フェリックス・ワインガルトナー(1863〜1942) 

 

1. ワインガルトナーとベートーベン

 今ではベートーベンの作品といえば、たいへん膨大な録音があり、ワインガルトナーの演奏が省みられることは少ないが、SP時代のファンの方にいわせると、「ベートーベンといえばまずワインガルトナー」という感じで、ワインガルトナーはベートーベンのエキスパートと考えられていたらしい。特に、彼の『ベートーベン交響曲全集』は、当時非常に人気があったという。最近、東芝EMIやフランスのDANTEなどがこの全集の復刻盤を作製したので、若いファンの方の中にもそれをお聴きになった方も少なくないだろう。特にウィーン・フィルとの『第9』は、東芝EMIによってかなり丁寧に復刻され、全集とは別に単独でも発売されているので手に入り易い。また、『第1番』、『英雄』は、先頃、新星堂が『ウィーン・フィルの栄光』というシリーズの一環としても復刻したので、それを入手された方もいるかもしれない。オーストリアのpreiserもウィーン・フィル創立150年を記念したシリーズで『英雄』と『第8番』を復刻している。

 しかし、これらの復刻盤を買っても、正直言ってどこが良いいのかピンとこなかった、という人はいないだろうか? あるいは、もう50年以上も前の録音だし、この程度で仕方ないと思ってあきらめてしまっただろうか? 

 ワインガルトナーは、シャルク(1863-1931)、R・シュトラウス(1864-1949)などとほぼ同い年。活躍した時代でいえば、マーラー(1860-1911)、アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)、カール・ムック(1859-1940)などとも同じ時代の指揮者と見なしてよい。この世代の指揮者の中で、その特徴を最も把握しにくいのは、ワインガルトナーとR・シュトラウスではないか、と私は考えている。この2人は、その指揮についてのスタンスがそのときそのときで微妙に揺らぐのである。すなわち、いくぶん日和見主義的なところがあり、その演奏はオーケストラに依存するところが大きい。ワインガルトナーの場合、録音で判断する限り、その演奏スタイルや完成度、そして、それから受ける印象は、ウィーン・フィルを指揮した場合と、パリ音楽院管弦楽団やロンドン交響楽団などを指揮した場合では随分違ってくる。このページでは、ワインガルトナーの録音から浮かび上がる彼の演奏の特徴、そして、それが当時の音楽界でどのように受け止められていたのか、また、その歴史的位置づけなどについて再検討してみたいと思うが、我々は、そうした点に充分注意しながら、できるだけ多くの資料から指揮者ワインガルトナーの諸相をそれぞれ抽出し、投影してみなければいけないだろう。

 

 まず、彼の『ベートーベン交響曲全集』が成立するまでの歴史的背景について述べてみよう。歴史上はじめての本格的な交響曲の全曲録音は、1913年のニキシュ/ベルリン・フィルによるベートーベン『交響曲第5番』であったといわれている。確かに、それ以前にも、ザイドラー・ウィンクラーらによって交響曲の全曲録音は行われていたが、ニキシュの『第5番』は、人気アーティストを迎えての歴史上記念すべきイヴェントだったのである。ところで、ニキシュは、ライプツィヒなど数カ所でベートーベンの交響曲の連続演奏会を行って、ベートーベン演奏において充分な実績を持っていたし、当時まだやっと夜明けの時代を迎えたに過ぎないという状態のレコード録音に対しても積極的であったというから、彼がもうあと10年長生きしていたら、きっと『第5番』以外の交響曲も録音したにちがいない。しかし、残念ながらニキシュはその機会がないままにこの世を去った。1920年を過ぎると、未だアコースティック録音とはいえ、録音技術はさらにめざましく発展し、合唱を伴った大掛かりな作品も録音の対象として取り扱われるようになった。ワインガルトナーによるベートーベン『第9』(ロンドン・フィルとの旧盤)やオスカー・フリートによるマーラーの『復活』などはこの時代における快挙であった。そして、『第9』の録音を達成したワインガルトナーは、マイクロフォンと増幅器を用いた本格的な電気録音時代の到来とともに、さらに次なる一大事業を成し遂げる。それが、単独の指揮者としては史上初となった『ベートーベン交響曲全集』である。技術の壁が取り払われるのを待って、ついに顕れるべくして顕れた録音が、このワインガルトナーの『ベートーベン交響曲全集』であったといえよう。この一大事業は、しかし、誰かがいつかはやらなければならない『約束された課題』であった。ベートーベンの死後、十九世紀を通じて、彼の生涯と作品は、ある一人の作曲家という領域をはるかに越えて、ほとんど神聖な領域にまで美化されていた。(このあまりにも限度を越えた美化、偶像化の詳細は渡辺 裕氏による『聴衆の誕生 ポスト・モダン時代の音楽文化』(春秋社、1989年)という本の中に非常におもしろく書かれている。)そのベートーベンの作品の中でも、もっとも主要な位置を占める9曲の交響曲をすべて取り上げるということは、十九世紀の影響がまだ色濃く残っていた当時、現代からは想像もつかないくらい大きな栄誉だったのではないか、と思われるのである。問題は、それを誰がまずやるかということであった。

