La Magie de Fourier

La Magie de Fourier



フーリエの魔術


邂逅 ―― ポール・ボウルズの音楽


Latest Up Load !! (2000/4/16)

 たまたま、ポール・ボウルズを知ったのが、彼の手になる小説からだった。そのせいで、まず彼は作家であり、作曲という営みは、あくまで付随的なものであったと、ぼくはどこか、そう思い込んでいたふしがある。そんな先入観がたちどころに崩れたのが先週の金曜日の夜のこと。”カロローザ”という室内楽グループの演奏会での話だ。

 「2台のピアノのためのナイトワルツ」。とくに速くもなく遅くもないワルツのリズム、ワルツという言葉から連想する華やかなパーティーという情景は、しかし、浮かんではこない。ボウル・ルームの、ダンスの合間のひととき、和やかな談笑とカクテル・グラスが合わされる音から逃れて、壁越しに聴くワルツとでも言おうか。おそらくは、国際共同統治下におけるタンジェにおいて、夜毎、どこかで繰り返されたであろう夜会に対し、どこかシニカルに距離を置いたスタンスが感じられる。そういった、自分を世界の外側に置く姿勢、どこか彼の小説世界に繋がっているような気がする。その意味で、とても彼らしい作品。ぼくの貧しい耳ゆえ、あまり信用はおけないのだが、2台のピアノは、それぞれ、別の調になっていたのではなかろうか?ダリウス・ミョーが好んだ複調の音楽に聞えたのだが、気のせいだろうか。

 そして、「2台のピアノと管楽器、打楽器のためのコンチェルト」。冒頭、いきなり、なだれ落ちるような下降音階がかき鳴らされ、打楽器が喧騒を作りだし、管楽器群の雄たけびともいえる音が放たれる。中南米のメルカード(市場)のよう。原色の布地がそこかしこに吊るされ、芳香豊かな果実が並べられ、売り手の、そして、買い手の声に賑わう市場。猥雑とも思える喧騒の奥に、実に幻惑的なテクスチャーが現われる。息をつく余裕もないまま、そんな音世界が立ち上がった。この曲のオーケストラ版を聞いたことがあるのだが、今回の打楽器版の方が先に作られたものだ。とても、響きが鋭角的であり、複雑なテクスチャーは濁ることなく、耳に届けられる。この熱量に圧倒された。

 先年、物故したポール・ボウルズについては、以前、この日記系コーナーでも書いたので、少なからず重なるところもあるが、ここに書き記しておこう。まず世にもっとも知られた作品は小説『シェルタリング・スカイ』である。ベルトルッチの手により映画化がなされたからご存知の方も多いだろう、ボウルズ自身もわずかに出演している。1910年、裕福な歯科医の家庭に生まれ、幼い頃より音楽教育を受ける。17歳の時に、ヨーロッパのダダやシュルレアリスムに感化された詩作品を物し、それをパリの文芸誌に投稿。ガートルード・スタインは、このアメリカの無名の者が書いた詩をいち早く掲載した。スタイン自身は、ボウルズがてっきり老齢の詩人だと思ったらしいが、後にボウルズがパリに渡り実際に対面した折、若干十代の若者であったことに驚いたという逸話が残っている。異例ともいえる詩におけるデビューにもかかわらず、詩作は早くに捨ててしまったようだ。次にボウルズは、作曲家として、いちはやく名声を得た。コープランドに師事し、テネシー・ウイリアムズやオーソン・ウェルズなどのいくつかの舞台に音楽をつけている。しかし、そんな華やかな暮しもすぐに捨ててしまう。ラテンアメリカ、南アジア、ヨーロッパ、北アフリカと、節操の無い旅につぐ旅を続けた後、彼は、モロッコの港町、タンジェに腰を据えてしまう。この地で、多数の小説、翻訳作品が書かれ、その初期にはまだ精力的に作曲もしていたようだ。結局、彼は残りの生涯をモロッコで過ごすこととなる。

 モロッコに長らく住み、自身、北アフリカの民俗音楽の調査・収集にあたったという前知識のせいで、彼の音楽に、どこかアラブ色を期待するかもしれないが、そんなことはない。先にも少しだけ触れたが、このコンサートは、ぼくにとっての、ボウルズ音楽の初体験ではない。数年前、日本でCD化された、彼の作品集を所持しており、およそどんな作風かはそのCDを通じて知っていた。ちょっと耳にしたところでは、まず、コープランドの強い影響が感じられた。ヨーロッパ由来のアカデミズム、いわゆる主流にあたる音楽である。もし、彼の音楽に異国趣味の由来を探すならば、それは北アフリカよりは、むしろ、中南米に辿りつくだろう。この点においても、師であるコープランドの「エル・サロン・メヒコ」が想起されるのではなかろうか?このようなラテンアメリカの民俗音楽への趣向は、数多く見られる。メキシコのタマウリッパスとベラクルスに伝わる民俗舞踊を元にしたもの、コスタリカの谷間の村の音楽、メキシコ・インディオのクリスマスの儀礼音楽など、およそその趣向はラテンアメリカに行き着くだろう。

 今世紀のアメリカ音楽を顧みるに、まず、大きなふたつの流れがあることはご存知だろう。コープランドやヴァージル・トムソンといった主流たるアカデミズム、そして、ヘンリー・カウエルやジョン・ケージ、ルー・ハリソン、テリー・ライリーといった、いわゆる実験音楽の系譜。ボウルズの音楽は、師であるコープランドの影響のもとに、純粋な音楽留学というわけではないが、パリでも音楽修行を続けていることからも、実にまっとうな主流派と見なすことができよう。旅につぐ旅、その一部は、コープランドを伴った旅であり、ボウルズは、アメリカの主流に立脚しつつも異文化音楽の洗礼を受けた作曲家であるのだ。

