★★★★(2000.4.26)
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『ヴードゥー/ディアンジェロ』 コンテンポラリーなR&Bだと思い込んでいた。それで「ブードゥー」は厚かましいだろうよ、と。 いきなり1曲目で異変に気付く。絶妙にモタったベースライン。気持ち悪いぞぉ、これ! で、そのモタリが創り出すウネリにハマッたまま最終曲まで持って行かれる。これぞグルーヴだ! そして、このグルーヴこそが“ブードゥー”である、と気付いた頃には手遅れだ。気持ち良いぞぉ、これ! 元来、ループするリズムは古今東西を問わずダンスビートの基本であり、その目的が祭の形を借りた精神の高揚であることは常識だろう。呪術において、この反復するビートは参加者をトランスにいざなう。 本作の内ジャケにも白目を剥いたトランス女の写真がデザインされ、「鶏」や「酒」と言ったイコンとしての“ブードゥー”が表現されている。 さて、ここまで書いておいて何なんですが、主旨を転覆させていただく。 “ブードゥー”ってのはディアンジェロが掛けた保険でしょう。歌詞は読んでいないけれど、歌詞に“ブードゥー”の記述があっても同じこと。 新手のR&Bスタイルでしょ、この音楽は。ボーカルが冷静に計算してるんだもん。やっぱ、コンテンポラリーじゃん。いや、僕は褒めているんだけどね。R&Bに“ブードゥー”要素を持ち込んだなんてイカスじゃん。 そして、もう1つの保険はエレクトリック・レディ・ランド(ジミ・ヘンの!)での録音。 わかりやすい!
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★★★★(2000.4.26)
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『Love is a
Battlefield/Hi-STANDARD』 まず、このマキシシングルの勝因は4曲収録でトータルタイムが8分19秒であること。そして、『キテレツ大百科』のエンディングテーマ『はじめてのチュウ』と、エルヴィスの『好きにならずにいられない』をパンクアレンジでカヴァーしていること。 わかった? つまり、超短いラヴソングなんだよ。ラヴソングはシンプルでストレートな方が偉い。パンクロックは速い・短い・シンプルという3拍子揃った良質なポップ音楽であったが、何かと付加された挙句“ネガティヴに機能させられた音楽”だったと思う。初めてラモーンズを聴いた時のワクワクした感じは、多くの理屈優先型パンクバンドの登場によって形骸化した。勿論、その時代に僕が理屈優先型パンクを嫌っていたのかと言えば、歓迎していたんだけどね。でも、20年経った今思うデスよ。ロックンロールでゴキゲン、っつう側面をそろそろパンクに許しても良いでしょって。腕組んで聴く音楽かよ?って。 本作はビーチボーイズばりのコーラスが顔を出すなど、陽性のパンクサウンド。臆面も無くパンクビートにストリングスが乗るなど、既存のパンク概念を打ち砕く、激しく。 さてハイスタが臨んだラヴソングは逆説的な意志に基づく反ラヴソングなのかも知れない。そうであっても構わない。僕の身体はとっくに陽性のビートに反応したさ。パンクはラヴソングにフィットするさ。
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★★★★(2000.5.07)
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『The
Discovery Of A World Inside The
Moone/アップルズ・イン・ステレオ』 ポップの方向づけにエクスキューズが欲しい。唐突すぎて申し訳無いんですけれど…。 ポップなくせして爆発するような強靭なリズムやサウンドが欲しいわけですよ。ドラムンベースでなく、Lo-Fiでなく。コード進行が張り切り過ぎても音がゴリゴリっつう。 で、アップルズ・イン・ステレオ(以下、AIS)良いぞぉ。 いわゆる“ソフトロック”的な文脈の楽曲が中心で甘々のメロディなんだが、ボトムは太い! 生ギターやドラムス、ホーンなどの生楽器が中心で、時折挿入される“2000年モード”の打ち込みやシンセとも絶妙なバランスを構築。かなり音数が多くて乱雑なアレンジなのに、全体の音圧をグッと作り出していて快感。どのトラックも主張しまくってるのに、上手に仕上げられているんだ。例えば1弦づつの鳴りが聴こえる生ギターと、負けずに響き渡るストリングスとが見事にマッチ。全トラックのフェーダーを上げまくった挙句に獲得した最良のバランスって感じ。 線の細いボーカルと、アコースティックなのに太いバックトラック。これで、コードが動いても、パワーは保証される。 人によってはコーギスやハーパス・ビザールなんかを思い出すだろう。 でも、AISは2000年型のエンジンを搭載しているという点で、今現在の僕にとっては先達を駆逐する存在として認められた。
