散歩系

(過去ログ)
2001年5月

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雑木林や川辺や海や山の散策雑記。
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※は、ムシが苦手なヒトは見ないこと。


「細くて黄色っぽいキシ麺がミミズに捲き付く」

●雨音が聞こえなくなったので外に出てみると、そぼ降る霧雨。少しだけ雨支度をして散策。材木チップを敷き詰めた散策路は今のところ水はけもよく、雨が降っても気にせず歩くことができる。しっとりと湿って、柔らかな踏み応え。枝葉から落ちる雨滴の音も心地よい。雨だからといって散策を控えなくてよかったと思う瞬間。

●などとしんみり感慨にふけりつつ歩いていると、足下に、細くて黄色っぽいキシ麺のようなものが、つつーっ、ぴろろ、と動くのに気付く。奔放かつ脈絡なく蠢く黄色い細い筋は、またも食べ物に喩えて恐縮だが、熱いトーストの上の融けたチーズのように無茶に伸びたりもする。

●その姿、動きに何らかの目的があることに気付いたのは、絡みつく先に色ツヤの良いてっぷりと太ったミミズを認めたからだ。その力の程は察するよりほかないが、ミミズは次第に激しくもがき始めたから、よほどのことなのだろう。まるで窒息させるかのように密に捲きついている。しかし、その黄色いヒモとやらの端がどこだかわからない。一端はわかるが、もう一端がわからない。しばし凝視の後、落ち着きをはらって何かを検分するかのごとく動くイチョウの葉のような形をした”端”をやっと見つけた。 ←見ないほうがいいよ、苦手なひと。あるいはお口直しに雨に濡れた花菖蒲でも見てください→

●そいつを一目認めた時から、ぼくは、とある生き物の名前を想起していた。ミスジコウガイビルである。去年の末頃、生き物関連のことについてネット検索をしていたときに、なにかの拍子に辿り着いたところが、コウガイビルという奇妙な生き物に特化したサイトだったのだ。夜の都内の公園というあまりに身近な場所で、人知れず蠢きまわる生き物の奇妙さ不気味さにひどく驚き、その名を鮮明に覚えていた。

●その名について少し書こう。ミスジは三筋だが、コウガイとはいったい何か?郊外でも口蓋でもない。笄と書く(IMEで変換されるんだ)。細長くて扁平のヘラのようなもの。結わい上げた髪に挿したりする。浮世絵の美人画などでよく見かけるものだ。その具のなぞらえたようだが、そもそも笄なるもの、日常生活で接するものでもないので実感はない。両端はなんとなくイチョウの葉の形に似る。

●ヒルかといえば蛭ではない。分類学上では扁形動物に属するというからプラナリアに近い。口らしい口は、その頭部らしい頭部にはなく、ひょろ長い体の中央部にあるという。消化管はというと前に一筋、後ろに一筋あり、三岐腸類という分類の要になっている。ぼくが見つけた通り、肉食。ミミズやカタツムリを襲って食べているという。

●今日は実に奇妙なものを見た、ということも半ば忘れて、昼間に買い求めた本を読んでいた夜中、もう一度びっくりした。思いがけぬところで、ミスジコウガイビルに出会ってしまった。日野啓三の新刊『梯の立つ都市 冥府と永遠の花』(集英社)のとある一章には、この不気味な生き物に出くわし、衝動的に恐怖を覚え、傘の切っ先で闇雲に寸断し始める著者の当惑と呪詛の念が描かれている。このところ氏の小説やエッセイには、ガン手術前後の意識の変容を主題とした話が多い(というか日野啓三はいつだって意識の変容について書いているけど)。術後の回復に思う自分の体の不確かで不気味な回復力に、寸断されてもなお生き続けるミスジコウガイビルの同じく不確かで不気味な生命力を重ねていることを渋々認めているところが、ほのかに可笑しい。

■ああ、このサイトだ、KGB。改めて敬意をこめて爆笑。素晴らしすぎる。

(2001/05/31)


「明るい林縁と木漏れ日の下」

●とても明るい朝。池のほとりの岩の上にゴイサギ。ここで見るのは初めてかも。横浜線の乗り、鶴見川に目をやると時折見かけるが。ここには何しに来たんだろう。とくに食餌をとることもなく立ち去ってしまった。

●林縁の朝日降り注ぐ葉上には、カナヘビが待機。日当りもいいし寒くもない。ウォーミングアップは済んでいる。ハエとかを待ち伏せしているのだろう。あの目に入り込もうとするハエたちを喰らってくれるのなら大歓迎。棒杭の上にはシオヤトンボ?、近づくとちょっとだけ飛び上がり、くるっと軽くひと回りした後、すぐまた棒杭の上にとまる。

●一方、森の小径はひんやりと暗い。ところどころ木漏れ日が落ちる程度。その木漏れ日に鮮やかに橙色に色付くキノコ。高さ5cmほど。傘はまあるく、細かいボツボツがある。図鑑で絵合わせする限り、コガネタケに似る。食用となるらしいが、黄色味の強いものは毒があるという。そんな博打みたいなもん、食えるのか。スギ・ヒノキの林床にはカエル。近くには斜面から染み出した水が流れていて、いつも湿っぽい場所。まだまだ小さい、体長3cmに満たない。

●「蜘蛛の子を散らす」という言葉があるが、まさにその光景に出くわした。はじめ2ヶ所にかたまっていた子クモが「蜘蛛の子を散らすように」散っていった(?)。それにしても子沢山の蜘蛛だ。なんという蜘蛛だろう。