 ワインガルトナーは、かなり学者的な側面を持った指揮者であった。彼には、『 Ratschlae ge Auffuerungen Klassischer Symphonien.(古典派の交響曲の演奏に対する提言)』という著書があり、その中でベートーベン演奏について論じている。ここで、彼は、ベートーベン時代との楽器の違いの問題、オーケストラの規模の問題、テンポやメトロノーム記号の解釈の問題などについて論じている。また、彼は、ベートーベンのスコアの改訂でも多くの業績を残している。私の記憶では、日本のいずれかの出版社の『第9』合唱用スコアには、今なお何箇所かワインガルトナー校訂による、シャープの削除などが記されていたような気がする。いずれにせよ、彼のベートーベン解釈には音楽学的な論理的背景があり、それを最大の武器にして当時のさまざまな解釈と闘っていた。ことに、ビューローやマーラーの生前には、彼らのワーグナーの流れを汲んだベートーベン解釈に真っ向から敵意を表わしていたのである。

 ワインガルトナーは、こうした学問の領域で頭角を表すと共に、パリやロンドン、マインツ、ウィーンなどでベートーベンの9つの交響曲の連続演奏会を実際に指揮し、ベートーベンのエキスパートとして当時揺るぎない地位を確立していた。したがって、『ベートーベン交響曲全集』録音にあたって、ワインガルトナーに白羽の矢が立ったのは当然の成り行きだったのかも知れない。

 さて、実際のワインガルトナーの演奏はどのようなものであったのだろうか? 

 彼の残したベートーベンの中で、もっとも名高いのはやはり『第9』だろう。冒頭に書いたように、今ではワインガルトナーの演奏が省みられることは少ないが、宇野功芳氏などのように、ワインガルトナーの『第9』をこの曲の代表的な名演盤として推薦している評論家の方もいないではない。この『第9』や『第8番』、『第1番』などでは、ウィーン・フィルと組んだということも成功した理由のひとつかもしれない。これらの録音の特徴をあえて一言でいうとするならば、それは『円満』という言葉だろうか?

 ワインガルトナーの『第9』は、フルトヴェングラーをはじめとする、もっとおどろおどろしい、荘大な『第9』とはまるで対照的な音楽である。ワインガルトナーの場合、音がもっと明るく、透明で、さらに、やわらかみや温かみが感じられる。それは、低音を強調し過ぎず、木管楽器の音をより表面に出していくという彼の音作りによるのだろう。また、彼のとるテンポは、決して杓子定規なものではないけれども、さらさらとして淀むところがない。特に第3楽章など、ノン・ビブラートでさらさらと速いテンポで流していくし、ポルタメントをかけることはあっても、メンゲルベルクのように粘ったり、官能的になったりしないので、解釈全体が非常に明晰で、清澄な美しさを持っているのである。こうしたワインガルトナーの解釈は、巨匠たちの威風堂々たる『第9』に比べると、やや物足りないと感じる人もいるかも知れない。しかし、何も、現在でもなお支配的なワーグナー流のあの『第9』の解釈だけが『第9』ではない。この交響曲がベートーベンの晩年の作品群に含まれることを思いながら、先入観を捨ててこの曲のスコアに向かうと、こうした清澄な美しさを持った演奏も成り立つことが理解されるはずである。たとえるなら、ワーグナー流の『荒涼とした原野に繰り広げられる大スペクタクル』ではなく、もっと風光明媚な解き放たれた世界を感じられるようになると思うのである。また、ある意味では、こうした演奏はワインガルトナーがメンデルスゾーンの流れを汲む古典的スタイルを持った指揮者の一人であったことを伺わせる演奏ともいえるかもしれない。合唱を伴う第4楽章も、そうした意味で壮大さはないが、いきいきとした輝かしい演奏である。この楽章の冒頭は、何となくしおれたような演奏だが、オーケストラもすぐに持ち直し、『抱きあえ、百万の人々よ! Seid umschlungen, Millionen! 』以降では、インスピレーションに富んだ『名人の棒さばき』を感じさせるのである。

 そうした『第9』以上に、私が共感するのは『第8番』である。

 この曲はベートーベンのこの時期の交響曲としては比較的規模も小さく、明るくはつらつとしており、他の作品とはいくぶん異なるニュアンスを持っている。特に冒頭、序奏もアウフタクトもなしに、第1拍から全オーケストラのフォルテで第1主題が奏でられるというのは、ベートーベンとしても、交響曲の歴史全体を見渡してもかなり異例なことである。この開始はそうした解釈の上からも、また、演奏技術的にも、非常に指揮者泣かせな部分である。この部分を、例えば、クナッパーツブッシュやフルトヴェングラーのように、巨大に、あるいは、嵐のような勢いで演奏する解釈も成り立つし、もっと客観的にそっけなくやってしまう『現代的な』解釈も考えられなくはない。私にとって、ここの難問を最も美しく解決しているように感じられるのがワインガルトナーとウィーン・フィルの演奏なのである。この演奏で、彼らは第1音に適度な重みを持たせ、音楽を明確に開始させた後、2小節目から4小節目にわたる上行するフレーズでは、スタッカートを見事に活かし、すばらしい抑揚を聴かせているのだ。この演奏では、全曲を通じ、当時のウィーン・フィルの持ち味、とりわけ、リズムの強調、独特のグリッサンド、レガートとマルカートの明確な対比などが随所に聴き取れ、その洗練されたイントネーションは、愛らしい女性と会話しているような楽しさにさえ満ちているのである。永年にわたってこのオーケストラを指揮し続けてきたワインガルトナーであればこそ、ウィーン・フィルからこうした本来の響きを引き出すことができたのかもしれない。ワインガルトナーの一つの側面、彼とウィーン・フィルの幸せな一時代を思い起こさせる録音なのである。

 以上、ワインガルトナーの最も代表的な録音について簡単に触れた。他の録音については、後で詳しく触れるとして、ここで、彼の経歴をご紹介しよう。

 

