■ 永遠を見る娘・ツヴィについての考察 ■

それは
古い記憶のようで
あなた
神の意識のようで
また......
未来のようでもある

      そら
あなたの宇宙は
暗い闇だったり
光に満ち溢れた
眩しい海辺かも
しれない

それは
あたしには
わからないけれど

時は不定型に進み
変化し
あたしは それに
腰かける

あなたの意識に
腰かける

シルクロード「永遠を見る娘」より

右目が青、左目が金。間近の見えないその金の眼で、遙か遠くを見る、不老不死の娘ツヴィ。 神坂さんのテーマが凝縮された、それゆえに最も人間味溢れる生き方をするせつないキャラクター となってしまったツヴィ。そんなツヴィに惹かれた一読者:へれんなりの解釈(というか 感想ですね)を、簡単ですがまとめてみました。
※注:以下全文は……さら〜っとお読みくださいませ。 やたら長ったらしい文章でごめんなさいね。

ツヴィ登場作品:作品発表順

カレーズ−星の井戸−

1982年WINGS1号

カレーズ−ペルシャ−

1982年WINGS2号

カレーズ−夢−

1982年WINGS3号

カレーズ−幻影−

1984年WINGS9月号

シルクロード・砂漠幻想

1984年花とゆめ9月増刊号

シルクロード・欠けたもの満ちるもの

1989年花ゆめEPO1月号

シルクロード・マルゥの空ツヴィは砂色

1989年花ゆめEPO3月号

シルクロード・金目のツヴィ

1989年花ゆめEPO5月号

シルクロード・天と地の神

1989年花ゆめEPO7月号

シルクロード・永遠を見る娘

1989年花ゆめEPO9月号

シルクロード・そしてカレーズ

平成1年花ゆめEPO11月号

シルクロード・月の宴

1990年花ゆめEPO9月号

■ツヴィの登場
ツヴィが初めて登場したのは、シルクリードシリーズが連載されていた白泉社の「花とゆめ」 ではなくて、新書館の「ウィングス」でした。彼女は、いわばシルクロードシリーズ番外編 とも言うべき「カレーズ」一連のシリーズの主役として、登場したのです。
このカレーズシリーズ+「砂漠幻想」が前期(82年〜84年発表分)、より掘り下げて描かれた 「欠けたもの満ちるもの」以降が後期(89年〜90年発表分)、と一応分けてみると、 前期に相当する作品群では、実はツヴィは名前がありません。
基本的に、一話完結スタイルを取っているシルクロードシリーズは、その時限りの登場人物にも きちんと名前が付いているのです。ですから、ツヴィはその点においても、登場当初から 特異なキャラクターだったと言えるでしょう。

なぜ、彼女が誕生する必要があったかについては、 様々な理由があったことと思われますが、わたしが(勝手に)類推したのは、 シルクロードシリーズ全体を覆う、巨大な輪廻の縮図を、彼女ひとりに見出すことで、 (テングリ兄弟サイドではなくて)人間サイドからの能動的な働きかけにしたのではないか という点(勿論、他にもたくさんある要因のひとつって思ってくださいね)。 シリーズのテーマの、再構築を試みているように思えるのです。
そのため、シルクロードシリーズをさらに押し進めるために、不老不死であり かつ神とも呼ばれる存在であるテングリ兄弟の、平行して同じ位置に立てる「人間」が 必要だったんじゃないかなと思います。

■ターラとツヴィ
ところで、真美女ことターラは、ツヴィに先行するキャラクターとわたしは解釈しています。
これは、シリーズ初期に何話か登場しているターラが、宇宙ゆく帆船に乗らず、滅びる地球と共に いなくなってしまう話と、ツヴィがシリーズ本編に初登場する話が、同じ作品(「砂漠幻想」) に入っていることからも明らかだと思うのです。彼女たちは丁度バトンタッチするように、 すれ違っているのです(ただし、最終話「月の宴」で、ツヴィは影からターラを見ていますが…)