(2001/05/28)


「自転車を買った」

●昨日、自転車を買った。きれいな青のマウンテンバイク。じぶん専用の自転車なんて久しぶりだ。嬉しくて楽しくて、今日はいちにち中、走り回っていた。砂利道や林道っぽいところを自由に走り回れるってとこがいい。ちなみにいつも散策している四季の森公園は自転車による走行は禁止。幸い、近所にはこの手の自転車で走って楽しい道がたくさんある。とても自然に行動範囲が広がっていくのが実感できる。新治の森まで歩くのはけっこうカッタルイが、自転車なら、すぐだ。

●自転車ってのはふつうに乗る分には何の気遣いもいらないけれど、路面の状況が悪いところでは、なによりバランスが重要なんだなと思った。きつい登りの山道をきちんと登っていくには、前輪にしっかりと重心をかけ、なおかつ細かい凹凸に応じて体重移動をしてペダル負荷を調節しないと、すぐに倒れてしまうとか。降りは降りで、膝から下をうまく使って路面からの衝撃を吸収しつつ、不意のブレーキに備えて、重心をぐっと後ろに引くとか。MTBってのはホイルベースが短く重心が高い。悪路では、太いタイヤだからといって慢心しているとすぐにバランスを崩してしまう。ロードはもっとシビアだと思うけど。

●いまは、とにかく、自転車ってのは自由な乗り物だということをひしひしと実感しているところ。

(2001/05/27)


「緋色のアブとか、畑の花とか」

●曇り。まったりと蒸し暑い。草むらにハナムグリ。つついてもあまり反応が無い。肢が片方もげている。アブラムシのミイラ(?)が近くにいるけど、たまたまのことだろう。アブラムシといえば、あの赤いアブラムシは健康そうな草にはどれにも大発生している。みな、下向きなのは何かワケでもあるのだろうか。茎の口吻を挿しやすいとか。アブラムシくらいのスケールだと植物体から組織液を掠め取るには、ヒトがストローでちゅうちゅう吸うのとはちょっと違ったメカニズムが必要なのかもしれない。あんなに小さくて口吻が細ければ、浸透圧やら毛細管現象なども顕著に効いてくるだろう。ヒトの血を吸う蚊の場合、血圧を利用できるが。

●勝手な想像。アブラムシの腹部に2本のアンテナのようなものがついてるけど、あれはアリに蜜のような液体を与えるのみならず、植物の組織液を吸い上げる際に、アンテナの先端からの蒸散作用を利用しているのではなかろうか。勝手な想像、おしまい。

●真っ赤なアブを見つけた。猩々〜とかいう名前がついていそうだが、手持ちの図鑑では名前はわからず。世間一般には、まだデジカメを撮影スタイルというものが浸透していないのだろう。今朝もこのアブを撮っている時に、どっかの散歩おじさんが、「ん?なにをやってるんだい?ふ〜ん、そんな風にして撮るのか〜、それって、あれ、パソコンとかなくちゃダメなのかな?ふ〜ん、で、何がいるんだい?」という感じで話し掛けてくる。「あ。はは。ええと、アブっていうかハエっていうか、真っ赤なんですよね、はは、珍しくて」とか言って誤魔化すのだが、やっぱり怪しいよな。十分。

●午後、ウチの畑に行く。親戚から借りてるところ。畑の周囲には適当に草が生えていて花が咲いている。ツルマンネングサの黄色い花とか。中国東北部、朝鮮半島由来の帰化植物らしい。あと、ヒルガオが適当に咲いている。

●畑には、まず、オレ様のビールのツマミになるサヤエンドウ。この時期、ちょっと間を置くとすぐ大きくなってしまう。さっさと摘んで食わないといけない。花はマメ科に多く見られる蝶形の花。こんな花を咲かせるんです。

●トマトも植えてある。黄色い花。ヘタの部分が容易に想像できるはず。キュウリはわかりやすい。花が咲いているそばから、その付け根はミニチュアのキュウリになっている。花を落としてから太る。これからしばらく、待ったなし、といった勢いで収穫があがる。さっさと食わないと追いつかなくなるのだ。

(2001/05/26)


「陸棲の貝、右巻き左巻き」

●林床はしっとりと濡れている。クリの切り株だろうか、木耳がびっしりと発生している。ぷよぷよと柔らかい。雨水を頼りに、木部のセルロースとリグリンをせっせと分解しているのだろう。その木耳を舐めるかのように這いずるカタツムリ。

●カタツムリとひと口に言っても、なんだかいろいろな種類がいるみたいだ。代表的なのはミスジマイマイというやつだが、本来、その名が示すとおり殻にはっきりとした3本筋があればいいけど、かなりのバリエーションがあるみたいだ。まったくランダムな個体変異というわけではなくて、数種類のパターンに分類できるらしい。ぼくが見つけたのは何だろう。木耳を舐めてるやつは殻の色と形が少し違う気がする。ウスカワマイマイとかいうものかもしれない。

●ほかにケヤキの幹を這うカタツムリを見つけたが、はっきりとした3本筋が見られない。一週間ほど前には、これぞ典型というミスジマイマイを見つけている。

●なかには、いかにも貝(?)という感じの陸棲の貝もいる。ナミギセルガイ。こんな貝らしい貝が木の幹を這っている。よーく見ると、こいつは他のカタツムリと巻き方が逆。定義では左巻きとなる。

