Blown with the Corioris's Wind

Blown with the Corioris's Wind(過去系)


1999/09/01 〜 09/15
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コリオリの風に吹かれて.(日記系)
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日記へ

「日本の合唱コンクールって、独特だと思うんだけど」

●昨日も暑かった。地元の図書館でシゴト。の合間に、同じく地元、クルマで20分ほどのところにある町田市立博物館「多摩の版碑」展と町田市立国際版画美術館「ワイマール時代の風刺画」展に行ってきた。展評は書けるかどうか、ちょい不明、スマン。

●で、今日は、その町田へ行く車中のお話。む〜暑いとタレつつもエアコンも入れず手持ちのCDも聴く気になれず、熱風入り込むなか、なんとはなしにNHK FMを聴いていたのだ。日曜日の午後はクラシック音楽番組が並んでおり、これという目当てがなくてもよく聞き流している。

●昨日は、なんだか全国小学校合唱コンクールみたいなものを放送していた。合唱。みなさんも一度は体験したことがあるでしょ。しかし全国レベルともなると、違う。巧い。パッとしない郊外の中学に通っていたボクの体験と比べる方がおかしいのだが、やはり巧い。(だって、オレが中イチの時のクラス対抗合唱コンテストで選んだ歌はオフコースの「Yes,Yes,Yes」だもの。う〜む、時代が、、)。もちろんコンクールの課題曲、自由曲ともに、そんな歌謡曲などあるワケもなく、しかるべき作詞家、しかるべき作曲家の手によるものである。

●少年・少女による合唱、、、よくよく考えてみると、アレはずいぶんと異常な行為ではなかろうか?みな同じ恰好をして、クチを大きく開けて、いったい放課後(朝もか?)にどれだけ練習したというのか、詩の意味をどれだけ理解しているのか、ふと、そんなことを考えてしまったのだ。いや、やってる当人たちは、他の声部とのハーモニーに酔ったり、みんなでひとつのことをやりとげるという達成感もあろう。でも、何か、この日本における文部省の教条主義がハナにつかないワケでもない。まあ、そういった政治性については話が長くなるので止めておく。

●そもそも、この年代の子供達が、そろって合唱するという習慣はいつごろからあるのだろうか?ウィーン少年合唱団のように、元は、西洋音楽、それも宗教曲の合唱から受け継がれているのだろう。でも、彼ら西欧の子供達が歌っているのは、あくまで宗教曲である。神を称える音楽である。神サマがちゃんと合唱する子供達の頭上にいる、そういったピラミッド構造がある。しかし、日本の合唱曲には、基本的にはそれが無い。誰のために「歌わされてる」のか、ちょっと気になる。

●西欧キリスト教文化圏において、宗教性抜きの子供のための合唱曲が、いわゆるクラシック音楽の文脈ではたしてどれくらいあるのだろうか?そして、このような小・中・高の合唱コンクールというものが、存在するのだろうか?ぼくは残念ながら知らない。

●あれ、ここまで読み返してみると、もしかしたら、合唱コンクールに対して否定的な感想を持ってると思われてるかな。いや、ただ、単に改めて聴いてみて、びっくりしたという当惑の現れだと思ってください。ぼく自身、少なくとも遡れば幼稚園時代の賛美歌は、ホントに大好きだったし。

●日本の合唱曲の場合、ちゃんとした作曲家が手がけたものが多い。たとえば、谷川俊太郎作詞、三善晃作曲「たいこ」とか。それを自由曲に選んでた学校があったな。あと、これは歌われたかどうかわからないけど、ボクの好きな作家、池澤夏樹なんか、「ティオの夜の旅」という定番合唱曲の作詞もしてるし。絵本や童話が、子供のものだからといって手を抜かないように、ちゃんとした作詞家、作曲家が、本気で合唱曲を拵えていることも確か。歌うことそのものを好きになるのであれば、合唱コンクールの存在意義もあろう。

●で、思ったんだけど、こ〜んなくクオリティの高い曲、そして巧い歌い手がいて、それがローカルに生産されて、ローカルに消費されてしまうのは、ずいぶんともったいない気がするんだけど、どーでしょ。相当、独特なもんだぞ。コレぞという優れものを海外資本の音盤会社がCDにして売るっていうのは、いかがか?バージン・クラシックスなんか、けっこう際物CDを出してるから、案外、オモシロイんじゃないかと。ウケるぞ、きっと。

