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今になって思うこと
伝統あるオーケストラのメリット

ヴァイオリンをはじめて4年目。オケで弾いて4年目。
今になって思うこと。
昔はわからなかったこと。
卒業前に書いた、私のアマオケ体験。


私が始めて関わったオーケストラ、関西大学交響楽団は1998年に創立50周年を迎えました。
もっと古い大学オケもあるけれど、決して新しいオケではない。
文化会一部所属。団員も常時100名前後。
伝統のある、というか、かなりかっちりしたオーケストラであることには違いはないでしょう。

50年以上運営されてきたオケですから、運営は、相当きっちりしています。
団規約などは、法学部の私から見ても、隙のない作りになっていますし、総会の運営は、驚くほど厳格です。(ホント、株主総会も真っ青って感じ。休憩動議とか真顔で提出されたりね(笑))

運営方法は、基本的に確立されていて、代が変わろうと、去年やっていた通り、そのまま受け継いで運営していけば、無難に一年が過ぎていくようになっています(実際運営するときの苦労は別にして(^^;))。
練習の方法だって、確立されていて、いちいち練習方法を一から考える必要はありません。
普段、よりよくしたいと思って、努力していたとしても、伝統的な練習方法が踏襲され、その上に積み上げる改革であることには、かわりがありません。
細かいことは毎年かわりはしても、大きく変更するとか、根本から変えようなんて、工夫する必要は、ほとんどない。

練習計画表というものが作られます。
賛否両論ありますが、一時間単位のコマで練習する伝統です。
弦セクションと管セクションで練習し、全体練習をします。
弦は「たてわり」というグループ練習もします。
それぞれのパートは「パート練習」をします。

※「たてわり」という練習方法は、うちのオケでは、ごくごく普通に行われていますが、これは決して一般的な練習ではないなんてこと、私は知りませんでした。

「たてわり」とは、スコアの楽譜をたてにわった練習という意味のようで、弦楽器五パートで、各パート1〜4人くらいずつのグループを組んで、あわせの練習をすることです。
弦楽器は、もともと大人数で弾いているので、こういう機会を持って、誤魔化さないで弾くことと、自分で他のパートをしっかりと聞いて、上手にアンサンブルを組み立てて行くことを学びます。

特徴的なのは、あらかじめ範囲指定(特に難しいところや、他パートとの掛け合い、絡みのある部分、和音として練習する必要のあるところ、など)が指定されており、各自練習をして望むことと、各グループには指導者(どのように練習を進めるか、どこに気をつけるべきか、他のパートの要望などを打ち合わせ済みのパートリーダー&指揮者)が一人ずつつくことです。

このような練習を自主的にする団体は、多いようですが、公式の練習となると、初心者の多いパートや、人数の少ないパートの反対があると聞きます。
私たちのオケでも、「たてわり」以外にも、やはり自主的に他のパートの友達や、先輩と練習します。(特に「たてわり」の前などは、予習と称して、必死で練習することになります(爆))
けれども、公式の練習と、自主的な練習とでは、やはり真剣さが違います。

うちのオケでは、パート間の人数差や、初心者の存在や、いろいろ問題があるにしても、非常に効果的な練習ということで、定着しています。
たとえ、弾けなかったとしても、「たてわり」前に、集中的に練習することにも意義があるということで。
なにしろ、「たてわり」の効果は、ホントに目を見張るものがあります。おすすめですよ>他のオケの方。※

後輩を育てていく方法も、ほぼ固まっています。
たいていのパートで「マンツーマン」(=先輩一人と後輩一人が組んで、週に一回、授業の空き時間に教えて貰う。初心者には、二人の先輩がつくため、週に二回の練習になる。)が行われ、弦などは「初心者パー練」(=初心者だけ集めて、パートリーダーが基礎練を見たり、通常のパー練の補習をする)もある。
最近は少なくなって、問題になっているけれど「裏コマ」(=曲に乗っている人が、あわせの練習をしている時間に、身体の空いている指揮者が、降りている人を集めてする練習)もやっていて、初心者の一年生をほったらかしにしてしまわないように、有志にたよらない、組織的なバックアップをします。