●巻貝という巻貝は、そのほとんど、たしか9割が右巻きである。なぜかナミギセルガイは左巻き。巻き方の違いは卵細胞にまで遡る。細胞分裂の際、はじめの2分割、4分割までは、どちらも違いはないが、8分割に至る段階で、右巻き左巻きの違いが現れる。なぜ巻貝には右巻きが多いのか、というのも大いに疑問。

(2001/05/25)


「雨上がりの虫たち」

●雨は昼過ぎに止んだ。雨が上がると目立って鳥の鳴き声が聞こえてくる気がする。雨上がりに鳴くのか、それとも雨音にかき消されていたのだろうか。

●木々の葉や梢から雨水が滴り落ちてくる。木の幹は雨に濡れ黒々としている。蛾がとても目立つ。ヤマボウシの葉にこのところよく見かける大きな毛虫。鮮やかな緑色で毛が密生、脇に黄色い筋がある。体長7cmくらいはあるだろうか。印象としては、ずいぶん太くてでかい。手持ちの図鑑ではヒメヤママユに似る。ヒメヤママユはミズキを食樹のひとつとするらしい。ヤマボウシはミズキ科ミズキ属だから、案外、そうなのかもしれない。水したたる葉をもぐもぐと食べている。

●幼虫は何度か見かけたアカスジキンカメムシ、今日はその成虫を見つけた。金属光沢の緑地に赤い模様、とても印象的な色彩だ。雨がちでどんよりとした空の下、おまけに森の中においても、なかなか目を惹くデザインだ。

(2001/05/24)


「睡蓮とドクダミ」

●雨がちのこの頃、葦原の脇のわずかな湿地に睡蓮が咲いた。思えばその場所に水が溜まりはじめたのは春の長雨の後、ヒキガエルがさかんに卵を産んだ頃のこと。泥の上にまるで血の色をした若葉を覗かせたのは睡蓮だった。湿地は泥水をたたえ、睡蓮はその円い葉をいつのまにか一面に広げたのだった。そして、雨の中、花を咲かせた。

●モネは夥しい数の睡蓮の絵を描いたが、はたしてそれらは強い陽射しにあらわにされた姿だったろうか。水面はとりとめもなく青紫色に昏く、薄靄に輪郭をほどかれた睡蓮の花が浮かぶ。彼の手によるジベルニーの「日本風」庭園を、晴れ空の下、歩いてみれば、あるいは別の感慨が得られるかもしれないが、少なくとも彼がキャンバスに切り取った睡蓮浮かぶ池には強い陽射しとやらは感じられない。そこにあるのは大気の湿潤だ(なぜか池にかかるはずの太鼓橋や柳の絵には日が差している、ような記憶がある)。睡蓮の開花がちょうど雨が多い時期に重なるためかもしれない。

●道端のドクダミも咲き始めた。ドクダミもまた、ちょっと前まで血管が浮き出たような若葉を広げていた。葉緑素を準備できていなかったのか、それともアントシアンのような糖分由来の色素が勝っていたためだろうか。今ではそこそこの背丈になり、思い切り繁茂している。しゃがみこんでみて、ふと気付いたのだが、ずいぶん長い間、ドクダミの臭いを嗅いでいなかった。子供の頃には臭くて臭くてイヤだった記憶があるのだが、今ではそんな風に感じない。悪臭というよりは、薬臭いといったところか。ドクダミの葉を乾燥した後に煮出し、茶や化粧水にするというのも、なんとなく納得がいく。

(2001/05/23)


「不覚にも愛らしいヒナ」

●どんよりと曇った夕刻に散策。池が何やら賑やか。ぴぃぴぃぴぃと、弱々しくてか細い不揃いな鳴き声が聞こえてきた。カルガモのヒナか。ぜんぶで11羽もいる。さっきまで先頭を率いていた親鳥を追い越してしまい目標を見失ったせいか、きゅるきゅると細かに右往左往しつつも、しっかりと寄り集まっている。

●思わず「かわいい」と思ってしまった。10年近く前にカルガモの引越とかいう話題がワイドショーやニュース番組で盛り上がっていたことがあった。あの時は、けっ。くだらん。と思ってた。しかし、いざ、ぴぃぴぃと右往左往するヒナを目の当たりにすると、これがどうにもかわいい。細かな動きがなんとも愛らしい。ふだん、こんな感情を抱く機会がさっぱりないせいか、「愛らしい」などと思う自分にびっくりしてしまった。

(2001/05/22)


「土塊を運び出す」

●伊豆から帰って来たのは12時過ぎくらい。伊東あたりでラーメン食べたりして(美味い)、ちんたらしすぎた。疲れもたまり、昼過ぎにだらだらと起き上がる。夕方、散策にでかける。

●ハルジョオンの盛期は過ぎ、そろそろヒメジョオンが背を伸ばしてくる頃。この公園ではこの時期に草刈りをするようなので、せっかく伸び始めたヒメジョオンもいっっしょに刈られてしまう。この花の蜜を期待していた虫たちは、困ってしまうだろう。

●雑木林の地面、ちょっと固めの地面に直径3mmほどの小さな穴がたくさんあいている。東京ヒメハンミョウの巣穴かと思って細枝を差し込んだが、反応はなし。と、その時、ちょっと大きめの穴からぶんぶん羽音が聞こえてきた。そのままじっと眺めていると、ジガバチが何度も土くれを運び出してくる。蛾や蝶の幼虫を運び込み、卵を産み付けるつもりなのだろう。土塊を抱え、穴からは後ろ向きに出てくる。すぐそばに土塊を捨てればいいものを、なぜか、ちょっと離れたところまで運んでいく。臭いなどで外敵を誘い込まぬよう警戒しているのだろうか。何度も何度も繰り返す。甲斐甲斐しくもある。

●夕日も落ちようという頃、エサキモンキツノカメムシの交尾を見つける。じーっと動かない。動かない。と、思ったら突然、片方が飛び立ってしまった。残された一方はまるで事切れたかのよう。どちらがオスメス?

