Art/Metric

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視覚芸術の計量空間
(過去系 その1)



光琳・紅梅白梅図に見る、「時の流れ」の枕詞

(03/14/1998)

 尾形光琳の紅梅白梅図(MOA美術館・熱海)が、なぜ、いいものと言われるのか、よくわからなかった。っていうか、今までまともに見たことがなかったと言うべきか。二曲一双の金屏風。右に紅梅、左に白梅。まんなかに重たい泥水のような流れ。この大胆さは一種の野暮ったさだと思っていた。

 実物を目にして、まず気づくのは紅梅と白梅との対比だ。視界の大部分を覆うほどの距離でみる。女性的というより、むしろしなやかな体躯を持った若人のような溌剌な枝ぶり、上方を目指し伸びる枝に鮮やかな紅をつけた右側の紅梅。

 一方、白梅は、老骨と厳しさを一身に背負い、幹の大部分は画面から外れ、身をよじって上方から下方へ流れるように枝を降らせ、しかし、見る者を裏切るかのごとく空へつきさすように再び枝先を跳ねあげる。白梅の老骨は、紅梅の若さによって一層、滋味を増し、若さは老骨により輝き出す。  この上下逆に向かうベクトルが生み出す緊張感は、例えば宗達の風神雷神図に見られる。対比の妙、いわゆる「間」から生まれるもの。

 装飾的な中央の川は、全く写実を無視している。大きな三角形は安定感を人に与えるものだが、この黒い渦をなした泥の流れは、手放しにその形態的安定性を感じることができない。

 源氏雲は空間の不連続に用いられるが、この川は時間的に連続的ではあるが跳躍あるいはその経過を表わしているのではないか。時の流れを挟み、若さと老いが対比する様を表わし、まるで、一遍の詩の中の枕詞のような役割をしているのではないだろうか。


「愛と革命 炎の絵画展」 〜 メキシコ美術:1920 - 1950

(03/11/1998)

 愛、革命、炎ときたもんだ。 大ゲサ気味。大丸ミュージアムの展覧会の会期ってやたらと短い。たまにレア系(アメリカのハドソン・リバー・スクールとか)をやってくれるので、数あるデパート展の中でもけっこう足を運んでいるんだけど10日ほどしかない会期、どうにかならぬものか。

で、内容。革命以前のアカデミズム(?)の絵がチラホラ、続いて壁画運動の闘士、リベラ、オロスコ、シケイロス。あと、女性が活躍した頃でもあるので、フリーダ・カーロ、イスキエルド。

 壁画運動とは、1910年に始まったメキシコ革命において、芸術を通してメキシコ人としてのアイデンティティを再確認し、広く民衆を啓蒙するという趣旨のもと進められた芸術運動のこと。上の3人がその代表格で、運動の精神的・理念的支柱ともなっていた。

 こう聞くと、何だか、政治的イデオロギー的に芸術を縛っているような印象があって視覚芸術としての「壁画」の在り方が、つい見過ごされがちになってしまう。壁画とは何なのか。政治的文脈を離れたところも含めて、少し、その意味について考えてみよう。

話がややこしくなるのでラスコーにまでは遡らない。中世から初期ルネッサンスにおける教会等の壁に、盛んに描かれたのは、イエスの生涯、すなわち聖書が伝えるところの数々のエピソードだ。例えば、イタリアはパドヴァにある、スクロヴェーニ礼拝堂、ジョットーの手によるフレスコ画。イエスの生涯が39の場面に再現されている。その当時、聖書はラテン語で書かれた写本の形で流通しており、活版印刷術の発明、あるいは庶民の言葉によって書かれる(ドイツ語やイタリア語)のは、ずっと後の話。ここで壁画に求められたのは、物語を伝えるメディアとしての役割だった。