2. 経歴

 

 フェリックス・ワインガルトナーは、1863年ユーゴスラビアの小さな町に生まれた。したがって、ワインガルトナーは、マーラーより3歳年下、シャルク(1863-1942)とは同い年である。ワインガルトナー家はオーストリア貴族の家柄であったが、彼の父親の死で一家はかなり貧しくなり、彼がまだ少年のうちに一家はオーストリアに帰国した。7歳のとき、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を見て感激したワインガルトナーは指揮者になることを決意、18歳になるとライプツィヒ音楽院に入学、カール・ライネッケらの指導を受けた。彼より4歳年上のカール・ムックも同門である。その3年後には作曲家リストに認められて門下となり、自作の歌劇『シャクンタラ』をワイマールで上演するまでになった。彼の指揮者としての活躍もめざましく、ケーニヒスベルク、ダンツィヒ、ハンブルク、マンハイムとドイツ国内の各地を歴任した後、1891年、27歳の若さでベルリン宮廷歌劇場の総監督に就任した。続く、1892年、この劇場の第二指揮者にムックが就任し、ワインガルトナーとムックは当時人気を二分していたという。1890年代のベルリンは、ワインガルトナー、ムックのほかにも、ベルリン・フィルの指揮者として、ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)やアルトゥール・ニキシュを迎え、R・シュトラウスやマーラーもたびたび指揮台に登場する(当時ハンブルク歌劇場の指揮者だったマーラーは、1895、96年と2年続けてベルリンを訪れ、ベルリン・フィルを指揮して、『交響曲第2番』の抜粋、『交響曲第1番』、『さすらう若者の歌』などを上演した。)という、華やかな音楽都市だったのである。このベルリンで、ワインガルトナーは、歌劇の指揮のみならず、交響曲をはじめとする管弦楽作品の指揮も得意としていたため、歌劇場のオーケストラと数多くの演奏会を行った。1898年から1903年には、ワインガルトナーはミュンヘンのカイム管弦楽団(現在のミュンヘン・フィル)の指揮者も兼任している。

 ワインガルトナーがマーラーの後任としてウィーンへやって来たのは1908年のことであった。この年、マーラーは『ニーベルンクの指環』の新演出上演を完結しないままウィーンを去らねばならなくなった。その後任として着任したのがワインガルトナーだったのである。本来、マーラーの後任にはフェリックス・モットル(1856-1911)が就任することがほぼ決定しており、これにマーラーも同意していた。しかし、ワインガルトナーは、利害関係者どうしのいざこざに乗じて、この地位を奪い取ったようである。

 これは、マーラーのベートーベン解釈や劇場運営に反対していた保守的なアンチ・マーラー派、および、モットルの就任によるワグネリアンの隆盛を恐れたアンチ・ワグネリアンらの画策によるところだったらしい。ワインガルトナー自身、マーラーのベートーベン解釈や劇場スタイルに対し、非常な反感を抱いていた。詳しくは後で触れるが、この2人のベートーベン解釈はまったく相容れないものだったのである。マーラーが、自分こそベートーベンの最も正統な解釈者だ、といってはばからなかったのを、やはり、ベートーベン解釈では第一人者を自負していたワインガルトナーとしては、どうしても許すことができなかったのだろう。

 さて、いざ宮廷歌劇場総監督に就任すると、ワインガルトナーは、それまでマーラーが心血を注いで作り上げてきた『指環』の舞台をすべて旧態然とした別なものに変更してしまった。また、マーラーによってようやく全曲ノー・カットで上演できるようになったこれらの作品に再びカットを入れた。マーラーの発案で始められた、『フィデリオ』の第2幕、フィナーレの前に序曲『レオノーレ第3番』を演奏するならわしも、取りやめとなった。彼の最大のモットーは、「この歌劇場を元の状態に戻す」ことで、マーラーによる新しい試みはすべて剥ぎ取られ、葬り去られることになったのである。マーラーにとっては、これは余程耐えがたいことであったらしい。マーラーが舞台装置を依頼したロラーも、ワインガルトナーの方針に反発し、歌劇場を辞任してしまった。マーラーに親しく薫陶を仰いだ指揮者のひとり、オットー・クレンペラーによれば、マーラーは、ワインガルトナーについて、「ウィーンにおけるわたしの後任、ワインガルトナー氏は当然わたしをきらいだ。だが彼はワーグナーもきらいだよ。『ワルキューレ』や『ジークフリート』でカットをしているんだからね」と語ったという(P・ヘイワース編、佐藤 章訳『クレンペラーとの対談』白水社、1976年)。

