも思いましたが、「いくらバレエタップとか、工夫をこらしてもルーツの見えないものはしょせんは
タップとは言えない。」という説明が。


観客からの質問にこたえて
 「フレッド・アステアやジーン・ケリーをどう思いますか?」との質問にも、「彼らはすばらしいダンサーだが、すばらしいタップ
ダンサーではない。」とためらいもなく答えています。
「なぜなら、彼らも黒人にタップの指導を受けていたし、本人自身がマスコミにもそのことは公言している。」
まあ、確かに目新しいものを取り入れれば、その道の「改革者」ということになってしまうのでしょうが、そのあたりがどうも許せない
らしい。
おそらくは、黒人には人権と呼ばれるものがなかったので、白人側にしてみれば「文化を侵害する」という意識はまったくなかったに
違いありません。
*キリストはすべての人を平等とときましたが、白人にとってみれば黒人は「人」ではなかったのです。
また、キリスト教に改宗した黒人にも、白人と同じ待遇が与えられなかった地域/時代もあったことも事実です。


「アイリッシュダンスとの関連は?」という質問がついに某有名な方から出てしまいます。(通訳のYさんがここでなぜか Iirh Clog dance
と訳しています。うう・・・。)
ここでも、一瞬のためらいもなく「ぜんぜん関係がない。」とのおことば。
文化が違う踊りをいっしょにはできないということなのでしょうが・・・。 スタイルが違う別の踊りとも言っていました。
 「唯一、アイリッシュとの共通点があるとすれば、それはしいたげられた人々だということだ。」
*アメリカに移民として渡ったアイルランド人労働者たちも、求人広告に「アイルランド人お断り」とうたわれ、危険できびしい労働についた人が
多かったといいます。黒人奴隷を購入する代金よりもアイルランド人の賃金のほうが低かったので、「黒人を使って死なせるよりも、アイルランド人を
使って死なせたほうが安上がり。」と言われていたこともあるようです。

そして誰もリバーダンスやマイケルの話などしていないのに「マイケル・フラタリ−は、ヘンリー・ル・タンの生徒だった。ヘンリー・ル・タンは
グレゴリ−・ハインズの先生で、映画「TAP」(1988? 89?)の振り付け師だ。マイケル自身が ”リバーダンスの中で使っている音楽は
黒人のビートだ”と語っている。」(どうだい? と言わんばかりの顔で)
どうやら、文化的につながらないものは別物、という論理。

 また「上映フィルムに黒人女性ダンサーが出なかったんですが。」とのとの問いには「タップダンスは本来は男性の踊りだから、女性が
踊るものではなかった。その前提のもとに女性の黒人ダンサーもいた。」
このあたりは別ジャンルのステップダンスでもほぼ共通なのではないでしょうか。ちなみに、上映された30年代フィルムの中には白人女性
(エレノア・パウエル)が黒人男性の扮装でビル・ロビンソン(注:プロレスラーじゃありません。ビル ”ボージャングル”ロビンソン と言われた
タップッダンサーです)の十八番階段ステップを踊るシーンがありますが、男装の場合でも靴は女性用のシューズでした。


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *


 公演者の主張には、100パーセント納得できない人もいるでしょうが、 「ルーツの異なるものは別物」 「文化的ルーツが見えないものは
違うものになってしまう」 「形式だけまねても同じものにはならない」 のあたりはかなり説得性があるといえませんか?
さらにパクリで成功する人に対するやや批判的なコメントとして 「マイケル・ジャクソンがムーンウォークで有名になったけど、あれは彼の
ステップではない。すでに1920年代には×××という人がやっていた。ムーンウォークという名前がなかっただけだ。」
やはり、オリジナルが大切ということでしょうか。ただ、同じTAPの世界の中どうしでは、「ステップを盗む」とか「盗むけれども与える」
ということは悪いことではないという内容のくだりもありました。
ちょっといろいろ考えさせるもののある、興味深いコーフン度の高い講演でありました。

(2001年6月15日/文:ピンキーちょい大)



ごぶさたしていた、某都内有名スタジオに顔を出しました。
驚いたことには、受付窓口の前に次のようなおそろしい張り紙が!
こんな人たちって本当にいるんでしょうか?
そのスタジオは、先生がたも生徒さんも本当に真剣にタップダンスを
やっているんですよ。信じられません。
こういった、よそさまの領域を侵害する人たちがいると、タップ関係者
側で「アイリッシュダンサーは迷惑な人たち」という定説が成り立って
しまうと思い、心を痛めています。

*お知らせ*

タップクラス受講時のシューズについて!

タップダンスはタップシューズという楽器で
音を楽しむダンスですので、
アイリッシュシューズやフラメンコシューズ等の
別の楽器では
サウンドが違ってしまいます。
ご理解の程、よろしくお願いします。


(※筆者注:タップダンスは使う曲に合わせた靴の「音色」や
  音の「強弱「も踊りのうちに入ります。)


ー追 記ー

上記お知らせ掲示物は、なんとスタジオのドアの外にもはりだして
あるのが発覚。
しかもスタジオの名前入りのお知らせ用用紙に、黒々と書かれて
います。
思えば、以前は受付に「ロード・オブ・ザ・ダンス」日本公演チラ
シも積まれていました。(どこから持ち込まれたのかわかりません
が)
しかし2001年6月の時点では、もうそのようなものは置かれてい
ないのです。

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