ジテ君って、どんな人?
###プロフィール###

ひとみ

1976年4月13日、ソウル生まれ。
血液型AB型。身長187cmの長身。76Kg。
母と二人家族。
目指す人物像は「高倉 健」
「坂本 龍一」が好きで、CDは全て持っている。
「久石 譲」も好き。
日本に5ヶ月程度居た事があり、日本語のやりとりも簡単なら出来る?。
壇国大学演劇映画学科、中央大学演劇映画大学院を経て、
キリスト教大学社会福祉大学院へ入学。

ジテ君自身の言葉で、ジテ君の魅力を味わって下さい!
右側は、全て雑誌のインタビューでのジテ君本人の言葉です。


<子供時代〜大学入学まで>

     その頃のジテ君は。。。  ジテ君自身の言葉(インタビューから)
勉強が嫌いで、いじめられたり、不良のまねをした事も有る。
ダンスをやっていた頃、ヒップポップファッションをしていたので、
ピアスの跡が耳に残っている。
この頃ダンスをしていたのは、大学入学の実技科目の為との事。
教会で演劇に出会い、演劇の学科を受験する。
「僕はけっこう学校をさぼってましたから」
「今の僕が有るのは、こういうプロセスを通って来たからだと思う」

<大学入学〜映画デビューまで>


壇国大学演劇映画科入学。
初めの頃、演劇の舞台をやりたかったが、背が高かすぎたので役が貰えず、
裏方ばかりやっていた。

大学の副専攻で、現代舞踊を選択し、熱中。
1993年現代舞踏大賞を受賞。
(現代舞踏は、その後腰の怪我で辞めた)
「いろいろな媒体に興味がありますよ。
なかでも踊りと言うのは、特に奥深さを感じて好きだったんです。
写真も好きで、よく自分で撮ってます。」

現代舞踊のイベント会場でモデル事務所社長から誘いを受け、モデルを始める。
この頃は、モデルをやりながら、写真や短編映画のアシスタントをしていた。
1997年、モデルセンター男子新人モデル賞受賞。
写真家協会ベストモデル賞受賞。

<映画デビュー以降>

1998年「バイジュン」で映画デビュー。
先輩からオーディションを勧められたのがきっかけ。
興行的に失敗したため、2年近く映画の仕事が来ず、
俳優を辞めて勉強に専念しようかとも思い、留学する事も考えたと言う。
この2年間は、自分の作品を少しづつ撮ったり、
アシスタントやモデルをしたりして過ごした。
バレエ時代の腰の怪我の悪化の為、手術も受けた。
「2年のブランクの間にいろいろな事を学ぶ事が出来て、
世の中のこともわかったし、
韓国映画の仕組みとか、そういうことをとを学ぶ事が出来たから、
僕にとってはすごく意味が有る事でした。
これが逆に『バイジュン』が成功していたら
今の自分はなかったんじゃないかなという風に思えるんです。」
1999年「アタック・ザ・ガスステーション!」がヒット。
4人の主役の中では台詞も出番も少ない役。
初めは他の役が割り振られていたが(無鉄砲役)
ペイント役に魅力を感じ、監督に気持ちを伝えて変えてもらったとの事。
この映画で、彼を指示したのは、
圧倒的に十代後半の女性が多かったとか。
「ペイントという役は独特な個性の持ち主で、
笑いを絶やさないようにするのがむずかしかった。
台詞がものすごく少ないんです。
そのへんで、テンションをキープするのがむずかしかったですね。」
「5歳ぐらいの純粋な心をもった小さな子供を思い描いて役作りしました。
それをどう表現するか、それが一番大変でした」
「ぼく自身はペイントというキャラクターは
もっと『悲しみ』を前面に出してもいいんじゃないかと思ってました。
でも監督と相談して、やっぱり笑いを絶やさない人間で行こうと決めたんです。
うまくいったと思います。」
「ペイントの場合は複雑な環境に左右されて
『つくらなきゃならなかった笑い』じゃないかと思います」

「アタック・ザ・ガスステーション!」で大人気となり、
以後、映画、TVドラマ、CF、ミュージックビデオと、引っ張りだこ。
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(ミュージックビデオについては、こちらのc-kidさんのHP「KMV」で詳細を見る事が出来ます。
トップページの「データベース」の「俳優」で「ユ・ジテ」を選択してください)

1999年「破殺神剣」(インターネット映画)
1999年「ラブストーリー『忘れ物』編」(TVドラマ)