 ここで気付くのは、彼の音楽および文学における「位置」に見受けられる類似点である。文学史的には、ロストジェネレーションとビートニクを繋ぐ存在でありつつも、長らく忘れられていた作家であり、近年になって、対抗文化たるビートニクの旗手らによって再評価を受けたところ。ロストジェネレーションといえばヘミングウェイやフィッツジェラルドが思い浮かぶ。ボウルズは世代的には彼らの末席に連なる作家である。と同時に、そこでの納まりが悪いのが、ボウルズ独特の小説世界ゆえであることはわかる。そして音楽の世界においても同様のことが起きた。アカデミズムの音楽に連なり、今世紀のアメリカを代表する作曲家としての位置を築いてもおかしくはないにもかかわらず、すっかり忘れ去られてしまい、長らく演奏される機会はほとんどなかった。彼の音楽を再発見は、図らずも、主流派たるアカデミズムの音楽への広義の対抗文化といえる実験音楽の作曲家ピーター・ガーランドによってなされたという点からも、ボウルズの文学/音楽に見られる、出自、忘却、再発見の一連の流れに、極めて類似の現象があったと言えるのではなかろうか。この類似は、ボウルズがアメリカという場から遠く離れたモロッコという地において長らく”流謫”の身にあったことが、まず解りやすい要因として挙げることが出来る。当然ながら、そういった外的要因が重要なのではなく、あくまで、彼が生み出した作品の内容を鑑みなければならない。文学においては、ここ日本でも彼の作品集が出版されるなど、比較的、受容の機会は増えたから、そのような作業も容易であろう。しかしながら、音楽の受容は、まだまだ文学と同様の状況に至っていない。

 ぼくは今回の演奏を聴いて、ボウルズという作曲家の音楽は、彼が作家であったという前知識なしに、充分に享受に値するクオリティを有していると改めて気付かされた。つまり、一部の小説好きがついでに耳にすればいいようなものでは決してなく、あくまで、音楽そのものに独立した充分な魅力が備わっているのだ。このコンサートのプログラム、前半部には、ぼくの好きなラヴェルやミョーのピアノ曲もあった。しかし、最後に聴いたボウルズの演奏に、そんなラヴェルやミョーが霞んでしまうほどの熱量を覚えた。ボウルズが作家であることを知らない人が聴いても、何ら違和感はないどころか、この耳慣れぬ作曲家に興味を持つのではなかろうか?もちろん、それを可能にするためには、演奏家の技量は不可欠であるけど、今回の演奏は、それを補って余りあるものだった。近い将来、「へぇ〜、ボウルズって小説も書いてるんだって」という声を、興奮冷めやらぬコンサートホールで耳に出来るよう、今後も、このような地道な作業が続けられることを願って止まない。

付記)今まで日記系コーナーに書いたボウルズ関係のテキスト→「孤独の洗礼」(1999/01/27),「ポール・ボウルズ追悼」(11/22/1999).


バッハのバッハと、マのバッハ


(1999/4/7)

 クラシック音楽というのは、それこそ大のムカシから、何度も何度も演奏されて、人々の耳とココロに感銘を与えたモノのみが連綿と聴きつがれていくものと思ったら、それはどうも違うようだ。

 バッハのマタイ受難曲などは、メンデルスゾーンが甦演して、かろうじて聴かれるようになったものだし、逆にサリエーリのように、当時ではモーツァルトよりも人気があった作曲家の作品が、今ではほとんど聴かれなかったり、、と、そういったことが往々にして起こりうる。少なくとも音楽を正しく評することにかけては人後に落ちなかったシューマンでさえも、これぞホンモノの音楽だと評価したもののうち、今でも聴かれるのは3分の1にも満たない(そのうちのひとりがベートーベン)。

 何を言いたいかというと、たとえ現在の我々にとって、どうしたって名曲中の名曲としか思えないようなものが、たびたび、ずっと埋もれたままということがあるのだ。たとえば、バッハの無伴奏チェロ組曲。

 だから、そのような音楽を発見し、価値を見い出し、じっくりと研究したのちに演奏の場で披露することは、「やったモン勝ち」と言えなくもない。とはいえ、それは誰がやっても同じ様なことが起きるかというと、全然、そうではなくて、やはり然るべき聴く耳を持ち、なおかつ十分に自家薬籠とする能力がなけらばいけないことは確か。パブロ・カザルスは、正にうってつけの音楽家だったと言っていいだろう。

 そう、少年時代のカザルスは、バルセロナでバッハの古びた一連の楽譜を、文字どおり「発掘」したのだ。まるでミケランジェロの彫刻のように、男性的で力強く彫塑された音楽を、現出せしめた。彼のすごいところは、それまでオーケストラの伴奏楽器としての役割ばかりを担わされていたチェロを表舞台に引き上げたことも挙げられよう。まさしく、今に聴かれるバッハの無伴奏は、カザルスから始まったのだ。

 以前の、そう19世紀のロマン主義的彩りを施されていないバッハがそこにはあった。バッハの大方の鍵盤曲が、19世紀的編曲を施され、近代楽器のピアノにより演奏され続けてきたのとは対照的である。カザルス弾くところのバッハの無伴奏は、だから、ある種の「イデア」として長らく機能し続けることとなった。

 このようにして出来上がった「伝統」というものを、時折、いとも軽やかに無視するものがいる。チェロでいえば、ヨー・ヨー・マである。マの無伴奏チェロ組曲の旧盤は、革命的だったようだ。というか、あれはバッハではないだろうという声もあったほど。とはいえ、その「バッハではない」と言うときの「バッハ」は、ほかならぬカザルスのバッハなわけで、それはカザルスによって発掘された以上、そういう言辞をあながち間違っているとは言えないだろう。しかしながら、カザルス以降、当然ながら優れたチェロ奏者が何度となくバッハに取り組んで来たが、マのバッハはやはり異色である。

 マの旧盤に聴く無伴奏は、実に軽快で溌剌、はたしてこんなに甘い音色でいいのか?と思うほど。実際のチェロの演奏というものをボクは知らないが、彼はとんでもなく手首の関節が柔らかいのではないか?滑らかさが尋常ではないのだ。ふつうのチェロと、マのチェロは、まるで別の楽器ではないか?と思うほど。個人的には、旧盤の組曲1番にとても驚きを覚えた。実につややかな琥珀色の音だ。

さて、先にマの旧盤と書いたけど、去年だかおととしだか、新盤が出た。この頃のマは、ピアソラのタンゴを弾く姿がCMで流されたりするせいもあってか、かなり知名度が高くなった。はじめて新盤を聴いた時、「あれ?」と思った。うわ、これはマのバッハじゃないや。絶対音感のカケラもないぼくだが、明らかに音そのものが低くなった。半音とは言わないまでも4分の1音は低くなってるだろう。あるいは弦を変えたようには思えないが、テンションをずいぶんと落としているのは確かだろう。