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★★★(2000.5.07)
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『easy
leasing
superstar/レ・ハモンド・インフェルノ』 ナイキのCFタイアップ楽曲なんだと。ジャケのイラストも威勢が良いし、イケイケなんだろな、と期待して聴いた。アッパーなエレハウス、古典的テクノ、モンドなラテンラップと脈絡が無い3曲のディスコ曲収録。しかも、不可思議にズレるリズムに違和感満載。ミックスもリズムもノーマルで新機軸は無し。 1回聴いてCDラックに収納、ってパターンだよな普通は。ところが聴き返すんだね、このCD。な〜んか気になるんだよ。 例えば1曲目は第1印象こそ「アッパーなエレハウスディスコ」であって、それこそプラガ・カーンさえ思い出しちゃうんだけど、絶妙に野蛮なんだわ。「お、サーフミュージック!」なんて思った。ギターもさることながら、肝はハモンドオルガンなんだね。 アーティスト名からして、もっとハモンドがフューチャーされていると思ったけど、隠し味程度のボリュームで大暴れ。最前列で轟くリード楽器ではなく、背後で轟き全体を絞める“大番長”のようなハモンド。僕が期待したハモンド一色サウンドよりもセンスが良ぉございました。 「不可思議にズレるリズム」の正体はサンプラーのタイムストレッチ機能じゃないかな? サンプル音源の再生時間を固定して、帳尻を合わせるシステムね。そうしてみると、ノーマルなミックスは「不可思議にズレるリズム」を強調する為の戦略に思えてきた。 う〜む、僕の一方的な深読み? しかしなぁ、気になっちゃったんだもんなぁ。CDラックに直行してくれなかったんだもんなぁ。 ハモンドって聞いただけで心ときめく僕であるが、レトロ感を期待するなんぞイマジネーションの欠如を暴露。いかんね…。
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★★★★(2000.5.14)
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『WE ARE PART
OF US AND SO ARE
YOU/マックス・ブレナン』 生演奏と打ち込みの融合。このコーナーでは語り尽くしたテーマだし、市場にも出尽くした感があるのは事実。しかし、このテーマに完成は無い。いや、完成と思われた瞬間には、次の新しい発想によって打ち砕かれてしまう。イタチごっこ。 ゴールの無い永久運動に参加するくらいならば、バンドで修練を重ねてグルーヴの完成を目指す方が賢い?(ま、バンドのグルーヴだってゴールの無いレースだけどネ) こんな虚しくも儚い苦行が生み出すモノは所詮“たかがダンスミュージック”。気軽に踊られて消費されてナンボ。 うーむ、虚しくも儚い。 河豚(フグ)の料理で命を落とした調理人や色恋文学で投獄された文学者は“低俗なモノ”に命を賭けた愚か者なのだろうか? いや、河豚の調理も色恋文学も「男子一生の業」たりうる“価値有る事業”なのだ。 これは坂口安吾のとある随筆の概要。僕は高校生の時に読んで以来
感化されている。 そして、マックス・ブレナンは「男子一生の業」として生演奏と打ち込みの融合に命を賭けている。キックの音色とパターン、ハイハットのタイミングと響き等、全ての音が厳選され入念に処理されている。アクセントに鳴らす低音の音圧を演出することに命賭けの男。 僕は素敵だな、と思う。聴きながら身が締まる思いだ。打ち込みサウンドにだって気迫は宿る。 打ち込みのスクエアなビートにおけるチョッパーベースの使い方が、ここ最近考えていた僕のアイディアと似ていた。 僕だって僕なりに命を賭けてるんダモンネ・・・。
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★★★(2000.5.14)
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『EXHIBITION/EX』 そうか、EXはテクノポップじゃなくて60年代テイストのビートポップだったんだ。そうそう、81年にライヴを見たんだよ、EX。モッズっぽかったよ、そうそう。 シングル『白夜に踊る』の印象と後の梅林茂の活動から僕の記憶が「EX=テクノポップ」に上書きされていたんだなぁ。 『白夜に踊る』は端的に言えば「クラフトワーク+ベンチャーズ+ロシア民謡+歌謡曲」。書いてて気付いたけど、素材の寄せ集めで全然新しくなんかないじゃん! ゾクゾクするくらい新しかったのに…。 本作を20年ぶりに聴いて「時代が変われば音は古くなる」なんつう一般論ではなく、あの頃は「新しい」という価値基準が存在してた、と言う事実に気付いた。