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指揮者って何なの?

昔、楽器をやったことがなかった頃、オーケストラの指揮者を見て、あの人は何をやっているんだろう?本当に指揮者なんて必要なんだろうか?と思った。

小学校の音楽の時間に、「指揮の基礎」みたいな授業が一瞬だけあって、二拍子はV字型、三拍子は三角形、四拍子は三角形+1、のように基本的な動きを習ったものの、テレビで見る限り、実際の指揮者で、そんなわかりやすい振りをしている人を見たことはなかった。
それどころか、ほとんど手を動かさなかったり、顔をしかめたりするばっかりで、指揮者が何をしているかなんて、全くわからなかった。

中学生になり、吹奏楽部に入ったら、大勢の人数で演奏するときは、全員が指揮者にあわせて演奏しないとバラバラになってしまうことは、一応はわかった。全員がメトロノームを見ながら演奏するように、速さをそろえるために指揮者が要るんだと思った。ただ、メトロノームだと、速度が変わるときに対応できないから、人間じゃないとダメなのかな?位の意識しかなかった。強いて指揮者の必要性を挙げるなら、音量の変化や曲想の変化を振りの大小なんかで示してくれるから、わかりやすいかな程度。あとは、練習の時に、全体を聞いて、音量のバランスなどを調整する人がいないと困るから、指揮者がいるのかな、と思うくらいだった。
だから、依然として、テレビで見るプロ・オーケストラで身体をくねらせ、意味の分からない手振りをしている指揮者が何の役に立つのか、小学校で習ったみたいに、ちゃんと振ってくれなくて混乱しないのかと思っていた。

じゃあ、指揮者って、一体、何なの?
自分がアマチュアのオーケストラで弾くようになっても、最初のうちは、何もわからなかった。
どのタイミングで曲が始まるのかさえ…。

きっと、そういう人は、多いと思うのです。
だって、そんなこと誰も教えてくれないんだから。

そこで、指揮者は何をしているのか、ということを、指揮の見方ということを通して、考えてみたいと思います。


INDEX
1.そもそも、音を合わせる方法は?
2.曲のはじまりは?
3.ブレスって?
4.指揮者の動きが意味するところ
5.指揮者によって、何が違うの?

1.そもそも、音を合わせる方法は?

そもそも、大勢で音を合わせる方法には、どんなものがあるでしょうか?
例えば、たくさんの人で手拍子をして、それをすべてピタッとあわせるには、どうしたらいいでしょう?

「アンサンブルをするときは、他の人の音をよく聞きましょう」なんてことは、よく言われることですが、「よく聞く」ことでわかるのは、一体なんでしょうか?
二人の人間が、それぞれの手拍子をピタリとあわせようとするときに、お互いの音をよく聞いて手をたたこうとすると、ぐちゃぐちゃになっていきます。考えてみれば、当たり前のことですが、聞いてから叩いていたのでは、遅いのです。同時に叩かなくてはいけないのですから、真面目に「よく聞いて叩こう」と思えば思うほど、どんどんずれていって、速度も遅くなってしまいます。
つまり、「よく音を聞きましょう」というのは、手拍子の「音」のようなものを指しているわけではなく、楽器間の音のバランスとか、音程とか、そういうもう少し高次のもの?を合わせるときに言われることであって、そもそもの前提となる、お互いのタイミングを合わせる、という時には、使えないのです。

では、どうすればいいのか?
手拍子をあわせるには、よく見ることです。相手の動きをよく見て、相手と同時に自分も叩くのです。
そして、さらにピッタリ合わせようと考えれば、手の先だけ見ていては、やりにくいということに、すぐに気づくことと思います。
お互いに、できるだけ大きな振りで手を叩けば、合いやすくなります。手だけで叩くのではなく、互いに、膝の屈伸などを使ってタイミングをとりながら、腰や肩でリズムをとれば、さらにわかりやすくなります。
(ただ、頭を振ってリズムを取ると、遅れやすくなるので、頭はあんまり動かさない方がよいです。おそらく、リズムをとるには重すぎて、重さに振られて自分で制御しきれないためではないかと思います。足先も、あまり正確なリズムを刻むには適していないので、片足の足先だけ動かしてタイミングを測ると遅れます。脚の重さを制御しきれないためかと思われますが、歌を歌うときに、テンポが悪くなりがちな人は、たいてい共通して、頭か足先でリズムをとる傾向があるのは、多くの人がご存じでしょう。)