 と、ここ最近、ずっとマの新盤を聴いてるのだが、なんとも。旧盤の軽快感が、なんだかんだいいつつも気にいっていたボクは、はじめのうち、あまり楽しめなかった。そんな状況がガラリと変わったのは、2枚目、つまり組曲4、5、6番を聴いてからだった。特に5番と6番。どういう順番で録音したのか、いま、ちょっとわからないけど、単純に初めの方から録音したのではなかろうか(いや、自信ないけど)。1枚目の方は、ただ単にピッチを落としただけという気がしたのだが、5、6番は、明らかに質的に違う。旧盤はおろか、1枚目とも大きく違う。これを深化とか醸成と言ってしまうのは簡単だが、いったいどういうことだろう?そもそもこの新盤のプロジェクトである様々な多分野のアーチストとのコラボレーションのもたらしたものなのだろうか?

 5番の沈思と黙考、6番の猥雑と祝祭、それらの表現のダイナミックレンジが、非常に幅広い。以前のマには聴かれなかった、息急ききった弓さばき、そして、ある種の諧謔をも思わせる弓さばき。こういったずいぶんと人間くさい音が、5番、6番に目立つ。だから、じっくりと聴かせる持続音が、殊更、深化を思わせる。ぼくの中で、マのバッハから、バッハのバッハに成り代わった。

 というわけで、この5番、6番のおかげで、マの新盤も、なかなかのものだと思うに至った。こと音楽については、天才の所業に、いくつもの解が存在することを、改めて再確認。まだ、どちらかしか聴いてないヒト、ぜひ、新旧両盤を聴いて下さいマシ。


指輪ホテルシンフォニエッタ・ライブコンサート
「フタナリアゲハより」「指輪メドレー」ほか。
WINDS CAFE 25


(1999/1/31))

 たとえば、「音楽」という言葉から「愉悦」という言葉を連想するのは、容易だと思われるかもしれないが、いざ、はじめて聴く曲、はじめて接する楽団について、そのような連想が容易かというと、それが案外、難しい。そんなぼくの先入観を鮮やかに振り払ってくれた、今回のミニ・コンサートには、だから、「ヤラれた!」というのが正直な感想。実に、巧くて、上手くて、おまけに美味いのである。あれ、こんなに楽しく聴いてしまっていいのだろうか?と思ったほど。以下、そんなぼくの「いいとこどり」の感想にお付き合い願いたい。

 「いいとこどり」と書いたのは他でもない、この楽団および音楽は、そもそも劇団「指輪ホテル」の劇音楽のために結成されたものだからである。ぼくはこの演劇そのものに接したことはない。だから、その劇音楽だけを聴かせてくれる今回のプログラムに対し、いったい、どのように接すればよいだろうかという躊躇いがあった。しかしながら、演劇公演に対して、専用の楽団による生演奏をつけようなんていうのは、よほど音楽の自立性も高いのではないか?だから、ブドウパン全部に噛り付くのもよいが、ホシブドウだけを先につまみ食いしてもよかろう、そう思ったのだ。  この文章の初めに「愉悦」という言葉を書いた。「フタナリアゲハ」、「指輪メドレー」を通じてぼくが感じたのは、たとえば、ダリウス・ミョーの華やいだ音楽にも通じる「愉悦」である。これは、音楽が似ている似ていないという問題ではなくって、演奏する側の愉悦、そしてそれを聴く愉悦が、ぼくにとっては同じように感じたからである。

 確かに、ミョーの音楽は地中海の明るい陽光とか彼の幼少時代の幸福な音楽体験に通じる愉悦を伝えてくれるが、このライブで感じた愉悦は、それとはもちろん異なる。たとえば、仲のよい女の子同士の会話に似ていると言おうか。ふとした思いだし笑い、ふたりとも実は別の話題を口にしていて、途中、それに気づいてクスクス笑い出したり、、時に、お互に触れたくないような話もあるかもしれない。その総体としてのくつろいだ会話の楽しみ、愉悦、小さいし、ごくありふれたものかもしれないけど、やっぱり大切な会話であり友人。曲自体が、当然の事ながら愉悦に満ちたものであるけど、ところどころ、どこかで聞いたクラシック音楽の断片が埋め込まれたり、不協和音の毒をちょびっと含ませたり、かと思えば、堅固な対位法もあり、ちょっとナイマン的茶目っ気もある。だから演劇を見ていないぼくにとって、これはまさしく音楽の「いいとこどり」なのである。

 あるいは愉悦を親密さと置き換えてよいのかもしれない。これらの曲を作る段階から、それがいかに個人作業といえども、舞台を意識してのコラボレーションであり、そんな作曲家のもとに集まってきた楽団員がいる。演奏自体も、ぼくのような素人が、こんなことを言っては失礼だとは思うが、とても上手なのだ。決して内輪の満足に陥ることなく、「人に聴かせようとする気概がある((c)川村氏)」。特に、今回のライブは、演奏を聴かせるにはお世辞にも適した場所ではないと思う(スペース&音響など)。にもかかわらず、弦など実に楽しそうに鳴ってたし、スペースが小さいゆえ、おそらく金管の方は相当苦労されたと思うが、それでも安定した音を聞かせてくれた。

 でも、実は、一番楽しんでいたのは、このコンサートを企画した川村氏であるかもしれない。最初のケージ「4分33秒」、そして最後の「Pitch and Roll」を、実に満足そうに指揮していた。身一つで何かをするというおそらくは氏の表現手段の一番の根っこにあるパフォーマンスで、このコンサートを挟み込むことにより、やはり、このコンサートが演劇という身体表現にも通じていることを暗示していたのかもしれない。だから、いいとこどりをしたのは、ぼくたち聴衆(観客)というよりは、指揮者・作曲家・演奏者なのかもしれない。


黄昏のシューマン


(21/11/1998)