(09/13/1999)


「雨上がりの白い少女、アトラス山脈のベルベル人」

●NHK BS2、「世界、我が心の旅」、今夜はモデルの山口小夜子のモロッコ紀行。20年ほど前に目にした写真集、そこに写されたベルベル人たちを探し求めるというもの。

●ベルベル人・・・、モロッコは今でこそ西欧への玄関口としてのイスラム教国家ではあるが、時代を遡ればアラビア人の侵入の前にはローマ人がいて、南方サハラからもアフリカ諸民族の侵入を度々受けている。そしてベルベル人は、モロッコのアトラス山脈以南に住んでいるいる謎の先住民族のことである。独特な衣装、刺青という伝統をいまも頑なに守っている。白人系、黒人系といった人種的特徴があるわけではなさそうだ。

●もう、何年も前の話、ぼくは番組に出てきたマラケシュという大きな街からバスに乗って、アトラス山脈を超えたことがある。マラケシュの街をひとたび出るや、すさまじい砂嵐に見舞われ、なんだかトンでもないところに来てしまったなぁと心細くなっているところ、山脈越えにエンジンを唸らせるバスの窓から、ところどころ土で作った家が散在する村々が見えた。いったい、どんな人達が住んでいるんだろう。こんなに何も無くて、人の目にやさしい微温的な風景が一切ないところに住んでいる、、、そんなことをつらつらと考えていると、あ、雨か、車窓を大きな雨粒が叩きはじめた。

●天候にだけは恵まれた旅行であったが、さすがに山間部の天候は変わりやすい。休憩のために停まる次の村に着く頃には止むだろう、、、

●ようやく休憩。ほんの30分ほどであるが、とりあえずぼくはシシ・カバブを頬張り、ミント・ティーで流し込むというモロッコに来てから何度目かの食事をそそくさと終え、ひなびた食堂をすぐに後にした。とにかく、ここに住んでいる人々を目にしたい、その一心だった。

●その村は、ずいぶんと標高のある場所なのだろうか、雨上がりの後の雲の動きがひたすら速い。草一本生えぬ峻厳な山肌にくっきりと影を落とし雲が走る。時折、雲の合間からスポットライトのように陽の光が差し込む。足元ににわかに出来た水溜りにギラリと反射する。

●バスの通り道から、かなり離れてしまったようだ、大丈夫だろうか、と思った矢先、ある少女に出会った。

●頭からすっぽりと被るような白い衣装、真鋳や銀の首飾り、頭には、赤とオレンジの鮮やかな織物を巻きつけている。目が、、目が合った。白人系のベルベル人だ。パリの街角で元気良く自転車に乗ってそうな少女である。なんと澄んだ瞳をしているんだろう。白桃のような肌、少しはにかんだような笑みを浮かべている。手首に刺青がある。日干しレンガの家の脇で、雨上がりを見計らって洗濯物でも干そうというのか、大きなタライでザブザブと手洗いしていた。

●とりあえずモロッコではフランス語が通じる。ちょっとだけ挨拶めいた言葉を口にしてみたけど首をかしげ困ったような顔をした。いきなり写真を撮るのも失礼だろうと思い、カメラはカバンに収めた。ぼくは手振りで「洗濯しているの?」と訊いてみた。うんうんと彼女は頷いた。

●雨上がりらしい強い日差しが辺りを真っ白く照らし出した。彼女の白い衣装はいっそう輝きを増し、何か神々しいものに出会ったかのような感慨を覚えた。

●しばし、その姿に見とれていると、ふとバスの出発の時刻が近づいてることに気付いた。戻らなければ。少女にサヨナラをする。バスの停車場に向かってちょっとだけ坂を降りたところから、また手を振ろうと思い、振り返った。あれ?、いない。どこに行ったんだろう。警戒されたのだろうか。

●坂をとぼとぼと降りつつ、ぼくは先ほどのことが本当の出来事だったのかどうか確信が持てなかった。雨上がりに虹が、すっと立つように、そして、すぐに消えてしまうように、何かの幻でも見たのではなかろうか?この角を曲がったら、もう振りかえっても再び彼女を見ることは出来ないだろう。ぼくはその角に立ち止まり、もう一度振り返った。

