第22回目〜外伝2・文音が列車に乗るまで〜(6/14)






ガタンゴトン、ガタンガタン、ガタンゴトン・・・







ええ、そうですね

はじめはうるさいかなとも思ったんですが・・・
かえって揺られないと落ち着かないものですね











・・・いえ、そんなことはないですよ
私、今まで旅したことなんてなかったですから・・・








それも、一人でなんて・・・











どうして?ですか・・・?




そんな、余程の理由なんて、ないです
ほとんど家出同然で・・・









いえ、そんな、普通の家です
父がいて、母がいて、私がいて・・・


はい、上も、下もいません
一人っ子です














・・・ええ、悪いことをしたとは、思ってます












だけど・・・



















私の家は、前の駅のある、あの大きな都市にありました

見渡す限りに建物が並んでいる、あの真中です



・・・いえ、ビル街ではありません






列車からも見える、小さな平屋の家々がびっしり並んだところあったでしょう
そう、鉄道に平行した、あの人がひしめきあう大きな通りが通っている・・・



そう、あの雑踏のなかで、育ったんです・・・







私の家は、そう、家です、一戸建てです
小さいけれど、庭もついていました
父は花が好きで、全部花壇にしてしまってましたけど



そうですね、あの辺りでは、裕福な家だったと思います
父は大企業の社員でしたから・・・


ええ、知ってると思いますよ
いくつもの都市にまたがって事業をしている会社ですから





だから、父の収入も、それなりにあったと思います
社内での地位はそんなに高いものではなかったはずですから、
あくまで、”それなり”というぐらいだったはずですけど・・・




少なくとも、お金に困ったりしたことは、一度もありませんでした・・・





いえ、父は糞真面目というほどではありません
勤勉というのも、ちょっと違う感じがします・・・
でも、するべきことはきちんとする、という人でした
時間にもうるさい人でしたし



でも、ユーモアがないとか、そういうのではないですよ
子供あしらいもうまかったし、スポーツも好きでしたね
観るのも、するのも



・・・ええ、あの都市の雑踏の出身ではありません
もっと辺境の方の、政治家の三男です、確か
都市へは、大学進学と就職のために来たと聞いています



いくらか子供っぽいところはありましたが・・・
それは家族の前だけだったかもしれません

父は、取るべき態度をきちっと、使い分けられる人でしたから・・・

・・・ええ、私のことも可愛がってくれたと思います









・・・ええ、良い父親だと、思います
もちろん、完全無欠の人格者ではありませんでしたけど・・・



賭け事は嫌ってましたし、煙草も吸いませんでしたし、
酔ってるところも見たことありません

大学をでてて教養もありましたし、趣味も多い人でした
スポーツに園芸に、写真も好きでしたね







・・・そうです、模範的な父親でした










いえ、本当に、そう思います
親から離れた今は、特に、そう思います






だけど・・・
















母は、雑踏の出身です
大学は、出ていません
けれど、頭は良い人だったと思います
計算もはやいし、物事もてきぱきと要領よく片づける人でした





・・・ええ、私はおっとりしてるってよく言われます
私は性格は親に似てないんです
顔も、似てないですね





母は、働くのが趣味の人です
他に趣味は・・・ありません
多分それは、母が激戦区の生まれだということと関係していると思います
母方の祖父や祖母は、それこそ労働以外のなにもせずに生きて死んだそうですから
父と出会ったのも、職場でだったそうです
(母は、父の会社の下請けで働いていたそうです)



いえ、働くのが趣味といっても、家庭をないがしろにする人ではありませんでした
(それは、父もそうだったのですが)

むしろ、”主婦”という職業に就いて、”家庭”という職場に全力を注いだ人だと思います


潔癖症に近いくらい奇麗好きでしたし、洗濯も毎日していました
料理も上手で、安い食材でおいしい料理を作りました
化学調味料などは、絶えて使うことはなかったです





・・・え、私ですか、私は全然駄目です
不器用だし・・・





母も、とかくきっちりした人でした
吝嗇にはほど遠い人でしたが、無駄な浪費はしない人でした
常に家計とのバランスを考えられる人でした



・・・ええ、母も、模範的な母だと、思います・・・
世の中の理想像に、とても近いんじゃないでしょうか・・・?