 ぼくは今までシューマンをちゃんと聴いたことがありませんでした。せいぜい、交響曲を聴いたぐらい。頭に残ってるのはやけに明るい「ライン」ぐらいなものです。

 つい最近、「シューマン---黄昏のアリア」(ちくま文庫)という本でシューマンの危うい狂気について知りました。冬のライン河に投身自殺を図り、未遂に終わったことなど。ぼくの頭にある交響曲「ライン」の断片からは想像出来ない彼の一面に驚きました。 ホロヴィッツのピアノ、今までショパンばかり聴いていましたが、今は「クライスレリアーナ」を何度も繰り返し聴いています。それと同時に、ロマン主義の「黄昏」についてを考えています。

 昔の日本語には「かそけき」という言葉があります。何かはかない美しさを持ったものが、ふと消えていくような印象をこの言葉の意味として持っているけど正確な意味はよく知りません。また、昔の歌人たちは、夕刻の薄明時の西空に「かぎろひ」という一種の気象現象を愛でたという話があります。「かぎろひ」とは冬の澄みわたった大気が急激な地表の温度低下にともないプリズムのような役割を果たし、消え行く陽のひかりを七色に分光するというものです。

 ぼくが繰り返しシューマンを聴くにつれ、ふと頭に浮かんだのはこの「かそけき」と「かぎろひ」という言葉でした。

 クライスレリアーナには、雄弁と沈思、華美と抑制、緊張と弛緩、希望と諦観という相矛盾する主題が、クロマティックに危ういバランスで配されているような気がしました。ぼくはその危うさの中に「かけそき」声、「かぎろひ」の音を聴きました。

 音楽というリジッドな入れ物に、先の相矛盾する主題を入れるためには、ロマン主義という器が必要だったのでしょうが、それすらも、おそらく、シューマンにはもの足りなかったのだと思います。ひたすら音楽に厳格な形式を求めるクララ、ピアノを遅くに始めたため、勝手に動いてしまう薬指を金具で固定し練習したため痛めてしまった手。シューマンは自分の精神に亀裂をつくることによって、逆説的に自分の精神、そして音楽を、外部から守ったのではないでしょうか。

 彼の精神を偽りなく入れるためには、シェーンベルク、ベルク、ウエーベルンを待たなくてはなりませんでした。ぼくは決して、彼がリストのように無調の手前で逡巡したということを言っているのではありません。時期尚早の心性について述べているのです。彼と同じような精神は、例えばマーラーにも見ることができます。もちろん、その解決(格闘)の仕方も、出来た音楽も全く違いますが。

 こうして考えてみるとロマン主義とは、ロマン主義からの脱却、超克そもののプロセスなのかも知れません。そんな、気がしてきました。12音音楽を始めたシェーンベルク自身も、まさにロマン主義的な「浄夜」を残し、今では彼の代表作となっております。

 屈折あるいは挫折さえもが、「かそけき」美に昇華し、「かぎろひ」の黄昏の後、ワーグナーが支配する夜の帳に隠れ、その精神の地下水脈は続いていき、ロマン主義をその内部から崩壊に導いたのではないでしょうか。

 もっと、シューマンを聴きたくなりました。


弱音の貴公子、マウリツィオ・ポリーニ


(07/07/1998)

 先日(7月5日)、NHK教育のステージ・ドア&芸術劇場に、マウリツィオ・ポリーニが出演してた。この4月の来日の模様をレクチャーとコンサートで紹介。まず、ひとこと。フケた。まあ、10年以上も前のジャケ写真を引き合いにフケたも何もないんだけど、ともかく、そう思ってしまった。この人、ホロヴィッツみたいに老成が似合うって感じのピアニストじゃないからなあ。レクチャーの様子はまあよかったんではないでしょうか。このヒト、来日の際のコンサートでは、ベートーベンとかの古い曲の他に、必ずと言っていいほど現代曲もレパートリーに入れている。この手のことってポリーニのような大御所がやると少しは現代曲の浸透に効果あると思うんで、いいことだと思ってる(ってシュトックハウゼンはもはや「前衛」じゃない?)。

 で、どんなピアニストか?ショパン・コンクールに優勝したのが60年、18歳の時。審査員の一人であるルービンシュタインが、「我々審査員の中で、彼のように弾くことが出来るものはいるだろうか?」てなことを言わしめたほど。それほど、テクニックがスゴイ。いわゆる完壁主義の類。んでもって、コンクール後はしばらく姿を消す。ポリーニ曰く「もっとピアノを上手く弾きたいから」ってのが理由。コイツはホントにイタリア人か。

 とにかく、力強くって堅固。そして硬質な透明感がある。一糸乱れぬアルペジオ、ガつんと穿つ和音。例えば、ショパンのエチュード、作品10と25が入ったCDがあるんだけど、出だしの一曲目。ポリーニの手にかかると、単なる練習曲が、途端に岐立したアルペジオと和音の大伽欄になるものだから驚き。池袋のバージンメガストアで買ったばかりのそのCDを、愛用のポータブルCDプレイヤーに入れ聞き始めた渋谷駅で、ぼくはへなへなと腰が砕けてしまいました。ひとつひとつの音をねじ伏せるようにして、完全な統制の下に置くって感じか。それがあまりに精巧に為されてるんで、こちらは、明晰な造形美を味わうことで精一杯。何と言ったって、このヒトのショパンのポロネーズ、聞き流すことなんて出来ません。こちらに元気がある時じゃなくっちゃ、彼の音楽と対峙出来ないほど。居住まいを正させる威厳というか気風がある。

 他に聞いたことあるのは、ショパンのソナタとベートーベンの中期のソナタ、リストの晩年の曲、ドビュッシーのエチュード。あと、忘れちゃならない20世紀作品か。残念ながら、シュトックハウゼンとノーノは聴いたことないんだけど、ブーレーズのソナタを聴けば、現代曲をも完全に弾きこなすピアニストだってわかる。(個人的にはドビュッシーは合わないなあと思ってるんだけどね。音を溶かし込んだ上での音色の対比ってのがドビュッシーには必要だから。ポリーニのはカタ過ぎる。)  と、ここまで書き連ねてみると、ポリーニってなんだか正確無比な機械のようなピアニストで、どんな曲でもマッチョに弾いてしまうんじゃないかって思うかもしれない。でも密かに僕は、ポリーニを「弱音の貴公子」と思ってます。

