■ ざ・れぽーと!■

ここは、皆様から頂いたテキストを載せているページです。行替え以外は、原文のままです。

にょん太さんから頂いたメールの、 一部抜粋です<99.2.21>

出会いはちょっと遅くて、高校2年生の後半か高校3年生になってすぐの頃だったと思います。私は週に1回代々木の「Y」ぜみな〜るに通っていたのですが、(これはもちろん受験勉強のため、 ということだったはずですが)別にとりたてて良い大学に行こうなんて思っていたわけでも なんでもなく、周りのほぼ全ての人がそういうところに行っていたのでなんとなく ・・・いや強迫観念に駆られていっていただけというところが正解ですかね。 (週に1回しかも土曜日ってあたりにやる気の無さがうかがえる) だから結局は、 アルバイトをしていた頃の貯金や「参考書を買う」などといって親からせしめた金で 帰りに輸入レコードを買ったり、古着屋さんにいったり、本や漫画を買ったりしてました。 
ところで、私が高校生の頃は、「文学部なんて女の子の行くところで、そんなところに行っても 就職は無いよ」なんていう風潮があって、周りのみんなも法学部とか経済学部を志望してました。 でも私にはそんな学部にまったく興味がもてなかったし、「人間は何のために生きるのだろう」 なんてことを真剣に1日中考えているような青いガキだったので(^^ゞ

そんな青い私には、良い大学にいっていい会社にはいって結婚して・・・ っていうビジョンがまったく見れなかったのです(ばかですね)。 それに、そもそも就職のために大学にいくという考え方に、非常に反発をおぼえていました。 かといって「レール」からドロップアウトする勇気も無かったのです。
(学年の99パーセントの人が進学する学校だったせいでもあったと思います)


高校2年生の頃は、それなら農学部にいって「田舎で自然と共に生きるお百姓さんになる」 なんて真剣におもってましたが、物理が絶望的にわからず挫折。 根っからの文系人間であることを再認識しました。 (ここで。お百姓さんには大学を出なくてもなれるのに農学部、なんていうところに 私が「レール」からドロップアウトできない小心者であることがわかる)
そんなわけで、高校2年生の終わり頃に出した進路希望には ため息混じりに「経済学部」とか書いたりしてしまいました。
そんな時です、わたしが神坂智子さんに出会ったのは。

いつもの「Y」ゼミナールの帰り道、いつもたち寄る本屋さんで、 帰りの電車のなかで読む本を物色していたところ ふと「シルクロード」という文字が目に飛び込んできました。
子供の頃夢中になって見たNHK「シルクロード」の影響か、なんとなく反応してしまったんですね。 平積みにされていたそれは「雪の朝」でした。帰りの電車の中で読んだそれはとても面白かったですねー。 それから程なくしてその頃手に入る神坂本はほとんど私の本棚に収まりました。
(当時は本屋さんを2〜3軒梯子すればシルクロードシリーズ、 如月坂、ロレンス、小春びよりなどは容易に入手可能でした)


おセンチな話大好きなわたしにとっては「香妃」のお話とかとても良かったのですけれど (もちろんほかの話も)何よりシルクロードシリーズや「風の輪時の和砂の環」を通して見えてくる 神坂智子の哲学というか死生観というか、「この世界(宇宙)」に対する考え方みたいなものが 私が日ごろ考えていたことに近かった・・・というとおこがましいけれど 「これだっっ」て感じで(なんだかボキャブラリーが無いのバレバレ)、 さらに物思いにふける時間を増やさせてくれました(笑)
ロレンスは、これとは逆に疾走する人生っていうか、うだうだ考えずに(というより 考える余裕の無いくらい)極限のところで生きてみたい、「生きてる」っていう実感が得られる人生、 そんなものを渇望していた当時の私にとって、まさにある意味、理想の人生像をみせてくれました。
ロレンスについて、アラブについてイスラムについてもっと知りたいと思いました。 (もちろん彼の精神性を深く掘り下げたその物語自体にも共感を覚えたのだけれども) あと「小春びより」からは、人生ドロップアウトしてもなんとかナルかなって勇気をもらったり(笑)
その内にこういうことを勉強するためなら大学に行く価値はあるな こういう勉強って大学でしかできないな・・・なんて、なにかふっきれたような気がして・・・・・・・
というわけで、 1学期の終わり頃の進路調査で進路を全て文学部に変えて、先生を驚かせたりしてみました。 4校志望し、3校は哲学科(すべり止め)にはアラブやイスラムの勉強ができる学科を選びました。

かといって生来の怠け癖。まじめに勉強もせず余計なことばかり考えていたので (すべり止め)でなんとか引っかかり現在に至ります。  ただこの(すべり止め)からは非常に多くのことを学ぶことができましたが。
なんて、その頃のことを思い出して見ると私だけではないでしょうけれど よくもまあ、といえるほど色々なことを考えていたものです。ほとんどは どーしょうもないことなんですけどね、
みんなそれぞれになんとなく答えを出しながら大人になっていくのでしょう。 私も私なりに結論をだして大人になりました。

「T.Eロレンス」のなかにこんなせりふがあります。実は一番心に残っているせりふです。

ブルース、君はなんのために生きている?

さあ・・・僕はそんな高尚なことは考えないのですよ。
生まれは労働者階級ですし学問もありませんので
ただ食べるために日銭を稼いでいるだけです。


このせりふはあの当時私が行きついた結論の一つでした。
よけいなことを考えず(逆に、考えずに済むほど)日々を一生懸命に「生きる」。または 日々を一生懸命に生きざるを得ない人生(こそ理想)。実は、日銭を稼いで「一生懸命生きる」ことと アラブにおけるロレンスのいろいろなものを振り捨てながら疾走していた時間は 実は等価なのではないでしょうか。一見つまらない人生のようにみえて「いきるために生きる」、 ことの決して認識されることのない充実感。
先ほどのせりふにつづく言葉はこうです。


食べること以外で悩むのは支配階級の方々のゲームかと思われますが

あのころ、モラトリアムのなかで私には有り余る時間がありました。 そのときは気がつかないのだけれども実は持て余すほどの 時間があったのだと思います。
私はゲームに興じ、遊びの中から多くのことを学びました。 上の引用は必ずしも適当でないかも知れませんが、人生やはり そういう時間もたいせつなのですね(蛇足)

ふと振り返るともう「なんのために生きるのか」なんてことを考えなくなって何年にもなります。 おとなになったからなのか、生活に余裕が無いからなのか(真剣に貧乏している)。
 どちらにしても、私はあの頃の理想に近づいています。わたしは幸福なのでしょう。たぶん。


ざ・れぽーと目次へ