 1908年から1911年までの3年間と1935年から1936年までの1年間、ワインガルトナーはウィーン宮廷歌劇場の総監督として活躍した。オペレッタの指揮をも得意としていたワインガルトナーは、コルネリウスの『バクダットの理髪師』などを宮廷歌劇場のレパートリーに取り入れたほか、1919年から1924年まで、ウィーン・フォルクスオーパーの監督も兼任していた。しかし、歌劇場での彼は、必ずしも成功したとはいえなかった。むしろ、コンサート指揮者として、ウィーン・フィルとの関係の方が長く続いた。1908年から1927年までの19年間、ワインガルトナーはウィーン・フィルの常任指揮者としてたび重なる共演を行っている。この間、彼は、ベートーベン(1916〜17年)、ブラームスおよびシューマン(1918年〜19年)の交響曲の全曲演奏を行ったほか、スイス(1917年)、ベルリン(1918年)、南米(1922年)などへ演奏旅行を行い、ウィーン・フィルの実力を世界にアピールするのに貢献した。特に、1922年の南米での公演では、ブエノスアイレスのコロン劇場で、ワーグナーの『ニーベルングの指環』が演奏された。1924年、第1回の『ウィーン・フィルハーモニー舞踏会』が行われたときも、ワインガルトナーがヨハン・シュトラウス二世の『美しき青きドナウ』を演奏した。1927年、ワインガルトナーはすでにウィーン・フィルの常任指揮者を辞任する意志を表明していたが、この年のプラハへの演奏旅行に同行し、ベートーベン没後百年を記念して、『第9』と『ミサ・ソレムニス』を演奏した。常任指揮者を辞任した後も、ナチスがオーストリアを併合する1939年まで、ワインガルトナーはこのオーケストラを指揮し続けた。特に、1933年から1937年までは毎年このオーケストラの指揮台に立つとともに、パドゥア(1934年)への演奏旅行やヨーロッパ・ツアー(1935年)にも同行している。彼の残した録音のうち、『ベートーベン交響曲全集』の何曲かはこの時期に録音されたものである。

 ウィーン・フィルを離れてからの彼は、ロンドン、バーゼルなどを中心に活躍し、1942年、スイスのヴィンタートゥールで78歳の生涯を終えた。その晩年には、音楽学者、教育者としても多大な業績を残した。

 ワインガルトナーは、自分自身を指揮者である以上に作曲家であると考えていたようである。彼の作品には、8つの歌劇、7曲の交響曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲、数多くの歌曲、室内楽曲などが残されている。しかし、マーラーがその死後も作曲家として重要な地位を獲得したのに対して、ワインガルトナーの作品は現代では忘れ去られてしまった。きわめて保守的とされるワインガルトナーの作品は、今後もおそらくは蘇演されるほどの価値を見出されることはないのではないかと思われる。

 ワインガルトナーは生涯に一度ではあるが日本へもやって来た。1937年、彼はNHK交響楽団の前身の新交響楽団を指揮したのである。世界的な音楽家の来日がきわめて異例のことだった当時の聴衆が、ワインガルトナーによって与えられたインパクトは、現代の我々の想像をはるかにしのぐものだったにちがいない。

 

 ワインガルトナーのレパートリーは、すべての分野に亘って網羅されたものではなかったといわれている。ウィーン・フィル文書保管所の委員、クレメンス・ヘルツベルク氏によれば、ワインガルトナーがウィーン・フィルを指揮したプログラムでは、ベートーベンとブラームスが圧倒的優位を占めており、その次に、リスト、ベルリオーズが続く。ハイドンは得意だったようだが、モーツァルトはあまり進んで取り上げようとしなかった。ワーグナーもそこそこ指揮したが、スメタナ、ドヴォルザーク、チャイコフスキーはワインガルトナー自身の作品以下の回数しか取り上げていないという(C・ヘルツベルク著、芹沢ユリア訳、『王たちの民主制 ウィーン・フィルハーモニー創立150年史』、文化書房博文社、1992年)。また、彼が、オペレッタやワルツ、ポルカなどの音楽をも得意としていたことが、ウィーン・フィルや、ウィーン国立歌劇場などの記録より明らかにされている。

 

3. 録音

 

 『第8番』、『第9番』といったウィーン・フィルとの録音では、随所に見られるウィーン・フィルの持ち味がすばらしい効果を発揮していることについては先の項で述べた。では、『ベートーベン交響曲全集』の中に含まれる、ほかのオーケストラとの録音は一体どんな演奏なのであろうか? すでに述べたとおり、ワインガルトナーの録音は演奏するオーケストラの如何に依存するところが大きい。例えば、1927年録音のロイヤル・フィルとの『田園』は、ウィーン・フィルとのあの豊かな音楽に比べると、もっと淡々とした色彩の欠けた演奏になっている。例えば、その第1楽章冒頭。通常の指揮者は、ぽつんと独り言のように呈示される第1主題とその後の各パートの動きを対比させるために、第4小節のフェルマータで充分間を取って、気分を切り替えて第5小節以降の部分に進むが、ワインガルトナーはそのフェルマータをほんの控え目に延ばすだけで、そのまま表情一つ変えずに先に突き進んで行ってしまう。これはもちろん、バッハのフェルマータが単なる息継ぎの記号だったために、フェルマータを伸ばさないで演奏するといった問題とは全く別の問題である。また、ワーグナーやビューロー、マーラーといった指揮者たちは、第1主題に比べ第2主題のテンポを遅く設定していたといわれているが、ワインガルトナーは第2主題に入っても速いテンポのままで乗り切ってしまっている。第2楽章の極端に速いテンポも、この演奏の淡泊な印象をより一層強調しているように思われる。第5楽章も、現代通常に行われている、なだらかなアーチを描くような洗練された演奏を聴き慣れた我々には、随分骨ばった大ざっぱな演奏のように思われる。このように書くと、このロイヤル・フィルとの『田園』は、現代人にとってこれといって聴き所のないつまらない演奏のように感じられるかもしれない。事実、この時代の指揮者やオーケストラに興味のない現代の一般的な聴衆には、この録音は何ら得るところのないつまらない演奏に過ぎないだろう。しかし、ワインガルトナーのさまざまな録音を聴いた後、再びこの録音について考えると、この録音の第5楽章などは、実はワインガルトナーの演奏様式を非常によく反映したものと考えられ、彼のスタイルを理解する上で重要な示唆を与えてくれる。その最も重要な要素は、アクセントである。ワインガルトナーのアクセントは現代の洗練された演奏体系からは想像もつかないものである。特に、この楽章最大のクライマックスとなる、ヴァイオリンのトレモロの上に、木管楽器と金管楽器が『神への感謝』の主題の音型を奏でる第133小節から第164小節にかけての部分では、金管楽器の強烈なアクセントに驚かされる。これは、アーノンクールのモーツァルトの録音などに見られる過激なアクセントにも匹敵するかもしれない。また、この楽章の最後の2つの和音も、強引なまでに強く鋭い。こうした強いアクセントは、ワインガルトナーのその他の録音でもしばしば目に付く。例えば、1938年、ロンドン・フィルとの録音のベートーベン『献堂式』序曲もそのひとつで、独特のアクセントと鋭いリズム、そして、巧妙な対位法の処理などによって、どちらかといえば親しみの薄いこの曲を圧倒的に見事な音楽にまで仕上げている。また、同じ年に録音されたロンドン交響楽団との『第2番』の冒頭、序奏部や、1933年録音のロンドン・フィルとの『第4番』の終楽章などにも同様の傾向が顕れている。前述のウィーン・フィルとの録音ではこうしたアクセントはウィーン・フィルの個性に隠されて表面化していないが、上記のような録音によってワインガルトナーの指揮の傾向を把握した上で、再びウィーン・フィルとの録音を聴き直すと、『第9番』の第2楽章・スケルツォなどにもたしかに同様のアクセントが認められるのがわかる。

