メレンゲ今週のCDご紹介22

チャコとヘルス・エンジェル、V.A.、ゆらゆら帝国、モーニング娘。、
Chi-Lites、ザ・フー、エアロスミスオーケストラ・ルナタルヴィン・シンママ・ギタァ
評価は5段階です。(★が得点。☆はオマケ)

 

★★★(2001.2.19)

『ヤング・アイドル!チャコ/チャコとヘルス・エンジェル』 アナログ時代に中古市場で悲惨な査定を受けていたディスクがあった。例えば寺尾聡のようにバカ売れした結果、中古市場がダブついて価格が破壊されたケース。寺尾聡は印税を稼ぎ切った後だから、中古盤の価格なんぞ痛くはなかったろう。一方、そのアーティストの価値が極端に値踏みされていた中古盤があった。“旬を過ぎたアイドル”や“キワモノ”。一過性のファンが飽きたら手放す。ずうとるび、とかさ。 で、チャコとヘルスエンジェルも“飽きられたキワモノアイドル”の典型。この音源、かつて僕は400円で買ったっけなぁ。初のCD化。2000円も払っちゃった。 GSが完全に息の根を止めた後に登場したバンドスタイルのアイドル歌謡。ニューミュージックやロックへの橋渡し、と言うよりも“歌謡GSの残り香”。そして男子アイドル歌謡の一形態。つまり、ほんの一瞬しかファンを獲得できない必然がチャコヘルにはあった。後継する購買者がいない中古音源は安い、ってわけ。 青臭い歌詞青臭い歌唱自分勝手に歌われる適度にポップな楽曲。70年代の男子アイドル歌謡はくすぐったくって大好き。 僕はかつてチャコヘルをハルヲフォンの延長で聴いていた。似てるよね、実際。昔作った日本ポップのベストカセットには『青春ならば』か『僕のモーターサイクル』を選曲してたっけ。 最終曲でバックメンバーの浅野孝巳(ゴダイゴ)が仮歌で入れたテイクが堂々の完パケ。メチャクチャだなぁ。 ジャケを眺めていたら高円寺と中野に店舗を持つ中古レコード屋を思い出した。僕、あそこの店員に惚れてたんだ。 あ〜、甘酸っぱい。

 

★★★(2001.2.19)

『Wish, Walk and Peel/V.A.』 何故だろうねぇ。こーいうお洒落な音をTOWER RECORDで視聴すると買ってしまうんだな。他の店だとまず買わない。これは魔法だ。などと今週は「店関係」の話題を連携させてみました。 宅録バンドのコンピ。うーん、「宅録バンド」って何だかなぁ…。 大手が制作している音源と比較すれば、録音・ミックスダウン・マスタリングの全てが素人臭い。安価な機材でスキルの高くはないエンジニアリングを施した、っつう成果が露呈。 でもね、僕は思ったね。こーいう音質が新しい音質基準となる可能性はあるんじゃないか、と。数が圧倒すれば、この音質がスタンダードになる可能性は無きにしもあらず。荒唐無稽な発想だとは思わない。 ヒップホップが出て来た時を思い出してみなよ。 ターンテーブルのブレークビーツに違和感を感じたでしょうが! あの「チリチリ」したローファイ感って気持ち悪かったでしょうが! ま、最終行程がしっかりしていたから、商品としてはちゃんと聴けたんだけどね。 ってことは、今後、マスタリング用の機材(またはソフト)が充実すれば、宅録音楽がメインストリームを凌駕する可能性はあるわけだ。 本作は日本人と外国人(外国名クレジットのバンドがあるので…)混在でポスト・フリッパーズギター的な楽曲集。どの曲もハイセンスで気が弱い。気付いたのはサビよりもAメロに楽曲の特性を持たせている、ということ。裏返せば、そのことが“大衆性”を著しく損なわせる結果になっている。 最終曲のゲンズブール歌唱には恐れ入った。そっくり。あ、いや、本家よりも歌はうまかった!