こういうシステムのおかげで、ヴァイオリンのど初心者であった私は、自分自身がレッスンの先生に習いに行くほかに、週に2回のマンツーマンと週に一度の初心者パー練で、変な癖がつかないように見て貰うことができ(結局、一日おきには、誰かにみっちりレッスンして貰える結果になる)、最短距離でヴァイオリンが弾けるようになったように思います。

私は、四年になるまで、自分のオーケストラが、こんなにきちんとしたシステムを持っていることに、気づきませんでした。

自分たちが運営の学年だったときは、「伝統の壁」に阻まれて、変えられないことにいらいらしたりもしましたが、よく考えてみたら、これだけのシステムを作り上げるのは並大抵のことではないはずです。
自分で一からオーケストラを作ることを考えると…。
誰が運営しても、滞りなく運営できるようなシステムを完成させることが、どんなに大変か。
創立時からの先輩方が積み上げた努力によって、こんなにかっちりしたシステムが完成したのでしょう。

あのオケの中にのんびりといただけでは、「これって、結構すごいことだ」って気づくことはできなかったかもしれません。
このホームページをつくって以来、関大オケに限らず、オケ創立当時の苦労を伝えてくれるようなお話を、何度と無く聞かせて頂きました。

音楽団体であるオーケストラにとって、「どうやって練習していったらいいのか」というのは、根本的な問題であり、それでいて結構難しい問題でしょう。
そして、そのシステムがきちんとしているかどうかは、音楽をやる大前提になることです。

4年生になって、最近思うこと。
それは、やはりオーケストラには、ある程度の規律が必要だと言うことです。
あれだけの大人数で一つのことをしようというのですから、各自の事情を聞いていたのでは、運営自体が成り立たなくなってしまいます。

オーケストラとして活動していくには、最低、頭数をそろえる必要があります。
みんなが、きちんと練習する。練習に出席する。
そんなささいなことが、オケとして活動できるかの、一番の基本なのです。

練習を欠席する、遅刻する…。
大人の集まりなのだから、そんなことは個人の自覚の問題かもしれません。
けれど、もし、オケに何の強制力もなく、個人の自覚に完全に任せるとしたら…
やっぱり、オケとしての音楽ができなくなるでしょう。

たとえば「休むときや遅刻するときは、事前にパートリーダーに必ず連絡する」と、そんなルールを徹底するだけで、ずいぶんと違ってくるのが、現実ではないでしょうか?
もともと不真面目な私は、このルールのおかげで、やっと出席していたのかもしれません(爆)

強制されて出るのは、音楽団体としておかしいのではないかと考えたこともありました。
けれども、やっぱり、それは違う。
音楽をする上での前提が崩れてしまっては、音楽どころじゃない。
ある程度の強制力があって、そのことによってメンバーが確実に集まって、練習ができる。
その安心感があってこその音楽でしょう。

長く続いてきたオケは、曲がりなりにも長く続いてきただけあって、その辺の規律がしっかりしています。
人が集まる(集まらざるを得ない?)システムが作られています。
やはり、人が集まらないオケが、続くはずがないのです。

そして、長く続いてきたオケは、練習方法も運営方法もしっかりしている。
窮屈なこともあるけれど…
最近、長く続いてきたことには、やはり、理由があるのではないかと思えてきました。

例えば、欠点がわかっているのに変えられないのは、おかしいかもしれない。
けれども、長所ばかりのものなんて、何一つ無いのです。
変えられないことへは、不満も募るものですが、変えられないようなシステムは、変わらない。
少なくとも安定しています。
その安定は、個性豊かな大人数のメンバーを抱えるオケとして、音楽をする大前提として人が集まる必要があるオケとして、大切なことではないのでしょうか。

私が、今になって思うこと。
関西大学交響楽団って、なかなか、すごいシステムを持っているじゃないの、ってこと。
長く続いてきたオーケストラっていうのも、悪くないということ。
やっぱ、オーケストラをする上での基本って、みんなが集まって練習できる、そういう環境なんじゃないかってこと。

そうこう言ってるうちに、卒業しちゃうんだろうけど…。
関西大学交響楽団で、あのオケで、あの仲間でオーケストラができて、本当に良かった。
すばらしい思い出を、たくさんありがとう。

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