★★★☆(2000.9.04)
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『ハーフウィット・アンセムズ/デッドウェイト』 (前回までのあらすじ)僕がフジロックで見たEVE6(←Click!!)の正体はデッドウェイト(以下、DW)だった…。 なんのことはないEVE6の欠場によって繰り上がったバンドがDW。事情を知らない僕はEVE6だと思い込んでいたのであった。しかし、メインであるグリーンステージでの堂々たるパフォーマンス。見たこともない編成(ヴィオラ+チェロ+ドラムス)に度肝を抜かれた観客は多かったはずだ。 結果、めでたく国内盤リリース。やっぱり話題になってたんだ。メーカーも「ここが売り時」と察知したな! 棚からぼた餅。運も実力のうち。 ストリングス楽器を導入したグループと言えばカーヴドエア、ウルフ、ロクシー、クリムゾンなんかに健著なプログレッシヴ勢やジェファーソンとかペンタングルとかのフィドル派。 DWはヘヴィなポップロック。ELOのセンスとは違う着地のポップロック。 ヴィオラとチェロはギター、ベースやキーボードの領域を侵犯したかと思うと、唐突にクラシカルな顔してリードを担当。単音弦楽器でコードバッキングするなんて、すっごい発想だよな。(やっぱ、リフが主体ではあるんだけどね) DWはコンセプトから奏法に至るまで、全く新しいスタイルを確立した。しかも、ライヴ対応可! ビートルズの爪の垢が飲みたくて、オーケストラストリングスを導入して御満悦のブリット“ヘナチョコ”ポップ野郎とは意志の強さが違う。 この奏法やサウンドを完成させる為の努力や試行錯誤は並大抵ではなかっただろう。僕はリスペクトする。 ブリット“ヘナチョコ”ポップ野郎にとって喉から手が出るくらい欲しいに違いない「ビートルズの後継者」という称号にDWをノミネートしよう。少なくとも精神的にはビートルズと同等の志を持ったヤツラに違いないんだもの。 でも、曲調はもっと広い方が良いかも…。
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★★★☆(2000.9.04)
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『らいおんハート/SMAP』 久々にSMAPが“当て”に来た。入魂のシングル。 大ザックリに言えば“和製ブラコン”。平井堅のブラコンに満ち溢れていた色気と表現力には感服していたが、僕には少々トゥーマッチだった。SMAPは流行歌の範疇でブラコンを定義してみせる。 心地よい低音はいつもの通り。僕はSMAPの低音を信用しているので、今回もニッコリ。 本作のトピックはボーカルだ。 『夜空ノムコウ』では線の細い稲垣の声から木村への連携で不安定を解消し、5人のユニゾンの中でも草薙の声成分が切なさを増長させるという黄金のコンビネーションが聴けた。 本作では「切なさ=細さ」というSMAP楽曲の不文律を冒頭から切り崩す。 低いキーで始まる木村の声がドッシリと世界感を決定。程よい色気。続く香取のボーカルも艶めかしい。ところが、サビで唐突に始まる5人のユニゾンがどこから聴いてもいつものSMAP。少年ぽさを残す「未熟なSMAP」に変貌する。(サビが4度のコードで、急激にキーを上げていることも要因) 2コーラス目で聴く稲垣・中居・草薙の個性も絶品(気持ち悪いくらいに表現力がある!)だが、サビはやっぱりSMAPに豹変。 A+甲=5のようなマジック。 SMAPが(少なくとも録音盤の上では)ボーカルグループとして成立した証。 過去、アイドル流行歌のコーラスグループとして特化したのはキャンディーズ、ピンクレディ、シブがき隊、少女隊だったと思う。しかし、それらのグループはメンバー各自の声の個性があらかじめ奇跡的に絡み合っていた。(何故ならデビューシングルから完成しているからね) SMAPは本作で前代未聞の手法を導入し、品質を向上させた。絡まない単体の声で強力に個性を打ち出し、5人の声が絡むユニゾンで個性を消滅させる。 なんて馬鹿げた発想なんだろう、と思う。しかし、この楽曲の前で僕は納得してしまう。つんく得意のカット&ペースト編集手法がSMAPにフィードバックした、とも言えるな。 SMAP、つくづく時代に恵まれている。 でも、楽曲はパクリだね…。
(関連)
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★★★☆(2000.9.10)
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『ミュージック/マドンナ』 僕は『エロティカ』以降、マドンナを本腰入れて聴き始めた。手間と金のかかったサウンドが、装飾過剰期のマドンナ楽曲よりも全然クールだった事実にシビれた。 待望のシングル。9種類の別ミックスバージョンを収録(まるで浜崎あゆみ!)。 メインミックスの冒頭で「おや?」と思う。 基本は4つ打ちのキックなんだがBPMがやや早い。そしてキックの音は極端にドライ(つまりリバーブ成分が少ない剥きだしのキックだ)。きっとボーカルにはディレイとリバーブがたっぷりと仕込まれるぞ、という予測は的中。やはりリバーブで膨らんだシンセストリングス等、お馴染みの役者は健在。加えて音数は多い。生スネアの音がフィルインで唐突に顔を出すなど、ギミックも満載。そんな騒乱の中で黙々と刻むキックだけが冷徹に響く。かと思うと、後半ではリズムパターンが変化し、キックは4つ打ちを回避。不思議な高揚感だ。 歌詞を断片的に聴き取れば“音楽賛歌”。BPMを上げて、音数の多いサウンドに乗せたら能天気になるはずのテーマ。 しかし、本作のトーンはダークだ。マドンナの歌唱も高音を使うなど、発声が強いにも関わらずダーク。 前作がダークながらも落ち着いたトーンでリスナーを治癒すると言うコンセプトであるならば、本作の意図が読めない。 僕はマドンナからの挑発なのかな、と思った。楽曲の特性を担うキックの4つ打ちをあっさりと変化させる作為は尋常じゃない。 前作を僕は「尼寺ソウル」(←Click!!)と命名したが、どうやらマドンナは尼寺を降りたようだ。本作のおかげで臨戦体制は整った。 アルバム、ドンと来い!