 

★★★★(2001.2.26)

『ゆらゆら帝国III/ゆらゆら帝国』 1曲目、左右のチャンネルから轟くギターがドラム、ベース、ボーカルの出口を塞ぐように単独で爆走。 僕はガッチリと身構えた。耐震体制は万全。「来るぞ〜」なんて。 すると、2〜4曲目が肩の力を抜いてスルスルとすり抜けて行く。慌てて体制を立て直す。「な〜んだ、楽しいじゃん」なんて。 そこへ先行シングルの『ゆらゆら帝国で考え中』←Click!!)が直撃。しかも、別テイクでやんの。 あとはもう彼等の支配のまま、僕の意志なんて介入できやしない。カラフルな展開に耳がする。 ギタートリオのロックバンドで、“サイケデリック”なサウンド(対外的な概念としてネ)。この言葉から沸き起こる貧困なイメージとゆら帝のサウンドはズレている。知たり顔のリスナーの思惑を軽くロールオーヴァー。 セッション形式でリズムを固めたりするのだろうけれど、各自のデータベースに格納された膨大な情報が理路整然と掛け合わされているようなクールさがあるんだな。頭を使っていると思うよ。ラフでクールな姿勢は、やがて彼等がファンクに向かう予感をさせる。 あ、そうか! 僕はニューエストモデルと対比しているんだ! ラフでクール。サイケ(パンク)というパブリシティをハミ出す音楽的なキャパシティ。放棄されることのない歌詞。 するってぇと、メスカリンドライブに該当するのが本作にコーラスで参加しているママギタァの存在か。 ママギタァ、僕、注目してたんだ! 関連(

 

★★★☆(2001.2.26)

『恋愛レボリューション21/モーニング娘。』 やむをえない。世間で激化する不毛な“モー娘。論争”を終結させる為に僭越ながら立ち上がらせていただく。 …ごめんなさい、嘘です。“論争”って言ってみたくて…。 今更、本楽曲を徹底分析。新企画。楽曲を聴きながら読んで下さいね。 核となる楽器構成はドラム(パーカッション)、ベース、ギター、エレピの4ピース。エレキベースの比重が高いのが特徴。アタックは弱いが低音が強調され、コード感とリズムのベクトルを一手に担う。本作のDiscoムードを決定しているベースのオクターブ8分弾き(♪ンベンベンベ)がDisco部と非Disco部で絶妙に使い分けられる。♪乾杯BABY!の非Discoブロック(0'25"〜0'39")の奇数小節は間を活かしたフレーズで偶数小節がDiscoフレーズ。同様の連携が♪愛する人よ(0'40"〜0'54")と♪超超超いい感じ(0'54"〜1'08")のブロックでも展開。我慢させた後にタイトル歌詞〜サビ(1'08"〜)がDisco感全開で爆発的に解放される演出ってわけ。 ドラムの基本は4つ打ちキックと2・4拍のクラップ。スネアは一応入っているけど微弱(音自体は太いです)。8分の裏を強調したパーカッション(右15度あたり)がアクセントになっている。左chのハイハットと右chのギターの乱暴なカッティングが楽曲を狂暴化し、スクラッチやシンセ(テレミン?)が自由感を獲得。良いメリハリ。Discoにお約束のストリングスが左chにいるのに音圧が地味なのが不満。 各楽器はリバーヴ成分が多いのだけど、オケ全体がギュッとコンプ処理されているのでボーカルは鮮明。リードやコーラスが比較的中央に集中しているにも関わらず、だ。 う〜ん、言い足りないが、これにて終了。 格言「モー娘。は絶対にヘッドフォンで聴け!  関連(

 

★★★(2001.3.04)

