
この『山姥』という能を、いったい何といえばよいのか。平安の世より伝わる平家の悲劇でもないし、亡き夫を偲ぶ残された女の悲哀でもない。まして近世以降に流行った分り易い勧善懲悪ものでもない。比較的、能の話としては多い、旅の僧がうら寂しい山中にて浮かばれぬ霊と出くわす話に近いといえば近いが、その話は、比べ様もなく、広く、そして深い。言うなればこれは、「山姥とは何か?」という問いを通して、世阿弥が抱いていた世界観、芸術論、宗教観を、能を以って表明したものである。 能『山姥』
実は、コレ、世阿弥の哲学でアル。
横浜能楽堂(1999.10.15)
あら筋を書く。主な登場人物は、遊女、その従者。里の男。里の女、転じて山姥といったところか。遊女は、都にて山姥の山廻りの曲舞で名を馳せたため、「百万山姥」の芸名を持つ。その遊女、従者を引連れ、善光寺詣を志す。とある難所にさしかかると、にわかに日が暮れてしまい進退窮まってしまう。そんな折、里の女が現れ、山中の庵に案内しようという。里の女は、なぜか、その遊女が山姥の舞で名を馳せた人物であると知っていて、遊女に山廻りの曲舞を所望する。とまどう遊女。するとその里の女、自分こそは真の山姥であると述べ、遊女達を驚かす。おののく遊女はためらいつつも舞いを始めようとするが、山姥はそれを制し、月夜になるまで待てという。そうすれば自分も真の姿で現れるだろうと。深山に月明かり冴え渡り、本物の山姥が現れる。山姥に合せて舞い始める。途中、山姥だけの舞いとなり、その舞いを以って深山幽谷が出現し、壮大の自然の摂理を説き、ことの善悪の皮相を語り、四季折々の雪月花を訪ねる真の山廻りを見せる。山々を渡り谷を超え、やがて山姥は幽谷の彼方に姿を消す。
シテといういわば主役にあたるのが、里の女、真の姿は山姥である。話の前半部は、遊女とその里の女との出会いである。人も疎らな深き山に庵を結ぶ里の女の登場場面がいい。音はぴたりと止み、実にゆっくりとした足取りで里の女が近づく。橋掛を渡り、本舞台に至るも、いったいその者が、どういった素性の持ち主か不明である。謎を体現した振るまい。舞台照明の調節など一切無いにもかかわらず、あたり一面がほの暗くなり、にわかに冷気に包まれるかのような場が現出する。この、場を作り出すという能に特有の身体表現は、やはり優れた演者をもってはじめて可能になるものなのだろう。銕之丞氏はそれを十全に表現しきる。遊女に出会い、山姥とはいかなる者なのかを問う。遊女は山に住む鬼の女だろうと答える。それはあまりに浅はかなものだと思った里の女は、それでは山に住むこの自分も山姥と同じではないか。長年にわたり山姥の曲舞で名を馳せているにもかかわらず、その主人公の身になって考えたことがあるのか?と恨み言を述べる。妙なる舞歌音曲で山姥を供養すべきであろうと進言する。このあたり、世阿弥が、役を担うという行為がいかなる意義を持つのかを述べる意見表明と取れなくもない。目に心地よい所作を凝らせば舞いになるのではない。その心情を理解し如何にして表現するかが大事なのだと里の女、山姥の口を借りて言っているように思える。
月夜を待つ間、合間狂言が入る。この話がまた面白い。山姥伝説がどのような出自で流布したかをいろいろと解説するのだ。1)山のドングリが熟して落ち、谷に集まって山姥になる。2)山に生えるつる草の一種が雨と共に崩れ落ち、塵芥が纏って山姥になるという。3)山中にある城壁の「木戸」が風雨に晒され朽ち落ちて葛が纏い山姥になる。最後の3)は、「木戸」を「鬼女」にかけてるというところでオチがつく。しばしの笑いの時間である。
遊女は鬼女のことばに背いては大事だと謡をはじめる。するとそれに引き寄せられるかのように真の山姥が現れる。髪は雪が降りかかった茨の如く、眼の輝き星の如く。怪異というか畏怖と呼ぶか。一見、緩慢に見えるかの所作のなかに、時折、アクセントのように鋭い動作が入る。その度にゾクッとするし居住まいを正させる力が込められている。銕之丞氏の謡が素晴らしい。ほの柔らかく通る声、深くまろやかなビブラート、この謡と、枯淡とした舞をもって、深山幽谷を現出せしめる。そして、世の理、自然の妙味を説く。いったい善と悪に何の違いがあろうか?何を喜び何を恨むのか。山また山は、いったい如何なる名工の手によるのか?この青々と苔むす巌はどのようにして出来たのであろうか?水また水、いったいどのようにして深山を彩るのか?そんな世の理を知りつつ自然の妙味を知りつつも、足を引きずって山廻りをしなければならぬ御身、まるで六道輪廻のように苦しき業ではなかろうか?