●白い大きな布をヒラヒラさせていた。布のせいで彼女の顔はよく見えなかったけど、ちゃんと笑っているように見えた。

●番組を見て、あの蒼い空、礫砂漠、土壁のカスバ、ナツメヤシを見ているうちに、ふと、そんなことを思い出した。何かのきっかけで、昔の記憶というのは、ずいぶん生々しく思い出すものなのだな。

●で、今日はちょっと横浜に所用があったので、ついでに、横浜そごうの中にある平木浮世絵美術館に行ってきた。展評、書きました。てなわけで、「ルナティック、静謐なる狂気」、月岡芳年『月百姿』展をアップ。

(09/11/1999)


「ボクの美意識のルーツ??」

●えっと、今日も先週のおはなし。すまん。日系ブラジル人の親戚とスコットランド人のスコット君と、箱根は強羅にある箱根美術館に行った時のこと。

●この箱根美術館というところは、数ある観光地型トホホ美術館のなかでも、なかなかのものであることは、前回、書いた。従姉はいま中華系マレーシア人のヒトと結婚して、メルボルンに住んでいる。ダンナさんは、日本の浮世絵や水墨画に目がないらしく、そのせいもあって、従姉はぼくがその手のコトが好きだとわかると、いろいろと質問をしてきた。

●まずは縄文土器。いわゆる火炎型の立派な土器があった。いまから5000年ほど前のもの。従姉は、これは中国の影響を受けているのか?と訊いてきた。縄文土器は、まずその形態からしてずいぶんと独特のものである。中国のトウテツ文の青銅器とは異なる美意識に貫かれている。おそらくは日本独自のものであるといってもよいだろうと答えた。続く弥生土器はすっきりのっぺりとしたデザイン、その薄い土器はある程度の高温で焼成したはず。こういった技術は何度となく大陸より訪れた人たちが伝えたものであろう。

●時代はずっと下って、いわゆる中・近世、磁器の時代にまでなると、そこにははっきりとした大陸の影響が見受けられる。というか、そもそも茶器などの世界では、そういった品々を尊ぶ向きもあったぐらいだ。従姉は、そんな陶磁器を見ては、ダンナさんの書斎で見たであろう中国陶磁の本に載ってるものと同じものであると言った。確かにその通り。

●では、「わび、さび」の器は、彼女の目にどう映るのであろうか?利休は、もちろん舶来品を見る目もあったが、たとえばちょっとひしゃげたカタチの茶器を「へうげもの」と言って愛でたりもして、どこか不完全で非対称なもの、そういったものを愛でる美意識を新たに見い出したヒトでもある(ま、これがすべて彼に端を発するというワケではないが)。日本の、このような、不完全でいびつな器を、どう思うか?と訊いてみた。彼女は、何か落ち着かない感じがする、と言っていた。なるほど。

●18才までサンパウロに育った従姉の母国語はポルトガル語である。日本語は家族や日系人社会では部分的に用いていた。では、精神的なルーツはいったいどんなものなのだろうか?宗教はぼくと同じくらいの無宗教である。父母も、特に仏教に帰依はしていない大方の日本人とおなじようなものだろう。ただ、たとえば、これはその晩の夕食時の聞いた話なのだが、いわゆる日本のアニミズム的宗教観、食べ物や石などにも神サマが宿っているというような感情は持ち合わせているらしい。おそらく父親が「ものや食べ物を大切にせよ」と諭す時に、そんな言い方をしたのであろう。それが染み着いているようだと彼女自身、自覚していた。

●ひるがえって、日本に生を受け、日本人として育ったからといって、皆が同じ様な美意識を持つワケではないということは、分かりすぎるぐらい分かり切った話だ。なおのこと血(遺伝子?)を受け継いでいるからといって、必ずしも日本において長らく醸成された美意識を持つわけでもない。結局のところ、所与のものとして生まれる前から存在する文化的環境といううヤツが、まず、美意識の雛形を作り、その後、彼・彼女が出会う諸々のモノによって個々人の趣味趣向が出来上がるのだろう。とまあ実に当然とも思えることを改めて考えたってとこです。

