外伝1〜猫子さんが列車に乗るまでの話(1/13)




猫子さんの故郷の街は、この列車の線路に沿ってずっと西、
あまり南過ぎず北過ぎず、ちょうど程よい気候のところにあります
(一年を通して気温が25度前後、ぽかぽかとした晴れの多い所です)



その街は、街路のない街でした
平たい屋上と中庭を持つ家々が、隙間なく並ぶ街でした
(住人は、その平らな屋上を伝って移動するのです)
また、染色と織物の盛んな街でもありました

その中に、代々、”猫絨緞”を製造・販売してきた家があります
猫子さんは、そこの二女として産まれてきました




襁褓に包まれて、お母さんに抱かれて寝ている猫子さんをみて
なりたてのちっちゃなお姉さんがはしゃぎます

「赤ちゃん、赤ちゃん!」

もう父や祖父の仕事を手伝ってる一番上の兄が、興味深そうに覗き込みます

「ちっちゃいね、でもちゃんと指は五本あるね」

ようやく家の絨緞工房に入ることを許されたばかりの二番目の兄も覗き込みます

「ぷにぷにしてるね、やわやわだね」


「かーいい、仔猫ちゃんみたい」

「そうだな、仔猫みたいだ」

「ねえ、お母さん、この子の名前”こねこ”にしよ、仔猫ちゃん、可愛いでしょ」


ふわふわの髪のお母さんは、微笑みながら答えます

「うーん、でもね、それじゃこの子が大きくなったとき困るでしょ」


「おばさんになっても”仔猫”じゃへんだね」

「うん、変だ」

「でもね、ほんとに猫ちゃんみたいなんだもん、きっとね、ずっとそうだもん」


そこでお母さんは、昨日祖父とお父さんと話し合って決めた名前を子供達に告げました

「だからね、”猫子”にしましょ、ねここちゃん、どう?」

「うん、それでも可愛い」

蛯熨蜿苺vだね」

「ねここちゃん、私がお姉ちゃんですよ、ほら、ぷにぷに〜」

「みにゅー」














猫子赤ちゃんは、よく寝る子でした
そして、よくみゃあみやあと泣く子でした
だからすくすくと育ちました


ちっちゃくて愛敬のある末娘ですから、
家の者も、工房に働きに来ている職人達も
みな猫子さんを可愛がりました

ぷにぷにとしたほっぺをつついたり、
だっこしてあげたり、幼い質問に答えたり
余り布で小さな人形を作ってあげたり・・・





猫子ちゃんは、動くものが好きでした

蝶々なんかも好きでしたけど、
工房の中に見える滑車やつるべなんかも好きでした
(でも猫子ちゃんはちっちゃいので、工房の中にはまだ入れないのです)

でも、格別に興味を惹く物がありました

それは、列車でした。
列車は、たまにしか来ません。
駅があるわけではないので、すごいスピードで通り過ぎるだけなのです。

ただ、線路が猫子ちゃんの家の近くにあって、列車はよく見えました

初め猫子ちゃんは、とても列車が不思議でした
列車は来る前に、音がします
だんだんと、音が大きくなります
そして轟音と共に、汽笛を鳴らしながら列車がすごいスピードで通り過ぎます。

プワァゥン!!
ガタンゴトン!ゴトンガタン!ガタンゴトン!

猫子ちゃんは言葉を覚えてから、お母さんに質問しました

「お母さん!ガタンゴトンはどこ行くの?!」

いつも優しいお母さんは、洗濯物を干しながら答えます

「たくさんお人を乗せて、遠い遠いところまで行くのよ」

「どうして?!遠く?!どこ?!」

「それはね・・・・」


賢明な皆さんはお分かりかと思いますが、
ちっちゃい子のどうして?は限りなく続くのです
おねむが来るまで・・・






猫子ちゃんは、線路には近寄ってはいけないと言われてました
だから、列車はいつも二階から張り出したベランダから見てました



プワァゥン!!
ガタンゴトン!ゴトンガタン!ガタンゴトン!