 彼のピアノを聴くまでは、「普通の大きさの音」というのがあって、それを中心に音の強弱が決まり、音楽が進行していくものだと思ってた。つまり、相対的な音の強弱。それが、ポリーニのベートーベンを自宅で静かな場所で聴いてみて、はじめて、弱音に潜む精緻な造形美があることを知った。弱音には弱音の、完結した世界が拡がっている。フォルテを際立たせるためにではなく、弱音そのものの、ミニアチュールな美を、ポリーニの精密な指先が奏でている。月光のもとほのかに浮かび上がるヨーロッパの古城を思わせる。ワルトシュタインの秘められた花園を、そしてテンペストの束の間の静けさを、、、。

 さて、番組では、ベートーベン後期の3大ソナタを演奏してた。作品109の出だし30秒ぐらいって、超カッコいい。と思いつつも、ついついCDで聴いた過去の演奏を比較してしまってる。やはり、こう、、何て言うか、、弱くなった感じなんだよなあ。聴くヒトが聴けば、今の円熟した演奏もいいじゃないかって思うかも知れないけど、、、。ポリーニっていつも演奏するとき、非常に、キビシイ表情をしてるんだよねえ。自分が思い描いてる理想美ってのがあって、それにいかに近づけるかっていうギリギリの境地にいっつも自分を追い込んでるように見える。だからよく唸る。グールドのように、ある種の法悦ではなくて、指先を完璧に自分の意志にそぐわせることが出来なかった時に、つい唸り声が漏れ出てしまうように見える。そんな意味で、彼の老成を見るのって、やっぱり、忍びないんだよなあ。


ジョン・ケージの「竜安寺」
竜安寺の庭を見ながらお茶を点ててもらった気がした


(05/10/1998)

 どっちが先ってわけじゃないけど、ジョン・ケージの説明は、先に、美術系の方のテキストにしてるので、そっちを読んで下さい。(「川村龍俊コレクション展〜ジョン・ケージから広がった美の世界」を参照)

 竜安寺は知ってるよねえ、修学旅行の定番コースでもある、枯山水の代表作って考えていいのかなあ。その竜安寺を題にしたケージの版画作品の前で、ケージ作曲の竜安寺を聴くという、なかなかオツなもの。パーカッションとして、何でもいいから2種類の打楽器を用意しなさいというのがケージの指示。川村氏は、何やら小さなナベのようなものと、アクリル・ケースを用意した。

 最初は、パーカッション。4分音符と4分休符のランダムな連なり。しばらくしてから、トランペットの曽我部清典氏がおもむろに入場。ずいぶんとミュートされ去勢されたトランペットは、にわかにトランペットの音とはわからない。チベットの方に、こんな音の管楽器があったなと思う。ここに聴かれる音には、連綿たる西洋音楽の本質であるところの構造や比例、拍節といったものはない。いわゆる耳で追いやすいメロディーがあるわけではない。パーカッションも、時間経過に対し比例や構造を穿つべく、鳴らされるわけではない。ある瞬間を、次の瞬間に手渡すためにのみ鳴らされるとでも言おうか。途中、曽我部氏の音をテープで再生し、二重奏となる。相変わらず、意図的・恣意的と思える音の配置は感じられない。

 興味深いのは、ふたりの位置。曽我部氏はケージの作品の前で演奏し、一方、川村氏は相対する部屋の隅にいる。われわれは、演奏者と対峙することなく、自然と、音に耳を澄ます。

 さて、このように、時間経過が宙ぶらりんのまま、20分ほどが過ぎる。パーカッションは変わりなく鳴らされ、曽我部氏がしずしずと退出する。トランペットの入場・退出はまるで、雅楽の、参音声、退出音声(まいりおんじょう、まかでおんじょう)みたいだ。

 と、ここまで聴いてみて、これは一種のセレモニーなんだと思い至った。そう、ぼくたちは、あたかも野点(のだて)の席によばれたかのごとく、二人に一服の茶を振舞われたのだ。人口に膾炙した「一期一会」という、元は茶道の言葉のとおり、ある一定の時間、あるサウンドスケープを共有したのだろう。その意味でも、2種の打楽器は、その時、その場所で選ばれなければならないのだ。

 意識したわけではないが、ずいぶんと、東洋的なものにひきつけて感想を書いてしまった。実際、ケージ自身、禅師 、鈴木大拙にずいぶんと傾倒していたし、中国の易を、音楽に採り入れたりもしていたことは確かだ。しかし、東洋的、日本的だからというのが先だってケージの頭の中にあったとは思わない方がいい。ケージ思うところの、純粋な音の在り方、聴取の美学に通ずるものが、たまたま日本であり東洋だったわけだから。


南ヨーロッパのオルガン音楽
ヌーンタイム・コンサート@某大学付属教会


(04/21/1998)

 ちょっとお昼時に、パイプオルガンを聴く。なかなか贅沢な気分ナリ。大体、月イチで、このコンサートは催される。が、しかし、教会堂耐震工事のため、これより一年間はお預け。

 ふつうこの手のコンサートだとバッハの「トッカータとフーガ」とかやるんだけど、今回は異色。イタリアとフランスのオルガン曲を聴かせてくれた。奏者は崎山裕子さん。バーゼルを中心として活動してるらしい。

 まず、フィレンツェ近郊フィオレンティーナ生まれ、V. パネライ(18c末-19c)の、ミサ曲。って、いってもずいぶんと華やかで明るい。奉献、聖体拝挙、聖体拝領後の祈りの3曲。1曲目、ひたすら華やか。モーツァルトにも繋がるナポリのオペラスタイル(で書かれてるらしい)。ゆったりとした心地よい6/8拍子。なぜか小鳥の鳴き声を模した笛が鳴らされる。こんなのってあり?3曲目、小鳥の笛に加え、ハンドベルが鳴らされる。
 ひたすら天をめざすゴシック聖堂で響くバッハの音楽は、あたかも天から降ってくるような感じだが、このイタリアのミサ曲は、空間全体から祝福が満ち溢れてくる。こんなミサ曲なら日曜日の礼拝も楽しくなるかもしれない。って、別にバッハが退屈ってのとは違うからね。バッハの方がより厳粛な気持ちになるというか。