つまり世界初の音が「新しい」ではなく、“新しいと呼ばれているジャンルの音楽”が存在してたってこと。“特定範疇の音楽”を指して「新しい」と呼んでいたんだよ、僕等は。 シングル発売された『白夜に踊る』だけが特定要素を兼ね備えたEXのアルバムにシタタカさを感じた。 しかし僕は感傷的な気分。古臭くなってしまったサウンドやセンスの事情もあるし、テクノポップが内包する郷愁が原因でもある。 でも、核心は僕が「あの日」のことを思い出してしまうせいだ。 本気で世界が変ると思った「あの日」のことを。 沢田研二が落下傘を背負って歌った『TOKIO』はデジタル歌謡の金字塔だ。あれが「パンク」だと感じた僕の感受性。『TOKIO』のジャケ写を見て「俺達は勝った!」と思った優越感。 所詮はシタタカでインチキな「新しさ」に酔っていただけなのかも知れない「あの日」。 ともあれ、僕は日本ニューウェーヴを聴くたびに生涯メソメソしなければならないのだろうか・・・。
(関連ベンチャーズ・沢田研二)
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★★★☆(2000.5.21)
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『アイランズ/キング・クリムゾン』 ほう。プログレッシヴ・ロックを扱うのは初めてだ。 そう、僕は日常的にプログレは聴いていないんだよ。パンクの台頭とともに葬り去った、っつう有り勝ちなパターン。キング・クリムゾンが無数のCDをリリースしまくっていることは知っていたけれど、ノーチェック。 リマスターシリーズも本作だけに興味を持った。だって好きだったんだ、このアルバム。その理由は単純明快。「Ladies
of the Road」が収録されているから。ビートルズっぽくてポップじゃん。 今回聴いて、ガキの頃には意識していなかった(或いは認識能力が無かった)ポイントが確認できた。 このアルバムにとって“ビートルズ風”なんてのは小さなギミックだね。 ロバート・フリップが本アルバムに課したコンセプトは「編集」だ。 シンプルにシークエンスするリズムに多数の上モノが配置され、制御される。楽曲によってはベースが存在しなかったり、エレキベースとコントラバスをハジいたベース音が混在する。ギターやメロトロンの頻度も低い。メンバーの演奏よりもゲスト楽器が主賓格。 そう、このアルバムの手法は現在のDJの発想に近い「編集」だ。突如ストリングスがミュートされたり、連続している音の定位が唐突に切り替わるなど、ミキシングコンソールを楽器の範疇で捕らえていることが理解できる。(ヘッドフォンで定位を追うリスニングを薦める!) そうだよな、フリップがイーノと組んだループアンビエントってテクノだもんなあ。 僕はロバート・フリップがキャップを被ってDJをしてくれたら、なんて思うのですが…。 駄目でしょうか? あ、僕もルックス的には駄目だと思います、はい。
(関連)
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★★(2000.5.21)
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『真夜中のサイクリング/岡村靖幸』 不気味だ。岡村靖幸のシングルが出た。 前回のシングル『SEX』(←Click!!)で打ち止めとなって、また長い沈黙に突入するのではないかという懸念も疑惑も拭えなかった。みんな、本音は同じ、でしょ? 岡村チャンは潜伏しなかった。第2弾シングル! しかも『SEX』がストロングスタイルのシャウトファンクで今作は泣きのバラード。これは普通に考えたらフルアルバムの前哨戦。期待は高まるばかり…と言いたいところだが、僕は不安。 CDショップの宣伝文句では『カルアミルク』級のウルウルバラード、つう振れ込みだったんだよ。 『カルアミルク』を絶賛した立場から言わせてもらおう。岡村チャン、これ違うよ! 集中力が不足してるんじゃないの? 歌詞もメロディも全然曖昧だよ。何をしたいかという具体的なアイディアが無かったんじゃないの? 唯一面白いのが変態的なバックトラック。リズムがループを絶妙に避けるなど、相変わらず“壊れたセンス”が気持ち悪くて面白かったんだが、しかし…。 枯れちゃったか、岡村チャン。 C/Wは何故か『なごり雪』。選曲の意図はさておき、オリジナル曲のコード感をズタズタに破壊するバックトラックとメロディの崩し技が不気味。歌唱もヌメヌメと気持ち悪い。 ん!? も、もしかして、岡村チャンの指針は“気持ち悪さ”にしか向いていないのかな? 音楽をリスナーに馴染ませないことが命題? 気持ち悪いけど、馴染んだら手ごわかった岡村マジックの肝は優秀な歌詞とメロディであったが、その決め技を放棄したとしか思えない。 それはポップの放棄だ。 今回の楽曲を「純文学的表現」などとうそぶくのであれば、僕は岡村チャンと決定的に決別したい。 帰って来てくれ!