 こうした現代人には意味不明のアクセントや奏法は、シャルク、ニキシュなどの録音にも認められる。私は、演奏の歴史について、こうした演奏法の点から言えば、ワーグナー以前とワーグナー以後、さらに、第二次世界大戦以降から現代の3つの大きな流れがあると考えている。例えば、現代のオーケストラの演奏は、ニュース原稿を読むアナウンサーのようなもので、標準的ではあるが、非常に特徴に乏しいものである。この他、今世紀前半の録音には、十九世紀後半以降に出現した、「ロマンティックなスタイル」を聴くことができる。アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の指揮者であったヴィレム・メンゲルベルクや、マーラーの作品を数多く指揮したオスカー・フリートなどはその典型的な例といえるだろう。ここでいう「ロマンティック」は、後期ロマン派の音楽家たちが好んで用いたという意味で、現代の通常の意味とはニュアンスが違うのでご注意いただきたい。フレーズに応じたテンポの変化や強弱記号の強調、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラートなどがその代表的な特徴である。また、ベートーベンなどの音楽に文学的な解釈をあてはめて、表現を加えていくという手法が好んで用いられたのもこうしたロマンティック・スタイルとの関連性が高い。これらの表現法の確立は、ワーグナーの存在なしでは考えられなかっただろう。ワーグナーは、その作品で文学と音楽の融合を試みたのみならず、指揮者としても、ベートーベン解釈などにおいて当時の音楽界に大きな影響を及ぼした。したがって私はワーグナーを近代演奏史の大きな分岐点と考えるのである。第3のスタイルは、ワーグナー出現以前のスタイルで、最近のオリジナル楽器オーケストラやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などに代表されるような古いスタイルである。ノン・ヴィヴラート奏法、音符の音価の強調、すなわち、長い音符は本来よりわずかに長く、短い音符は本来よりやや短く演奏する処理や、長い音符の後ろの方で音量が強くなる後置型アクセントなどはその代表的な特徴である。おそらく十九世紀中頃までは、世界中のすべての指揮者とオーケストラが多かれ少なかれこのスタイルに従っていたのではないかと思われる。シャルク、ワインガルトナーに認められる意味不明なアクセントなどは、その名残りではないかと考えられるが、現代の我々が聴くと、音楽の文脈とまったく関係のない、形式的で余計な表現として受け止められるのだ。本来、こうした古い演奏体系には、音楽の構造と結びついた明確な規則があった。しかし、ロマンティック・スタイルの出現、その反動のノイエ・ザッハリヒカイト、さらに、現代のより洗練された演奏スタイルが普及していく過程で、古い演奏スタイルの必然性は失われ、現代の我々にはまったく理解不可能な単に形式的なものへと変化していったのではないかと思われる。つまり、ブラームスやブルックナーが初演された状況などにおける古い演奏体系と現代の演奏体系の間には、missing link(失われた関連性)があり、シャルクやワインガルトナーの録音は、途切れてしまった鎖をつなぎあわせる重要な手がかりといえるのではないだろうか? 今世紀前半の指揮者たちの演奏を聴くためには、この3つのスタイルをきちんと聴き分ける知識と能力が必要とされるのではないだろうか。ときには、3つのスタイルが同一の演奏の中に複合して表現されていることも多い。フェリックス・ワインガルトナーやアルトゥール・ニキシュのように、曲に応じてそれぞれのスタイルを使い分けている場合もある。そして、どの曲にどのスタイルを当てはめたかということは、その指揮者の個性や芸術性を反映する非常によい判断材料ともなり得るのである。

 