(2001/05/20)


「突発的南伊豆行」

●金曜日の夜10時過ぎ、さてそろそろ仕事を切り上げるかというところ、友人より電話、「あ、今からさぁ、伊豆行かない?」という誘いに即答で承諾。早速、身支度、30分後にはクルマに乗っていた。伊豆高原にある友人の別荘に泊まる。

●早起きして近所を散歩。ヤマガラのさえずりが爽やか。乳白色の薄霧はすぐに晴れ、五月らしい陽射しが降り注ぐ。ひとことで言うなら、気候は完璧。空気はさらっと爽やかで、車窓に飛び込む風がひたすら心地よい。紺碧の海に伊豆大島がゆったりと横たわっている。国道を南下するにつれ、山々の緑に生気が漲ってくる感じ。ミズキやクスノキの花が咲いているようだ。艶やかな濃い緑と鮮やかな淡い緑のパッチワーク。まず、下田より南、爪木崎に向かう。

●海岸まで森の中を歩く。頭上を覆う枝葉はまるでトンネルのよう。そのトンネルの向こうの浜辺が眩しい。珊瑚質の砂は、ここ伊豆半島が地質学的には南洋起源であることを示している。これだから南伊豆大好き。

●海岸沿いの砂地、迫る崖、時に波しぶきが洗うであろう岩には、様々な海浜性の植物たち。葉の厚いもの、ツヤのあるもの、ほふく性のものなどなど、潮や強い陽射しから身を護り、わずかな養分・水分を確保するよう適応した植物が数多く見られる。他種との競争というより、厳しい環境との勝負に臨んだ結果が今ある彼らの姿を作り出した。その名に「ハマ」を冠する植物が多い。砂利の上にはハマボッス、ハマヒルガオ、ハマダイコン、ハマエンドウが咲く。

●崖に目を転じよう。長年の侵食による切り立った崖には、ところどころ水が染み出ている。崖の上の森から染み込んできた雨水だろう。モンキアゲハが吸水に来ている。ここにはシャリンバイとおぼしき白い小さな花が咲いている。崖の上から這い出るように延びているのはハイネズだろう。若い球果をつけている。針葉樹の多くは恐竜がのし歩いている頃、ひたすら背丈を伸ばす方向に進化したが、なかにはヒカゲノカズラのように地を這うことを選んだものがあった。ハイネズはどうだろう。一度は天を目指したが、ふたたび地を這うことを選んだろうだろうか。高山帯にも見られるのは強風などの厳しい環境に耐えられるからか。ほかにオニヤブソテツというシダ植物が生えている。シダというと日陰がちで湿った場所を好むものと思っていたが、これは違うようだ。

●海岸に転がる岩、岩礁にも、こびりつくように自生する植物がいる。花が見られたのは、ツルナと思しきもの。ごく小さな地味な花をつけている。岩の上といっても、その表面には大きな凸凹もあり、窪みにはうっすらと砂利が溜まっている。その砂利に目敏く根を張っているのがツルナとイソギクだ。イソギクの花期は秋なので、いまは蕾のきざしも見られない。もっと逞しく根を張っているのはタイトゴメか。肉厚な葉はまるで小さなサボテンだ。砂利らしい砂利もないところでも、しっかりとこびりついている。

●陽射しの強さは、真夏以上ともいえる。しかし海水温はまだ春だ。シュノーケリングの準備をして海に足を浸すも、あまりの冷たさに10秒と耐えられない。それを何度か繰り返しているうちに、少しずつじぶんの感覚を欺けるようになってきた。思い切って全身を海水に浸してみる。耳の奥がキンキンと疼く。ひと掻きふた掻きして、ようやく目に映るものを把握出来るようになった。サカナはあまり見られない。ベラがちらほら。大きな褐藻類が揺れる。ここにはアマモも自生しているようだ。千切れかかったものを浜辺に引き上げた。カジメにアラメにウミウチワ、そしてアマモ。アマモは藻類ではなく種子植物。花を咲かせ種子で増える。地上の植物の起源は海の中の緑藻類だ。はじめはコケのように地を這う植物だったはず。それらがシダ植物、裸子植物に進化して、やがて被子植物が現れた。そんな中、アマモの仲間はいつしか生育の場を海の中に戻してしまった。まるでイルカやクジラのようだ。

●爪木崎を後にし、温泉に浸かったりして半島の南端をぐるり。石廊崎、松崎、仲木に立ち寄る。石廊崎の絶景、松崎のお花畑のアサギマダラ、仲木の磯に打ち上げられた電気クラゲ(カツオノエボシ)をご覧あれ。

(2001/05/19)