できない人は、タイミングを合わせて、同時に跳んでみることにしてもいいのです。もちろん、そんなに高く跳び上がる必要はありません。膝の屈伸を使って、かかとを少し上げる程度で十分です。長縄跳びの要領?で、お互いに相手をよく見ながら、同時に跳んで、同時に着地できるように、よく見てタイミングを合わせられるなら、跳ぶと同時に手拍子をしても、ピッタリ合うことがわかるでしょう。
これで、ロック・バンドのメンバーやなんかがオーバーアクション気味に動いて演奏する本来の意味が、自ずとわかってくると思います。
けれども、これだけだと、手を叩き始めた瞬間は、なかなか合いにくいですね。

はじめから、もっとピッタリをあわせるには、どうすればいいでしょう?
それには、お互いの呼吸を合わせることが一番です。
この場合の「呼吸」は、抽象的な意味ではありません。ホントに息をするタイミングを合わせてしまうのです。

例えば、二拍たたくごとに息を吸うことに決めておき、お互いに呼吸のタイミングを合わせて、ちょっと大袈裟に吸うことにすれば、どうでしょう?二拍に一度では、ちょっと過呼吸気味で苦しいかもしれませんが、四拍に一度(1・2・3と手を叩きながら息を吐いて、4を叩くと同時に息を吸いこみ、次の1から、また3拍かけて息を吐く、というタイミングでやるか、もしくは、1・2・3・4と叩いた後に、4拍目の後ろ半分の長さで素早く吸い込む、というタイミングになると思います。前者の方が簡単ですが、後者の方が、実際に行われている息の合わせ方に近いので、両方練習してみるのも面白いかもしれません。)など、いろいろ試してみてください。
手をたたき始める前に、手をたたき始めた後と同じ呼吸をして、お互いによく見て合わせておけば、手をたたき始めた瞬間から、ピッタリと同じタイミングで叩くこともできるはずです。
どうですか?
ずいぶん、合いやすくなったと思いませんか?

この呼吸を合わせる練習を少しやってみると、吸う息の速度によって、手を叩く速度が決まる、ということがわかると思います。
ゆっくりと吸い込んだときには、ゆっくりしかたたけません。お互いの呼吸の様子をしっかり見ながら、呼吸の速度を合わせて、同時に素早く吸い込むと、必然的に、手拍子は早くなります。

そぉっと優しく息を吸い込んだときは、あまり激しく手をたたく気にはなれないし、荒々しく吸い込んだときには、なぜか手拍子も大きなものになる、という経験もしてみてください。

実際の合奏では、これの応用で音を合わせています。
指揮者のいない場合のアンサンブルでも、ピアノ伴奏とヴァイオリンの演奏でも、もちろん、指揮者とオーケストラの間でも。

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2.曲のはじまりは?

中学生の頃、吹奏楽部で打楽器を担当していた私は、指揮の見方が全くわかっていませんでした。そんな時、ティンパニ(割と大きな太鼓です)のソロのトレモロ(できるだけ早く連打して、どろどろどろ〜って聞こえるやつですね)から始まる曲があり、ティンパニをたたく私は、大いに悩みました。指揮者は、棒を構えて振り下ろすのですが、私は、一体、そのどこで入ればいいのか、全くわからないのです。

たとえば、学校内合唱コンクールのにわか指揮者なら、曲に入る前に、「1・2・3・はいっ!」という風に「前ぶり」をしてくれますが、テレビに出るようなプロの指揮者が、本番でそんなことをしているところを見たことがある人は、いないでしょう。曲は、指揮者が棒を振り下ろした瞬間に、いきなり始まるのです。
「1・2・3…」なんてやると、興ざめで恰好が悪いだけでなく、曲の緊張感がなくなってしまいます。

けれども、実際に、棒が振り下ろされた瞬間に、音を出さなければならないとします。
簡単に考えれば、棒が下りた瞬間に音を出せばいいだけなのですが、その下りた瞬間、というのが、わかりますか?
指揮者が棒をどこまで振り下ろすのか、その最終落下点がわからなければ、どこまで下りていくのか、予想ができません。けれども、最終落下点が、いつもいつも全く同じ位置にある指揮者なんて、まぁいないでしょう。だから、「胸のあたりまで下りたら、音を出せばいい」というようなわけにはいかないのです。
指揮者が、ここまで振り下ろそうと考えているところまで下りきる前に、音が出てしまうと「早い」と言われ、下りきったことを目で確認して、棒が下りた直後にたたき始めたのでは「遅い」のです。指揮棒が下りるのと同時に、私は太鼓のばちを振り下ろさなければならないのですが、指揮棒はどこまで下りるのかわからないのに、ばちの下には太鼓の革があり、ばちを振り下ろしてティンパニに当たった瞬間に、こっちは音が出てしまうのです。