 で、アンドレア・ガブリエリ。ずいぶんしっかりとしたフーガを書いている。リチェルカーレ・アリオーソ。イタリアのオルガン曲って、あまり聞かないなあ。フレスコバルディとか作ってんのかなあ。

 つぎ、ナゼか、フォーレのシシリエンヌをオルガン編曲。ただでさえ午後のまどろみを誘う曲が、いっそう幻想的に。まるで白昼夢。で、ユジューヌ・ジーグのトッカータ。ううむ。なぜかYMOと重なってしまった。その印象しか残ってない。

 フランスの作曲家の多くは、オルガン曲をはじめ宗教曲を多く残している。フランク、サン・サーンス、フォーレ、、。ドビュッシーとラヴェルは、その手の曲、残してる?ちょっと見当たらない気がするのだが。んでもって、メシアンか。ずいぶん晩年まで、メシアンは日曜の教会で弾いてたからねえ。でも、メシアンのオルガン曲って、やたら妖しい。「ああ、死ぬってけっこう、気持ちイイことかもしれない」って思わせる。フォーレのレクイエムもそうだけど。まあ、いずれも敬けんなカトリック精神に基づいた音楽を、みなさん、作っていらっしゃる。


筑前琵琶を聴いてきた@古今東西、語りのメディアを不滅です。


(04/10/1998)

 筑前琵琶を聴いてきた。演奏・語りは山崎旭萃(きょくすい)。92歳のオバアサンである。演目は「茨木」と「安宅」。途中、お弟子さんであろう方の「小栗栖」。

 力強く、太い声だ。横断歩道を歩いてわたるのに、倍の時間が、かかりそうなオバアサンが、語りの山に合わせて、いくらでも大きな声が出て来る。圧倒。

 琵琶の演奏に関しては、若い(それでも60はいってるだろう)お弟子さんの方が、音のキレや丁寧さがあったかもしれない。旭萃の音は、なんというか、「かそけし」感じ。もちろん、荒々しさも充分、表現していたけど、微妙な音のゆれや、ふと弦に手を触れ音を消す間合いがすごくいい。何度も唸ってしまった。

 「安宅」は、義経の有名な勧進帳の場面。弁慶が関守に疑われ、「杖(しもと)を当つる弁慶はあ〜、総身ついに戦きてえ〜、骨もたわまん〜ばかりなりぃぃ〜」と、迫真に満ちた琵琶の音。そうかあ、琵琶ってのは、語りのための楽器なのかあと、改めて気づいた。単なる伴奏に留まらず、実に雄弁に、場面や登場人物の心情を語る。

 「語り」というのは、人の声が届く範囲でなされるもの。おそらく、ずっと昔は、琵琶のあるところに人が集まるのではなく、人が集まるところに琵琶の語り手は赴いたのだろう。庶民は、権力者の成功譚など聴きはしない。悲劇の主人公の話や、栄枯盛衰のことわりをこそ、好んで聴くものだ。琵琶は、もとをたどれば、ペルシアかどこかで遊牧民らによって作られた撥弦楽器である。かの地においては、吟遊詩人が楽器を手にして、とめどもなく物語りを語っていたはずだ。琵琶と語りという、極めてパーソナルなメディアは、その発祥の地でも同じ様な役割をしていたのだろう。

 さて、演奏のあと、少しだけトークの時間が設けられた。旭萃さんは、琵琶との出会いに関して、とても興味深いエピソードを語ってくれた。

 彼女が、はじめて琵琶を手にしたのは、8才の頃、大正4年のことだ。その当時、映画は、無声映画の時代。ヨメとシュートメの確執の場面を熱っぽく語る弁士の横で、なんと琵琶が鳴らされていたという。映画が大好きだった彼女は、自然とその琵琶の音に心惹かれたらしい。入場料が5銭の頃の話だ。

 映画が誕生して、もう百年たった。リュミエール兄弟が発明した映画という技術は、ずいぶんと早い時期に、日本にもたらされ、日本でも盛んに映画が作られるようになった。その映画が生まれてから20年も経たぬ頃、極東の少女が、新しい「語り」のメディアに心惹かれ、琵琶を手にする。伝統とは、常に更新を受け続ける何ものかであることを、雄弁に物語っていると思う。

 それにしても、琵琶がとても大きく見えるぐらいの、このおばあさん、年は92だが、なんとコケティッシュで愛嬌があるんだろう。茶目っ気たっぷりに回想を語る、まるで漫才にも似た口振り。こういう人を見ると、ちょっぴり、自分が日本人であることを、誇らしく思えてくる。


語りの旋律と森の生き物たち --- ヤナーチェク


(03/14/1998)

昨日のBS7「オペラ紀行(っていったっけ)」を見た人いますか?ヤナーチェクの特集だったんだけど。

この人、チェコの人なんだけど、いわゆるスメタナ、ドボルザークがボヘミアの人だとすると、ヤナーチェクはモラヴィアの人。ブルノという古い街に生まれた。8年ほど前、チェコからハンガリーへと列車に乗って国境越えをしたことがあるが、緑濃き風景が延々と続いていたことを憶えている。そんな土地に生まれ育った人。

この人の音楽は、極めて独特。調性/無調の対立からは程遠いところで、音楽を作り続けた。根にあるのはモラヴィアの民謡。そして人の「語り」だ。例えば、活気溢れる市場で交わされる言葉、別れ際のあいさつを、即座に五線譜に記した。それらの特質はオペラなどの声楽曲に存分に発揮された(ちなみに話し言葉と旋律の関係は、ミニマルの作曲家、スティーブ・ライヒの 「The Cave」にも生かされている)。

彼の代表作「利口な女狐の物語」を聴いてみることを薦める。例え言葉を解さなくても、声とオケのパートの実に奇妙だけど美しい響き合い・かけ合いを楽しむことが出来る。また民謡の資産は、祝祭的な場面において如何なく発揮され、それまでの伝統的なオペラには、そのような祝祭的が要素が欠けていることに思い至るはず。

このオペラ、実に様々な生き物が登場するところも面白い。狐をはじめとしてカエルやトンボなどが出てくる。この当時、ようやく日本の浮世絵や工芸品がヨーロッパ諸国において注目を浴び、アール・ヌーボー、アール・デコといった日本の影響をうけた芸術運動が始まったころでもある。エミール・ガレなどのガラス工芸品を目にしたことがある人は、そこにトンボやバッタといった生き物の意匠を見たはず。日本人は昆虫などの小動物に個別の名前を与え、その形態を面白がった数少ない民族である。その感受性がヨーロッパに伝わり開花した。