「ムシから見た世界」

●ムシから見た世界というのは、いったいどんなものなのだろう。無数の複眼で眺められた世界ではなく、ムシという小さなスケールでは世界はどのようにして見えるか、である。たとえばアリにとってのカブトムシは、人にとっての象のようなものだ。ムシたちの視点でムシたちのスケールでモノを見たいと思った。

●理屈の上では、超広角レンズで接写が出来て、なおかつ被写界深度(ピントが合う距離範囲)が抜群に深ければいい。映画「スターウォーズ」での特撮を思い浮かべてみよう。小さな模型がスターデストロイヤーとかいう馬鹿でかい宇宙船に化けている。あれと同じようなことをすればいい。

●魚眼レンズを使えばいいのかもしれないが、デジカメ用は結構安いとはいえ、そこまで投資することには二の足を踏んでしまう。なにか良い方法はないかと考えていたところ、玄関のドアに取り付ける来客確認用の覗き穴(?)が、ふと思い浮かんだ。というわけで、このレンズを買ってきた。1200円くらい。あとはこいつをデジカメに取り付ければいい。フィルムケースに穴を開けて覗き穴レンズを嵌め込み、フィルムケースごとデジカメ用アタプタ―に取り付ける。で、完成品。

●視野は180度近くある。被写界深度はどうだろう。被写体がレンズに接しても撮影できるが、絞り込まなくてはならない。光量が十分ならば撮影可能。魚眼レンズなわけで、視野は丸い。さっそくいろいろ撮ってみた。まずガガンボ。大きさ4センチくらい。ガガンボの長い足がレンズに触れても逃げない。背景の木の葉もいちおう写ってる。

●モンシロチョウを斜め後ろから撮ってみる。背景の竹垣がエッシャーの絵みたいに歪んでいるのは魚眼レンズの特性。

●ヒメシロコブゾウムシはどうだろう。体長12mmくらい。こいつら、こういう時に限ってちょこまか動き回る。木陰なので光量不足なので仕方なく絞り開放で撮影。レンズ先に触れるくらいの距離で撮ってもゾウムシくらいのスケールならば合焦する。

●まあなんとか、それらしい写真は撮れた。問題点もいくつか。魚眼レンズの場合、対象を大きく写そうとして、レンズが触れるくらいの距離まで近づいてもそれほど大きくならない。作業距離(ワーキング・ディスタンス)がゼロというのは、動き回るムシたちを相手にしては大きなデメリット。なにか他の方法を考えなくては。

(2001/05/17)


「雨上がりの森の匂い」

●昨夜の強い雨は上がった。森を歩くと葉から落ちるしずく、葉に落ちるしずくが絶えず響き渡ってくる。木々の肌は濡れてつややかに黒く光り、足下には俄かの雨水が幾筋もの流紋を残している。そして、匂い。雨上がりの森の匂い。

●咲きかけの鳴子百合は雨に打たれたせいか、それとも自らの鳴子が重いのか、ずいぶんと傾いでいる。

●ハンノキの葉に瑠璃色のジョウカイボン。茶色や黒といった地味めなヤツが多いが、こいつはなかなかいい色、いいデザインだ。アオジョウカイだろう。肉食の彼らのこと、雨上がりに早速、獲物を探しに出て来たのかも。

(2001/05/16)


「湿った空気に白い花、カエル」

●しっとりと湿り気のある風が吹く。沖縄を過ぎて温帯低気圧に替わった台風の影響だ。いくつか樹の花が咲く。ガマズミやエゴノキ、そしてマユミだ。下向きに咲くエゴノキの花は可憐で奥ゆかしくて好きだ。マユミの花にはアカスジキンカメムシの幼虫?

●いままで声ばかりだったカエルも、この湿った空気に誘われて姿を現したのだろうか。茶色と緑色。ヤマアカガエルと、もう片方はなんだろう。背にはわずかに斑紋が浮かぶ。いずれにしろなんとかアオガエル。手足を隠して憮然としている様が滑稽だ。乾燥を防いでいるのだろうか。

●夜には、強い雨。亜熱帯の空気が、むわわん。

(2001/05/15)


「真紅のアブラムシ、ヘビの器用な渡り」

●真っ赤なアブラムシがハルジオンの茎にびっしり。みんな下を向いているのは何か訳があるのだろうか。口吻を突き刺し易いとか。草の緑に真紅の体はよく映える。

●池の淵の一角が棒杭で仕切られている。その棒杭の上をヘビが器用に渡っていった。するするすると。それを見ていると、棒杭の隙間をカルガモすり抜けようと近づいてきた。ヘビに気付いて何らかの反応を見せるだろうか?固唾を飲んで待っていると、とくに驚いた素振りは見せずに引き返し、べつに隙間をすり抜けて行ってしまった。「あれ?なにかヤバイもんを見たような気がするけど、気のせいかな?まあいいや」ぐらいの僅かな当惑の表情(?)。棒杭の太さは15cmくらい、ヘビの全長はさしわたし棒杭8本分くらいある。1m20cmというところだろう。紋様が見られる。アオダイショウの幼蛇だろうか。もっと大きくなるはず。

(2001/05/14)


「黄色い装甲」

●新治市民の森へ出かける。クヌギの幹にオオスズメバチ、2匹。力を合わせて巣づくり?巣探し?もう一匹飛んで来たがすぐに追い返されてしまった。とにかくでかい蜂だ。デジカメを手にした腕を恐る恐る伸ばす。一眼レフのようにファインダーを覗くタイプのカメラだと、こうはいくまい。身の危険をダイレクトに感じる昆虫のひとつ。