これには私も困りましたが、指揮者も困っていました。指揮者にすれば、何がわからないのかが、わからなかったんだろうと思います。
今思えば、私は、完全に思い違いをしていました。指揮者から発せられるメッセージは、棒の先にしかないと思っていたのです。指揮棒さえ見ていれば、どこで入るべきなのかが、自ずとわかるはずだと思っていました。
でも、実際に曲を演奏し始めるときには、指揮棒だけを見ていては、上手に初めの音を出すことはできません。「なんとなく始まったから、入る」というのでは、全然違うのです。
指揮者が勝手に曲をはじめるのではなく、指揮者と演奏者とみんなではじめる、曲のはじまりのルールというものが、存在するのです。

例えば、プロのオーケストラの演奏のはじまりを、耳をよく澄ませて、じーっとよく見てみてください。曲が始まる前、初めの1音が出る直前に、みんなが一斉に何かをしませんでしたか?
みんなで、息を吸い込んでいるのが、見えませんでしたか?
指揮者が、棒を構えた後、少し大袈裟に、息を吸い込んだ音が聞こえませんでしたか?
曲目によって、大袈裟にやらないと入れない場合や、派手にやる指揮者、わかるほどにはしない演奏者など、その場合によっていろいろではありますが、いろいろな曲、いろいろな指揮者、いろいろな演奏団体で、何度も何度も見ていると、よくわかると思います。

このことが演奏者全員に意識されているかはともかくとして、曲をはじめる前には、みんなで呼吸をそろえて息を吸い込むことで、タイミングを合わせて最初の音を出し、その息を吸う速度やその吸い方のニュアンスによって、どんな速度でその曲を演奏し、どんな曲想の音を出すのかが決まる、というルールがあるのです。
これは、曲のはじまりだけに限らず、自分のパートのはじまりやメロディーのはじまり等、様々な場合に同じく、息を吸い込むことで、お互いにタイミングを合わせることができるのです。
これを、俗に「ブレス」と呼んでいます。

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3.ブレスって?

では、ブレスの仕組みについて、もう一度、説明しましょう。

日本の義務教育で、誰でもがさせられる縦笛にしても、ハーモニカにしても、歌にしても、曲を演奏するには、息継ぎが必要なので、その息継ぎを「ブレス」ということを、だいたいの方は覚えておられるのではないでしょうか?
合奏の時に行うブレスも、これと同じようなものです。

息を素早く吸うことで、一体、指揮者はどんなサインを出せるのでしょう?
これは、やってみれば容易にわかることです。
息を素早く吸う音を耳で聞き、その動作を目で見るだけで、誰でも、全く同じ速度で息を吸うという動作をまねできます。そして、息を素早く吸い込む動作を全く同じくまねをした時には、次に息を吐く瞬間のタイミングというものも、まねをする気がなくても同じになるのです。
つまり、息を吸う速度を合わせることによって、息を吐く瞬間のタイミングは、ほぼ合わせることができ、さらに、これに視覚を組み合わせることによって、息を止めている期間もまねることができるので、まねされる人とまねする人は、同時に息を吐き出すことができます。

合奏のはじまりでは、これを利用します。
指揮者が、指揮棒を構えた後(もしくは構えると同時に)、演奏者にわかるように息を吸い込みます(その気になって指揮者を見てさえいれば、いつどんな速度で息を吸い込んだのかは、必ずわかります)。
演奏者は、指揮者が息を吸い込む速度に合わせて、自分も息を吸い込みます。
そして、全員がタイミングを合わせて息を吐き出しますが、その息を吐き出す瞬間のタイミングが、曲が始まるタイミング、第1音が鳴り響く瞬間でもあるわけです。

つまり、指揮者は、気まぐれに、何気なく棒を振り下ろしているわけではなく、いったん息を吸った後で、息を吐きながら、指揮棒を振り下ろしているのです。指揮者が、演奏が始まる瞬間に指揮台の上でする呼吸は、単なる深呼吸ではなく、演奏者にむけての重要なサインであるわけです。

