★★★(2001.4.02)
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『リサイタル/ザ・ゴールデン・カップス』 GSのオリジナルアルバム(コンピ以外)で、僕が最も回数を聴いたアルバムは本作に違いない。本作にはGSが60年代に抱えていた問題と、限りない底力がギンギラの鮮度で真空パックされている。 冒頭からアートロック(サイケ)感満載のインスト。いきなりのファズベースソロ。ブルージーなオルガンソロに続いてファズギターのソロ。この時期のリードギターはルイズルイス加部が担当。 熱い! ガレージサイケの世界的な頂点とも言えそうなグルーヴ。思わず溜息をついた瞬間、デイヴ平尾の雄叫びを合図にまったりと『長い髪の少女』に突入。加部のギターはファズで歪んだままに丁寧なピッキングで例のイントロを。ロックっぽく崩そうとする余り音程も崩れまくりのデイヴに比べ、マモル・マヌーの丁寧な歌唱に好感が持てる。そして、立て続けのヒット曲メドレー。 『銀色のグラス』からダン池田&ニューブリードがバックアップ。何故かニューブリードにはドラムス、ベース、ギターがいて、カップスの演奏とぶつかりまくる。ホーンやストリングスの補強が本来の目的であるはずなのに…。 キッチリとしたニューブリードのリズムを隙あらば逃れようとする加部のギター。スピーカーのこちらで聴いていても緊張が走る。 アナログ盤で言うところのB面が西洋ロックのカヴァ。カップスの演奏力が存分に発揮されるんだが、僕はA面のヒット曲メドレーばかり聴いてしまうんだわ。端正な歌謡楽曲と暴力的なロック演奏が奇蹟的に融合。カッコいい。 カップスは素晴らしいヒット曲を持った“大メジャーのガレージバンド”なんだね。“早すぎたロックバンド”であると同時に“GS現象”を担ったグループでもある。女の子の黄色い喚声の中で歪んだギターやベースを投げ込む状況こそ、カップスの幸福な音楽事情。 そして、GSが内包した“歌謡曲的側面”が否定された時、GSの残党はオーラの無いロック音楽家に成り下がったのだ。 岸辺一徳はタイガース時代には素晴らしいベーシストだった。 関連(タイガース)
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★☆(2001.4.02)
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『カメレオン/ザ・ベンチャーズ』 加藤和彦プロデュース。作家陣はYMO、Ex、ヒカシュー、イミテイション、クリエイション、ムーンライダース。楽曲にタイトルをつけたのが糸井重里。 これだけで、本作の大部分を語ったことになる。 あぁ、言い忘れていたけど演奏はベンチャーズ。 テクノポップの領域からベンチャーズを料理したらどうなるか、と。 こうなりました、はい。 昔聴いた時は退屈なアルバムだったけれど、今聴くと苦痛を感じる。なにが苦痛だって、楽曲がつまんないんだもん。“時代に祭り上げられた人々”が調子ぶっこいて作ったって感じ。企画そのものが調子ぶっこいてるよね。テクノポップは最先端なんだから、“おふざけ”やってもお洒落だよね、なんて。何が対象でも、“僕ら”が遊べば文化だよね、なんて。 で、ベンチャーズを遊んだ、と。う〜む、許せん! こんなに窮屈そうなベンチャーズを聴くのは悲しい。一生懸命に平べったい8ビートを鳴らしているんだもの。グルーヴなんて皆無。 最強の武器を封じられて、“見世物”にされた猛獣みたいだ。それでも律儀に響く“ノーキー・エドワーズのトーン”が僕は悲しい。 B-52やプラスチックス等の存在もあって、テクノポップ期にベンチャーズが注目されていたのは事実だけど、こんな使い方は不誠実だよ。YMOの正規のレコーディングで起用してみやがれ、ってんだ! などと愚痴ばかり言ってますが、若い世代のリスナーの方々に気づいて欲しいことがあります。本作の数曲が(インチキっぽい)スカを導入していますね。そうなんです。スカとテクノポップは親戚だったんです。レゲエもパンクも親戚だったんです。 オールドウェイヴの前では皆親戚だったわけです。 その親戚を仕切っていたのは実は大御所。そう、加藤和彦やYMO。自然発生したムーヴメントは、こうして“取り込まれて”いったわけです。 そのこと自体は悪いことじゃないと思うけどね。