雑踏




・・・そうですね、雑踏の人達には、あまりそういう人、いません
あそこは、戦後に移り住んだ人達が多いんです
元々の住民は、戦争でほとんどいなくなってしまいましたから




そういう人達って、もともと物や娯楽のないところから来てるでしょう
だからどうしてもつい、そういうのに惹かれてしまうみたいです

今まで厳密に家計など管理したことのない人達ですから、
すぐ目の前の快楽を追求してしまうんですね





私の雑踏の友達も、そういう子が多かったですね
割と目先のことにすぐ飛びつくというか・・・
悪いことをする子も多かったです
喧嘩も多かったし

「お前、俺のを盗ったやろ!」
「なんやと、盗られる方が悪いんじゃ!」




でも、私、そういうの駄目なんです
だって、暴力なんて・・・恐いじゃないですか
痛いのも嫌だけど、人を殴るなんてもっと嫌です

(もっとも、私、運動神経鈍いし力も弱いから・・・)





万引きなんかも、出来ませんでした
だって、商品って、作るのに時間かかります
売るのだって難しいんです
それで利益をだして、家族を養っていくなんて・・・難しいことです
自分一人生きるのだって、難しいのに
と、いうようなことをつい考えてしまいますから・・・

(実にお間抜けな泥棒さんでした)







そういう遊びにも付き合えない
性格もおっとりというか、鈍くさい

だから私は、雑踏では親しい友達を作ることがほとんど出来ませんでした






ほとんどは、一人で本を読んでいたと思います

小さい時は絵本で、文字が読めるようになってからは、近くにあった図書館で・・・

一人過ごすことが多かったと思います

(その図書館は、喧燥と賑わいと看板とネオンと電線と商品と生ゴミが入り交じる
雑踏の中にあって、小さいながらもしん・・・とした鉄筋の静寂を保っていました)








私の性格や考え方も・・・今から思うと、両親や周りの環境よりも、
本の中でつくられたように、思います


(目で見たもの、耳で聞いた声とは異なる、理性と知性が感じる感覚・・・)














中等女子学校



私は十歳になると、私立の中等女子学校に入りました
雑踏からは離れたところにある、あの都市では有名な学校です


そうです、試験を受けて入ったんです・・・



レベルだけじゃなく、学費も、高かったと思います
けれど両親は、それまでに教育費をちゃんと積み立てていました
私に高い教育を受けさせるために・・・




・・・いえ、二人とも、学問が大切だとは思っていなかったと思います
父は学問を知ってましたし、母は学問を知りませんでしたから




ただ、学歴社会で高い地位を得させるために勉強させたのです・・・




私のいた都市では、能力次第で地位も富も思いのままとされています
戦争前は家柄とか生れ次第だったそうなんですが、
いわゆる上流階級なんていうものが、いえ、
階級そのものが戦争で解体されてしまいました
そして、能力主義社会になったのです
それで、能力といっても、判定するのは難しいです
何か、物差しで計れるような、そういうものでないと
それが、学力と、学歴です
それが能力を示す指標になっていました
だから、より高い社会的地位を得るためには勉強をして、
”良い”とされている教育機関を出る・・・
それが全てです






・・・いえ、そんなに辛くはなかったです・・・
私は、勉強がそんなに嫌いではなかったですから・・・





・・・それが良くなかったのかもしれません
嫌々にやるのでなくてはいけなかったのかもしれません
嫌なことを、嫌々でもちゃんとやるという態度が、本当は重要なのかもしれません・・・

