私たちが初めて出会ったのは、とある映画授賞式でのことだった。それは、誰が賞を受けるかが人々の主な関心であるアカデミー賞のようなものではなく、誰が自分の隣席に座るかが主な関心ごとであるかのような授賞式だった。
幸運なことに、ルパート・グレイブスの不遜さは、あたかもタイタニック号のパーティーのようなこの集いで、見知らぬ者と同席しても、その気まずさを打ち破ることができる。
愉快で心温まる自己批判的なゴシップ、38才になるこの俳優は陽気な同席者だった。彼の友人、ジェイムズ・ウィルビー、彼が言うには、何年も前EMフォスターの『モーリス』で"tongued"した相手だが(訳者注・tongueは舌の意味。動詞では舌を使ってフルートなどを演奏するって感じ。だから、きっと、ここでの意味は・・・?)、彼は別のテーブルに座っている。しかし、もしグレイブスが有名人ではない見知らぬ者と戯れたおしゃべりをすることを嫌っていたとしても、彼はそれを上手に隠していた。それに、明らかに彼は左手に座っている人物、若く、東洋的な容姿をした女性に恋をしている様子だ。長かった前の関係の後、クリスマス直前に彼女と結婚した、と彼は言った。
その時、彼はブロードウェイ作品である"The Elephant Man"にBilly Crudupと共に出演するためニューヨークに旅立つ矢先だったが、英国では彼がYoung Jolyon Forsyteを演じたITV1の"The Forsyte Saga"の放送がすぐ控えていた。1ヶ月後にそのプレヴューを見た時、私は、これは何か特別なことだと察知した。これは、きっと、『モーリス』、『眺めのいい部屋』、『ハンドフル・オブ・ダスト』といった80年代ドラマでの成功以降、どういう訳か道を反れてしまったスターダムの本道に彼を引き戻す、必見のイベントになるに違いない。ニューヨークへ行かせてくれ!と、私は懇願した。
と、いう訳で、私たちは今ミッドタウンのホテルで魚を食べている(訳者注・フィッシュ&チップスのフィッシュをつまんでるって意味なのでしょうか?あるいは、別の慣用句なのかも?)。彼は、膨大な(Elephantine)リハーサルスケジュール(毎日正午から午後10時45分まで)の夕方の休憩時間に、雨の中、ここに歩いて来てくれた。顎鬚を生やし、セーターとコートでむくむくとした装いのグレイブスは、私に会って嬉しそうだが、暫くしてテープレコーダーが回り始めたら、これは決して喜ばしくない場面になるだろう。あの信頼できた夕方―evening(訳者中・最初に会ったのがEvening Standard Awardsだったから)をもう一度。彼は少し、何だか、正直ではないようだ。
私は、BBCの画期的作品であった1967年ヴァージョンと比較して、今回のGranada作品がどんなに気に入っているかを話した。「わかるよ。だいぶテンポが遅くない? 実際、ちょっと酷いよね。今なら許されないだろうな。テレビ作品の質がどんなに変わっているか忘れてしまっていたね。だけど、勿論、彼らは作品を衝撃的にすることに利益を加えたんだからね。彼らは作品にセックスを取り入れた。それは今では皆がやっていることだよ。」
冷酷な従兄弟Soamesより本やスクリーン上の出番は少ないが、John Galswothyの小説中、Jolyonはモラルの中心に位置している。Soamesが妻を不幸な財産目当ての結婚に縛り付けているのに反して、Jolyonは30代で、娘のエキゾチックな乳母(女家庭教師)、Heleneの為に、妻と娘のもとを離れるのだ。彼はSt.