 話題を元に戻して、ワインガルトナーの残した録音の中で、先ほどのベートーベンの『第8番』、『第9番』と同じくらい重要と思われるものが、ワルツ・ポルカなどのヴィーナー・ムジーク Wiener Musik である。これらは残念ながらウィーンでの録音ではなく、ロンドンやバーゼルでの録音で、ワルツなどウィーン・フィルがやるような純正のウィーン・スタイル(註:3拍子の1拍目を短く、2拍目を長くするリズム設定。2拍目を長くするのは、その間に女性がターンをするためといわれている。通常の均等な3拍子では、余程テンポを遅くしないと女性がターンできなくなってしまうそうだ。日本語の『円舞曲』の名は、女性がクルクルとドレスをひるがせながらターンするところから生まれた。)ではない。また、ワインガルトナーのワルツがすべてよい演奏とは決していえない。しかし、中にはいくつか、独特の味わいを持ったとてもいい演奏があるのである。まず、彼の演奏で代表的なものといえば、『春の声』ではないだろうか? 軽くて明確なリズム、明るい色彩の音づくりなどが、彼の天性のワルツへの適性を物語っている。ワインガルトナーの場合、クレメンス・クラウスのように、優雅なリズムに身を任せ、切なく、狂おしくうたいあげるウィンナ・ワルツとはやや趣が違う。規則的な3拍子、ノン・ビブラートで、一見淡白なようだが、健康的で、いきいきとした表情を湛えた、彼ならではの味わいのあるワルツである。『美しき青きドナウ』も同様にとてもいい演奏である。気取りのない自然体であるのに、どことなくノーブルであるこれらの演奏はさすがと思わせる。さらに、『千一夜物語』が絶品だ。このワルツは、上記の2つのワルツほどの知名度はないが、序奏に美しい弦のソロが活躍するなかなかいい曲である。このソロをはじめ、主部に入ってからも、ワインガルトナーは実にデリケートな名演を聴かせているのである。ワインガルトナーは、いくつかのポルカと『常動曲』も録音している。こちらの方は、テンポがおそく、音楽が生命力を失っており、あまりいいものはない。また、『ピツィカート・ポルカ』で、木管楽器のみならず、金管楽器までが加わっているのは、録音のために、弦のピツィカートだけでは音量が足らないという配慮だったのであろうか? 現代の我々にとっては、度肝を抜かれるような演奏である。後で紹介する『ハンマー・クラヴィーア』と並んで、これも甚だ悪趣味だと言わねばなるまい。

 

 これらの録音の他、ワインガルトナーには、フランスの名オーケストラ、パリ音楽院管弦楽団との一連の録音が残されている。これらの録音は、ワインガルトナーの演奏における今まで述べた特徴とはまったく異なる側面を伺わせている点で特筆すべきと思われる。パリ音楽院管弦楽団は現在のパリ管弦楽団の前身となるオーケストラで、1828年以来の長い歴史を持っていた。1967年に解散し、パリ管弦楽団として再編成されるまで、フランス風の色彩の強いオーケストラとして独自の地位を獲得していたといわれている。ワインガルトナーはこのオーケストラを指揮して、ベートーベンの『ピアノ協奏曲第3番』(独奏はマルグリット・ロン)、リストの『ピアノ協奏曲全曲』(独奏はエミール・フォン・ザウアー)、ワーグナーの管弦楽曲数曲、ヘンデルの歌劇『アルチーナ』より抜粋、バッハの『管弦楽組曲第3番』、ボッケリーニの『メヌエット』などを録音している。まず、ヘンデルの『アルチーナ』が非常に印象的な演奏である。この録音の冒頭における弦楽器のフレーズは完全にオスカー・フリート(1871-1941)やメンゲルベルクなどと共通するロマンティックなものである。メロディーを奏するヴァイオリンなどはまるでオンドノ・マルトノ(註:オリヴィエ・メシアンなどの作曲家が好んで用いた電子楽器で、柔らかい音色を持ち、音の高さを連続的に変化させることができる。)のような音だ。ボッケリーニの場合も、ヘンデルほどではないにせよ、どちらかといえば甘美な表現が基本となっている。ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』第三幕への前奏曲も、ワインガルトナーとしてはかなり濃厚なロマンティッシズムを湛えた演奏である。これらの録音に接するとき、ベートーベンの交響曲などを通じて感じ取ることができたワインガルトナーのイメージは崩壊の瀬戸際まで追い詰められることになる。これが先に触れた演奏スタイルの揺らぎであり、ワインガルトナーの評価の一筋縄では行かない部分である。こうした演奏を行うときのワインガルトナーは、オーケストラに対して、あるいは、作品に対してどのようなスタンスを持っていたのだろうか? ワーグナーの場合はさておき、ヘンデルやボッケリーニ場合、その演奏、あるいは、作品に娯楽性のようなものを見出し、自分本来のスタイルではない、色彩的でロマンティックなスタイルを楽しんでいたのではないか、と私は考える。ワインガルトナーの思想の中では、ロマンティックなスタイルがより強い表現手段なのではなく、装飾的、あるいは、娯楽的なものだとする考え方が潜在しており、ヘンデルやボッケリーニの作品のシンプルで通俗的なイメージと重なるところがあったのではないだろうか? マーラーやニキシュであれば、はたしてこれらの作品にロマンティックな表情を与えたであろうか? この録音はそうした指揮者たちのスタンスを考える上で、大きなきっかけを与えてくれるのである。

 

 ワインガルトナーは最も早くブラームスの交響曲全曲を録音した指揮者でもある。彼はブラームスの生前より彼の交響曲を積極的に演奏していた。1896年、ベルリン・フィルを率いてウィーンで初めての演奏会を行ったワインガルトナーは、ブラームスの『交響曲第2番』をプログラムに取り上げた。この演奏会には最晩年に差し掛かっていたブラームスも出席していたという。ワインガルトナーの演奏をブラームスは大変に気に入り、言葉の限り絶賛したという。彼はこの『第2番』を大変得意にしていたらしく、ウィーン・フィルを離れる最後の演奏会においてもこの曲を指揮している。

