

イタリアの郊外にある洒落た感じの空き家に、美しい人妻ドーラ
(ニコロディ)が越してくる。
彼女はパイロットをしている新しい夫のブルーノ(シュタイナー)が
仕事に通いやすいように、空港にほど近い、
かつて彼女が住んでいたこの屋敷に戻ってきたのだ。
前夫との間に生まれた、可愛い盛りの息子のマルコ(コリン,Jr)は、
引っ越しの興奮からか、そこらじゅうを飛び跳ね回っている。
だが、一見幸せそうに見えるこの一家には暗い過去があった。
ドーラの前夫カルロは麻薬中毒者で、自分のヨットで海に出たまま
事故とも自殺ともつかない失踪を遂げてしまっていた。
カルロの死体は発見されず、ドーラは暫く神経衰弱に陥り、
サナトリウムで治療を行っていたが、ブルーノの献身的な
手助けもあって次第に回復し、新しい生活を始めたのだ。
だがドーラにとって、その屋敷は忌まわしい過去の記憶を
思い起こさせる居心地の悪い家だった。
7年ぶりに戻ってきた屋敷はどこか淀んだ空気を漂わせ、
ドーラは言いようのない不安を感じていた。
しかし手頃な屋敷が見つかるまでの辛抱だと主張する
ブルーノの意見に納得した彼女は引っ越しを決意したのだった。
引っ越しが済んだ夜、ブルーノはドーラの不安を取り除くかのように
ソファーで愛を確かめ合う。その瞬間、眠ったはずのマルコ少年は
パッチリと目を開くと、「ブタ!ブタ!ブタ!」と両親を
罵倒するように呟くのだった・・・。
翌日、庭で遊んでいる時にドーラに馬乗りになったマルコは
まるで前夜のブルーノとのセックスを再現するかのように
ドーラの上で奇妙なあえぎ声を出した。
居心地の悪くなったドーラはマルコを公園に誘い、
海辺の断崖までドライブしながら死んでしまった父親カルロについて
様々な事を語り合った。
数日後、屋敷で引っ越しパーティーが開かれ、
ドーラのかかりつけの精神分析医(ラシモフ)らがやって来る。
賑やかなパーティーの席で、ふと異様な視線に気づいたドーラが
部屋の隅に目をやると、そこにはドーラに憎しみの視線を送る
マルコが立っていた。更に台所へ向かったドーラの背後にマルコが現れ、
「僕、ママを殺すからね・・・」と呟いて走り去った。
ドーラの周辺で夢とも現実ともつかない異様な出来事が続き、
マルコと庭で遊んでいたドーラは何かに足を取られて転んでしまう。
思わず足先に目をやったドーラが見たの物は、土中から彼女の足を掴む
青白い死人の手・・・悲鳴を上げるドーラがもう一度目を凝らすと、
それは倒れかかってきた熊手の刃先だった。
その後もピアノの鍵盤に剃刀の刃が仕込まれていたりと、
神経質になっているドーラの精神状態を逆なでするような出来事が続き、
マルコは姿の見えない何者かと会話を交わし、楽しそうに遊ぶようになる。
パイロットをしているブルーノがフライトで家を空けると、
マルコはドーラに一緒に寝てくれるように頼む。
ドーラが眠りに落ちると、マルコはまるで
一人の女性を愛するかのように、自分の母親の体を撫で始める。
いつしか、子供の手は腐った男の掌に変わり、
うなされるドーラの頬を撫でていく。
ドーラは自分の下着が紛失しているのに気づき、偶然それを
マルコの洋服ダンスから発見してしまう。彼女のパンティや
ストッキングは激しい憎悪を表すかのように、
ズタズタに切り裂かれていた。
またドーラがシャワーを浴びているのをマルコがのぞき見する事件も起き、
理由を聞いてもはぐらかしたり、笑って逃げてしまうマルコの態度に
ますます不安定なドーラの神経は苛立っていく。
錯乱する妻を落ち着かせようと、ブルーノはドーラに安定剤を
飲ませるが、その副作用でドーラは死んだ夫が出てくる異常で
奇妙なフラッシュバックを見てしまう。
宙を舞い、ドーラを執拗に狙うカッターナイフ、
首から血を流した青白い顔の前夫、
そしてドーラが握ったブルーノの手は脆くも崩れ落ちてしまう。
心身共に疲れ果てたドーラには、マルコの起こす行動が全て自分を
傷つけようとしているかのように思えてならなくなり、
自分自身を納得させるために、ドーラはマルコをかかりつけの
精神分析医に見せるが、ドーラの目には奇行と写る
マルコの行動は、母の愛を得られない幼児の寂しさから
出てくるもので、マルコ自身には何の異常も見られないという
判定が出てしまう。
しかし、屋敷に戻ったマルコは、ドーラに一枚の絵を手渡す。
そこにはナイフを手にした女と、首から血を流して倒れる男の姿が
描かれていた。「ママがパパを殺したんだ!」マルコが叫ぶ。
ドーラは自分の息子に確実に前夫の霊が乗り移った事を確信する。
ある晩遅く、物音で目覚めたドーラは、その物音を辿って
地下室に向かう。そこで彼女が見た物は、
夫のブルーノが忌まわしい壁をハンマーで壊している光景だった。
ドーラの姿を見とめたブルーノは彼女に寝室に戻るように言うが、