『GIVE IT AWAY etc/Chi-Lites』 スィート・ソウル! このグループ、有名なのか否かも僕は知らないんだけど、3枚のアルバムが1枚のCDにオンというコストパフォーマンスの高い1枚。(でも、2枚目はミニアルバムだろ! 3曲しか入っていねぇじゃねえか!) 69年〜71年の作品。ファルセット+コーラスハーモニー主体のユル〜いトーン。黒人ソウル特有のネチッこい歌唱ではなく、キレイキレイなファルセット。あ〜、グッチ祐三をマシにした感じ。時折、白人の音楽を聴いているような錯覚。え〜っと、スペンサー・デイヴィス・グループとか、さ。黒人感覚を導入しようと躍起になってた白人ね。 ま、つまりはガッツ(ソウル)の無い黒人音楽、っつうか。加えて、バックトラックも“粘り”不足。グルーヴと呼ぶにはギコチ無い演奏。 駄目じゃん、と想うんだが購入以来ハードローテーションで聴いている。 “黒人音楽”と意識しなければ、気持ち良いんだもん。これを別のトラックで展開したら…などと想像すれば、ありだぜ、これ。 そうねぇ、間が多くてユッタリとしたバックトラック。今風に、ね。うむ、日本語と相性が良いかも。 つまり、乱造されたスィート・ソウルってのは一種の“歌謡曲”だよね。ソウルの深みを浅く埋めて、白人に判り易く解放しよう、と。ま、黒人好きの白人は“深いソウル”を欲していたんだけどさ…。 でもね、“黒人好きの白人”は大多数ではないのよね。だって、聞くけどさ。日本人の大多数が“黒人好きの日本人”だと思うかい? そう、大多数が共有する大衆音楽には“翻訳”が必要なのさ。 “和製翻訳R&B”がオリコンに何曲もチャートインしてるじゃん。

 

★★★☆(2001.3.04)

『ワイト島ライヴ1970/ザ・フー』 今更の扱い、恐縮です。だって、今更聴いたんだもん。 70年のライヴ。オリジナルメンバーです。(あぁ、ザ・フーに対して“オリジナルメンバー”なんて言葉を使うの悲しいよ) 左チャンネルからジョンのベース&コーラス、右チャンネルからピートのギター&コーラス、中央にキースのドラムス&コーラスとロジャーのボーカル。立ち位置通りの定位。ま、普通はイビツになるわな、この定位じゃ。ところが、この定位で安定してまうところがザ・フーなんだね。 ブリブリに手数の多いベースとコード主体のギターが実に絶妙に左右で調和。フレーズがカウンターになったり、ユニゾンになったりハモッたり…。ラフでいながら計算されたデリカシーのあるライヴアレンジだ。 ライヴアレンジと言えば、『トミー』の“完全4人LIVEバージョン”! 素晴しい! 『overture』などのインスト楽曲ではホルンや鍵盤が鳴らないから不足感は否めないのだけれど、リズムギターのコードを聴いているだけで満足できるのさ。コード進行の美しさに改めてウットリ。リードを奏でるメロディ楽器不在でも全然退屈しない。これが優秀な音楽の底力ってヤツだ。(ただ、一箇所、コードを間違えたのは痛いね。うん、痛い) 僕が『トミー』を聴きすぎた為に欠落部分を頭の中で完全に埋めているって事情もあるんだろうけど、それが僕と『トミー』との関係なんだから誰にも文句は言わせない。 89年のリユニオンで演奏された『トミー』は本作と対象的にシンセやホーン、コーラス隊を加えた上に豪華なゲストも加わった鉄壁のライヴだった。 ただ1つ言えることは、どちらの『トミー』を聴いても僕の涙腺が緩むということだ。  関連(・3・

 

★★★★(2001.3.11)