ターラは、ゾマ神の子として、絶大な能力を込めて人工的に(「ゾマの祭り」でターラは、 自身のことを、過去の産物というような言い方をしていますので。ここではゾマ神を含め、 SF的発想ですね)造り出された存在です。
その人造人間ターラは、人間界へと遣わされ、 人間界との接点を見出した(野津と恋に落ちた)ことで、半身の真美耶を失います。 ここでターラは、より人間に近づいたとも言えるのですが、特異な能力は健在で、 ターラはその狭間で苦悩します。
その果てに、テングリのひとり:スルジェに出会い、 ターラは活路を開きます。しかしスルジェは果たしてターラの救いになり得たのでしょうか?

消すことはたやすい
されど罪は消えぬぞ
幾億の朝を数えようと

「スルジェ、あなたの杖でわたしを消して!」
 (「バンボレットの谷」

このセリフは、そっくりそのまま、ツヴィのセリフでもありますね。

ターラの一連の流れと、カレーズシリーズは、同時期に描かれています。そして、「砂漠幻想」と 「カレーズ−幻影−」!
これ、手元にあるデータを見ている限りだと、違う雑誌の84年9月号 に発表されているんですよね。勿論、雑誌の号ってズレていることままありですけども、 殆ど同時に発表されたと言ってもいいでしょう。
「宇宙をゆく帆船」を見るどちらのツヴィも、船には乗らない存在です。乗れない、と思えないのは、 彼女が、自分の意志で地上の男についていっているからです。 だからこそ彼女はのちに、アッシュに向かって、「あたしはひとりで生きていく」と 彼らの無言の慰め・誘いを断るに至ったのでしょう。
ターラが、地球最後の時にあたって、 愛するスルジェと宇宙へ行くことを拒み、ひとり地上に残ったとき、ターラが「彼等10人が この世界を見捨てるかどうかは、残ったわたしの心にかかっていますので……」と告げたとき、 テングリの行く道と平行してもう一本の道が開けたのだと思えるのです。古い時代の産物である ターラが姿を消して、初めてツヴィの、「欠けたもの満ちるもの」を探し求める輪廻の旅が 始まったのではないでしょうか(ターラの設定では描くことのできない領域を探るために)。

■テングリ兄弟達にとってのツヴィ
神坂さんは、シルクロードシリーズ全体の構想観を、次のように表現しています。

「(前略)0は全てであり、そして0は無である」
この言葉にひかれて、 天山の神々を10人にしました。(中略)それで一人欠けたところからすべては動き出す。 10人目の詩織がそろったところで無に帰り消すか、宇宙へと飛翔するか…(後略)」

テングリ兄弟はシリーズを構成する枠組みであり、彼らの動向は、物語にとって 胎動のようなものです。また彼らは物語の輪廻を構成する側であり、その時々に現れる 「不老不死の神」です。しかし彼らはそれ故に、そこから出ることができずにいます。
いみじくも、詩織はこう言っています。

「変化しすぎた生き物は もう人々の生活にははいって行けないもの」 (「月の宴」

極めて人間味溢れるテングリ兄弟ですけれど、ツヴィひとりにかなわないのは、 この点によっているのでしょう。
ツヴィは、ひとりの人間の娘・アゼルの希望となるため、 テングリ兄弟によって生かされました。そのときテングリから受け継いだ、金の目と不老不死。 彼女の孤独がその能力に起因しているために、テングリ兄弟には「(悲しみや苦しみを) 自分のかわりを、ツヴィがひとりでやっているかのように思えて」しまうのですが、 同様に、ツヴィの喜びや幸福も、自分のかわりに味わっているように思えることでしょう。
ツヴィは、アゼル以上に、テングリ兄弟にとって<希望>なのではないでしょうか。そして この<希望>は、孤独と表裏一体になった、絶対個としての人の生に対する問いかけのようにも 見えます。