John Woodから遠く離れたところで、彼女との間にふたりの子供をもうけ、シティで仕事をしながら、絵を描いている。彼は破ることの出来ない家族の神聖などというビクトリア朝的偽善行為の立場を受け入れようとしなかった。このことが彼をほとんどのForsyte家の人々よりマシにしているが、同時に、彼は聖人でも天才でもない。
「俺は彼をWilliam Morris(19世紀のデザイナー)みたいにしようとしたんだ。彼の〔Arts and Crafts〕運動の部分、自然に返れってやつとか、シェイカースタイル(19世紀に流行ったシェイカー教団の生活様式)とか全部ね」と、グレイブスは言った。「それに、彼がかなり酷い芸術家だと言うアイデアがとても面白いと思った。素晴らしい理論家なんだけど、実際に彼が描くものは古くさい感じの退屈な水彩画なんだ。で、その間、彼は家族への謀反なんてことを考えているわけ。チャールズ皇太子のことを思い出したよ。」
この作品の撮影は、主にリバプールとマンチェスターで6ヶ月に渡って行われたのだが、その撮影も終わりに差し掛かった頃、彼は電話で、スリランカに旅行中だった彼のやもめの父親が梗塞の発作を起こしたという連絡を受けた。10年前、母親が病床に伏したとき、その看病をするために家に戻ることを決めたように、彼は瞬時に自分のすべきことを知り、スリランカへ飛んだ。そこで彼は父親のために病院を探すだけでなく、看護人を見つけたり、ブランケットを買ったり、父親の面倒を看てくれる人物を雇ったりさえもしなければならなかった。それからというもの、彼は週末を撮影に費やし、週日をスリランカで過ごすことになった。初めは麻痺していた彼の音楽教師の父親は今だいぶ回復しており、来月には英国に戻る予定である。(訳者中・残念ながら、ルパートのお父さんはこの後、スリランカの地で他界されたようです。)
そして、この悪夢の最中にルパートは結婚する時間を見つけたのだ。会話が途切れた。「ええっと、それについて黙っておくことはできないかな、本当のところ」
何について? 結婚のこと?「そう。いや、違うな。酷い話だよね、マジで酷い話さ。前のガールフレンドのことなんだ、それだけ」
以前は庭師の訓練を受けていたステンドグラス・デザイナー、Yvonneと彼は1987年、地元Weston-super Mareのカフェで出会った。以後、彼らは13年間Stoke Newingtonで一緒に暮らし、彼はそこで、出会った時には10歳と14歳だった彼女のふたりの娘を養育する手助けをした。しかしながら、18ヶ月前、Michael Gambonと共にウエストエンドの舞台"The Caretaker"に出演中、彼はSusie Lewisと出会う。彼女は、この舞台のコーディネーターだった。
「いやいや、完璧だよ。素晴らしいことさ。これは俺が今までやって来たことの中で最もハッピーなことだ。ただ…」
事態は込み入っている?「込み入ってるね」彼はJolyon及び彼が下した決断と自分とを比較してみたかも知れない。「う〜ん、そうだね。比較して考えると」と、彼は間をとり、笑った。「彼だったら、何も言わないだろうな」
おいおい、と私は言った。彼は自分のことを恥じてはいなかったよ。「そうだね。俺だって恥じているわけじゃないよ。ただ、問題は前のガールフレンド(Yvonne)のことなんだ。俺たちは長いこと一緒に暮らして来たんだけど、彼女は俺が結婚したことを知らない。彼女に話すのを伸ばし伸ばしにしようとしているって言うか、もっと余裕とか時間とかが必要なんだよ。」
でも、みんな知っていることだろう、と私は言った。彼のエージェントでさえも、彼がSusieと一緒でどんなに幸せかを話してくれたのだ。「まぁね、そうなんだけど」
彼女(Yvonne)に話さなくてはいけないのだろうか?「絶対にね、彼女に話すよ。いや、電話する。つまり、いずれにしろ、彼女には言わなくちゃ」
私のせいにしたらいい。「それ、いいね。そうしようっと。じゃなくって、正直なところ、事態が込み入っていて、恐ろしい感じがするんだ。それに、きっと…、きっと…、何て言うか難しいことだろうな。でも、彼女に話すよ」