『ジャスト・プッシュ・プレイ/エアロスミス』 パンク日本上陸前夜。欲求不満少年の耳に“刺”を刺す大音量ロックと言えばエアロスミスだった。でも、薄情なリスナーはパンク襲来と共に“オールドウェーヴ”としてエアロを葬った。(あれ? 僕だけ?) 故にオールドスクールリスナーにとってエアロは『ロックス』を頂点とした前後3作がピークとなったわけだ。(だって葬った後のアルバムは聴かないんだからさ!) 何となく気になった僕は2枚組の集大成的なライヴ(99年)を聴き愕然とした。パンクの代用品なんてとんでもない! 70年代に黒人音楽と縁が無かった僕はエアロを通して「JBの魂」に触れていたのだと判明。スティーヴンの断続的なシャウト唱法や、ジョーが(やはり断続的な)一瞬のアクセントに集中するギターリフはファンクを内包している。ファンクを内包したロックという意味ではエアロこそ20世紀最強だろう。(ツェッペリンやレッチリに比べ、「実験<娯楽」の比率に於いて僕はエアロを評価する!) さて、新作だ! 驚く無かれ初のセルフプロデュース作。長いキャリアで初めて。音作り(時には作曲まで)を外部に委託するエアロの姿勢に僕は“プロ意識”を感じていた。そう、本作では良い意味でのアマチュアリズムが爆発する。HipHopやLo-Fiにも目配りが効いた“やりたい放題のハードロック”。でも、楽曲は商品性を重視しているし、音作りも見当外れに羽目を外すには至っていない。 プロだ! プロのアマチュアリズム。 エアロのアルバムを発売直後に聴くだなんて『ドロー・ザ・ライン』以来だけど、本作にはその価値あり。 少しでも鮮度が高い間に味わいたい。 鮮度は落ちにくい音楽だと思うけど、こっちも気合を入れないと食われるぜ!  関連(

 

★★★☆(2001.3.11)

『オーケストラ・ルナ/オーケストラ・ルナ』 モダーンポップ。 肉体感よりも感性を優先し、ヒネリの効いた楽曲をサラッと小粋に聴かせるポップス。主にイギリス、そしてアメリカ産。 頭脳を使い、時間をかけ、念入りに音を作りこむ。つまり知的で人工的。でも、フィニッシュは軽やかでポップ。そして、どこかズレている。 僕はそんなモダーンポップの精神をカッコいいと思っていた。軟弱な音楽なんだけど、「男らしい」と。10cc、スパークス、セイラー、デフスクール、ビバップデラックス、XTC。。。 ビートルズ〜グラムロック〜ニューウェーヴの流れにひっそりと寄り添う姿勢なんざ、武士道を思わせる美学だ。(誉め過ぎ?) 夢中になって聴いた音楽なんだが、ある時を境にパッタリと・・・。 90年代の到来と同時にモダーンポップに対するリアリティを完全に喪失した。上の世代が使う「箱庭的な音楽」という批判など全く理解できなかったし、耳を傾けなかった僕が遂に口にした言葉は「箱庭的で非肉感的な音楽。色気不足を企画性だけでカバーしている」。 以来、僕とモダーンポップの“不遇な10年”が経過した。 そして市場には怒涛のモダーンポップ再発ラッシュ。“伝説”と謳われた本作、初めて聴いた。 これはモダーンポップの傑作だと思う。掛け値無しに。 レトロなミュージカル映画のテイストをこれほど巧みに消化したロックポップには初めてお目にかかった。 でもなぁ、僕は“巧み”ではなかったキンクスの手法の方が今は好きだな。ギコチナサも味のうち。巧妙な消化に感激する時代じゃないでしょう、今は。 しかし、僕の中に残っている“ある感覚”がビシビシと反応したのも事実。 70〜80年代に出会いたかった。 ところでモダーンポップのゴッドファーザーはポール・マッカートニーであると認識するが、ポールの90年代も不遇であったことに違いはない。

 

★★★★(2001.3.18)