真の山姥の舞いを見て、遊女・百万山姥は言葉を失う。いかに自分が皮相な考えを持っていたかに気付く。地謡は、山姥とは何かを説く。その生まれ、住むところは知らず、ただ雲や水を頼りに山中を浮遊する存在であると。その身を鬼の姿に変えると人の世に現れる。仏教に倣えば、これは邪正一如、すなわち、善悪は表裏一体を成すものである。また、この世は色即是空であって、仏法あって世法あり、煩悩があって菩提があり、仏があって衆生がある。そんな次第で、柳は緑、花は紅であるというように、表面的には「色」はあっても、その本来は「空」なのである。山姥もまた、人の世にあっては、薪かつぐ山人の重荷に肩を貸し、機織の女をも助けるという。しかし人を助ける時にだけ、人の目には映らず、結果、鬼女などと呼ばれてしまう。悲しいことではないかと。そんな山姥の真の姿を都の者に伝えておくれ。いや、そう望むことが現世への妄執なのではなかろうか?それを打ち捨てて山廻りをすることこそが、山姥の運命(さだめ)なのか、、、あまりに哀しい話である、、、。
地謡、にわかに沸き立ちはじめ、山姥のリアリスティックな立回りが始まる。急き始める鼓に合わせ、四季折々を訪ねる山姥。足を引きずっての山廻り、春の梢に花咲くことを待ちわび、秋は清らかな月明かりを訪ね、冬は雪を降らせつつの山めぐり、、、ひとつひとつの山姥の所作に、何もないはずの舞台に四季が現れ出でて、山姥はそれぞれにを慈しみ愛でるかのようだ。なんと厳しくも切実な自然観ではなかろうか?銕之丞氏の舞と所作は、言葉に依らずに、その哲学・思想を語る。能とは、こういったものをも包摂し、かつ、伝えんとするメディアと成り得るのか、、、ぼくは唖然としてしまった。
ひと通りの山廻りを終えるや否や、地謡・鼓のクライマックスの中、掻き消えるように橋掛を渡ってしまった。舞台には、濃厚な余韻が残っているが、しかし、先の山姥は、本当に、そこに居たのであろうか?存在では無く、存在感だけが残っている。まるで永きに渡り風雨に晒され厚く苔生した巌のような、雪にたわまんとする枯木のような、春先にいち早くか弱く咲いた花のような、その全ての在り様が、言葉やイメージ無くして濃厚に漂っていた、、、、、。
さて、能を観るのも今日で二回目。前回は、能そのものに接した衝撃が、先だってしまい、ずいぶんと力んでしまっていたことは確かだ。また、衝撃を受けるであろうことを、どこかで期待していたことも否定できない。しかしながら、前回はちゃんとした先達の誘いあってのこと、おそらくは間違いはなかったろうし、ぼくもそう思っている。で、今回。とりあえず、数を観ないことには、はじまらんだろうと思い、ひとりで観に行きましたよ、国立能楽堂。夕方の部の当日券をゲットしました。中正面4列目の席を確保(って、自由席なんだけど)。今日のテーマは「ごゆるりと」。肩のチカラを抜いて、楽しもうという気持ち。
「藤戸」
中世のココロを垣間見るとは?