●散策路脇の草花を丁寧に見ながら歩いている時、とある老人に話し掛けられた。昔の森の様子を聞く。30年くらい前には、クマガイソウが群生していたが、いまはまったく見られない。キンランやギンランもめっきり減った。シュンランもわざわざ気にとめることもないくらい、たくさん咲いていた。シュンランはふつう一株にひとつの花が咲く。ごく稀に「二つ花」が咲く。10年ちょっと前、二つ花は一株10万円の値がつき、その高値ゆえ盗掘の標的になった。そんな話だった。草の合い間にひっそり咲いているのを眺めるのがいいのにねぇと何度も口にしながら。

(2001/05/13)


「林の陽だまりに蝶」

●朝から近所を歩き倒す。午前中には四季の森公園を散策。陽射しは強く、空気爽やか。ピクニックに訪れる人たちで賑わっている。気早な花菖蒲がちらほら咲き始めた。菖蒲田一面が紫や白でいっぱいになる日も近い。その頃には蛍も現れはじめるだろう。

●まわりを林に囲まれた広場の縁にハルジオンが咲き誇っている。散策路脇の雑草がどんどん刈られてしまっている今、そこのハルジオンもいつまでその陽だまりに咲いていられるかわからない。たけなわのハルジオンには、たくさんの蝶が訪れる。花にとりつき、幾度も幾度も口吻を挿し蜜を吸うダイミョウセセリ。翅を開いたままだ。チャマダラセセリと思しきものも吸蜜。飛び回るのがやたらと素早い。地面にはタテハチョウ科のイチモンジチョウ。ミネラルの溶け込んだ水分でも吸っているのだろうか。

●午前の散策を終え帰宅。昼食をとり再び出かける。四季の森公園を抜け、そのまま都筑の森へ。この森はいずれはズーラシア動物園に付設する森林公園となるはず。以前、現代美術の野外展覧会が催された。たしか横浜トリエンナーレとの連動開催だったと思う。今年もあるようだ。会場ボランティア募集の告知を市民センターで見かけた。

●林縁を囲むようにしてクズが蔓延り始めた。毛むくじゃらの蔓は絡みつく相手を探して方々に伸びている。そんな元気のよいクズに鶯色をしたマルカメムシがとりついていた。滋味深い七宝焼のようなツヤは、青く澄み渡った五月晴れの空をくっきりと映し出している。

■未来からのボヤキ)ああいつのまにかひづけがひとつきもおくれてしまったでもきのせいですよきっといやきのせいのわけがないとほほ。

(2001/05/12)


「五月蝿いヤツら」

●散策しているとき、よく見かける虫というと、最近ではでかいガガンボ、カメムシの幼虫あたりだろうか。あとシリアゲムシにも出くわす。あまり飛ぶのが上手でないのか、林縁の草むらの近くを歩くと、パラパラと不器用に飛び出すが、早足ですぐ追いついてしまう。腹部を反り上げた特徴的な止まり方、馬面が印象的。ほかのムシの死骸などを食べているらしい。ここではヤマトシリアゲが見られる。

●出会いたくなくても出会ってしまう、というより、いつもまとわり付かれて困っているのは、小さなハエ達だ。なぜ、あいつらは眼を狙うのだろう。ぼくがどちらに顔を向けようが、小走りで逃げようが、いつの間にか先回りして、ちょうど眼のあたりでぶんぶん飛び回るのだ。飛び回るだけでも十分鬱陶しいのに、あいつらというと頃合を見計らって目玉に飛び込んで来る始末。黒目・白目のパターンに反応するのか、それとも何か水気のようなものを感知しているのか。「うるさい」を「五月蝿い」とも綴るが、まったくその通り。水泳用のゴーグルをつけようか。確実に怪しいけど。

●クモもよく見かける。よくよく見ると、いろんなヤツがいるもんだ。まず、デザインとして、その多彩なバリエーションが面白い。昆虫より奇抜でアバンギャルド。そのうち、まとめて紹介するつもり。クモを撮影しているときに、細枝に擬態する何かの幼虫を見つけた。身の危険を察知すると、ぴんと突っ張る。こういった擬態を見破る(?)と、なんだか得した気分になる。

(2001/05/11)


「葉上の争奪」

●サシガメが葉っぱの上でちゅうちゅうと青虫の中身を啜っている。それを見てると、背後から、なにやら不穏な羽音がぶ〜んと近づいてきた。アシナガバチか。サシガメのいる葉っぱに立ち降り、青虫を引っ張りっこ。

●アゴでしっかりと青虫を掴んでいたアシナガバチの勝ち。サシガメは地団駄踏んで、悔しがってる(ようにみえる)。

(2001/05/10)


「ヤマボウシの半年」

●数日前からヤマボウシが咲き始めた。ハナミズキより遅いらしい。

●去年の12月、散策を始めた当初から、なぜかこのヤマボウシに愛着を持って見つづけてきた。真冬には堅く閉ざした赤黒い冬芽が印象的だった。吐く息白い朝、このヤマボウシの脇を走りすぎる時には、ほころんで葉を展げる姿なんて想像できなかった。春が近づくにつれて、枝先がわずかに上方へ向き、桜の散る頃からか、緊張を緩めるように、堅い結び目がほどけるように、ほころび始めた。柔らかく萌黄色だった若葉は、いつしか、しっかりとした葉脈を浮き立たせ、ハムシたちのご馳走となった。そしてあの十字形の花が咲いた。