 メキシコの壁画運動でも同様の役割を担わされた。巨大な壁画にはアステカの先住民の歴史、スペイン人による征服、旧大陸からの独立など、時代を動かした人物を中心に、メキシコお大地で繰り広げられた歴史が描かれた。おそらくは今に較べても、ずっと低い識字率の時代、ラジオなどによるプロパガンダがまだ本格的になっていない時代に、壁画は圧倒的な迫力をもってして、メキシコの民衆の心をつかみ、鼓舞し、革命運動を促すことになった。
メキシコ人にとって、無条件に所与のものとして機能する民族としてのアイデンティティーをもつことは、その重層的な歴史ゆえ、非常に困難なことだったに違いない。そんな中、歴史を描く主体そのものが、歴史を描く行為を通して、自らの出自とその経緯、すなわちアイデンティティーを獲得していったのだと思う。

   実際のところ、壁画は、まず、デカい。エイゼンシュタインの稿でも書いたが、「見る」という行為が、実に身体的な行為となり、文字どおり足をつかって歴史を感じとることになる。

 デカい絵というのは、ただデカく描けばいいというものではない。画面全体を単調な部分の集合にしてしまうと散漫になってしまうので、いくつかの求心力を持つ、主題と部分の関係において緊張感を造り出す作業が不可欠となる。そのように考えると、壁画運動に身を投じた3人が、いずれもヨーロッパに渡るなどしてキュビズムの洗礼を受け、なおかつ自家薬籠としていることが思い出される。セザンヌ、ピカソの延長にあるマッス(量感)の表現は、壁画という極めて大きなキャンバスにおいても3人の才が、いかんなく発揮され、あのような迫力ある絵画が生まれたのだろう。

この展覧会では、いくつかの絵画に、その卓越した量感の表現を見ることが出来た。リベラが描く農婦の、どっしりとした体躯、厚い肩は、実りをもたらす大地母神、グラン・マを思わせ、シケイロスの巨大なカボチャも、その歪型したフォルムが過剰な生命力を顕していた。
ここに我々は、芸術と社会の幸福な融合だけでなく、ヨーロッパに端を発するモダニズムの、あるひとつの果実を見ることが出来る。

 あれ?、壁画の話ばかり書いてしまった。フリーダ・カーロのデッサンもスゴイ。静かで凄みのある視線に、両眉は黒く繋がれたフリーダ独特の鳥の羽ばたきを模し、人の手を型どったイヤリングをつけている。その解剖学的リアリズムは額に浮かぶ無数の静脈も例外なく描き込んでいる。
 また、北川民次の「タスコの風景」を含め、ぼくが知らない多くの画家が描いた邑の風景は、6年ほど前に中南米を旅行したときの記憶を呼び起こしてくれた。オアハカ、ソチミルコ、アグアスカリエンテ。いつ果てるともなく続く荒涼とした大地に点在する邑々。長距離バスにすっかり疲れ切ったぼくを迎え入れた、それらの邑の風景をぼくは懐かしく思い出した。


F.L.ライトの永徳を復元

終電で帰宅後、録画しておいたF.ライト所蔵の日本美術の特集を見た。彼は、例えば旧帝国ホテルとかの仕事で得たお金の大半を日本美術の購入にあてたという。その所蔵品の里帰り展が、近々行われるはず。目玉は狩野永徳の筆によるというでっかい松の屏風絵。でも、ライト財団では山楽の作として分類されている。パッと見た目、松の葉の部分がやけにうるさく、なんだか焦点のぼけた大味な印象しかなかった。

 個人的にはミケランジェロばりのダイナミックな構図に、迷いのない枝ぶりが永徳の持ち味だと思っていたので、やっぱ、山楽じゃないのお、なんて思ったけど、じつはこの屏風絵、後世の紆余曲折でオリジナルのものを半分に切られ左右逆にされた上、上下の一部を切られ加筆訂正の後、現在の姿になったらしい。初めはどこぞの寺の障壁を飾っていたらしく、所有者の都合で屏風になったものと推測されている。

 ハイビジョンCGで元の姿にしたものを見たけど、そこには、これでもかというほどの勇壮な枝ぶりが再現されており、やっぱ、永徳かあ、山楽みたいにちっちゃく収まってないぜ、と思わせるに足る作品だった。