2000年「同感」で主役に。
ジテ君の役作りの努力が有るようには見えない程、
自然で「地のまま」にみえるイン像が出来上がっている。
「インは僕自身よりも数段明るいキャラクターだったんです。
僕の中に有る明るい部分を最大限引き出す努力をしたんですが、
それは僕にとってものすごく大変な事で、
明るさを引き出す為に演劇の時みたいにみっちりプランニングをして練習したり、
発音を変えたり声のトーンを変えたり、そう言う練習までしたんです。」
2000年「リ・ベラメ」に脇役で出演。
ジテ君は、主人公の消防チームの中で前半で死んでしまう若手消防士。
一本気な弟分で、火の中で死ぬ事に怯える役。
「その人物になりきる」のがモットーのジテ君は、
撮影中、随分ブルーな気分になったと言う。
「強い中のもろさを表現するようにしました。」
「まわりからは『そんな役?』とかいわれましたけれど、
俳優としての責任感というものをその作品を通じて学びましたね。」

2000年「カウィ(金縛り)」で主役。
2000年「MOB2025 」(インターネット映画)で主役。
2000年の映画は、全て韓国で大ヒット。

2001年「春の日は過ぎ行く」で主役。ホ・ジノ監督2作目のこの作品は、韓国や日本で数々の作品賞等を受賞して評価を得た。

この後2年近く映画公開が無かったジテ君だが、その間も映画の撮影や日本への語学留学、学生として映画の作成等、忙しく過ごしていた。
その後大学院の課題作品として作った初編集短編映画「自転車少年」が2003年釜山国際短編映画祭で観客賞を受賞

2003年は公開作が次々と続き、撮影も休み無く続いている。


2002年「ナチュラル・シティー」
2003「鏡の中へ」
2003年5月中旬から、チェ・ミンシクの相手役として「オールドボーイ」を撮影。
2003年9月「女は男の未来」を撮影。

2004年5月「オールドボーイ」で共演したオ・ダルスさんと共に2人劇の演劇「津波」を上演
2004年夏から「南極日誌」

2005年:映画撮影に演劇に監督作品にと、めちゃくちゃ忙しい1年間
  *「野獣」撮影(2006年1月公開)
  *釜山国際映画祭に中編監督作品「目の見えない方は何の夢を見るのでしょうか?」招待
  *2005年12月1日〜2006年1月1日ジテ君原案の演劇「6分の6」公演(ダブルキャストの主役)
  *晩秋「秋へ」クランクイン

2006年:新たに社会福祉大学院に入学し、ますます活動を広げる
  *1月28日〜中編監督作「目の見えない方は何の夢を見るのでしょうか?」フランスの国際短編映画祭出品&審査員として招待
  *キリスト教大学社会福祉大学院入学


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こんななかでもジテ君は、実に肩の力を抜いて足が地に着いている感じだ。
そして、きちんとした「目指す俳優像、人間像」を持っている。

そんなジテ君の2003年夏頃の「自分の今と今後についての思い」はこちらのインタビュー記事を御覧下さい。
(韓国の雑誌の記事をめそが日本語訳したため、稚拙な内容を御容赦下さい。
また、誤訳などに気付いた方はどんどんお知らせ下さい)

また、色々な所で語ったジテ君の言葉を書き出してみました。

@どんな俳優、どんな自分で居たいか@

「俳優ユ・ジテと、ふだんのぼくとを区別したくない。僕は一人しかいないのだから」

「俳優というのはカメレオンみたいにならなきゃいけないんですけど、
あんまり変身してしまうと自分の色を無くしてしまう事もあるじゃないですか。
ぼくは『ぼくの色』を大切にしていきたいと思ってます。」

「私はまだ若いし俳優の経験もまだ浅いのですが、ひとつだけ信念として考えている事があります。
それは俳優と言うのは演技をしていない時に美しい人であってこそ本当の俳優なのだと思います。
ですから真の俳優になれるように今後、努力していきたいと思います」

「主役よりもっと脇役を演じていたかった。
もちろん現在の演技にも責任を持っていますけど、もうちょっと年をとってから、
30歳を過ぎてからが本当の演技ができるんじゃないかと思っているんです。」

@200年前後の大ブレーク中の状況について@

「韓国の映画俳優だとか、そういうことじゃなくて、
本当に映画が好きで映画の世界に漬かって居るんだ、映画をやって居るんだと言う気持ちに近くて、
それにあまり俳優だとかいう権威主義的な、肩に力を入れたりしたくないと思っているんです」

「周りがいかに変わろうとも、自分はそこに対しては
淡々と無関心で居る事が必要だっていう風にも考えられるようになったし、
いい環境に置かれているからといってそれで自分がすごく変わってしまうのはすごく危険な行動だと思います。」

@今後の映画作りへの夢@

「老夫婦を通して人生は美しいと語る。いつかそんな心あたたまる映画を作るのが夢」

「例えば家でお母さんが息子に編み物をしてあげるようなそういう映画を撮りたいです。
映画作りというのはそういうものであって欲しいなと思うんです。」