●一般論ではなく、ついでだからジブンのことについて考えてみる。ぼくが積極的に美術館通いをはじめたのは18の時。大学に入ってからだ。いまでは、このHPを見てもわかるとおり、ちょこちょこと感想を書いたりするぐらい絵が好きだ。では、いきなり(西洋)絵画を見るようになったのか?というとそうでもない。たとえば、その昔、小中学生の頃、ぼくはいわゆる天文少年というヤツで、星の本とかをよく読んでいて、星座にまつわる神話の本を開けば、そこには当時は誰の手によるいつ頃のものなのか微塵も意識してなかったけど、ギリシャ神話を題材にした絵がふんだんに載っていたものだ。大神ゼウスが白鳥に変身して全裸の美女レダにまとわりついてる絵など、ごくごく自然に接していたということになる。かといって、その当時の絵画体験なるものが、現在のジブンにどのように影を落としているのか、さっぱり自覚できない。あるといえばある、ないといえばない、そんなところか。ただ、そういった絵が、それが描かれうる時代や世界が在る(在った)と知っただけでも十分意味があったのかもしれない。

●じゃあ、いびつなカタチをした茶器はどうか?今でこそ、ぼくは、ワビ・サビが十分に分かるゼ!と言えるほどでもないけど、やはり「いいなぁ」とか「触りてぇ」と素直に思うことも確か。なんで、そんな風に感じるようになったのかは、分からない。目に見えぬカタチで張り巡らされた文化的環境とやらが、自然とそういった美意識を植え付けたのだろうか?とはいっても、そんな美意識を自覚しはじめたのは、やはり18才以降の話であって、結局は、そういった茶器を「見よう」と思ったからにほかならない。そもそも積極的にモノに接しなければそんな美意識にも気付きはしないのだ。修学旅行の退屈な京都・奈良の寺や仏像が、いまでは、すこぶる琴線に触れるのだ。まったくもって、よくワカラン。

●ん?なんだか支離滅裂の様相、、、。まあ、とどのつまり、たまたまジブンとは異なる文化的環境から訪れたヒト(でも血のつながりはある)と接して、あらためて「美意識とはなんぞや?」てな感じのことを考えたってことです。たまには、いいと思う。こういったことは。

(09/10/1999)


「箱根、石仏、硫化水素」

●えっと、今日も先週のおはなし。すまん。日系ブラジル人の親戚とスコットランド人、あとウチのオヤジを連れて箱根に行ったのは先月31日のこと。(8月26日の日記を参照)

●箱根を選んだのは、とりあえずウチから近いこと、富士山が見える、温泉がある、ブラジル、スコットランド、オーストラリアではあまりお目にかからないであろうナマの火山活動を体験できること、そんなところか。

●朝、早起き。通勤ラッシュ後の東名を抜け、小田原厚木道路、そして箱根へと至る。はじめは大涌谷。ガス、もくもく、鉱泉、グラグラ。なるほど、二人とも喜んでた。ちょっと風がつよくかったけど。そっか、硫化水素は、"hydrogen sulfide"って言うのか。一応、みな理系。温泉卵がなぜ黒くなるのか、その化学反応について話し合ったけど、結論は、"elementary chemistry"を既に忘れてしまったってこと(愚)。

●次いで山を下りて芦ノ湖周辺をドライブ。昼食をどこで取ろうか、父と相談。せっかくだから露天風呂があって大広間の休憩室があるようなところにしようと決定。元箱根より、強羅へと向かう。

●その途中、国道をちょっと速度オーバーで走るボクの目に、パァンと飛び込んできたものが、、、石塔だ!立派な石塔が三つ!そう、そうなのだ。ちょっと前の日記(8/30)、及び美術系コーナー(8/30)でも書いたとおり、ボクはにわかに石塔・石仏マニアなってしまったのだ。ホントは前夜に箱根のガイドブックを読み込み、石仏群があることはチェック済みだったけど、あまりにボクの趣味に走った選択でもあるし、時間の余裕がそれほど無かったので、石塔・石仏巡りには、ちょっと二の足を踏んでいたのだ。

●が、しかし、ボクのオヤジ、さすがfigaro77のオヤジである。何を隠そう、先日の石塔展のチケットを知人から貰い受けたのは他ならボクの父なのである。父は父で別の日に展覧会を見ていたということもあり、運転しながら見つけた石塔の話を振ると、「それでは戻って見よう」ということになった。

●箱根石仏群の歴史は、古くは13世紀半ばに遡る。箱根は言ってみれば関西から見れば関東の門と言えるだろう。江戸の関所は有名。ぼくにはまだ詳しい判別はつかないけど、この石仏群中の宝篋印塔などは関西風のものであるらしい。幕府が鎌倉に置かれてからというもの、関西の形式が遠く東国に伝わる時間も次第に短縮され、運慶の様式は12世紀末にはたどり着いている。だから13世紀とはいえ関西風の石塔があっても何ら不思議ではないのだが、長らくナタ彫りの伝統を固持した東国において、関東の門、箱根に、新たな時代の到来を告げる石塔が在ることはまことに興味深い。