『ha/タルヴィン・シン』 上等じゃねぇか! 冒頭から本作が放つ自信満々の音圧を耳に受けた僕は言い返したのであった。 タルヴィン・シンは「表で話をしないか?」と言って来たのだ。口調こそ丁寧だが、「表に出やがれ!」には違いない。 上等じゃねぇか! 僕は挑発にまんまと乗ってしまった。このイケ好かないインド野郎、ボッコボコにしてくれる! さぁ、ストリートファイトだ。臨戦体制の僕にタルヴィンは一言。「眼を醒ませよ」と。 いきなりフィニッシュパンチを食らった。完全な敗北。 初めてセルフポートレートを飾ったジャケ写の表情を見てもらえば判る。「もう、自己紹介は終わったはずだよね? 本気出すよ。」という挑発的な眼差し。 本作収録の楽曲群をクラブでプレイしたら・・・、そりゃ踊れるだろうよ。でも、ヘッドフォン越しに聴いているとダンス対応と呼ぶにはトリートメントが親切ではないことに気づく。ダイレクトなアプローチじゃないんだな。そして、すぐに気づく。踊っているのは僕の身体じゃない、ということに。 心臓なのか、精神なのか。ともかく内臓と頭脳に作用するんだな、この低音。 これこそが、まさに「眼を醒ませよ」というトドメの一言。タルヴィンは僕を(僕達を)試している。 前作『OK』(←Click!!)の“落ちついた高揚感”とは裏腹に底光りする躍動感を提案している。しかし、爆発はしない。聴き手の受動的な態度をアテにしていない、ということだ。 中央の低音に意識を集中した時に、初めて左右で鳴るタブラの過激な総攻撃が始まる。タルヴィンは「ここまで来い!(表で話をしないか?)」と言っているのだ。 マドンナやビョークとのコネクションなど、この男の野心には(恐らく)無関係。野心とは世界制覇ではないのだろうからね。タルヴィンの野心とは、パラサイトだ。 英国在住のエイジアンであるという出自とも無関係だろう。(でなければ、逆殖民になってしまうもの!)  関連

 

★★☆(2001.3.18)

『Introducing.../ママ・ギタァ』 都内のライヴハウスでママギタァを見た。ギター、ベース、ドラムスの女の子3人組。60年代の英米ビートポップの影響を露骨に受けた楽曲、コーラスワーク。エコーの効いたギターは音質が抜群で、フレージングも達者だった。60年代の影響下にいるポップスの大半は“迷い”を見せるものなのに、彼女達には迷いが無い。その迷いとは、60年代を“今日的に”解釈しようという“邪魔な向上心”だ。特に日本人の場合、“日本的に”再定義しようというバランス感覚が働き、初期衝動である「60年代風味」をスポイルしてしまうことが多い。例えばコレクターズの楽曲は、なかなか山頂にたどり着かない。僕はデビュー当時からコレクターズが好きで、その志は尊敬しているのだけれど、ママギタァの単純な発想には唸ってしまう。だって、言い訳の多い音楽に比べたらよっぽどパワフルじゃん! 3分以内の楽曲がポンポンと飛び出してくる本作。どこかで聴いたメロディだな、と思っても詮索する気にならない。レアな音源を引用することで胸を張られてしまうようなスノッブ感が希薄なんだもの。ま、いいじゃねーか、楽しいんだからさ!なんつって、「マニア回路」を切断して聴くのが良いね。 さて、ママギタァはメジャーで展開できるかな? メジャーで展開するからには成績を残し、尚且つリスナーに60年代音楽の素晴らしさを啓蒙できる、という目的を達するのかという意味で。 そこで、立ち止まってしまうのね。こんなにもポップな音楽を「マイナー」と定義しなければならなくなってしまう。「非マイナー」としての商品化を考えれば考えるほど、“今日的”“日本的”という例の罠に落ち込んでしまう。ジレンマ。 ゆらゆら帝国がママギタァをコーラスで参加させた経緯を“マイナー化”と考えるか、“マイナーのメジャー化”と考えるか。 結論は出ないけれど、この音楽が“マイナー”であることに我慢が出来ない。

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