第39回 式能 国立能楽堂(1999.2.28)
今日は、「藤戸」と「紅葉狩」。間に万作氏の狂言「樋の酒」。とりあえず、今回は、観世流「藤戸」について。
例によってあらすじ。平家物語の時代、瀬戸内海、備前にある児島が舞台。盛綱(ワキ)は、藤戸先陣の功によって、備前児島を賜った。その領地入りでの出来事。ひとり、中年の女(前シテ、深井)が現れた。わが子を盛綱に殺されたと訴える。盛綱、はじめはシラを切っていたが、どうにも隠し切れず、ことのくだりを話してしまう。以前、この地にやって来た時、ある浦の男が、馬で渡ることが出きる海の浅瀬を教えてくれるといい、案内してもらった。それがために盛綱は功を上げることが出来たのだが、その浦の男、他の者にも言うやも知れぬ。それはよくないと、その浦の男を切ってしまったのだが、そうか、あなたの息子だったか。前世よりの定めと思い、ここはどうかお引取り願いたい。そういうと、母はなおも涙し、「亡き子と同じ道に」と切ってくれるよう懇願する。さすがにそれは出来ぬ。では、いまから弔いをする故、それでお気を休めるよう。弔いの声、念仏が発せられる。すると、海上より、ひとり男の亡霊(後シテ、痩男)が、、、海深く沈められた恨みをはらすため、竜に化けて祟ろうと思って出てきたのだ。亡霊は恨み言を並べ、盛綱につめよるが、その思わぬ弔いを受けたことにより、成仏することと、あいなった、、、。
はじまって、すぐ気付いたのは、発声の仕方。線があまり太くない明瞭な謡(カレーラスみたい)。これは、やはり、流派によって違うのだろうか?前もって予習しておいた、セリフが、ちゃんと確認できる。ワキの盛綱と、地謡のコーラス(?)の、バランスが絶妙で、実に立体的に聞こえる。盛綱、「春の湊の行末や、、」と、備前・児島へとやってきた。ちょっと、昔を回想。どんなシチュエーションかが判る。
シテ、浦の母、入場。おずおずとした、迷いにもにた歩き方。母の心を十分に暗示。そう、この歩き方ひとつで、そんなことが伝わってしまうんだよなぁ。これって、べつに、ボクの先入観じゃないよ。
盛綱、はじめ不信に思い、従者を通じて、その女の訴えを訊くように言う。浦の母、我が子の不憫な因果を語る。その語り、あまりに中世的。母はこう言う。「声を立てて泣くとはいえ、いったい、どうして、世の中を恨んだりしましょうか。もとより因果は巡るものでありますから。でも、「弥猛の人」(盛綱)が、我が子に下した刑罰というものは、あまりに、ひどいものではありませんか。罪なき我が子を切って水底にお沈めになるとは、なんたる無常なお仕打ちでしょう、、だから、こうして、おんまえに参ったわけで御座います」。因果応報の理をふまえた上での理不尽を、盛綱に訴えかけているのである。
盛綱、その浦の母の話を、顔を見ずに横を向いて聞いている。はじめ、そのようなことは知らぬと言う。浦の母、まだあなたは知らぬというのか?と訊く。地謡、低く、浦の母の心情を代弁する。「いつまで隠し立てをするのか、、隠しても甲斐のないことだ。ひとの噂にもなっているのに、、」。盛綱、思いなおし、その時の有様を語り始める。