内容は、学問自体は意味のないことで・・・
ただ、理解する知能の指標とする、勤勉さ我慢強さを養成する・・・
勉強とは、教育とは本来それだけのものだったのかもしれません






とにかく、私は訳の分からないまま勉強して試験に合格して、中等学校に入りました




雑踏のなかで育った子供は大抵、
そのまま就職するか実科学校にゆくのに・・・
近所では、私だけが中等学校に行きました

大通りを、人をかき分けて走るバスに乗って通う、遠い学校に・・・








でも、ただ言われるままに入った学校ですが、居心地は良かったです
今までで一番、楽しい時を過ごせたと思います
大事なものも、そこで見つけましたし・・・








びっしりと家屋が建ち並ぶ、落書きだらけの雑踏街と違い、
中等学校は、郊外の、閑静な住宅街にありました

塀に囲まれた敷地は、ちょっとした森に覆われ、
瀟洒なデザインの木造の校舎は古びた落ち着きに溢れてました

よく磨かれた木目の艶やかさ・・・
庭の花の香り・・・

鐘の澄んだ響き・・・
女の子達の笑いさざめき・・・






そこには、割と裕福な家の子女が集まっていました



もちろんこの学校は、お金がないと入れないところではありましたが
お金があれば入れるというところではありません

入学資格は厳正に、学力考査の結果で判定されます
そうすることによって生徒の質を保ち、評判を保ってきたところです

そういうところに入れるというのはやはり、家がある程度裕福で、
子供の養育に力を注げるような家庭の子が多いのです
(私の家などは貧しい層に属する方でした)



そんな家の子で、やっぱり真面目な子が多いですから、
生活の圧迫も受けたことなく、ぎすぎすした環境とも縁がなく
大体がおとなしい、おっとりとした子が多かったです





私がてきぱきとして活発に見える程に・・・





そういう環境は、私に余裕を与えました・・・








今までの私は何も見ず、本に閉じこもりがちだったと思います


だって今まで周りにいた雑踏の子たちは、
異様に短気でテンポもはやく、挑戦的な子ばかりでした

それに対して私は、おろおろするばかり・・・



「何やってんだよ、早くやれよ!」
「で、でも、こんな事したら後の人が困るんじゃ・・・」
「んな事知るかよ、ボケてんのか手前は!!」


ずっと、いつもこんな調子でした・・・









でも、中等学校の友達はみんなのんびりとして優しい子でした



「おはよう」
「おはよう、今日も、元気だね」
「おはよう」
「おはよう、天気がいい日は気持ちいいね」



もちろん、気が強い子も活発な子もいましたけど、
それでも、どこか厳しいところ、貪欲ながめついところ、
そういうところが欠けていました・・・



「そんな事したら、後の人が困るよ」
「そっか、そうだね、ありがとう」



だから私は初めてここで、本当に考えるということが出来るようになったと思います
人と人の事とか、まわりの景色とか環境とか・・・



「水仙の花が、きれいね」
「いい香りね」



花の香りなど、雑踏では全く問題にされませんでした



「押し花でしおり作ったの、あげる」
「ありがとう」



素直な感謝の言葉も、初めて聞いたと思います





「仲直り、したら」
「・・・」
「あなたから、謝るの」
「そんな事したら、私が悪いみたいじゃない」
「ううん、そんな事、誰も思わないよ、向こうも謝ってくれるよ、きっと」
「謝ってくれなかったら?」
「あなたの心が落ち着くだけ、でも、そんな事にはならないよ」





「ごめんね」
「私こそ、ごめんね」



「良かったね」








ここでは、物語の好きな友達も出来ました
(雑踏の子供達は、全くといって良いほど本を読みませんでした)















なのに、私はどうしてか、
生き方に違和感を覚えるようになったのです・・・













いえ、世界に対する違和感なら、私は既に抱いていました
ずっと前から、物心ついた時から・・・




ただ、私にとって、その”違う”というのが当たり前だったのです

親とも違うのも、当り前
周りの子達とも違うのも、当り前




なにが”違う”のか、ですか?