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★★★(2001.2.09)
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『フライング・ティーポット/ゴング』 このアルバム、初めて聴いたのは高校2年生の時だ。マセてたね。プログレッシヴロックの範疇ではなく、フランク・ザッパ&マザーズの延長で聴いていた。ずっと聴き直したかったんだけど、CD店の「プログレコーナー」に顔を出すのは抵抗があってね・・・。 久々に聴いたわけなんですが、ほとんどの楽曲を正確に覚えていた。「ハブ・ア・クッパティー?」とか鼻歌で歌っていた高校時代を思い出した。マセてたっていうか、気味悪い高校生だ。 バカテクのバンドだと思い込んでいたけど、あんまり演奏はカッチリしていないのね。 あの頃、節操なく展開すると思っていた楽曲構成も実はしっかり練り込んである模様。1コーラスと2コーラスが同じ展開で暴走するとか、ね。 本作は「ラジオ・グノーム・インビジブル3部作」の第1弾。“空飛ぶティーポット”に乗った妖精が地球で繰り広げるSFドラマ。 ドラマ型ロックと言えば、ザ・フーやキンクスを思い出すわけなんだけど、どちらかと言えばフランク・ザッパやパーラメントの発想に近いかも。 あぁ、ゴングとパーラメントって似た印象があるなぁ。ヒッピーコミューン然とした組織であり、方法がしつこいことも似ている。しつこすぎて、ドラマの主題が見えなくなってしまうところも似ている。設定が現実離れしすぎているとか、ね。 パーラメントの“スペースオペラ”シリーズは、ジョージ・クリントンのしつこさに対抗して僕もしつこく聴いたけど、結局ドラマの内容は全然理解できなかった。ゴングの本シリーズも『エンジェルズ・エッグ』『ユー』と聴き進むに連れ、わけわかんなくなった記憶がある。 ゴングの総帥デヴィッド・アレンはザッパ、クリントンと体質が似ていると思う。主張はあるし、才能もある。しかし、回路が普通じゃない。恐らく、人並みでない。しかし、利口ぶって見せたりはしない。 そして、その体質、僕は好きなんだなぁ。
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★★★(2001.2.09)
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『想/阿姉妹(a*my-my)』 いつか向かい合わなければいけない問題を先送りしてしまっていた。台湾の音楽事情だ。不思議だねぇ、香港の音楽にはグローバルな指向が感じられるけれど、台湾や韓国はドメスティックな印象が。ま、国際外交上のポジションや、言語の壁という問題も大きいにせよ、ね。 ある時期に僕は台湾ポップスをどっと聴いた。女性シンガー物を中心に。 基本ラインはJ-POPと大差無いんだけれど、奇天烈な楽曲は少ないね。あ〜、パンク風とか、って意味で。コンテンポラリー指向が顕著。打ち込み+シンベ+エレピ+アコギ、みたいな。ミディアムで聴かせるソフトな楽曲にも主張の強いビートが幅を効かせるところはJ-POPと一緒。メロディはブラコンと中華味が絶妙に調和。歌は上手だし、言語とのマッチングも絶妙。ボーカルのフェイクなんかは日本語より音楽的に聴こえる。(もっとも、僕の場合、日本語だと“意味”が聴こえてしまうといった民族的な問題はあるんだけどね。) どのアルバムも丁寧に作りこまれた楽曲とトラックが満載。偏差値が高い。しかし、一定の偏差値の周囲にシーンが密集している印象を受けたのも事実。ヘボもいないが、天才もいない。その意味ではコンサバティブだネ。 さて、10数枚のアルバムから選んだ本作。 台湾の女性アイドルa-meiの妹が参加するユニット。トップアイドルの妹という立ち位置と実年齢の若さゆえにか、これでも精一杯ハジけた印象。このハジけ加減は気持ち良い。僕の耳には可愛くてポップ。でも、この音楽を日本のシーンで再定義するのは難しい。咄嗟に思い浮かべてしまうのが、kiroroや花*花なんだもん。つまり、あーいう範疇でしか認識が難しいコンテンポラリーポップ。 う〜ん、なんだか貧しいなぁ。 岡村孝子とかの女性シンガーソングライターの悪しき遺産? きっと、この娘達は歌いながら踊ると思うんだよなぁ。 踊るコンテンポラリー、待望!