 そうだよなあ、大徳寺の襖絵、確か、出世作だっけかな、かっこよかったもんな。

関係ないけどこの調査をしていた京都国立博物館の研究者の名が「狩野」だった。こんな名前もったら、図画工作の時間に悪い点数とれないよなあ、御先祖様に申し訳なくて。


光の充溢、目の祝福、ターナー展@横浜美術館
(1997.09.01)

ターナー晩年の、あの原初を思わせる混沌とした燃え立つような風景画が, どのようにして生まれたのか以前から気になっていた。

ぼくはまだイギリスには行ったことがなく,テートギャラリーのコレクションも, その一部の旅先での小さな水彩画だけしか実物を見たことがなく, 大規模な展覧会は今回,初めて。

若いときは,遠近法と建築物の絵画の教授をしていたらしい。どちらも厳密さを 要求する分野だ。そんな彼が,イタリアに行ってから大きくその画風を変える。 イタリアの陽光と,旅先における戸外での写生が影響しているのだと思う。

強烈な陽光は,おそらくイギリスに帰国後のターナーの目に湿潤な大気の存在を 再確認させただろうし,思えば後のブーダンやヨンキントの印象派を産み出す 契機のひとつとなった戸外での制作にも繋がるものがある。 そして,あらゆる輪郭を溶かしこんで,光の充溢が図られる。目の祝福。

晩年の油彩の大作を並べた部屋で,椅子に腰掛け,長い時間見ることが出来たのは 幸いだった。


コルビジェとピカソ、地中海という接点
(1997/11/07)

 ル・コルビジェ展@セゾン美術館にいってきた。

 いわく近代建築の巨人、創始者、悪しき「近代」の元、いろんなこといわれてるねえ。なんだか、建築が人間性を失ったのは彼のせいだみたいなこと言われてるけど、あれだけの資料を改め見直してみると、そこに人間中心の発想、古代ギリシャ直系地中海文化圏の明晰な論理があるのがわかる。すっきり箱型二階建からモジュールの考えに至るまでの、一本道がみえる。

 箱型二階建をコルビジェがパリで考えたのは、ぼろアパート、「洗濯船」ではピカソやブラックがキュビズムを唱え、オペラ座ではストラビンスキーが春の祭典をけちょんけちょんにけなされていた頃だ。時代背景を考えるといコルビジェの先駆性がうかがえる。

 でも、かれが建築設計のかたわら作ったおびただしい数の彫刻、絵画作品を設計図面とともに見せられると、先駆性という見方をちょっと変えなければいけないのかな、とも思う。理知的な構成者ではなく、既成概念の破壊者としてのコルビジェ、その一面は建築家コルビジェのなかで相反する要素としてではなくおなじ創造の源泉として存在しているのではないか。源泉という言葉はちょっときれいすぎる。ピカソと同質の野獣的な何か。コルビジェにもピカソと同じ「牛」をテーマにした作品があったのも偶然ではないだろう。

    二人に共通する地中海的向日性、分析的キュビズムと建築設計、そして創造の源泉たる野獣性「牛」のメタファー。いままで僕がもっていたコルビジェ観をこの展覧会がおおきく変えてくれたことは確かだ。


フリーダ/自画像
(1995/4/16)

メキシコシティ南部の瀟酒な住宅街の一角に、 その家はあった。 コヨアカンの青い家。 メキシコの女性画家フリーダ・カーロが、 その後半生を過ごした家である。 「青い家」というとおり、 外壁面は透明感のある深い青で塗られ、 メキシコの乾いた大気を元気よく飛び込んでくる日差しのなかで、 鉱物的な輝きを放っていた。 フリーダ・カーロ。 普通の人の何倍もの生命力を持ちながらも、 そのすべてを47年という 決して長くはない一生の中で 全てを使い果たしてしまった女性。

無数の釘を顔一面に打ち込んだ自画像。 血だらけになり、たった今、 流産してしまったとおぼしき病床での自画像。 ばらばらに崩壊する寸前で かろうじて形を保った脊髄の見える自画像。 彼女はこれら、ひどく自虐的ともいえる自画像を 数多く残している。