猫子ちゃんは、いまではもう、そこに人が乗ってるのを知ってます
その人達に手を振ろうと、大きく手を振ろうと、手すりから身を乗り出しました

つるっ!


ところが、あんまりに身を乗り出しすぎて落ちてしまったのです!

小さな体はあっという間に落っこち
下にあった工房のわらぶき屋根を突き抜け


ぼすっ!

みやぁあ〜



その下にいる祖父の手元に落ちて行きました

「わっ、なんじゃ!」

ぼふっ!

祖父はびっくりしましたが、まだ現役の腕は強く、
可愛い孫娘をしっかりと受け止めることができました


でも、うまく彼がいたからいいものの、実に危ないところです
石畳の床に落ちたら大怪我するか或いは死んでしまうところです
染料の槽に落ちたら、すぐに溺れて死んでしまうところです


なのに、猫子ちゃんはおじいちゃんの腕の中で、列車のことを懸命に話してるのです

「ガタンゴトン走ってたの!」



















さて、月日は流れ・・・
猫子ちゃんは、大きくなりました
それでも、まだ小さくて大人とはとても言えませんけど
少女とよべる位の年令にはなりました
そう、行商に出てもよいくらいの・・・

猫子さんの家の子は、ある年令がくると猫絨緞の行商をしてこなければなりません
そうして、猫絨緞を売り歩くことで、商売を覚えまた見識を高めるのです


上の兄はもう何年も前にこの修行を終えていました
下の兄も、もう帰ってきています

二人ともこの街ではなく、歩いて何ヶ月もかかる
離れた知らない街まで行商していました


でも女の子に関してはそんなにきつくなくて、
姉はすぐ近くの街のバザーに少しだけ持っていって
売って、一日で帰ってきてました
(普通、女性は外の商売には関わらないからです)




それで、猫子さんも女の子ですから、別に適当にすますことも出来たのです
実際、家の人もみなそうしろといってました

でも、猫子さんははりきって、ちょっと遠くのよく知らない、
でも鉄道の駅があって大きな街まで行くことにしてました
持って行く猫絨緞も、姉よりも多めです

だから、家の人みな心配です
特に祖父は孫娘が一日でも知らない街にいくのが心配で、あれこれと忠告します

「ああ、お金は十分持ったか、そう、分けて持って、泊まるところはちゃんとした
ところにな、ああ、そんなに絨緞もっていかんでええ、売りきれんでもいいから
適当なとこで切り上げて帰っておいで、危ない人がきたら絨緞置きっぱなしでええ
からすぐ逃げるんじゃぞ、ええな、暗いとこや狭い路地にはいくんじゃないぞ・・・」


上の二人の兄には一銭も持たせず、売れるまで帰ることまかりならぬ
と言って行商に出したくせに、えらく違います


でも、その兄達も、妹が心配です

やっぱり男の子と女の子では危険さが違いますし

それに男の子だったら、危険を乗り越えて初めて
一人前として認められる、というのがありますが
女の子にはそれは求められていませんし

自分の危険だったら、自分でなんとか出来るけど
自分よりかよわい者に危険があるのは、自分の危険より心配です

とはいえ、危険と言ってもそれほど危ない所に行くわけでなし
結局、まあいいだろう、これも経験だ、ということになりました

「おいおい、そんなに持ちきれるか?ほら、自転車に積むの手伝ってやるから・・・」

「まあ、適当なところで切り上げておいで」






でも、猫子さんには売り切るまでかえってくるつもりはありません
とても張り切っていました




実は、猫子さんは行商に憧れていたのです

一番上の兄が出立するときも、小さな猫子さんは
「私もいく〜」って言って周りを困らせたものでした

だから、本当は義務だけれども嫌なものとは思ってもいませんでした
試練だという感覚もありませんでしたし、修行とも思ってませんでした

出来れば、兄達のように本格的に行きたかった位です

つまり、行商はなかなか楽しいことのように思ってましたから
行く道の足取りは軽かったのですが・・・













でも・・・なかなか行商というのも難しいものでした

知らない街の、駅前の大広場で、
他の露天商と同じように品をならべて売ろうとするのですが・・






売れません






にっこり笑って、口上を並べるのですが・・・
日が暮れかけても、姉が売ったほどにも売れず・・・

はっきりいって全然売れないのです



それは確かに、姉のほうが口が上手くて売り込みも上手です
おまけに美人でもあります
(それに引き換え、猫子さんは男の子みたいでした)