 ワインガルトナーは、1938年から1940年にかけてロンドンでブラームスの交響曲全4曲を録音した。また、『第1番』については、1928年にもロイヤル・フィルとの録音がある。これらの録音は、アンサンブルが不充分であったりして、聴きづらい場面も少なくないが、ブラームスに関する現代人の先入感を払いのける興味深い演奏である。全体に速めのテンポが設定されており、音色も明るく、テクスチャーが明瞭で、いわゆる『ドイツ的な重厚さ』はまったく感じられない。ベートーベンのところで述べたワインガルトナー流のアクセントはここでも明確に聴くことができ、ハンス・リヒター(1843-1916)など、やはり古いスタイルを持った指揮者たちによって演奏されていたブラームス作品を彷彿とさせているように思われる。やがて、ブラームスの交響曲も頻繁にオリジナル楽器オーケストラで演奏されるようになることはほぼ間違いないが、ワインガルトナーのブラームスは、そうしたトライアルを検討する上でも充分に参考とされうる録音ではないかと思われる。

 

 

 ワインガルトナーの場合、幸いなことに、彼が実際にオーケストラを指揮している映像が残されており、現在では、LDでも見ることができる(The Art of Conducting ; Great Conductors of the Past、IMG/Teldec WPLS-4009、1994)。このLDによせて、宇野功芳氏は、「ベートーベンの交響曲における楽器改訂の本を書いた彼は神様に近い存在なのだが、その神様が棒立ちで、いかにも覇気のない指揮姿を披露されては困る。コーダの入りなど、のんびりとした顔で格好をつけるのでずっこけてしまう。」というコメントを付しているが、彼の論文などから受ける印象と彼の実際の指揮の印象が異なっているのは確かだ。ワインガルトナーの指揮には、どことなく不器用な感じが付きまとう。

 ワインガルトナーはパリ交響楽団を指揮して、ウェーバーの『魔弾の射手』序曲を演奏しているが、ワインガルトナーの指揮は、導入部、提示部あたりでは、不器用にごそごそ動いている程度で、これといっておもしろみがない。この部分では、これといった演技もない。しかし、展開部に突入すると、ドビュッシーが「ぽきぽきしている」と表現した彼独特の指揮ぶりを見ることができる。ワインガルトナーはほとんど直立を保ち、その両手の動きは直線的で、最上段から膝上の高さまでほとんど垂直に振り下ろされる。来日したイーゴリ・マルケヴィチなども、まるでロボットのように直線的な動きで指揮をしたが、ワインガルトナーも限りなくそれに近い。ワインガルトナーの指揮棒は拍打の瞬間だけものすごい速さで動き、拍打と拍打の間のほとんどの時間は空中で静止している。したがって、彼の指揮は、まるでコマ送りを見ているようでもある。コーダの直前、弦の上昇する音型を挟んで二つの長い和音が奏でられる部分は、ワインガルトナーが両腕をまっすぐに伸ばし、まるでナチスの敬礼のような格好で和音を止め、あるいは、薪を割るような勢いで弦に開始を告げる『見せ場』であるが、現代の我々から見るとやや滑稽でもある。ワインガルトナーは、最後の最後(この曲の最後の和音の止め)でも、いきなりのオーバーアクションでちょっとした『見せ場』を演じている。

 ドビュッシーの「ぽきぽきしている」という批評との整合性から考えて、以上のようなワインガルトナーの映像は、通常の演奏会における彼の指揮ぶりと大きな相違点はないと思われる。このワインガルトナーの指揮を、ニキシュの映像や、指揮をするマーラーのカリカチュアなどと比較すると、この3人の指揮者が三人三様個性的な指揮をしていたことが明らかになり、非常に興味深い。ワインガルトナーの軍隊の指揮官のような指揮に比べると、ニキシュはまるで女性をエスコートするような感じの指揮ぶり、マーラーはまるで『春の祭典』を踊るダンサーのようである。現代においては、指揮の動作自体についてもかなりの方法論が確立され、このような多彩な指揮を見る機会は少なくなった。しかし、方法論がしっかりしてきた反面、制約がより大きくなったことも事実であろう。そうした点においても、これらの指揮者の指揮姿は、現代の我々に興味深い示唆を与えてくれると思われる。

 

4. ドビュッシーの聴いたワインガルトナー

 