さて、以上のやりとり、盛綱、浦の母とも、ほとんど動きらしい動きがないのだ。盛綱は憮然と舞台の角に座っているし、浦の母もひざまずいている。しかしながら、セリフと地謡だけで、感情表現をしているわけではない。盛綱がようやく立ち上がり、事の件を語ると、浦の母の子、浦の男を切るという話、「不憫には存じしかども、取って引き寄せ、ふた刺し、そのまま海に沈めて帰りしが、、」のところで、裏の母は、そっと、左手を面にかざし、ほんのわずかだけ、下を向くのだ。能面を微妙に上下することを、面を「照らす」「曇らす」と言う。その動作により感情を表現できる。はじめその話を本で読んだときは、そんなものかなぁと思ったけど、これほど、微妙な動作にも関わらず、浦の母の無念と理不尽の入り混じった涙を我々は感じ取ることができる。
盛綱の話を聞くうちに、浦の母は、次第に、自らの感情を抑えられなくなってくる。その感情の昂ぶりを表わすかの如く地謡が湧き上がり、緊張感を高める。詰め寄る浦の母、制する盛綱。さらに詰め寄る母、、、。エぃと振りほどく盛綱、、浦の母、倒れこみ、力なく肩を落とし座り込む。そして、「両手」を面にかざす最大限の無念と悲しみを表現。微妙だけど雄弁。
盛綱に、子の弔いはするから、すみやかに家に帰るようにと、諭される。嗚呼、なんと後ろ髪ひく歩みか、、、。舞台中央から、橋掛まで、ほんの4、5メートルだろう。浦の母は、未練という未練、無念という無念を、すべて、舞台中央に置いてきてしまったかのようだ。橋掛に至るまでに費やされる時間、いつ果てることもない、その遅々とした歩みに対し、いっさいの声、音は、発せられない。浦の母の心情を表わす、その歩みだけが、重苦しく場を支配する、、、。
盛綱、まず、従者を通じて漁民たちに、しばしの間、殺生を禁ずるよう命ずる。そして、浦の男のために、経を唱える。すると、、海上より亡霊が現れる。後シテ、浦の男の亡霊、入場。杖をついている。何かを訴えんとする意思、そして、いまだ成仏出来ぬ身を、どこかで嘆く、そんな意味合いを持つ歩み。橋掛を歩いている間、ほとんど切れ目なく能管が鳴らされる。夜、笛を吹くとお化けがやってくるという話と、もしかしたら、関係があるのかもしれない。楽器の中でも能管などのフルート属の管楽器は、目に見えぬ空気というものが振動することによって音が出る。その不可思議さが、いつのまにか、異界という普段は目に見えぬものと関わっていると考えられるようになったからだろう。
亡霊は、盛綱に殺され海に沈んだ時のことを、再現する。自らを、剣で、ひとさし、ふたさし、杖を剣に見立て、このようにして殺されたのだということを、我々、そして、盛綱に訴えかける。後ずさり後ずさり、はたと座り込み、海に沈められたことが察せられる。不動。ここでは無念というより、なぜ自分が殺されたのか、まったくわからないという当惑を思わせる。
やがて、すくと経ちあがり、その当惑は、怒りへと変わる。ズズズと盛綱に詰め寄るが、にわかに大きくなった地謡の弔いの声に、はたと思いとどまる、、、。杖をぱたりと倒し、立ちつくす。何かを確かめるかのように、立ちつくす。そうして意を決したのだろうか、くるりと向きを変え、舞台を立ち去る。無事、成仏したことが見て取れる。合掌。