関連(3・4)
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★★★☆(2000.9.10)
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『DOO-BEE/ズボンズ』 ラウドで切羽詰まったサウンド。ありったけの弾丸を全門開放して一斉攻撃で撃ちまくる。 表題曲ではギターとボーカルがビートを追い抜いてガンガンと先に行ってしまう。僕はローリング・ストーンズの『Love
You
LIVE』を思い出した。“ブラウン・シュガー”が追い立てられるように走っていた、あの感じ。 聴きながら、背中を後ろから押されているような気分になる。パンクロックに出会った頃を思い出してもみたけれど、ロンドンパンクのどのシングルもここまで“押し”が強くはなかったと記憶している。 敢えて言えば、ニューエストモデルのエネルギーが近い印象かも。一見、野蛮に見えて実はサウンドが洗練されていたり、ポップな作曲能力が優秀だったり、キーボード(オルガン)への依存も高いなど、ニューエストとの類似点は多い。 放っておくと、頭でっかちになりそうな危険もはらんでいるし、ね。 器用になりすぎるのも良し悪しなんだよな、こーいうバンドは。その意味では、歪んでブリブリいいっぱなしのベースや一本調子なドラムスなどは案外救いなのかも。 スピーカーを通すとデッカイ音の塊なのに、ヘッドフォンで聴くと各楽器が奥に引っ込んでいるミックスも面白い。きっと凄いに決まっているライヴのパワーを損なわない為の戦略とも言える。 自分達が野蛮であることをクールに自覚しているのだろう。 10代の人間はこの音に背中を押されて飛び出すべきだね。 10代以上の人達も、ね。
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★★★★(2000.9.20)
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『ミュージック/マドンナ』 2週続けてマドンナ。シングル→アルバムという流れに従って律儀に買い、律儀に論ずる僕。 さて、マドンナはいよいよ“尼寺”を降りた。貞操帯を外した脚を全開にしてみせるが、どうやら節度は捨てていない様子。その意味では“妙な期待”をしても、興奮はできないかも知れないネ。 “聖なるアルバム”に次ぐ本作はバラエティに富んだ楽曲が収録されている。なにしろポップな印象が頼もしい。しかし、完全な解放には至らない不思議な後味を残す。 一因はフレンチハウス直伝のドライなサウンド構成だろう。しかし、それならその気持ちで接する覚悟が僕にはあるのに、アルバムは僕を撹乱する。時折、4つ打ちキックと分厚いストリングスシンセにリバーブ満載の旧式マドンナサウンドが登場。 二つの顔を冷徹に切り替えるマドンナ。インナーの写真も馬小屋の藁の上に寝る“強姦寸前”のピンク・マドンナと、酒場の前で握り拳を固めるブルー・マドンナの二面を打ち出しているから、偶然じゃないだろう。 つまり、貞操帯を外して脚を開いても、マドンナは僕をメイクラヴに誘っているわけではない。 “メイクラヴの用途ではないオマンコ”を僕に見せつけている、ただそれだけ。 もう、彼女は誰とでも寝るわけじゃあない。(別に昔は誰とでも寝てたってわけじゃないんだろうけど…) しかし、世界はマドンナの“味”を知り、忘れられない。“後遺症”から覚めていない。 そんな事情を知り尽くしているマドンナは世界を挑発する。 でも、挑発に乗ったら駄目だよ。 貞操帯が覆っていた部分に“入り口”は有っても、“穴”があるとは限らないんだから…。 僕は子供の頃に見た夢のような“そういう類の恐怖”を感じた。 うーん、一種の“去勢音楽”のような気がしてきた。 …となると、マドンナの目的は判り易いんだが…。 関連(3・4)
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★★☆(2000.9.20)