そうですね・・・感覚というか・・・ものの捉え方・・感じ方でしょうか・・・





確かに、父は良い人でした
母も、良い親だったと思います

感情のまま怒ったり叱ったりすることは、絶えてない人達でした
娘の前で夫婦喧嘩をしたり不道徳なところを見せることは決してありませんでした
然るべきところでは感情的であり、あるべきところでは理性的でした

それは、あの人達が、完全無欠の存在ではないのに、
私のために、手本になろうと努力した結果なのです・・・

きっと・・・

(その心遣いが、胸に痛いです・・・)






でも、父や母は決して、私を理解できません
雑踏で育った子達も・・・






落書きや電線や、雲や朽ちた柱は・・・世界に在るものは、全て、
落書きや電線や、雲や朽ちた柱であるだけでなく・・・

物語といわれるものを、含むことを・・・




そして、それは金銭や社会的地位と等価や、あるいはそれ以上の場合があることを・・・




私は、決して分かってもらえませんでした









けれど、中等学校の友達には、分かってくれる人がいたのです

もちろん、それは友達の中でも、ほんの少しの人達が
ほんの少し、分かってくれるだけでしたけど・・・


私はそのころ、いくつか書いてみていました
日常から読み取った物語を・・・



何人かの人には、分からないと言われました

でも、何人かの人には、面白いといわれました
その中の、ほんの少しの人にだけですけど、「続きを読ませて」と言われたのです・・・





その時から、私は、ひょっとしたら、”違う”ことを堪えて生きて
行かなくても良いんじゃないかっていう事を考え始めたのです・・・











卒業




私の、十三歳の誕生日が来ました
今年の終わりには、卒業です






誕生日には、いつもの通り大きなケーキを母が作ってくれました
私の好きなチョコレートのケーキです




父が私に、大きくて重い、プレゼントの包みを渡してくれました



中身は、分かってました
私が欲しがっていた、最新の、携帯式のワードプロセッサです

私からすれば、非常に高価な品です
いえ、父のお給料と比べても、高い品だったでしょう

それを、彼らが単にお遊びに過ぎないと思っている、娘の創作のためにくれたのです




・・・あの人達が、私を、理解してくれようとしていたからです・・・


そのプレゼントを貰った時、私の胸は針で刺されたように痛みました・・・














私の両親は、既に娘の進むべき高等学校を探していました
彼らのレールが、私の前に、ずっと、敷かれていました・・・

良き市民、高い社会的地位・・・

それがもたらすもの:

安定・多額の収入・幸福な家庭・敬意・・・・そのほか、たくさん
そして、ただ一つの、もうすでに決定されている意味しか持たない世界・・・







確かに、父も母も、私を理解しようとはしてくれていました
それは、とても有難いことでした
とても善い人達だと思いました


だけど、分かっていたのです
あの人達は、決して、理解できないことを・・・



どうしても・・・


(堅く縛る鋼鉄の線をひき千切れないように・・・・)













まだ見ない広い世界にある、紡がれるのを待つ物語・・・
私は、憧れていました


恐らく、紡いでも紡いでも足りないほどに、豊かにあるでしょう
私はそれを、溢れさせたいと思いました





狭い世界に閉じ込められるのは、嫌でした











私は、父や母が好きです
彼らも、私を愛してくれていたと思います

できれば、その望みを適えてあげたいと思います
立派な社会人になって・・・


立派な社会的地位を得ることが悪い事だとは、思いません
いえ、寧ろ良いことでしょう
悪いのは私の方です
私のしていることは、まるで不良のようです・・・













でも、駄目なんです!
あなた達の望む生き方は、私は出来ないのです!

































ごめんなさい、お父さん



ごめんなさい、お母さん














・・・ガタン、ゴトン、キイィィィィィー!









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