結局、彼はYvonneから簡単に離れられなかったのだろう。「それは違う。完全に正しいことだった。俺たちの関係は長いことうまく行ってなかったし、関係を続けることは、彼女にとっても、俺にとっても間違いだったんだ。それと、Susieと結婚したことだけど、あれは俺が今までやってきたことの中で一番いいことだよ。あぁ、なんて馬鹿なんだ」と、彼はため息をつき、自分自身に腹を立てた。
この6年間はふたりきりでロンドンで過ごしたのだが、(人数や日数を記した出席簿みたいな)記録はYvonneとの関係を修復する助けにはならなかった、と彼は言った。今までは、身を固めないという考えが気に入っていたと、彼は告白する。もし、今、自分に子供がいたら、より大きな責任が必要とされるだろうとわかっているのだ。それは、他人の子供を育てる手助けをするよりもっと大きな責任だ。
「もし、自分自身の子供だったら、何か原始的なつながりがあるだろうと思うんだ。Yvonneの子供たちに対して冷静でいるのは簡単だった。彼女たちには俺が持っているすべての自由を与えていたしね。でも、もし、それが自分の子供だったら、たぶん、こんな感じ…」彼は、ヒューイ、デューイ、リューイに唾を飛ばしながら大声で喚き立てているドナルド・ダックの真似をした。可笑しな声はいい兆し。雲は晴れかかっているようだ。私がEvening Standard Awardsのセレモニーで出会ったグレイブスが戻ってきた。
ルパート・グレイブスのプロフィールはしばしば後悔の色合いで描かれる。まるで、早い時期での約束を反古にされたかのように。それらはこう言っているのだ、同じく早い時期に『モーリス』でブレイクしたヒュ−・グラントの否応もない成功と比較してごらん、と。最も意地の悪いものは10年前のタブロイドで、ルパート・グレイブスはきれいさっぱり洗い流されたと示唆した。しかし、実際には、その時、彼は意識的に俳優の仕事を控えたのだった。母親と一緒の時を過ごすために。彼女は骨の癌を病んでいた。
それほど多くの映画に出演していないにしても――『ダロウェイ夫人』のような映画を作り続けてはいるのだが――舞台やテレビのような、ここ数年のキャリアの回復ぶりは無視されてきた。Pinterの"The Caretaker"と同様に、ウエストエンドではNoel Cowardの"Design for Living"に出演したし、Almeidaでは"The Iceman Cometh"でケビン・スペイシーと共演、ブロードウェイではPatrick Marberの"Closer"に参加したのだ。映画の監督たちと違い、舞台の監督たちは彼を決して紳士(勿論、これはサマーセット出身の無邪気な男子学生〈訳者注=フレディ?〉という意味で、彼がそうだったことは一度もない)に当てはめたりしないと、彼は指摘する。テレビでも彼はBBCの"Take a Girl Like You"や"Blonde Bombshell"、Channel4のLongitudeなどに出演している。いずれも輝かしく、文学的で、名声を追うような作品だった。
「俺は本当に自分自身に満足しているよ。なんのトレーニングも受けていなかったんだからね。Weston-super Mare出身で、John Cleeseと同郷なんだ、とにかく、俺はまるで教育を受けていなかった。演技については何も知らなかった。ただ、昔からそれが自分のやりたいことだと知っていただけで。そして、20年間なんとかそれをやり続けてきた、単にお金のためにやっている訳じゃなく。ごく、ごく、たまにだけど、本気で現金の罠に嵌ったとき、お金のためにこの仕事をした方がいい、と思ったことはあるよ――20年でおよそ4回あるから、平均すると5年に1回って感じだね。でも、それ以外の時の方がずっと多いし、仕事をしているのが楽しいんだ。それは、俺にとっては興味深いことだね。基本的には、って…俺自身が決めた基本だけど、自分はハッピーだと思うよ。すごく成功した有名人になるためにしなくちゃいけないような仕事は、俺がやろうとしていたことではないんだ」