ドーラはなぜ彼が地下室の壁を壊しているのだ!と詰め寄る。
ドーラのヒステリックな態度に興奮したブルーノは、思いあまって
全ての真実を彼女に話してしまう。・・・ドーラの前夫カルロは本当は
自殺したのではなく、中毒状態の夫がふるう暴力に耐えかねて、
逆上したドーラが殺害してしまっていたのだ。
カルロはドーラの手にしたカッターナイフで喉を掻き切られていた。
ドーラを愛していたブルーノは死体を屋敷の地下室の壁向こうに隠し、
カルロが所有していたボートを海に漂流させ、あたかも彼が
溺死か自殺をしたかのように細工していたのだった・・・。
ブルーノが屋敷に戻ろうと主張したのは、家を売る前に
カルロの死体を壁から取り出して処理してしまわなければ、
誰かに発見されてしまう恐れがあったからなのだった。
全ての記憶を取り戻したドーラは、完全に取り乱してしまい
死体を取り出そうとするブルーノめがけてハンマーを振り下ろしてしまう。
胸を差し抜かれて絶命したブルーノの死体をカルロと同様、
壁に押し込めるドーラ。しかし彼女の背後に突如、
カッターナイフを握る謎の男の手が出現する。
その手はカッターナイフの刃先を彼女の首筋に突きつけ、
一気に真横に走らせる。真っ赤な血を吹き出しながら倒れ込むドーラ。
だが、カッターナイフを握った何者かの手は、実は彼女自身の手だった。
ドーラはカルロの怨念によって同じ方法で死を与えられたのだ。
次第に意識が遠のいていく、ドーラの頭上の窓の外は良く晴れわたっており、
緑のまぶしい屋敷の庭では、マルコがただ一人見えない誰かを相手に
楽しそうに紅茶を飲んでいた・・・マルコが呟く。「パパ・・・」。
1977年に作られた「ザ・ショック」は、恐らくアルジェントの「サスペリア」の
世界的なヒットを受けて製作されたオカルト映画の1本である。
しかし実際の内容は革新的な「サスペリア」のそれに比べると、
今までにもどこかでお目にかかったようなアイデアを羅列した
古くさい(バーヴァが全盛期に作っていたような)怪談話だった。
この映画がアルジェントの作った映画群に影響されているのは
その内容だけに留まらず、音楽にプログレッシヴ・ロックを使っている点にも
見て取れる。75年に発表された「サスペリア2」や、76年の「サスペリア」で
アルジェントはイタリアの新人ロック・バンド、ゴブリンを起用し
(使い方は賛否両論だが)素晴らしい効果を挙げていたが、
「ザ・ショック」では、イ・リブラという(殆ど謎のバンドに近い)グループが
スコアを担当している。90年に入ってから日本でもCDがリリースされたが、
それまでは「ザ・ショック」のスコアは幻に近かった。
イ・リブラが発表した唯一のCDである「ザ・ショック」は
ゴブリンのつまらないアルバムを遙かに凌ぐ、70年代の名盤である。
(リブラのメンバーにはゴブリンのドラマーだったヴァルテル・マルティーノもいる)
「ザ・ショック」を撮った当時、バーヴァは65歳と既に若くなかった為か
ホラー映画としては恐ろしくスロー・ペース。だが、よく練られた
キャメラ・ワークを含め(但しアルベルト・スパグノーリが手掛けた照明は
バーヴァの映画にしては、やや単調で決定的な美しさに欠ける)
一見の価値がある仕上がりである。
この「ザ・ショック」は明らかに穴だらけ・欠点だらけの作品ではあるが、
それはバーヴァが作品の全てに関われる状況ではなかった為に生じた
弊害なのかもしれない。
現場で助監督をしていた息子ランベルト・バーヴァによると、
マリオ・バーヴァ毎日、朝方にその日に撮るべきショットを全て
絵コンテに書き出し、俳優と少しだけ絡むと健康上の理由や
心身の疲れを理由に日中は家に帰ってしまっていたのだという。
当時バーヴァには特別体をこわしていたとか、病気だった記録はないので、
恐らくは息子ランベルトに現場での演出を経験させる為に
そうした行動をとっていたのではないかとされている。
しかし、バーヴァの作品に対する半端な関わり合い方によって
完成した映画は、「巨匠の映画界での遺作」と呼ぶには甚だ
不本意な作品に仕上がってしまった。
バーヴァ本人はまだ映画を撮るつもりでいたのかもしれないが、
皮肉なことに続くTV物「LA FRUSTA」を手掛け、
(但し実際に放映されたのはバーヴァの死後だった)
アルジェントの「インフェルノ」の仕事を片付けた後、
念の為に受けた健康診断で、「完全に異常なし」と診断され
(恐らくは)安心して家に戻った3日後に、突然の心臓発作によって
66歳の生涯を閉じてしまったのだった。
脚本と演出の一部を息子ランベルトが共同で担当(演出に関しては
L・バーヴァ本人は否定)しており、イタリアン・
ホラーの研究本「SPAGHETTI NIGHTMARES」で行われた
インタビューでも、「ザ・ショック」は父マリオの他の映画とは全然違う
タイプの作品だった。何よりこの映画はサイコ・ホラーだからね・・・と