●うむ、ちょっと話が逸れてしまったか。いや、しかし、石塔も石仏も、外で見るべきもんですねぇ。草が生い茂ってて風が吹きすさんでいる、そんな環境にこそ相応しい。伝曾我兄弟の墓とされる五輪塔なんか、そりゃ立派なもんです。をを、と感嘆の声をあげてしまった。それに、峻厳な崖に刻まれる石仏を見てると、はたしてここが日本なのか?という錯覚すら覚える。韓国南部の古都、慶州、もしくは、テレビや東洋美術史の授業のスライドで見た遠くシルクロードの磨崖仏すら彷彿とさせる。もう一度見に行くぞ。

●スコット君も従姉も、けっこう興味深く眺めてたみたい。そりゃ、そーでしょ。何と言ってもfigaro77さんの解説付きなんだから。「この石塔は、ブッディズムのコスモロジーを表している。下から、the earth、water、fire、wind、and air。古代ギリシャの哲学者が言うところの、世界を構成するエレメントと似ているでしょ、、」などなど。

●スコット君の故郷には、ケルトの遺跡がけっこう残っているらしい。そんな話を振ってみるた。スコットランドには、ケルト色濃いゲール語に由来する地名や言葉が多いと言ってた。そう、イングランドとスコットランドは、W杯のチームを別々に選出しているほど異なる文化的ルーツを持っているのだ。彼は、そんなことを誇らしく語っていた。

●ひととおり見終わった後、強羅へと向かう。露天風呂で汗を流し、昼食。またも、ツマミにはイカの塩辛。ちょっとだけのんびりして、同じく強羅にある箱根美術館に行った。普通、観光地にあるような美術館にはけっこうトホホなものが多いんだけど、ここは、なかなかのもの。縄文、弥生土器から、中世期の古常滑など、立派なやきものが数多く揃っていた。庭がまた素晴らしい。みっしりと分厚い苔がむしていた。

●とまあ、そんな感じの箱根日帰り旅行でした。かなりボクの趣味にはしった行き先選択であったけど、やっぱ、連れてく本人がまずは楽しめないとダメでしょ、とかなんとか勝手な理由を付けたりもするが、とにかく結果オーライ。二人とも実に喜んでくれたし。

(09/08/1999)


「スコットランド人はイカの塩辛が好きか?」

●えっと、今日も先週のおはなし。日系ブラジル人の親戚とスコットランド人がウチに泊まってて、箱根とかに連れて行くとかいう話を先月の30日に書いたけど、そのスコットランド人、とりあえずスコット君(27才)と呼ぶが、彼がなかなか面白いヤツなのだ。

●日本の食べ物、大好きである。デパートや土産物屋の試食品は、必ずと言っていいほど口にする。なかでもお気に入りはイカの塩辛。マジかよ、と思ったが、「ウ〜ン、コレは昨日食べたヤツと味が違うな」とか「チリ(唐辛子)が入ってるヤツ、美味しいな」とか言うのだ。我が家の夕食でもパクパク食べる。馴れぬ手つきで箸を操り、おかわりする始末。

●大体、スコット君は食べ物に関しては特に好奇心旺盛なようだ。彼がオーストラリアに来てからほぼ1年経つらしいが、その間にもアボリジニの住んでるようなところに行っては、アリの蜜を吸ったり、何か知らぬが虫を食べたりしてる。「食べてみなくちゃ、美味しいかどうか分からないじゃないか」というのが彼の持論。あまり口を開かないスコットランド訛りで涼しげな顔をして、そんなことを言ってた。

●奈良でも同様に試食を楽しんでいたらしいが、ひとつ彼が辟易した食べ物があった。梅干しである。が、事情をよく聞いてみると、なんと彼は丸々一個、大きな梅干しを口に放りこんだらしい。そりゃいくらなんでも薄味でもない限り食えんだろ。ご飯と一緒に少しずつ食べるのだと教えてあげた。