彼にあのようなオペラを書かせたは、どちらかと言えば緑濃いモラヴィアの自然だと思うが、その当時のヨーロッパの芸術思潮も何らかの影響を与えていると思う。

ぜひ、人の「語り」の豊かでおかしみのある旋律を楽しんでみてほしい。


クセナキスと算数のテスト


(06/03/1998)

ヤニス・クセナキス、まだまだ元気だねえ。昨晩のETV特集は『自由への闘い ― 作曲家クセナキスの半世紀』、去年の京都賞受賞を記念しての番組みたい。

クセナキスといえば、「確率音楽」とかってよく呼ばれるんだけど、原義の"stochastic"からは「統計」の方が近い。確率というと、作曲者の作為を離れたところで生成する音楽を連想させるのでケージなどの偶然性と区別出来なくなってしまう。

 さて、その「統計音楽」とはなんぞや。全くのモンガイカンのワタクシが書くのもなんだが、又聞きおよび想像を駆使して考えてみよう。まず、近代の音楽史のおさらいから。ワーグナーぐらいからか?ヨーロッパにはバロック音楽、古典音楽を起点としてベートーベン、ブラームス以降ワーグナーといったロマン主義の流れには厳とした調性があった。ワーグナーあたりから半音階の多用がはじまり後期ロマン主義者マーラーに引き継がれたのだが、その頃、シェーンベルクらによって始められた12音音楽によって、旧来の「調性」が初めて破壊されたとされている。

 シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン以降、12音音楽はセリー(音列)音楽にとってかわり、さらなる精緻な理論化・体系化が図られ、例えば、ブーレーズの活躍により盛期を迎える。個々の音の音高・持続・音色、用いるべき音列、そしてそれらの一連の操作の規則に従って音楽が作られた。しかし、あまりもの複雑化という袋小路に入り込んでしまい、聴衆にとっては、作曲家の所作・あるいは身ぶりといった感覚的に把握できるものが極端に少なくなってしまったと言っていいだろう。

 クセナキスはそんな時、全く異なるアプローチによって音楽を作りはじめた。それが統計的・確率的手法である。たとえ話をひとつしよう。40人ほどからなる学級を考えてみる。算数のテストを行なったところ、点数が一桁の子や満点の子もいた。そしてほとんどの生徒が50点前後に集まった。昔なつかし棒グラフを書いてみると、ちゃんとしたテストであれば50点あたりのところを中心にして山ができる。

 このクラスの点数の様子を把握するには「平均点」と偏差値などを計算する「標準偏差」といった数値が用いられる。つまり、個々の生徒の点数ではなく全体を把えた時にはじめて現れる数値(パラメーター)を使って、このクラスの点数の様子を言い表すことが出来るわけだ。

 クセナキスは群衆の運動や気体分子の運動などに言及し、この統計的・確率的手法について説明している。まずもって考えるべきは個々の音ではなく、それらが多数集まって鳴らされた時に現れる巨視的全体的な振舞いである、と言っていいのではないかと思っている。統計的手法によって、テストで言えば「平均点」、気体分子であれば「温度」といった巨視的なパラメーターを先んず与えたうえで、個々の音を、つまり各生徒の点数を割り振るという考え方。(理系@ac.jp or 技術系@co.jpの方のために補足するならば、今、ぼくが上に書いたのは正規分布、いわゆるガウシアンだけど、クセナキスは他にもポアソン分布を用いたりもしている。まあ、いずれにしろ、厳密な意味で統計的手法を音楽に適用しているわけではなく、ひとつの大まかな方法論だと思ってくれればいいと思う。結局、総合的に審美的判断を下すのはあくまでも作曲者の耳であるわけだから。)

 さて、結果、すごい音楽が出来た。50年代はじめに書かれた「メタスタシス」や「エオンタ」っていう作品は、当の番組いわく、「ストラビンスキーの春の祭典初演の衝撃に匹敵する」とある。

それまでいわゆる耳ざわりのいい音楽だけを聴いていた者にとって、「一体、何がおこったんだ」とか「これって、音楽って言うのお」っていう衝撃が走るはず。あのパワーに一度ココロ奪われると、病みつきになる(人もいる)。って、でも元気のない時には聴けないけどね。

ぼく個人的には「メタスタシス」、「Tetras」が好き。


ノクターン・イン・バリ

(05/02/1997)

コリン.マクフィーという作曲家を知っていますか?

ぼくが数年前、バリ島に行った折り、バリの音楽に興味を持って彼の本「熱帯の旅人」を読みました。彼の手による当の音楽を聴いたことがなかったのですが、最近、CDを手に入れました。マクフィーの「タブ・タブハン」、ルー・ハリソンと、カンボジアの作曲家の曲が収めてあるものです。ピアノとオケをガムランを組み合わせた、まさにバリ音楽です。

 ぼくはバリ島で、偶然、関西大の文化人類学者、植島敬治のお弟子さんに会い、Jという小さな村のサンヒャンというトランス・ダンスを見る機会に巡り会いました。

 その村のトランス・ダンスは、30年代、グレゴリー・ベイトソンやマーガレット・ミードらが訪れて研究対象としたもので、ヒンズー教がこの島にもたらされる以前の土着のシャーマニズムに基ずく、今となっては他の村では、目にすることが出来ない貴重なものらしいです。ベイトソンと一緒に調査していたジェーン・ベロという女性人類学者が、実はマクフィーの妻だったことは、CDの解説を読み、知りました。

 マクフィーの本は、文章(翻訳)が随分と若く感じられ、70年代ぐらいにバリ島に渡った人が書いたものだと思っていました。60年代のゴア、70年代のバリ、80年代のタイ・コサムイがヒッピーとかが集まる聖地でしたから(ようはマリファナが吸えて、マジック・マッシュルームが手に入るところ)。30年代というと、それこそミニマリズムが、ガムランなどに触発されて始まるずっと以前に、マクフィーはこの島の音楽を研究していたことになりますね。ちょっと驚きです。