この「藤戸」を観ながら、ぼくは、溝口健二の映画「山椒太祐」を、何度も思い出した。子を想う母、母を募う子、時代が時代とはいえ、圧倒的な理不尽、、、そして、海辺。宮川一夫の神技的なカメラに収められた、無垢な浦の光景が、この能を観つつも、ありありと目に浮かんだ。どちらも、極めて中世的な話である。能そのものの発展史を、ぼくは知らない。しかし、「藤戸」に見られる中世的心性と、ここでは紹介しないが、次に観た「紅葉狩」の間には、明確な断層があるように思える。片や藤戸は理不尽を宗教に吸収させ、生死そのものを、そのまま受け入れるという姿勢があり、亡霊は、悪しき者、追い払うべき者ではなく、まずは訴え、そして、弔われるべきものとして描かれる。武者とて、勝ち負けの問題ではない。ひとの業や因果というものの一部を担う存在である。一方、「紅葉狩」は、都合よく神様が出てきて、戸隠山の鬼退治に、ひとやく買ってくれる。勧善懲悪とは言わないまでも、物語的には、ずいぶんとものわかりの良いものとなっている。
おそらくこのような違いは、時代区分もあろうが、どの演目をどのような順番にするかにもよる。特に、今回のような式能においては、物語のタイプによって、その順番が決められるものだ。だから、もちろん、良し悪しの問題ではないことはわかっているつもりだ。ただ、能を、ブンガクとして、ひとつのテキストとして見たとき、中世と近世という心的断層を、このふたつの演目から感じたということ。ううむ、まだまだ、たくさん観なくては。ゆっくり焦らず、観ていこう。じっくりと付き合えるものですネ、いいですネ、お能は。
「道成寺」という演目は、なかなか見所が多く、能に初めて接する人であっても、それなりの予習をすれば、十分、楽しめるものらしい。たまたま、このページを通じてて知り合った人が、そう教えてくれた。これはという演目、これはという演者の公演があったら、一緒に行きましょうというお誘いがあり、ようやく、今日、その実演とやらに接することが出来た。ここに書き連ねる拙い文章は、おそらく「華の実会」という豪華な演者達による、「道成寺」という演目についてではなく、能に初めて接した衝撃・感動が先立つばかりで、要を得ないものになると思う。 「道成寺」 第5回 華の実会
はじめてちゃんとした能を見たのだ
宝生能楽堂
(1999.1.30)ぼく自身の能に対する興味について、前もって書いておこう。能に関する本は、いままで、何冊か読んだことがあり、とくに、去年の暮れにお亡くなりになった白洲正子さんの本には、ずいぶんと影響を受けたと思う。いままで、NHKで、時折、放送している能を、ビデオに録って見るぐらいで、実演といえば、芝能ぐらいなもの。能を見るならば、しかるべき演者、しかるべき場所で、ということはわかってはいたが、さて、何をどう見たらよいのかわからない。そんな折、能に通じた人と知り合ったわけである。
今日、見たのは、3演目。「橋弁慶」、狂言「井杭」、そして「道成寺」。ここでは目玉である「道成寺」について書く。
ここに書く意味があるかどうかわからないが、とりあえず、あらすじ(とばしてもよし)。紀伊の国は、道成寺。釣鐘、失われて久しく、ようやくその鐘の再興の日のこと。どこからともなく、美しい白拍子(若い女性)が現れる。鐘の再興を喜び、舞をもって奉納したいと言う。そう頼まれた能力(のうりき)はしばし困る。なぜかというと、お寺の住職に、女人禁制を強く言い渡されているからだ。結局、白拍子の熱意に圧され、寺内に入れてしまう。