私はヒュー・グラントのことに言及した。とてもいい俳優だよ、と彼は言った。しかし、と、私は言う、彼は、出演した映画が実にひどい出来の時ですら、有名人であり続けるタイプのひとりでもある。「そうだねぇ、彼にはなんでもうまく行っちゃうんだよ。彼は欲しいものを手に入れた。凄い額のお金も手に入れた。彼は、キミや俺をこんな風に嫌な奴にしちゃうことだってできるのさ」
ひとつのOレベルと共に学校を去った者としては、自分の稼ぎはなかなか大したものだと彼は思っている。もし、若い頃に投資をゆだねたWeston-super
Mare出身の友人がその多くを失っていなければ、もっとよかったに違いないが。彼のウェブサイトは、一年間にどれだけ多くの仕事をしているかで勘定すれば、「彼は何度でも億万長者になれただろう」ことを誇っている。(訳者注・それだけ沢山の仕事をしてきた!ということ)別の言い方をすれば、彼はその作品が商業的であるかどうかの判断や、評判や成功のことを問題にする能力を持ち合わせていない。
「でも、名声が下り坂になった時だけは、他人が抱いてくれていた期待に感謝するようになるんだよ。人はその人に抱いていたイメージをその人が維持してないことに腹を立てるものだからね」なんの話だ?「その…、俺は『モーリス』をやったし、いくつか同性愛作品をやった。思うにそれは、若い頃、俺はかわいくて、多くのゲイの人々にとってアイドルだったからなんだ。それって、今は30代で21才のころと同じようにかわいくはない者にとっては興味深いことだよ。年をとってしまった!という人々の自分自身への怒りがこちら側に振り出されるんだよね、だって、その象徴にもなってしまうんだから。
今は、俺も中年だよ。つまりね、ある人、その人はショーの関係者じゃなく、ショーの周辺にいた人だけど、その人がある時、何か言ったんだ。それで俺はこう言った『それは自分への怒りだろう?俺に対する怒りではないよ。だって、キミはもう俺を死ぬほど欲しいと思っているわけじゃないから、それは俺に対する怒りではないんだ』ってね」
それでは、ホモセクシャルは彼の問題ではないということ?「2〜38パーセントのゲイ度を行ったり来たりしてるってところかな、思うに、そんなとこ、俺の人生って」
同性愛の関係を持ったことはないの?「うむ、あるよ、1回。それで、俺はゲイじゃないとわかった。だって、なんとかそれを楽しむには実際、ただ、俺は目をつぶって、その相手が女性だと想像するしかなかったんだから。でも、それでこの問題には片が付いた、意味のある経験だよ」
秘密の異性愛者なのかな?「その通りだよ。俺は隠れストレートなんだ。ゲイになりたかったと思うね。だって、ゲイって芸術家っぽいし、興味深いもの。それに、俺、女の子に対して驚異的なぐらいシャイだったから」
10代の頃は汚くてみっともなかったのだと、彼は説明した。20代の頃には、その美貌が男性たちに対して間違ったシグナルを送っていたのだが、思うに30代の今が彼にとっては最高に幸せなルックスなのだろう。今でも充分若々しい。
「実際、年をとった分だけ、気楽になったね。『オジさんになったら、もう俺のことは好きじゃないだろ?フ**クユー!』って言えるようになったし。そのことでとてもハッピーだよ。よりハッピーで、より傷つかなくなった。若い俳優のころは犠牲者みたいな気分だった。ビジネスのことは何も知らなかったからね。今は確信をもって、他人から気に入られないような態度をとることだってできるんだ。不快な態度をとるかどうかを決められるのは、年をとることによってしか得られない貴重なギフトだよね」
現在の眺めは、Stoke Newingtonとは少し違っているのだろうが、たいていの場合、グレイブスは不快な態度はとらない選択をしている。それは、彼が年齢によって得たギフトを責任をもって行使しているということだ。彼はまた人生の大きな転換期を迎えている。例えば、煙草を吸う習慣を辞めたばかりでなく、その結果、彼は体重を2.5ストーン(訳者注・辞書にある1ストーン=14ポンド、1ポンド=453グラムという計算だと、15キロ以上も太ったことになっちゃうんですが、そんなわけない!スミマセン。換算の仕方がわかりませんでした。)増やすことになったのだが、それで、多くの時間をジムで過ごすようになった。願うに、もし例の難しい電話をかけることができたら、そこに、ルパート・グレイブスを成長させる大きな可能性があるだろう。