 ワインガルトナーの指揮が学問的で、明晰かつ簡潔なものであったことはすでに述べたが、その一方で、ときには、彼の音楽は冷たく、白け気味であることもあったらしい。ドビュッシーは、ワインガルトナーの指揮するベートーベンの『田園』を聴いて、「細かいことに気のつく庭園師のような指揮ぶりだった。毛虫は見事に駆除されているので、ニスの上塗りをほどこした、つやつやした風景画でも見ているような錯覚をおぼえるほどだった。その風景画には、つらなる丘のなだらかな起伏が、1メートル10フランの安物のビロードで出来たように描かれていて、樹木は髪鏝ごてで縮らせたような格好をしている。(『ジル・ブラス』1903年2月16日)」と書いている(『音楽のために ドビュッシー評論集』、杉本秀太郎訳、白水社、1993年)。ドビュッシーの文章自体は、そのまま読んだのでは一体何のことかさっぱりわからない三流の表現であるが、そこから想像する限り、ワインガルトナーの指揮した『田園』が、整然とした手際のいいものではあったが、あまりに角の取れすぎた、感情的な高まりの感じられないものであったために、ドビュッシーの好みには合わなかったということなのだろう。しかし、この日の最後の曲目、リストの交響詩『マゼッパ』を聴き、ドビュッシーは同じ文章で、「リストの『マゼッパ』を指揮したとき、ワインガルトナー氏は本来の面目を取り戻した。(中略)ワインガルトナー氏は、一見したとき、研ぎたてのナイフのような体型をしている。指揮の身振りはぽきぽきしているが、一種優雅なところをもっている。ところが、不意に彼の両腕が振り上げられ、トロンボーンが吼え立て、シンバルが狂乱する。はなはだ印象的である。闘牛を見ているようである。聴衆はもはや熱狂をどう表していいかわからなくなる。」とも記している。また、当日演奏されたワインガルトナー作曲の歌曲については、「ワインガルトナー氏の作曲になる3つの歌曲が、ローネー夫人によって歌われたが、かなり美しい展開をそなえているのは第3曲だけといえそうだ。オーケストラの額ぶちが立派なものだから、あきれるほど発明力の乏しいワインガルトナー氏の欠点が目立って、歌を台なしにしている。実にだらだらと長い曲だ。雨降りみたいな音の雰囲気のなかで、未練げにうろついている曲だ。」と批評している。その約1カ月後、ドビュッシーはジークフリート・ワーグナーの指揮する演奏会を聴いているが、そのときのコメントの中では、「(ジークフリート・ワーグナーは、)オーケストラの指揮者としては、ドイツが従来輸出しているものよりも品質は劣っている、と私には思われた。たとえば、ワインガルトナー氏は彼よりも理解力があるし、ニキシュ氏は装飾性においてまさっている。(『ジル・ブラス』1903年3月2日)」とも述べている。(前掲書)

 

5. 『ハンマー・クラヴィーア・ソナタ』

 

 以上、SPなどに残された録音からワインガルトナーの演奏について検討してきたが、そうした点とはまったく違う意味で、ワインガルトナーを語る上でもう一つ忘れてはならないおもしろい録音がある。彼がオーケストラ用に編曲をした『ハンマー・クラヴィーア・ソナタ』(ピアノソナタ第29番)の録音である。ロイヤル・フィルとのこの録音は、現在はイギリスのPearlというレーベルなどからCDに復刻されている。演奏自体や編曲の技術には、残念ながらそれほど魅力はないが、興味深いのは、巨大なフーガを持つベートーベン最大のピアノソナタを、オーケストラ用に編曲することを思いつき、それを実行し、さらに、演奏、録音までしたという事実である。ベートーベンのピアノソナタの中には幾分ピアノ離れしたふんいきのものがあり、ピアノでは表現しきれない部分をオーケストラで表現してみたらどうだろうなどということは、ちょっと楽譜を書いたことがある人なら誰でも考えることだ。そういう私ですら、10代前半の頃、第22番のソナタをオーケストラで演奏したらなどと考え、あれこれと試してみたことがあるくらいだ。現代の、しかも、専門的な教育のない私ですらこうなのだから、まして、ベートーベンがまだ神様だった時代、似たようなことを考えた専門家たちもいただろう。しかし、よりによって『ハンマー・クラヴィーア・ソナタ』というのが驚きなのだ。このソナタはあまりにも複雑で、対位法的で、その響きもむしろピアノないしはそれに類する鍵盤楽器で演奏するのに向いている。オーケストラにあのテクスチャーをそのまま移植しようとすると、細かい音符の動きはのっぺりとぼやけてしまって、余計わかりにくくなる。現に、録音で聴くこのアレンジも、いかにもなまぬるい音楽になってしまっている。粒だったピアノの響きの方がずっと多くのものを伝えられるのである。これは、録音条件の悪さによるものでないことは一聴して明らかである。現代の我々からすれば、悪趣味以外の何ものでもない。(余談だが、グラズノフらの管弦楽編曲によるシューマンの『謝肉祭』の録音が、アンセルメ指揮の演奏で残されている。これなどを聴くと、ワインガルトナーの場合にきわめて類似した悪趣味をステレオのより鮮明な録音で体験することができる。) したがって、この曲をオーケストラで演奏する必然性はほとんどない。それなのに、なぜワインガルトナーはこんな労多くして実りの少ない作業に取り組んだのか? そこに、ワインガルトナーの夢と野望、もしくは、『教祖ベートーベン』に対する信仰告白のような心理があったとするのは、私の深読みのし過ぎであろうか? 彼の少し前、マーラーがベートーベンの楽譜にほんのちょっと手を加えただけで、ヒステリックな反撃に見舞われ、結局ウィーン・フィルの指揮者を辞任せざるをえなかったというエピソードをおそらくワインガルトナーも充分知っていただろう。むしろ、ワインガルトナーはマーラーを攻撃する勢力に積極的に協力していた可能性すらある。そのワインガルトナーが結局このような録音を残してしまったことは、音楽的にはまったく理解できないのである。権威とは恐ろしいものである。

 

 

 以上、録音、映像、当時の記録などからワインガルトナーの指揮者としての特性について考察した。パリ音楽院管弦楽団との録音に見られるように、彼のスタイルには時折揺らぎがあって、単純に評価することは難しいが、そのほとんどの資料は、彼が後期ロマン派以前の古いスタイルを基本としていた指揮者であったことを示している。特に、そのアクセントやリズムの処理には、現代の演奏家が完全に失ってしまった、ワーグナーの出現以前にも遡る古いスタイルが息づいている。ワインガルトナーが単なる往年の巨匠としてではなく、そうしたスタイルの継承者として再評価されることが今後強く望まれるのではないだろうか?

 

 

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