乱拍子に舞う白拍子、次第に舞いは熱を帯び、鐘へ鐘へと近づいた。突然、鐘が落下して、白拍子は鐘の中、、、、。慌てふためく能力たち。住職へ事の次第を申し出る。住職は、その白拍子こそ、昔語りに聞く娘の怨霊に違いないと言う。怨霊を鎮めるべく、僧侶達の祈祷がはじめられる。やがて、鐘の中から、蛇と化した鬼女が現れる。鬼女、激しく僧侶に挑みかかるも、祈祷に圧され、後ずさり、日高の川へと飛び込む、、。鐘の持ちこみは、演目が始まってから成される。普通の演劇と違い、場は前もって作られているのではなく、その場で一度限り、生起するものだということか。男4人が太竹ざおに、鐘を吊り下げ入ってくる。全員、つま先立ちである。張子の鐘は、殊更、重く見える。鐘が舞台中央に吊り下げられる。地謡、鼓の者は静かに座して待っている。
おもむろに能管が鳴らされる。と思いきや、空間を切り裂くかの音が響き渡る。大鼓、小鼓が、ゆっくりと鳴らされ、次第に場が変成してくるのがわかる。何が起きてもおかしくないという風に。怨霊、ものの怪異現ることに対し、我々の側がそれを受け入れられるように、、、。西洋音楽の文脈において、打楽器は、無音静寂のもと、正の響き、凸の響きを持つ。ここではそれに対し、特に、小鼓は、負の響き、凹の響きなのだ。無音を吸い取り音にする。その独特の鳴らし方、皮を叩くや、その刹那、胴の紐の張力を変化させる。その響きがあたかも「音を吸い取っている」ように聞こえるのだ。
若い清楚な女性を表す「小面」、その面をつけた白拍子が、入場。橋掛の入り口、幕前に、しばし佇む。姿は見せど、いったい何の躊躇いか、その場からすぐには動かない。やがて鼓の音に連れ出され、ゆるりゆるりと歩き出す。ぼくは初めて、「歩く」という動詞を見た。「歩く」という行為は、単に、A地点からB地点までの物理的な移行を表すことではない。「歩く」という動作のための「歩く」である。これについては場と時間を共有してもらわないことには、伝えようがない。
烏帽子を被り、鐘の奉納のための舞がはじまる。あまりに緩やかな動き。はっきり言おう、それは、あまりに単調で、退屈な動きなのだ。小鼓と大鼓の掛け合いばかりが続けられ、白拍子の舞は、わずかながらの動きが、不動の姿勢に付されるのみ、、。幾度と無く続けられるうちに、ああ、これが話に聞く眠気というものかと頭によぎる頃、ふと、「立っている」という状態の意味に気づいた。
ただ「立っている」。「何もしない」「動かない」という状態が即ち「立っている」ことではなかった。何も無い、動作の絶対零度から、「立っている」という動作を作り上げているのだ。
例えば、その不動と思われる状態で、扇子をはたと左手に持ち、前へ差し出して静止する行為。その静止状態は、前へと一歩踏み出さんとする状態を同時に兼ね備えた「動作」である。鼓に合わせ、つまさきを上げたり下ろしたり、不意に微妙に向きを変えたり、上げた足でドンと踏み鳴らしたり、、、見かけの不動には、それらの動作がすべて共存しているとでも言おうか。見かけの不動は、「静止している」という状態動詞ではなく、前へ踏み出す、向きを変えるという動作を内包した動作動詞なのである。
乱拍子は次第に熱を帯び始める。小鼓は、脳天から突き抜けるような合いの手、腹の底から振り絞るかのような合いの手をもって、白拍子の舞が際限無く熱を帯びぬよう制御する。しかし、その舞につられてか、鼓はテンポを次第に速め、地謡が、地の底から沸きあがる。
演者、謡の者ひしめき、大きな鐘も吊るされている、その十間四方足らずのはずの舞台は、果たして、こんなにも広かったのだろうか?この前の2演目では、五条橋となり、井杭駆け回る座敷となっていたはずの、この舞台は、今の乱拍子を舞わせるためにのみ設えられたかのような広大な空間を体現していた。そんなはずはない。いったい、どういうことだろう?