■ツヴィの孤独
ツヴィ自身の孤独は、次のセリフに凝縮されています(これ以上、言うことないですね…)。

「生きるってことがさみしいのさ
いつもあたいは枠の外だから

人間は何にだって枠を作ってしまう
家族だの民族だの国だの宗教や性別なんかで…
とにかくそのどれかの枠に身を置いて安心するのさ
自分はどれかと一緒なんだって

あたいはさ……どの枠にもはいれないんだ」
 (「そしてカレーズ」

(このテーマは、「T・E・ロレンス」でも扱われていますね。「そして僕は どちらの枠にも……はいれない自分を感じる…ハムディ ハムディ ぼくはさみしい」 というくだりなど)
異端者としてのツヴィが持たざるを得ない厳然たる疎外感は、人間以外の姿、 猫や鮫の姿を取ったところで、何ら変わりのないことを作者は提示しています。
このツヴィの主張は、(誰にとっても)多かれ少なかれ真実。「飲み込めない」ようなそれは 肥大化し、時にはツヴィ(猫)を自殺させるに至るほど、徹底的で容赦のないもの。
常に心のどこかで、逃れたいと考えているツヴィ。ターラのような「罪」もないツヴィには、 生きることはあまりにも漠然としているのでは、とさえ思えます。 誰にも肩代わりして貰えない孤独、けれどもこれこそが、ツヴィを決定的に 人間たらしめている要因だと思います。
<希望>を一身に負った彼女は、そして、孤独の向こうに垣間見ます。

■カレーズ、ツヴィ
「砂漠幻想」では「ミュー」と表現されているところの、異端者の最たるところに立つ ツヴィの戦いは、彼女の永遠の寿命同様、果てがないのです。
それが分かっていながら、ツヴィというキャラクターを生かすために、作品では 時代をあっちこち行き来して、多角的に捉えています。(作者が、前期の頃には恐らく 決めていなかったであろう設定等はともかく)つじつまが合わない、などと言う点は、 この場合あんまりイミがありませんよね。シルクロードシリーズ全体が 巨大なひとつの輪廻を形作っている以上、時間は必ずしも、過去から未来に流れているとは 言えないですから……

ツヴィが孤独に苛まれた時、必ず探すカレーズ。それは、アゼルの遺言のように 「生命の大切さを教えてくれる」ものでもあり、ひいては、テングリ兄弟へ通じる道でも あります。ツヴィは、カレーズシリーズのように、世界の両面を見ます。
それからツヴィが生きようと思う、その瞬間。 ひとりの人間(時にはマルゥでもあったりする人間の男、或いは、足の悪い少女も含まれる?) との出会い、琴線に触れるその瞬間瞬間、ツヴィは輝きを見出し、光るカレーズを探すのは もっと後でもいいと思うのです。
カレーズの構造を考えると、ところどころ地上に顔を出す井戸と、下の繋がっている地下水は それぞれ、出会いとツヴィの生を象徴している気がします。

どんな苦痛をも逃さず正確にキャッチする能力を持つシッダルーダにもまた、運命を 受け入れさせたこと、「前世から彼はシッダルーダだった」という一文に込められた、 生への賛歌。
シッダルーダの生涯を眺めたツヴィにとっては、この一文は、次のシーンに 繋がっているでしょう。ツヴィに込められたテーマの、ひとつの到達点。 ここへ至るツヴィの全過程を思うと、がらんどうの夜の砂漠に、ありえぬほどの巨大な満月 (「満ちるもの」の象徴??)を背にして、 アッシュに対座するこのシーンは、涙が出るほど圧巻です。

「迎えにこなくたっていい
あたしは一人でいきるんだから

心配なんかしなくていい
あたしは自分でやって行ける

あたしがあんた達の遺伝子をどこかで受けついでいるとしても

あたしはあたしだ」
 (「金目のツヴィ」

-The End-

もし、ここまで読んでくださった方がいたとしたら、ひたすらに感謝感謝です。読みにくい文章で申し訳なかったです。もし何かご意見等頂けたら、うれしく思います。(98.6.21)



シルクロード(白泉社版)目次へシルクロード(角川版)目次へ
神坂智子的世界目次へ
forest_season@mail.goo.ne.jp