6 歳の時、小児麻痺にかかり、右足に後遺症を残し、 18 歳の時、バスと電車の衝突事故に巻き込まれ鉄の手すりに腰を貫かれ、 脊椎、骨盤など全身を20ヵ所以上の骨折を負った。 このような不遇な運命のもと、 勝ち気で知性と美貌をそなえた少女は、 ある時、 絵を描くことをおぼえた。

がんじがらめのコルセットで身を固められベッドから起き上がることの出来なかった彼女は、 ベッドの上に大きな鏡を据え付けてもらい、 来る日も来る日も自分の姿を見つめ続け、眉毛の一本一本も判別できるほど克明に自画像を描いた。

22歳の時に、メキシコを代表する画家のひとり、ディエゴ・リベーラと結婚。 幸せな結婚生活を送ったのも束の間、 せっかく二人の間に授かった子も流産してしまう。 彼女は絶え間ない精神的、肉体的苦痛とともに生きなければならなかった。  

メキシコ国立近代美術館 (Museo de Arte Moderno) には、 フリーダの代表的な作品、「二人のフリーダ (Las dos Fridas)」がある。 繊細な白いレースの衣装、 そして青と黄の鮮やかなインディオの民族衣装。 これら、新旧両大陸の衣装をまとった二人のフリーダが、 不気味な暗雲を背にして椅子に座り、 静かではあるが力を秘めた視線を投げかけている。 心臓の部分だけむき出しになっており、細い血管が二人をつないでいる。 その解剖学的リアリズムは常に見る者を現実と非現実との合間に放り出す。

向かって右に座っているメキシコのフリーダの心臓から細い血管が伸び、 その先端がブローチに繋がっている。 ブローチには子供の姿をした愛するリベーラが見え、 左手でそれをそっと手にしている。 一方、ヨーロッパのフリーダの血管は、その先端を鋏で寸断され、 濃赤色の血液が流れ落ちている。 自らヨーロッパの血脈を絶ち、そして先住民らの大地母神的母性をもってリベーラに血を注ぎ込む。 この絵は、フリーダのアイデンティティの証であると同時に彼女の不安の行く末をも暗示している。

1930年代、ヨーロッパから戦火を逃れ数多くの芸術家が新大陸へやってきた。 シュルレアリストのアンドレ・ブルトンもその一人である。 そのブルトンがフリーダの絵を見て、「彼女こそ天性のシュルレアリストだ」と評した。 フリーダ自身は、この訳のわからぬ無礼なシュルレアリスト達のことをかなり嫌っていたようだ。

フリーダにとって、自分が描いたもの何一つ、「超」現実のものなどなかった。 彼女にとってすべてが、現実であり、 苦痛のともなった、 血の通った、 生への希求をこめた、 「自画像」だった。

シュルレアリスムをスペイン語で表記すると、' realism del sur ' これは同時に「南のリアリズム」とも解釈できる。 「南」は、近代ヨーロッパによって定義された方角、 認識のまなざしの文化的高低差を示すベクトルである。

見るべきは彼女の「リアリズム」であろう。 虚飾を排し、欺満を避け、ひりひりと網膜を刺激する絵画。 近代人の不安だの、無意識の大陸だの、そんな神経症とは比較にならない 彼女にとっての、極私的な、「リアル」にこそ眼を向けるべきである。

晩年、といってっも彼女にとって40代の時に、よく描かれたモチーフがある。 濃密な生気を漂わせた熱帯の果物や植物、そして動物たちとともに描いた自画像である。 ただでさえ濃い彼女の両眉は、 黒々とつながれ、 あたかも鳥がはばたいているかのように見える。 生涯の大半を車椅子で過ごした彼女の自由をもとめる強い意思を そこに見ることができる。

さらに、彼女自身すら描かれていない「自画像」。 単なるみずみずしさを通り超して、 生命力というエキスをしたたらしている果実。 ざっくりと切られた西瓜。 ぼくがもっとも気に入っている絵も、そんな彼女の生命力に満ち溢れた「自画像」である。



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