語っているが、マリオ・バーヴァは60年代に既に「白い肌に狂う鞭」という
サイコ・ホラーの傑作を放っているし、「ブラック・サバス」の「一滴の水」の
エピソードもサイコ・ホラーの範疇に入る作品だと言える。
また「ザ・ショック」のすぐ直後に発表されたTV映画「LA
FRUSTA」も
死んだ男の幻影につきまとわれ、精神を病んでいく女性の物語であり、
また「ザ・ショック」と同様に家族の間に横たわる背徳的な性関係を
描いている内容(主演はやはりD・ニコロディ!)である。
この映画から10年後、ランベルト・バーヴァが発表した
「アンティル・デス」は、暴力的な夫を愛人と共謀して殺した妻が、
数年後、夫の記憶を持って現れた謎の男と、自分の息子によって
精神的に追いつめられていく話だった。・・・ヒドイ息子・・・。
<キャストについて>
主な出演者の中でヒロインを演じるダリア・ニコロディは
当時アルジェントの公私ともに渡るパートナーだった女優。
夫のジョン・シュターナーは出演作は数多くあるのに、
代表作というと思い浮かばない不思議な俳優だ。
出演作はアクション映画からホラーまで幅広く、
殆どのイタリア製の娯楽映画に顔を見せている。
敢えて有名な映画を挙げるとするなら
ティント・ブラスのエロティック物「サロン・キティ」がある。
物語のキーとなるオカルト息子に扮するのは
「デアボリカ」でも悪魔に録り憑かれていた
デビッド・コリン・Jr.。この映画でも素人同然ながら
強烈な存在感で恐怖を振りまいている。
日本の資料では(未だに)間違えて記載されているが、
前夫を演じている俳優はニコラ・サレルーノ。
「食人帝国」や「カニバル」等にも出ているイヴァン・ラシモフは
精神分析医の役で顔を見せている。
キャストは少ないが、それぞれクセ者揃いで楽しい。

<おまけ:各国の「ザ・ショック」事情>
この映画が日本で封切られたのは79年の7月29日だが、
この頃は各配給会社で様々なインチキ宣伝合戦が行われた時期でもあった。
「ザ・ショック」の配給は過剰なヤラセ宣伝で有名だった日本ヘラルド映画で、
この映画もご多分に漏れず、単なるモノラル映画なのに
「スケアリー・4チャンネル・ステレオ」なる偽ステレオ仕様で公開された。
パンフレットにもホラー映画の宣伝には欠かせなかった”おすぎとピーコ”、
それに宣伝部の「キャー!キャー!対談」が載せられ、
チラシやポスターには「39回連続ショック!!」の文字が踊った。
その後、80年代のビデオ・ブームの最中に「ザ・ショック」のビデオが
東芝からリリースされたが、余り大きな話題にはならなかった。
ビデオは廃盤となり、他のバーヴァの映画同様「ザ・ショック」も
あまり見られない映画になってしまったが、最近ビデオの発掘がめざましい
カルチャー・パブリッシャーズから突如とDVDが再発された。
アナウンスではどちらもイタリア語のマスターという事だったが、
実際に発売されたビデオは東芝版と同じプリントの英語マスター。
DVDの方は確かにイタリア語のニュープリント版だ。
世界的にも珍しいので、これは在庫があるうちに買っておいた方が
良いかもしれない。
「SCHOCK - TRANSFERT SUSPENCE HYPNOS」は
宣伝にのみ使われた題名であり、
「All 33 di via Orologio fa sempre freddo」は撮影中の仮題。
「Suspense」はプレ・セールス用の題名だった。
英語圏では「Beyond the Door II」の題名が有名。
因みにご存知だとは思うが「Beyond the Door」は「デアボリカ」、
「Beyond the Door
V」は「ザ・トレイン」の欧米向けタイトルである。
イギリスではヴィンセント・アランダの「The
Blood Spattered Bride 」と、
アメリカではジョン・バッド・カルドスの「ザ・ダーク」と併映されているようだ。
ビデオも各国でリリースされているが、「The
Shock」の題名で
リリースされているイギリスのヴィデオ・メディア社、
ヴァンピックス社の82分版を最短に、
フランスでは「Les Demons de la Nuit」、「Cauchemars」、
アメリカ、オーストラリアでは88分の「Beyond the
Door II」版が
出ている。
アメリカを中心に発売されているカット版は、どこが削除されて
いるかというと、マルコとドーラが腕相撲をするシーン、
公園に2人が人形劇を見に行くシーン、
ドラの顔を撫でる腐乱した手のひら、等細かい部分を始め、
マルコがドーラの寝室をのぞき見する場面や
2人が一緒に眠る、重要なシーンもカットされてしまっている
いずれにせよ、「ザ・ショック」の完全版が世界中で
簡単に見られるようになることを祈るばかりだ。