同じように、ヴァイオリンのピアノ伴奏をしてもらうときには、ヴァイオリン側が少し大袈裟に息を吸い込みます(楽器のネックを少し下げてから、息を吸うと同時に上げることで、よりわかりやすいサインになります)。
弦楽四重奏のような場合には、普通は1stヴァイオリンが同じようにサインを出すことで、みんなで同時に息を吐きながら楽器のネックを少し下ろし、同時に吸い込むことで、曲の出だしを合わせます。(管楽器のアンサンブルの場合には、音を出すのに必ず息が必要なので、必然的に全員でブレスを合わせて入ることになりますが、それと同じことです)

同じパート内で、音を合わせて入らなければならないときも、前で演奏しているパートリーダーなりトップなりが、背中で後ろにわかるようにブレスをするので、全員でブレスを合わせるようにすることで、1人だけ飛び込んで入ってしまってバラバラになる、というようなことはないわけです。(弦楽器の場合、こういうブレスを、特にザッツと読んでいます。ま、ホントは、ザッツにはブレス以外ものも含まれているのですが…。)

そして、ブレスは、普通は、一拍分の長さにします。
つまり、息を吸った長さが、一拍目の音の長さになるので、ブレスによって、曲の速度もわかる仕組みになっています。便利でしょう?
よりわかりやすくするために、人によっては、息を吸う前に吐く息も、一拍分の長さにしてくれるので、「吐いて、吸って」という一連の動作は「せぇ・の!」とか「さん・はい!」みたいなもので、その速度で弾きはじめればいいのです。

そして、指揮者が静か〜に、そぉ〜っと息を吸ったときには、その息のニュアンスに見合った音ではじめるのです。元気に息を吸い込んだ場合は、元気に華やかにはじめればいいし、静かな場合は、ひっそりとはじめればいい。ブレスは、単に出だしのタイミングをはかる合図というだけではなく、曲想の指示も兼ねているわけです。
考えてみれば、とても簡単で、すごくわかりやすい方法ですよね?

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4.指揮者の動きが意味するところ

以上の説明で、指揮者が単なるメトロノームの代わりにいるのではないのは、明らかだと思います。単に、曲の出だしをそろえるだけならば、演奏者全員でブレスを合わせさえすれば、いいのですから。
では、指揮者は、一体、何をしているのでしょう?

端的にいえば、指揮者は、自分の曲の解釈を演奏者に指示するためにいるのです。

作曲家が過去に作った曲を演奏するということは、その曲を、今ここに再現する、ということです。
曲は、紙に書かれただけでは、曲としての本来の姿を現すことはできません。作曲家は、紙を音符で埋めるために作曲したわけではなく、作曲家の中に響いていた曲を、他の人にも演奏できるように、書き表したのです。
ただ、そのようにして楽譜になった時点で、その曲は、作曲家の手を離れてしまいます。自分の中に響いた曲を、いくら正確に紙に書こうとしても、書ききれるものではありません。どんなに細かい指示を書き込んだところで、速度や強弱、曲想など、すべてを書きつくせるわけはなく、紙に書く、という限定的な表現で曲を提示した以上、作曲家の思っていたとおりに演奏してもらえるという保障は全くないものなのです。

そこで、そのように大ざっぱな指示しか書きこまれていない楽譜を手にした演奏者は、曲の解釈をする必要に迫られます。
こんな風にも、あんな風にも、いろいろに演奏できる曲を、この曲は何を描いたものなのか、どういう気持ちを表しているのか、どう演奏されるべきなのか、どう弾けば一番美しいのか…いろいろなことを考えた上で、たくさんある選択肢の中で、いったい自分はどう演奏するのかを決めなくてはいけません。

ソロの曲なら、それを決めるのは演奏者個人の責任です。
しかし、オーケストラのように、大勢の人が一つの曲を演奏する場合においては、個人個人が、全く異なる解釈で演奏しては、一つのまとまった解釈としての曲の再現ができません。
そこで、指揮者が、この曲は、全体としては、こういうまとまりのある曲にしたいという、自分自身の解釈を携えて、登場するわけです。