●味噌汁にはいたく感動、すき焼きの肉はオレの分まで喰っちゃうし、生姜たっぷりの冷や奴にパクつき、寿司にはワサビをこんもりと塗り付けて美味そうに食べる。これじゃいくらなんでもオーストラリアに戻ってから日本食が恋しかろうと思い、イカの塩辛の作り方を教えてあげた。メルボルンのヴィクトリア・マーケットで、はたして新鮮なイカが丸ごと手に入るかどうか知らないが、とりあえず、作り方は簡単だし、どうにかなるでしょ。腹ワタが命だゾ、スコット君。

●で、唐突に美術系コーナーを更新。「ピカビア展」、模索と変遷に脈絡はあるのか?@伊勢丹美術館をアップするなり。この人に回顧展、はじめてだ。最近、フランス近代モノが多いなあ。

(09/07/1999)


「電子・即興・音楽・おしゃべり」

●ありゃ、また前回の日記(?)から、ずいぶんと間が空いてしまった。

●とりあえず、先々週の日曜日、8月29日のWINDS CAFE、、 【ARGO back to WINDS CAFE】出演:即興音楽グループ「ARGO」のライブについて。

●プロフィールを見てもわかる通り、ボクはあまりこの手の音楽を聴かない。 だから、まま、とんちんかんな物言いが散見されると思うけど、そこは平に御容赦。 「この手の」というのは、簡単に言えばナマ楽器の演奏であるか否かということ。 クラシック音楽とかいう分野では、よほど現代モノでもないかぎり、電気仕掛けの楽器は 用いられない。比較的、古い電子楽器といえば、オンドマルトノぐらいなものか。 オリヴィエ・メシアンが使ってるようなヤツ。

●てなわけで、ちょっと虎の巻でも、、と「InterCommunication」のバックナンバー、「音=楽 テクノロジー」を参照しちゃおうかなと思ったけど、無知に上塗りしてもしょうがないので 止めた。

●一応、ARGOの基本的楽器編成、シンセ、ギター、ドラムとなっている。 しかし、どれもこれも、鍵盤、ドラムスティック、弦という、ニンゲン→音出しへの インターフェースは、単なるアリバイに過ぎず、様々な電子・デジタル機器による 音信号の変成が、音の発生そのものを極めてデラシネされた行為と している。こんなことは、こういう楽器に親しんでるヒトにとっては別に不思議にも 思わないだろう。しかし、アコースティックな楽器だと、楽器の属性=音なのだ。 まあ、当たり前と言えば当たり前。現代美術の文脈でいえば、ローリー・アンダーソンの パフォーマンスを想起すればいい。

●音という音、音楽という音楽は、フーリエ変換を持ち出すまでもなく、すべからく正弦波の 重ね合わせに過ぎないと言ってしまおう。たとえ、それが、ドラムの音であっても、デルタ関数 はフーリエ変換出来るのだ。すべて、基底となる波の、その重ね合わせであるのだから、 音という音に差異は無い。ヒトの動作→音の変成→聴取、実際のライブ演奏に接しつつ、 そんな場違いなコトを考えていた。

●「即興」であるという話である。「おしゃべり」あるとも言っていた。なるほど、 ヒトはふつうおしゃべりをする時、何らかの青写真があるだろうか?楽しいおしゃべりというのは、 お互いがお互いのことをよく知った上で(あるいはよく知ろうと思ってる上で)、はじめて 可能となるものだ。こうすれば、こういう反応がある、というよりは、こんなフレーズを 鳴らせば、こんなフレーズを返してやろう、という相互の小気味良い「裏切り」が、 音楽そのものを楽しくさせる。ライブでは、ことのほか演奏者の姿が見えるというメリット がある。三者の目配せ、不敵な笑み、上体の揺れなどなどが、細長い不等辺三角形を成し、 相互にやり取りされる。ぼく(たち)には、その三角形に入り込む余地は無い(例外、赤ん坊の泣き声(笑))。ただ、享受するのみである。

●次に誰がどう出るか、それが全くわからず、ひたすら音楽が「繰り広げられる」。 即興で「繰り広げ」、随所に小気味良い「裏切り」を配し、とぎれること無くおしゃべりが続けられていく。 電子なんとかだのサンプリングだのといっても、結局のところ、音として立ち現れるのは、 ほかならぬ身体性というヤツである。個々人の技術である。耳に慣れぬ音楽ではあったが、 このライブ、その身体性・技術とやらに対する驚きの連続であったことは確か。

(09/06/1999)



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