これこそ、おそらくは能が持っている身体言語の成せる技なのかもしれない。何も書かれていない原稿用紙を考えよう。行間を空け、改行を速やかに行い、詩的な言葉をぽつりぽつりと書けば、おそらく原稿用紙は、文字通り余白にばかりの平面となるだろう。逆に言葉を詰めれば窮屈な平面となる。しかしながら、文字数だけが問題なのではない。そこに書きつけられる言葉も共に、どんな平面を作り出すかに、大きく参与していることを忘れてはならない。
能の舞に見る身体言語は、微視的に見れば、その一歩の歩幅、円を描くスピード、それらに付される手や扇子の動きといったものであろう。しかしながら、その総体、すなわち、それらの身体言語が連ねられることによって生起するテキストは、かくも自由に場を変成させ、物語るに相応しい舞台を作り出す。絶対空間であるところの舞台が先立ってあるのではない。演ずる者の身体言語が先立ち、しかるのちに舞台を産み出しているのである。それゆえ、舞台は自由に塑型され得るのだ。
白拍子の動きは、はたしてどこまで速くなるのだろうか?緊張という糸がぎりぎりと巻かれ、その張り詰めた心持をあざわらうかのように、鐘にまとわりつくような動作が混じってくる。パシリ!、被っていた烏帽子を扇子ではたき落とす。鐘の下に入り込み、足踏み鳴らす。見るものの糸が切れる。鐘が落ちる。白拍子と共に落ちる、、、。
白拍子が鐘に隠れている間、大轟音に恐れおののく能力たち。熱を帯び張り詰めた場を作り出していた白拍子は、いまや、鐘の中である。能力ふたりの狂言めいたやりとりが、ふと、笑いをもたらす。能はすばらしく雄弁な演劇ではあるが、笑いという感情表現は、狂言にそのすべてを譲った。不動の鐘と対照的な軽い笑いが場を緩めると同時に、すぐ後に訪れるであろう怪異玄妙とのコントラストを用意する。
能力に事の次第を聞いた住職が、祈祷を始める。懐深いビブラートの祈祷、鳴らされる数珠、鐘に寄っては返し、寄っては返し、次第に、そのテンポを速め、鐘の中にいる者を威嚇する。
鐘が上がる。緋色に燃え立つ髪、朱の袴、蛇へと転じた鬼女である。そう、これが先ほど小面を被っていた白拍子の本当の姿なのである。伝説に聞く娘は、ある僧侶に恋するも、その願い果たせず、川に身を投げ死んだという。その娘の怨念が、具現化したのが、この鬼女なのである。しかし、怨念のみを剥き出しにしているようには、ぼくには、見えなかった。手に持つ杖で、祈祷する僧たちを威嚇し、挑まんとするが、どこか、この世に再び出でてしまったことに対する躊躇、もしくは後悔の念が見えなくもない。僧の祈祷に対する反抗ではなく、自らの悲しむべき定めに対する行き場の無い怒り、若く美しくもあった往年の恋する少女の、今に変わり果てた姿に対する苦悶。そのような実に複雑な感情が入り混じっているのだ。能面という動かぬはずの表情であるにもかかわらず、、、。その怨念の形象は、柱に身をよじってまとわりつく行為で、最後に表現され、諦念を受け容れた鬼女は、現世に名残惜しつつも、橋掛を戻っていく、、
一連の怪異は、幽かな余韻のみを残し、元のノーマルな場が戻ってくる。あれは、真か、幻か、、ひとつ道成寺の鐘だけが、過去・現在の次第を見つめつつも、黙して語らず、、、。
前ジテ 白拍子、後ジテ 蛇躰、 観世暁夫
ワキ 道成寺住僧 森 常好
マーサ・グラハムの伝記映画を見た。舞踊表現としては芸術のバレエと大衆のキャバレーしかなかった時代に、人間の感情表現に重きをおいた舞踊を生みだし、それを芸術にまで高めた女性だ。動きは時に厳しく時に柔らかく、しかし、既存のバレエの身体表現の語彙を用いなかった。多くの俳優が彼女のもとに感情表現を学びにきた。例えば悲しみの表現としての「縮み」。怒り、嫉妬、苦悩。彼女はそのすべての感情を身体表現に置き換えた。それも独自の身体言語で。それらが普遍性を持つに至ったところに彼女の偉大さがある。 マーサ、マース、ウイリアム。