●そんなサイクルは、どんな木々にしろ虫たちにしろ、毎年、当たり前のように繰り返していることだろう。何かしら深い感慨を得るとしたら、それは受け手の勝手な都合に他ならない。半年前と、今。自分を取りまく環境も大きく変わった。というより、変えた。円環の時間と螺旋の時間の違い、なのかも知れない。

●林縁には、タツナミソウが咲き始めた。その名は「立つ、浪」に因むのだろうか。色は違えど、北斎描くところの、どっと崩れる波に似る。

(2001/05/09)


「ブタナで世界征服」

●午後から雨が降る。散策には出かけてない。机の中をごそごそと整理していたら、綿毛がたくさん入っているフィルムケースを見つけた。以前、ヒトからもらったものだ。綿毛の正体は、たしかブタナの種子。タンポポに似たキク科の草花だ。とくに奇麗とか目立つところがあるわけではない。これをくれた女性には、世の中をブタナでいっぱいにするという野望があるらしい。彼女には申し訳ないが、ぼくはまだその野望の手伝いをしていない。しかしなぜ、ブタナなんだろう??

●デジカメのレンズ先にルーペを当てて、その綿毛を撮影した。ふつうに撮ってもつまらないので、綿毛の根元を真上から(?狙ってみた。コントラストは弱くなるけど、けっこう拡大出来るもんだ。大きさはタンポポの綿毛と同じくらい。倍率は20×。

(2001/05/08)


「命懸けで散歩」

●今日は、連休の名残惜しむかのように夏日、快晴。思えば、まるで散歩に命をかけた(?)かのような連休後半だった。とにかく歩きまくった。なんと不明な情熱。「命懸けで散歩」と書くと、差し迫ってるんだか、のどかなんだか、よくわからないけど、個人的には実にしっくりとくることばだなぁ。夕焼けがきれい。正しい夕焼け。

(2001/05/07)


「初夏の里山の虫たち」

●連休最終日、さすがに連休後半は歩き通しだったので、かなり疲れが溜まってしまった。午後3時頃、新治(にいはる)市民の森へ出かける。ここは、いつも歩いている四季の森公園に比べ、一見して植物相が単調に思える。四季の森公園の場合、さほど広くないスペースにわざわざいろんな植生ゾーンを配置し、散策路を効率よく整備しているから、そんなふうに感じるのだろう。新治市民の森は、いまだに現役の里山だ。営農地もある。ここがなかなか豊かな森を育んでいることは、昆虫達の賑やかさが証明している。

●ところどころ泥濘のある谷戸の脇の道を歩き、奥へ奥へと向かう。ハンノキ林の湿地を過ぎると、ここは本当に横浜市なのかと思えるほど緑が濃い。歩くそばから、トカゲがかさこそと逃げ去り、蝶が舞い立つ。蝶の行方を目で追う。クロヒカゲとコミスジだ。

●コミスジの飛び方はとても優雅だ。舞い方といってもいい。出来る限り、その名を示す翅の3筋の模様を見せるように飛ぶ。その羽ばたきのなかで、翅を水平にする時間が長いのだ。別のコミスジが近づくと、くるくると絡まりあうように飛ぶ。ぼくが見た限りでは、直後に別れてしまったが、おそらくパートナー探しをしているのだろう。それとも縄張り争いだろうか。

●イモムシ、ケムシも多い。いちいち写真に撮っていられないほど。なんの幼虫だかさっぱりわからない。比較的、特徴のある幼虫を撮影。縦筋に黄色・黒の幼虫がずいぶんしっかりと細枝を掴んでいる。スイバを勢い良く食べている毛むくじゃらも発見。こんな勢いで食べられてしまったら、スイバもたまらんだろう。けっこう大きな幼虫だ。数cmはある。シロヒトリの幼虫に似ている。

●四季の森公園では、カワトンボというと無色の翅の個体が多かったが、ここでは褐色の個体が見られた。青い金属光沢とのコントラストが美しい。黄色と黒のちょっと大きめなトンボも見つけた。オニヤンマよりはずっと小さいか。図鑑で絵合わせする限りには、ヤマサナエに似る。黒い複眼、背中や腹部先端の模様が一致する。人里の環境を好むところも同じだ。神奈川県東部では激減しているという。

(2001/05/06)


「五月上旬の草むら」

●葦原の畦の草むらでは、どんな草花が咲き誇っているか。ハルジョオン、ハハコグサ、チチコグサ、キュウリグサ、シロツメクサ、そしてニワゼキショウ(庭石菖)あたりだろう。ノアザミはまだ蕾。ニワゼキショウは明治の中ごろに園芸種として移入されたもの。花径2cm弱、ピンクや白、紫など、いろんな色がある。のちに逸出して広まったらしい。昨日の明治神宮内の広場でもずいぶん見かけた。

●咲き頃を半ば過ぎて花と種子を同時に見られるものは、オニタビラコ、タチイヌノフグリ、目立つほどではないがオオイヌノフグリ。オニタビラコの種子には冠毛がある。 オニタビラコと姿形が似ているヤブタビラコには、この冠毛がない。花が散ると総包の部分がぷくりと膨らむ。時折、キジバトが突付いている。イヌノフグリ類はその名の由来となったハート型の種子が見られる。