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『来タルベキ素敵/沢田研二』 2枚組、最新作。 東芝EMI時代のジュリーを熱心に聴いてきたわけではないが、僕が聴いた何枚かは楽曲にも歌唱にも不足した色気を分厚い化粧で補給するような見当違いっぷりがやるせなかった。 本作も厚化粧でゴテゴテのジャケ写(フルムーンの高峰三枝子みたい…)。 音楽コンセプトは“20世紀の沢田を総括”といったところか。すぎやまこういち、加瀬邦彦、井上尭之、大野克夫、ムッシュかまやつ、伊藤銀二、大沢誉志幸…といった懐かしい沢田人脈を作家陣として起用。特筆すべきはタロー(森本太郎)&サリー(岸部一徳)がすぎやま楽曲でコーラスに登場。テーマは海。そう、ザ・タイガースのオマージュ。 で、本音を言うけれど、2枚組のボリュームは冗長。その理由は白井良明の編曲と沢田の歌唱にある。 “ハイパーロック”と言わんばかりの人工的なサウンドの連続にイライラ。1曲ごとに古いロック曲をパロディしてみせる“お遊び”も僕には退屈だった。 そして、楽曲のキーが低すぎる。結果、音程は曖昧で、声の艶など皆無。シャウトを回避して、裏声に行く唱法から察するに沢田の衰えなのかも知れない。でも、本作収録曲のいくつか(特に軽いポップ楽曲)ではキーがハマり、色気のある歌を満喫できる。つまり、“ロック”であることを放棄すればジュリーは今だに優れている。(シャウトなんかしなくていいのに!) でもなぁ、1曲目の『ACB』、良いんだよなぁ。沢田の作詞が練り上がっていないままに60年代を振り返り、ハイパーロックで、声がひっくり返って…。アダルトで甘酸っぱいんだ。 楽曲を半分に厳選して、編曲し直せば名作だと思う。 (関連)
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★★★★(2000.9.30)
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『SelmaSongs/ビョーク』 まず、この音源がサウンドトラックであることを事前に飲み込んでおこう。などと、心構えを決めてはみたものの…。 これがサントラでなくってもビョークは同じことをオリジナルアルバムでやったんだろうなぁ。 1曲目、サントラ然としたオーケストラによる「Overture」のオーソドックスな演出に気付いても僕は納得。そっか、ビョークとストリングスはここまで信頼関係を持ったのか、と。 以下、全曲に渡ってストリングスの斬新すぎる使用方法を突きつけられる。裏返して言えば、オーソドックスな音響としてストリングスを聴かせてはくれない。例えば、生で響くオーケストラの味を前面に打ち出したまま、背後でサンプラーのループが低音を加える。ま、これなんかは誰もが思い浮かぶ手法なんだろう。でも、ビョークのフィニッシュは鮮やか。誰がやっても、こうは見事にいかないと思う。本来、衝突してしまうモノ同士を“衝突させる目的”ではなく、共存させてしまうのがビョーク。しかも、両者の特性はビタ一文譲歩させていない。 ビョークにとってのストリングスは皿に盛り合わせる上で強烈に彩りを変えてしまう一品だったんだろう。だからこそ、前作では無邪気にその彩りを楽しんでいたように思う。 しかし、もはやストリングスはビョークの“手の内”だ。 揚げ足を取らせてもらえば、“手の内”の出し方がトリッキーすぎるってことかな? 「手品」として見たならば、トリッキーな演出も受け入れ易い、っつう。(黒板に書き殴るチョークの音がリズムになっている演出なんかはゾクゾクした!) いや、それ以前にビョークの存在がトリッキーなのか…。 例によって低くコモる声とエモーショナルな高音のスイッチングは絶妙。 オリジナルのフルアルバムが待ち遠しい。
(関連2・3)
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★★★★(2000.9.30)
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『RE/レ・リタ・ミツコ』 “フレンチポップ”、なんつって1つに括ってしまうけれど、1国のポップスが同じ系列でまとまるわけがない。フランスのスノッブなギャルソンが「ジャポネ・ポップは素敵さぁ、ジュテム」なんて耳元で囁いたからって恋に落ちたら駄目だぜ、仔猫ちゃん。 “ジャポネ・ポップ”なんてジャンルがあるもんかい!!(鈴木あみと暴力温泉芸者は違うだろ、やっぱし) ともかく、フランス・ギャルとレ・リタ・ミツコはベクトルが違うぜぇ。 さて、久々に聴いたリタ・ミツコ。90年制作のリミックス集。 10年前のリミックス集を僕はさほど違和感無く楽しめた。うーん、不思議だ。音やリズムアレンジは否が応にも古さを実感させる。いや、古い、まじで! ところが、それを覆す主張が背後からムォーっとこみあげてくる。 理由は1つだろう。元曲(声、編曲を含む)の強さ、だ。激しい主張が時代を超える。そうか、今になってわかったぞ! スパークスのリメイク盤(←Click!!)も同じ原理だったんだ。 元曲の強い主張がリアレンジを成立させなかったんだ! リタ・ミツコとスパークスにはサウンドの類似性やプロデューサーとしてのトニー・ヴィスコンティといった共通項目があるのは事実。 しかし、リミックス(リメイク)アルバムの成果となると正反対だ。 元曲のパワーに足をすくわれたスパークスと、元曲のパワーに時代を超える生命を与えられたリタ・ミツコ。 その差にフランスという土壌の問題があるような気がする。 今回のレヴューはともみサンのリクエストです。