 ドビュッシーがパリ万博でガムランに出会ったのと同じく、マクフィーもパリでバリの音楽に出会い、いてもたってもいられずこの島にやって来たそうです。そういえば、現在、バリ島で見られる絵画も、ドイツ人画家ウオルター・シュピースが、島民に絵筆を持たせることによって始められたもので、マクフィーと同じ時期にバリ島に渡ったはずです。


文革、バッハ、シャーマン

(05/02/1997)

タン・ドウンのGhost Opera、聴きました。

何だか、シャーマニスティックな感じが、剥き出しになっていて、アメリカなどでウケるのが、ちょっと不思議な気がする一方、こりゃ誰にも真似できなくてズルイなあという、心地よく出し抜かれたような感想を持ちました。金モノや石を叩き、紙をこすり、クロノスカルテットが京劇やバッハを奏し、モンクやシェークスピアを唱えるという、アジアのどこかのシンクレティズム風のシャーマンの呪詛というか、なんというか。

 彼の生地の雲南っていうのは、アジアのくせに妙に美しいポリフォニックな合唱、復唱があるとこなんですよねえ。ちょと前、BSで中国の少数民族の音楽紀行とかいうのを見て知りました(ちなみに案内役が元プリプリのキーボードのコだったのには笑えた)。普通、シャーマニズムが生まれるようなところって、どちらかというと狩猟採集経済が基本にあったようなところで、共同作業などから生まれる合唱様式が発達しない傾向があることを、確か小泉文夫で読んだので、雲南の奇麗なハーモニーにはとても驚きました。

 彼の53年生まれっていうのがポイントで、何か表現欲求を持つような出自の者の親は大抵、インテリに属する人達ばかりで、親子ともに文革のアオリをもろに受けた世代。確か、チェン・カイコーとかもこの年の生まれじゃなかったっけなあ。

 Ghost Operaに驚く一方、こういうシャーマニスティックな心性を持ちつつ、西洋音楽の素養を持ち、かつ自国の伝統音楽と西洋音楽を客観的に見ることが出来る立場にいる作曲家は果たして誰がいるのだろうかと考えたところ、「それって違うんじゃないかな」と言われるのを承知で言えば、柴田南雄の、例えば合唱曲(?)、「ふるべゆらゆら」なんていうのがあるなあと、思いつきました。

 これは、縄文、弥生の発掘復元楽器(金モノや石、紙に対応)、東大寺のお水とりの声明、神道のはらえことば(京劇に対応?)、ボードレールの詩の翻訳、吉増剛造の詩の朗読(シェークスピア、モンクに対応)、バッハはボードレールの詩の合唱部分(西洋音楽の合唱様式なのだ)などを用いた音楽(?)で、ちょっともれてしまったけど奄美のばあさんが朗々と民話を語るもんだから、奄美にも多分あるであろう、ノロやユタといった巫女さんを彷彿させ、シャーマニズムもクリアしている。牽強付会も甚だしいかも知れないけど、タン・ドウンのCDジャケにsynopsisと称し、音(楽)素材についてのダイアグラムが載っていたので、ちょっとザレて見ました。


寺山修司+マルキ・ド・サド=タンホイザー@ワグナー?

(12/10/1996)

土曜の深夜に録画した「タンホイザー@ワーグナー」は凄いぞ。あまりにもの演出の過激さに一瞬違う番組(ギルガメか?)を録ってしまったのかと思った。まあ、まだ始めの方しか見てないんだけど。

 主人公たる男、タンホイザーが神の世界に住まう快楽と官能の女性と地上の知的で聡明な純粋な心を持った女性との間で心ゆれるらしいんだけど、問題は冒頭の快楽と官能の世界の表現。タンホイザーの序曲の一番有名で勇壮な音楽が鳴っているところでは、ほぼ全裸の肥満女がサロメのごとく踊り狂ったり、仮面をつけた男女のSMチックな交合シーン、老若問わず、股間にペニスの模型をつけ淫らに踊るという、何というか寺山修司とマルキ・ド・サドを足して2で割ったというか、とにかくブっ飛んでいた。

 ワーグナーのオペラは、古いゲルマンの神話をモチーフにしたりして、今はやりのファイナル・ファンタジーとかあの手のRPGと構造を共通に持つものが多いんだけど、基本にあるのは男性中心の発想というか、男の正義感とか大義名分、妄想に女が犠牲あるいは一方的に利用されるという物語が多い。その点でヴェルディと似ているし、プッチーニとは違う。女心をちゃんとわかっているプッチーニは、そのせいかやたら女にもてたという話が残っている。


一音成仏 武満徹 November steps
(1997/2/19)

武満の November Steps。出だしの金属的な弦の囁き、金管の揺らめきに続き、おもむろに(そう、とても自然に)始まる尺八と琵琶。たった今、死に行かんとする者の枕元に、西方から瞬時に訪れる、例えば知恩院の阿弥陀二十五菩薩来迎図を、ふと連想しました。「訪れ」はもともと「音連れ」の意だったそうです。音声菩薩らを従えて、左手上方よりなだれ込むように、笛の音などと共に来迎する、そんな光景です。

尺八の世界では「一音成仏(一吹成仏だっけかな)」という言葉があるそうです。凄い言葉ですね。まあ、こんな厳しい音を聴かされたら、煩悩捨てて浄土に向かうしかなさそうです。

武満の音楽を評して、よく「沈黙の音楽」という表現がなされます。音高や持続といったものでパラメタライズできないような音を用いて、正に一音成仏の如く音を重ねあわせて時間芸術にする。音大で楽理を学んだ友人の「音楽の息遣いというものを変えた人だ」という言葉に全く同感です。

以前、友人が能について次のように話してくれたことも思い出しました。能の舞は、傍から見ると、あまり動きを伴わないように見えるけど、それはシンとして高速回転している独楽と同じで、物凄い速度というものを内に体現していて、その証拠に演者はじっとり汗をかくという話です。ぼくが、尺八や琵琶のといった邦楽器に感じる、時として身動きのとれぬような感覚と似ているような気がしました。いずれにしろ惜しい人を亡くしました。せめて、オペラをひとつ、残してほしかった。


ゥ 1997 figaro77@geocities.co.jp


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