大川橋蔵[1929-1984]

 大川橋蔵は昭和58年9月ごろから体調悪く、入退院を繰り返しながら、テレビの『銭形平次』をつとめた。

 この銭形平次は、昭和41年5月から59年4月まで17年11カ月、888回にわたるもので、ギネス・ブックで「テレビの1時間番組世界最長出演」と認められた。

 その第1作から11年間撮影を続けた佐々木康監督は語る。
「最後まで平均5日に1本という重労働の上に、年3回、東京と大坂で舞台公演をつづけてきたから、ほとんど休みがない。それでよく撮影の間にはセットの片隅で、椅子に腰かけ、顔に布をかぶって眠っていました。しかし出番がくるとパッと起きて、長いセリフの芝居をやっていました」

 番組が終わった昭和59年の11月25日に入院した。この最後の入院のために家を出るとき、玄関先に椅子を出させ、家じゅうの電灯をみなつけさせて、それを眺めてから車に乗った。

 病名は結腸ガンで、すでに肝臓に転移していた。
 彼には直接知らせなかったが、しかし彼は「おれは自分の病気を知ってるんだ」といい、また医者に、「大酒も飲まず煙草も喫まず、食事にも気をつかい、いつも腹に健康帯を巻いてきた私が、なぜこんな病気になったんです」といった。もっとも橋蔵は妙に凝り性のところがあって、天丼が気に入ったら天丼ばかり、1年以上、昼飯に天丼を食い続けたことがあったという。

 12月4日、突然橋蔵は、「おれの命はあと3日だ」といった。そして7日午前1時29分に死んだ。
 棺には平次用の十手と投げ銭がいれられた。

 葬儀で、未亡人となった妻の真理子は、「主人はたった1つの宝はお前だといってくれました。主人の楽しみは女房をきれいにして連れて歩くことだ、と常にいってくれました。ほんとうに幸せでした。日本一の主人でした」と、芝居掛かった挨拶をしたが、それは烈しい恋愛合戦の末に祇園の芸妓から橋蔵の妻となった彼女の、かつてのライヴァルたちに対する勝利宣言であったろう。

「人間臨終図鑑」(山田風太郎・徳間書店)


一つ戻るトピックのインデックスへトップページへ一つ進む