(1997.11.03)彼女のもとで、舞踊を学んでいたものの一人にマース・カニングハムがいる。彼は、グラハムの感情表現に身体そのものが持つ美しさを従属させる方法論に不満を抱き、コレオグラファーによる恣意的な感情表現を一切奪うことを試みた。もちろん音楽、舞台美術からも。そこで音楽はケージが、美術をラウシェンバーグが担当した。動きの単位はバレエのものを、一連の動きに対しては、ケージと同様、チャンスオペレーションを用いた。あらゆる「意味」から解放された身体運動、運動相互の関係性、そしてダンサー相互の動きの中ににやどる美を現出させた。人は網膜と小脳によってのみ彼の舞踊を批評し、理解できる。
そして、別のアプローチから身体にやどる美を徹底的に追及したものがいる。ウイリアム・フォーサイスである。彼は身体が持つ強度なるものの本質を表現するために、身体言語そのものを創ることから始めた。音楽は時間軸を設定し、動きや回転を制御するために用いられる。物語性を剥奪され、バッハやバルトークの持つ構造が身体の強度を明らかにしていく。バレエと呼ばれつつもバレエの身体言語、舞台表現を一切破壊しつくし、あらたに身体の強度そのものを現わすためにのみ生まれてきた舞踊表現。身体表現の極北、零度、あるいはバレエの脱構築。「言うことの仕方とは、そのことがらが、そこから、かつ、そこに向かって調律されているような音調である」とは、ハイデガーの言葉である。身体にやどる強度の表現とは、強度そのものから、かつ強度そのもに向かって現われているような舞踊のことである。フォーサイスのダンスを言いあらわすのにこれほど的確な表現もないだろう。 (96/11/27)
ダニエル・ラリュー公演は期待していたよりけっこうよかったというのが本音。ってことは、あんまり期待してなかったということか。 ファックスやビデオを用いた遠隔振付という話しだけど、第一部「仮定された流れ」には確かにフォーサイスの動きがあったと思う。不思議だけど。 フォーサイズは盆栽が好きか? D. ラリューダンス公演
(1997/12/10)ティエポロのデッサンの、ヒヨヒヨした天使や、薄布まとった爺さんに矢印をつけたものをファックスして、それを見てダンサーが個々に踊りのイメージを膨らますという、なんとまあ手抜きだこと、っという先入観があったんだけど、ダンサーの頭の中に自律的なフォーサイスの思惑の投影が生まれてきて、それを体の動きにし、ビデオに撮り、フォーサイスのもとに送る。その映像を元に、再びフォーサイスが想像を膨らましダンサーにアイデアを伝えるというフィードバック。
今までの振り付けとは全く異質のように思える。つまりコレオグラファーからダンサーへ、というトップ・ダウンの統制ではなく、そこにボトム・アップの情報の流れがあり、相互の情報伝達にはある程度の冗長性が存在するというもの。
ドウルーズ=ガタリ、浅田彰ならリゾーム(根茎)と言うかも知れないが、もっと生命に基本的な自己組織化、自己創出、今話題のオートポイエーシスと言ったほうがいいだろう。
言葉で誤魔化すのではなく、わかりやすく言うならば、一言で「盆栽」、あるいは「庭いじり」の作業に近い。盆栽のサツキは、こちらの意思を針金等をを用いてある程度形にすることは出来るけど、結局はサツキの自律的な生長を必要とする。そしてその生長ぶり(枝ぶり)を見て、盆栽の主人は鋏なり針金を用いる。
この「冗長性」を持った相互の情報伝達、「自律」した動きに、フォーサイス=ラリュー=ダンサーのコラボレーションたる「盆栽」を僕は見る。
後で知ったのだけれどラリューはもともと造園や園芸を学生時代、学んでいたらしい。まあ、偶然ではないと思う。
あの、布を用いたザッピングの手法も秀逸。
ゥ 1997 figaro77@geocities.co.jp