ただ、オーケストラの曲の解釈が、指揮者の独裁か、というと、それは違います。
すべて指揮者任せにしていては、曲として仕上がりません。個々人の解釈があって、さらに大きなまとまりとしては、指揮者の解釈によって曲を演奏しよう、ということなのです。
しかも、指揮者が、あまりに無茶な解釈をすると、演奏者達も黙ってはいられません。「自分はこう思う」という主張を指揮者に対してするのが当然だし、一定のレベルを超えて無謀な解釈で、指揮者が、その解釈をとる理由について、演奏者にも納得のいくような説明ができないような場合には、指揮者の思うように演奏してもらえることは、まず、ありません。
つまり、指揮者は、自分の解釈で演奏させる代わりに、その解釈に責任を持ち、その解釈の必要性について、演奏者達を納得させられるだけの理由付けをしっかり持っていないといけないのです。

こうして、練習の段階で、自分の解釈を披露し、みんなの納得を得た指揮者は、本番で自分の解釈した「その曲の再現演奏」をするのです。
指揮者が、演奏する側みんなに見えるような位置に立って、身振り手振りで現しているのは、自分なりのその曲の解釈で、言ってみれば、手話のようなものです。演奏の最中に、言葉で説明するわけにはいきませんから。

じぃーっと動かないように見えるジェスチャーで、「静かに、もっと静かに」と表現することもあれば、大袈裟な身体の動きで「もっと大きく、立派に」と表現することもあるわけです。顔をしかめて、沈痛な雰囲気を出すよう要求したり、身体を揺らして、なめらかな音を要求したり、その場合によって、本当に色々です。
客席側から見ていて、ちんぷんかんぷんでも、演奏する側に座っていると、非常によくわかる、ということもあります。(もちろん、稀には、何が言いたいのか、さっぱりわからないようなことも、あるかもしれませんが、たいていは前後の流れなんかから、わかるもんです)

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5.指揮者によって、何が違うの?

これについては、まず、関西大学交響楽団の定期演奏会でお世話になった指揮者の竹本泰蔵先生が、ご自身のホームページのQ&Aコーナーで答えておられる表現が、非常に的確だと思うので、ご紹介しましょう。

Q:指揮者によってオーケストラの音が変わるってホント?
A:きっとずいぶん変わると思いますよ。指揮者の考え方によって、いわゆる「息づかい」が変わってくるんです。ちょうど「絵」でいうと「タッチ」の違いによく似ています。「タッチ」が違えば、同じ風景でもずいぶん変わって見えますよね。音楽でも、それくらい指揮者の考えによって、曲の印象が変わると思います。
(詳しくは、http://www1.raidway.ne.jp/~aza/ta_qa.htmlへ行ってみてください)

さて、これを紹介するだけでは芸がないので、もう少し具体的に何が違うのか、説明しましょう。
さっき説明したとおり、オーケストラの曲を演奏するときは、指揮者の解釈によって、いろいろな演奏が成り立ちます。
考えてみれば、それはオーケストラの曲に限ったことではなく、同じ曲でも歌う人によっては、全く感じが違うのと一緒なのです。(カラオケで上手い人が、歌が下手な歌手の曲を歌った時に、あぁ、この曲、ホントはこんなにいい歌だったんだ…と思ったこと、ありません?歌が下手なプロの歌手って、存在してはいけないような気もしますが…)

わかりやすいところで言えば、まず、曲の速さが、違います。同じ曲でも、同じ指揮者でも、速い演奏もあれば、遅い演奏もあります。曲の中で、どのパートをメロディーとして扱うのかが全く違うこともあり、同じ部分の演奏を聴いても、はっきり聞こえてくる音が違うだけで、別の曲のように聞こえるときもあります。音の長さにしても、最後までのばすのか、消えていく感じにするのか、もっと早く切るのか、によって、ずいぶん印象が変わってきます。
他にもあまりにいろいろあって、挙げていったらきりがないくらいです。

そういう違いは、すべて、この曲はどういう曲なんだろう?という考え方、解釈の違いに基づいています。
同じ楽譜を使っているのに、まるで別の曲みたいに聞こえるなんて、少し変な気もしますが、それが演奏する面白さです。
どれが正しいというものはなくて、それぞれが自分の正しいと思う演奏をして、それがいろいろで、一つとして同じものがない、ということは、すごく楽しいことではありませんか?

この演奏も好きだし、違う演奏もいい、この演奏は今までにない感じで新しい…そういう楽しみ方ができるのは、クラシックの醍醐味かもしれません。
ポップスでも、たまにカバーアルバムなんてありますが、クラシックの伝統的な曲は、ありとあらゆる演奏家と指揮者が、何度も何度もアレンジを替えて、カバーしているようなものですから。

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