猫絨緞も高価な品ですし・・・

でも・・・


一時間たって
二時間たって
三時間たって

日も暮れて・・・・

まだ売れません
駅前広場には人が沢山いるのに
寄ってきてすらくれません

ちらとこちらを見る人も
すぐに視線を外して、どこかへ歩き去ってしまいます


それは、もちろん猫子さんだって覚悟はしていました
商いは難しいものだと、祖父や父、兄達がよく言ってましたから
そんなに容易くいくものではないことは、分かってるつもりでした

でも、ここまで売れないとは・・・


(猫子さんは知りませんでしたが、貨物列車も入ってくるここでは
ちゃんとした店舗を持つ商店街が形成されていて、高価な物を行商人
などから物を買うという習慣もあまりないところだったのです・・・)










猫子さんはその日、持ってきた毛布に包まって、ガードレールの下で寝ました
食事は、出るときに持たされたお弁当を食べただけでした・・・

(持たされたお金には、一切手をつけませんでした・・・)

















翌日も、猫子さんは品を並べて呼び込みを続けます
でも、やっぱり売れません

ごくたまに、きれいな図柄やなめらかな光沢に惹かれてやってくるお客がいて
眺めたり手触りを確かめては「これはいい・・・」という声も聞けるのですが
値段をみて、ぎょっとした顔で手を引きます



あんまり売れないので、
さすがの猫子さんも疲れてきました






それでもなんとか昼前には一つ、一番小さくて安いのが売れました
一度、触れてから値段を見て立ち去った客が、やっぱり思い直して買って行ったのです





それでようやく売れたので、猫子さんはそのお金で傍の屋台からお昼を買いました

「はい毎度。坊や、見かけない顔だけどどこから来たんだい、小さいのに大変だね」

「うん・・・」




それからも、やっぱり全然売れませんでした
猫子さんの顔も、笑みを失って俯きがちです





その日も、昼から
一時間たち
二時間たち
三時間たって

日も随分と傾いて・・・




なんとなく、息苦しい感じです
なんとなく、とても疲れます
なんとなく、惨めな気持ちです





思わず、ため息と一緒に独り言を呟いてしまいます







「どうしてこんなに売れないんだろ・・・」








「それは、どうしてかというとね!」

独り言にいきなり答えられて、猫子さんはびっくりして顔を上げます
そこには、顎鬚を生やしたおじさんがいました



「ほらあそこに大きな店があるだろう、君の売ってる絨緞も売ってる。」

おじさんが指差す向こうに、大きな店がありました
そこでは、衣服や布地を始めとして、いろいろな繊維製品を売っていました
その、ごく片隅に、確かに絨緞が売っていました
近寄ってみると、その殆どが粗い機械織りの安物でしたけど
ほんの少しだけ、”猫絨緞”も置いてあったのです

(気づかなかったのは、猫子さんのうっかりです)

「この街には、私の知る限り、こんな店があと3軒はある」

「えっ、そんなに!?」

「だから、君が売ろうと思うなら、もっと需要があるところに行かなければ行けない!」

もっと需要があるところ・・・それはどこでしょう?
この近くなら、猫絨緞はちゃんとしたお店で買えてしまいます

だから、売るためにはやっぱり兄達のように、遠くにいかないとだめなのかもしれません
なかなか行けないような所で売るしかないのかもしれません
(逆に、だからこそ彼らは遠くまで行商に行ったのです)


「これ、経済の法則!Do you understand?」


でも、どうやって猫子さんのような女の子が、遠くまで旅できるでしょう?
人がなかなか行けない所にです、まして小さな女の子が荷物を持って、どうやって?