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★★★(2000.10.7)
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『ライヴ・アット・ザ・ミルキーウェイ/キャプテン・センシブル』 僕は過去に熱中した音楽家やジャンルに生涯の忠誠心を持ちはしない。あんなに熱中したのに、パンク出身者を後生追いかけもしない。再結成ピストルズにもジョー・ストラマーの新バンドにも関心が無い。(結果的に)パンク出身で今唯一聴くのがCaptain。 彼のソロ活動をダムドと連動させて聴いたわけではなく、唐突にひょっこりと登場したような印象で受け入れた。Captain自身もダムドとソロ活動の意義は明確に区別していた。彼の音楽は不思議と飽きが来ないし、フィットするんだな。お互いにパンクを引きずらない出会いが幸運だったんだろう。 さて、そうは言っても今は2000年。もう、そろそろ蜜月も終りだよな、てな気持ちで聴いた本作はライヴ盤。あんれまぁ、まだフィットしてらぁ。 キャリアをまとめたベスト選曲。大ヒットの『Happy Talk』もパンク仕様で披露。テンポを上げても、相変わらずノホホンとしている。『ジェフリー・ブラウンの世界』からの楽曲はスタジオ盤どおりのアンサンブルに驚いた。バンド個々の技能は“並”だと思うが、ラフはラフなりに素晴しいまとまり。ま、つまりは技能が高いって意味か…。凝りまくったように感じたスタジオ録音も実はこのバンドで「せーの!」の一発録りしているんだろうなぁ。 ダムド時代のヒット曲(しかも、ブライアン・ジェイムズの楽曲)も収録。ダムドというバンドや楽曲の持つポップ性を純度100%で再構築した仕上がり。客へのサービスでもあり、彼のポップ道における落としまえだ。 しかし、他人の悪口ばっかり言ってるMCを収録しちゃマズくないかぁ? やっぱ、パンク出身なんだねぇ、この人…。
(関連ダムド)
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★★★(2000.10.7)
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『全曲集/青江三奈』 遅くなりましたが、追悼レヴュー。 小学生の頃、母親の恩師から「“青江三奈”じゃなくて“三奈サン”と呼びなさい」と叩き込まれたので、“三奈サン”で通します。 さて、改めて聴いた三奈サンなんだが、「幻の名盤解放歌集」と紙一重。紙一重って言うか、“時代のモード”として三奈サンの音楽があって他者がヘッポコな追随(模倣)をした、という図式に相違無いんでしょうけどね。 古い楽曲には思わず茶化したくなるような演出もある。しかし、紙一重は紙一重。三奈サンの音楽には下卑たところがない。お色気全開の楽曲ですら、だ。 テーマは毎度、夜の女が“ワケ有りの悲恋”に耐えつつ独り泣く構図。 客観的に見たら馬鹿げた恋とも言える。演歌の世界ではその状況を“馬鹿な女(=弱い女)”と置き換えて成立させている楽曲も多いわけだが、三奈サンは違う。泣き濡れながらも毅然としているんだな。独りで生きていく明日をキッチリと見つめている、と言うか。“不幸の意味”を自覚した上で不幸と向かい合っている強さ。 あの声がまた説得力を増幅。マイクにかかる息の温もりや風圧を耳に感じるような存在感。 なかにし礼が『HONMOKU(本牧)ブルース』なんて歌詞を提供しているのもゴールデン・カップスのファンには楽しい連鎖だろう。 青江三奈サンは実に“昭和的”だと思った。夜の街と、そこで展開する悲恋をテーマにする楽曲なんて昭和50年代以降は在り得ないし、“夜の女”のメタファーとしての自立した歌手なんて二度と現われないに違いない。昭和の宝だ。不世出の歌手が絶命した事実は悲しい。でも、この世に青江三奈サンが存在してくれて良かった。 『恍惚のブルース』は後世に残すべき“自覚された愛欲”の楽曲だと思う。
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