●カワトンボをまた見つけた。なにか獲物を捕らえたのだろう。葉っぱの上で口をもぐもぐさせている。やっぱり肉食なんだなぁと実感。

●バッタも見つけた。こいつは捕まえて顔を拝見。越冬したツチイナゴか。目の下に涙のような黒い線がある。びょんびょんと蹴り出す後脚の力強さに久しぶりに驚く。

●葦は伸びに伸び放題。葉っぱの縁には細かいトゲトゲがあり、気をつけないと手を切ってしまう。たしか石英質だったと思う。偏光顕微鏡で見ると面白いかも。コメツキムシがとまっていた。図鑑で絵合わせする限りにはシモフリコメツキだと思う。その名のとおり霜降だ。

(2001/05/05)


「都会の森の孤島」

●快晴、明治神宮の森を散策。この地の植生の自然遷移が行き着く姿である極相林を目指して、人工的に作られた森だ。照葉樹林の合い間に、どこか日本人好みのモミジや松が植えてあったりする。およそ百年弱の間に、周囲の緑地は激減し、結果、この森は孤島のように残された。このような履歴ゆえ、なかなか興味深い植物に出会える。

●ほの暗い参詣道脇の林床に、幽霊のような佇まいのギンリョウソウ(銀竜草)を見つけた。全体が真っ白。葉緑素をまったく持ち合わせていない。光合成を捨ててしまった植物だ。栄養分はもっぱら腐植土を頼りにしている。形ばかり残されたうろこ状の葉、ガクも花弁も真っ白の花。これでも何らかの昆虫に受粉の手助けをしてもらい、結実するのだろう。

●だだっ広い芝生の上には、我がもの顔のカラスたちが遊ぶ。連休だから人手はあるが、カラスも目立つ。足下の「名も無き」と言いたくなるほどの小さな草花に目を向けてみよう。ここには、イヌノフグリが咲いている。ふつう、ヨーロッパより帰化したオオイヌノフグリばかりが目に付くはず。あるいは花期・生育環境を同じくするタチイヌノフグリもよく見かけるはず。花径3mmほどのごくごく小さな花は、オオイヌノフグリ、タチイヌノフグリと違って、桃色をしている。気付かぬほど小さいせいもあるが、ここ以外ではまだお目にかかっていない。森が孤島のように残されたおかげで、都市部・郊外の急激な環境の変化から取り残されたのだろう。

●この森にはクスノキが多い。そのせいか、早くも多数のアオスジアゲハがハルジョオンの花畑を飛び交っていた。

(2001/05/04)


「青く光る波」

●夜中に金沢の海に行って来た。金沢といっても横浜市金沢区のことであって北陸の金沢ではない。その昔、明の時代の高僧が金沢の地の美しさに故郷を思い出し、とある詩を書いた。その詩に謳われた風光明媚な浜辺や岩礁は大規模な埋立てによって、ほぼ完全に失われてしまった。ぼくが生まれる少し前までは称名寺のすぐ先は波打ち際だったという。いまでは人工島である八景島が人を集めている。

●海の公園という人工の浜辺での出来事、波が青く光を発しているのだ。はじめそのあまりに明るく鮮やかな色彩に、なにか照明によるライトアップをしているのかと思ったほど。光は波頭で最も明るくなる。波が崩れるとすぐ光を失ってしまう。きっと酸素を必要とする光なのだろう。戯れに石や木片を投げ込んでみると、その一瞬だけ、青白く火花が散るように光を放つ。

●10年ほど前にフィリピンの海でナイトダイビングをしたときにも、発光現象に出くわしたが、あれはささやかなものだった。この金沢の海の光は違う。圧倒的に明るい。プランクトンだろう。ウミボタルではなく、夜光虫。赤潮の原因となったりするプランクトンだ。東京湾という内湾、富栄養の海、雨や日照、これらいくつかの要因が重なって、人工の”サーフ”で光り輝く。青い光そのものは無垢に美しいのだが。

(2001/05/03)


「タコのようなキノコ」

●この時期、南から北へと渡る鳥がこの森を通り過ぎることもあるだろうと思って、早朝に散策。冬と違って木々は葉に覆われ鳥の姿は見通せない。いくつか耳慣れぬ鳴き声も聞かれたが、それが何の鳴き声なのかわからない。なにかのヒナと思しき喧しい鳴き声が響き渡るほかは、いつもの面々と変わりはないのだろうか。

●昨日の雨は上がり、地面はしっとりと水を含んでいる。ほのかに立ち昇る樹の香、森の香は、土壌中の菌類が落ち葉を分解している証しだ。キノコの菌糸は強烈な酸でもって朽木や落ち葉のセルロース、リグリンを分解する。かれらの活躍なくして、それら丈夫な高分子の連なりを穏やかに絶つことは出来ない。穏やかでない方法とは、燃やしてしまうことだ。

●キノコをキノコとして気付くのは、キノコが子実体という繁殖器官を拵えてくれた時に限る。かれらの身体のほんの一部、菌糸のネットワークの氷山の一角が、ときに味覚の楽しみをもたらしてくれる。

●とはいうものの、その奇妙な形状にひたすら驚くしかないというキノコも多々ある。ツチグリの仲間もそのひとつ。戯画化されたタコのような形。直径2cmほどの球体が蛸足のような座に載っている。成熟すると球体のてっぺんに穴が開き、ホクホクと胞子を飛ばすという。

(2001/05/01)