でも、猫子さんは、明快な笑顔で答えました


「うん、ありがとおじさん!」


















それから猫子さんは、急いで品物を片づけ始めました
座っていた敷物を畳み、品物を自転車の荷台に乗せ、
それでも持ち切れない物は背中のリュックに背負って・・・

そして、とりあえず家路につきました・・・
















屋上に上る渦状のスロープを、自転車を押しながら昇りきると
もう陽は暮れていました

やはり屋上にある家の中への扉も、当然閉まっています
猫子さんはノッカーを鳴らして、「ただいま」と言いました

すぐに、猫子さんの祖父が出てきました

「おお、帰ったか!」

その顔は、とても嬉しそうでした

でも、自転車に積まれた荷を見ると
少し表情が翳りました



「まあええ、商売は運じゃからの、早くお入り、
食事が出来とるから温かい内に食べなさい」

彼の顔は、たしかに笑っています
孫娘の無事を確認できて安心して、それが嬉しいのです
でも、その中に落胆も少々混じっています

それは、祖父の後に出てきた父や母も同じでした










猫子さんは食事の間、ほとんど話しませんでした
いつも賑やかな猫子さんが静かなのは疲れているからだと、
家族の人達は思っていました








やがていつもより静か目な食事が終り、お茶の時間になりました
皆がポットをまわして、琥珀色の液体をカップに注ぎます




全員が猫舌なので、ぬるめのお茶です
一口飲んで口の中をさっぱりさせてから、猫子さんは話し始めました









「私、もう一回絨緞売りに行ってくる」



そして、何を言い出すかと怪訝な家族の人達に、考えた計画を告げました

遠くまでゆく列車に乗って、とても遠くまで行商に行くことを
今度こそ、売れるまで帰らないことを










口数の極端に少ない父は渋い顔です
母も兄達もよい顔をしていません
中でも祖父は猛反対です

「女の子が一人旅?!だめだ、危ないではないか!もし何かあったらどうする!」

「お願い、行かせて」

「いーや、これだけは猫子の頼みでも駄目だ、許す訳にはいかん!」

「でも、売りつくすまで帰らないのは、我が家のしたきりで義務なんでしょ?」

「女の子は構わん、どのみち商売には関わらんのだ」

「ねえ、駄目?」

「駄目だ!」

祖父は腕組みをして、ぷいと横を向いてしまいました










猫子さんはそんな祖父の傍に近寄ると
その頬にキスをしました


「私、今からでも行くから」


驚いている祖父にそう告げると、猫子さんは屋上へ行く階段に向かいます


「待ちなさい、猫子」
「おい待てよ」
「待ちなよ」

猫子さんを家族が呼び止めます
でも、彼女の歩みは止まりません


その時、ひときわ大きな声が響きました
祖父の、厳めしい声です

「猫子、待ちなさい!」

猫子さんの足が止まります
後ろを振り向きます
でも、振り返るその目は、不退転の決意を表しています

祖父は、その幼いけれど決然とした表情を見ました・・・








祖父は、懐に手をやりました
出てきた手には、金袋が握られています

「行きの電車賃だ」

「お祖父ちゃん・・・」

「帰りの分は自分で稼ぎなさい」


「・・・うん、ありがとう」


「それから、今日はもうおそい。今晩はゆっくり寝て、明日発ちなさい。」


「うん・・・」

















自転車に積んであった分まで背負うと、猫子さんより荷物のほうが大きそうで
まるでリュックから手足が生えてるみたいです

駅まで見送りに来た家族は、そんな姿を見て心配そうです

「いいか、お金は分けて持つんだぞ、悪そうな人には近づかないようにな・・・etc」


でも、猫子さんは笑顔でした

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、ほら、あの女の子も一人旅だよ」



猫子さんの視線の向こうには、またこれも若く幼いお下げの女の子が一人、
大事そうに荷物を抱えて、一輌先の車輌に乗り込んでいました



ジリリリリリリ・・・・

発車のベルです




「じゃあ、行くね」






そして、彼女は車内への第一歩を踏み出し
次の駅まで一年かかる超長距離列車に乗り込んだのです・・・













(とりあえず、入り口で背中の荷物がつっかえて
家族と駅員さんに押し込んで貰ったのは内緒です!)












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