(関連)
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★★★(2000.6.02)
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『oops!…I did it again/ブリトニー・スピアーズ』 ふむふむ。名前は耳にしていたけど聴いたのは初めて。いや、意識したことさえ初めて。 プロフィールを読んでみる。 ふむふむ、つまりはとても才能があったから10代で大成功しちゃった女のコなのね。ルックスは“英国のコギャル”風情。(思ったより可愛くない) 意味無い比較をしてみると…、日本で言うところの宇田多ヒカルか浜崎あゆみ? う、本当に意味無い比較だったし、類似さえしないネ。 さて、本題。 典型的なアイドルポップとタカを括っていたが、プロダクションのレベルは高いです。言ってみれば、ハウスに方向転換して以降のマドンナと同レベルのハイスペック。世界的にアイドルブームなどと言われる昨今、アイドルコンテンツの品質向上は当然か。 頭では判っていたつもりなのだけど、一曲一曲に驚く。例えば、ポップの匙加減という意味で言えば、媚びていないんだな、これが。 いや、ポップはポップ。でも上限は品格が保証される範囲で押さえられている。75%にとどめた甘味。そして、堂々たる音楽的冒険。 さっきも例に挙げた宇田多・浜崎やモーニング娘。の実情を考えてみても、“現代のアイドル音楽”とは実験の場でもあり、「実験結果としての過激さ」という付加価値無しには成立し得ない。 これは素敵じゃないか。 世界的なアイドルブーム、大歓迎。
(関連)
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★★★(2000.6.02)
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『ラヴ・トリップ/タミコ・ジョーンズ』 このジャケ写、懐かしい。 えーと…そうそう、ソウルがディスコ化しまくってた時代(スリーディグリーズ全盛期)のMUSIC
LIFE誌広告だ。 僕はガキだったからソウルへの興味も乏しく、ソウルやディスコを“適当なイメージ”に封じ込めて無視していた。 “適当なイメージ”とは「自分とは無縁のエロ」とでも言うか・・・。 つまり、生涯、黒人女性とSEXする機会は無いという前提に立って、「黒人感覚のエロ」を理解出来ない立場からの「無縁」を決めこんでいた。言われるまでもなくガキゆえの視野の狭さ、です。 そんなガキだった僕の目にも本作のジャケ写は強烈な印象だった。 あれから20余年、遂にジャケ写を手にとり音を聴いた。今なら黒人女性のエロも理解できるし、第一、僕は大人だ。 第一印象は「なんでぇ、こんなもんか」。 エロくないじゃん、全然。爽やか。 これってソウルの歴史における「エアーポケット」だな。ソウルが持つコンテンポラリーな側面をデフォルメしたらイージーリスニングになる、っつう見本。歌も演奏も油分が不足。でもでも、2000年に聴けば、それも味。 うむ、結局は気に入ったぞよ。 タミコ・ジョーンズは日本人と黒人のハーフ。あまり美人ではないが、オッパイは大きい。歌も外観も濃くは無いが、オッパイは見事。 そっか、ソウル&ディスコ期のエロって、つまりはオッパイだったんだ! スリーディグリーズもオッパイ強調のジャケ写以外はたいしてエロくないもんな…。
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