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★★★★(2001.2.22)
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『オール・フォー・ユー/ジャネット・ジャクソン』 来たね。4年ぶり。 前作『Velvet Rope』は素晴らしかった。内省的な楽曲群もジャネットのデリケートな歌唱とジャム&ルイスの完璧なサウンドを得て、僕の耳には充分にポジティヴで躍動的だった。 前作ジャケ写では俯いたジャネットだったけど、本作は御覧の通り。裸にバスタオル一枚でニッコリ。掲載できないのが残念なんだけど表4の裸の腰のライン、美しいなぁ。 歌詞も肉感的で愛情豊かな表現が多い。っつうか、かなりセクシャルです。 中盤の“官能楽曲3連発”における「息遣い」は素晴らしいぞぉ。まんまセックス。これ、他のシンガーがやったら生臭くなっちゃうはずだよなぁ。ジャネットの声って絶妙に“体温が無い艶かしさ”を持っているのね。うん、可愛いんだよ。 呼吸そのものを歌唱に変換できるんだね、ジャネットは。ブレスを音楽の域で使いこなす能力があるから「アヘアへ」言っても、それが音楽。ウィスパー歌唱でも存在感が損なわれない声。(彼女のお兄さんも素敵なウィスパーボイスを持っていたっけね。) ジャネットのダビングによるコーラスが厚く重ねられても、1声1声の存在感は消えない。 サウンド面で斬新さは少ない。パーカッションのプログラミングなんかに一瞬ドキッとしても、すぐさま全体に馴染んでいく。相変わらず丁寧な仕事で王道を悠々と歩く。サティの引用はどうでもよかったな。でもね、それは楽曲を単体で考えた時の冷静な反応であって、アルバム全体を流れで聴くとリスナーの神経を隅々まで時間的に配慮した展開に夢見心地になっちゃう。 “官能楽曲3連発”からケイト・ブッシュ風楽曲に移る瞬間にググーッと引き込まれたら、後半の展開はジャネットの意のまま。相変わらずインタールードが多く、MD等への編集には不向き。アルバム全体で聴け、と。うむ、僕もそう思う。 あぁ、本作もまた病み付きになっちゃいそうだ。 『パピヨン(島谷ひとみ)』収録されてます!
関連
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★★★☆(2001.2.22)
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『ネリー・ファータド!/ネリー・ファータド』 ポルトガル産の女の子。ジャケ写の色彩から多くの人は「清楚なアコースティック系」を想像するんじゃないだろうか? 僕は想像しました。 全然甘いです。 この音楽新しいよぉ。メロディも編曲も無限の配合が重ねられたミクスチャーの極み。アコースティックなアプローチも確実にあるのだけれど、トリップホップとの配合で異質な肌触りが提供される。メロディは西洋圏限定のセンスじゃないね、これは。 また、声が変なんだ。美声じゃないし、声量もあんまり無いのだけど、表現力が尋常じゃない。ぶっきらぼうなんだけど、説得力があるの。ポップなメロディ上に一瞬だけコブシを挿入するタイミングなんざ天才的だ。 ライナーノーツでは椎名林檎との共通点を指摘していたけれど、その論点を「表現力」に絞るならば、宇多田ヒカルを忘れちゃいけないぜ。 林檎が“やり損ないのシャウト”を完パケに採用する意識とヒッキーの“いつも辛そうなビブラート”の本質は同じでしょうよ。 個人の生理や様々なバックボーンから派生する「表現力」に良質な楽曲が加われば、それは単純に“素敵な音楽”になるわけなんだけど、これって結果論で評論するほど簡単じゃねぇよな。 個性的すぎる表現力って重荷だよぉ。永井豪の漫画『バイオレンス・ジャック』でスラムキングが強靭すぎる筋肉に内臓を押し潰されないように重い鎧を常着しているエピソードがあるのだけれど、あれと同じよ。 ネリー・ファタードもまた“強力すぎる個性”を背負ってしまったスラムキングだ。 その意味では彼女が身につける鎧はまだまだ軽いかな、とも思う。もっと重い鎧でバランスを取ってもらわないと、リスナーである僕が痛くなっちゃう。内臓は大丈夫かよぉ、なんて気になっちゃう。 つまり、歌詞とアレンジね。もっともっとスキャンダラスな鎧が似合うと思うな。 今だって充分にスキャンダラスだけど、なんたってスラムキングなんだからさ。
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★★★☆(2001.5.06)
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『Electric Mile/G.ラヴ&スペシアルソース』 ローファイ・サウンドが登場した時、僕は興奮して飛びついた。新しモノ好きだからね。いわゆるミチェル・フルームとチャド・ブレイクのプロデュース作品、ね。ソウル・コフィングがなんつっても好きだった。次がラテン・プレイボーイズ(及びロス・ロボス)。 ローファイ旋風の風下で地味に登場したGラヴの存在は僕にとってはオマケ的なもんだった。嫌いじゃないが、凄くもなかった。今になって思えばサンプラー使用比率の低さが地味だったんだよね。 現在、ローファイ一派の中で最もコンスタントに活動を継続しているのは、間違いなくGラヴだ。他の強豪がサンプラーを駆使した実験性の高さゆえに時代とともに風化しつつある状況において、生演奏の強味ゆえにサヴァイブ。勝負は下駄を履くまでわからねぇもんだなぁ。 さて、5作目にあたる新譜。冒頭から「ンチャンチャ」言ってる。レゲエじゃあるまいし、と一笑してみたものの、これレゲエのつもりみたい。2曲目にはウェイラーズ風のコーラスが入るしね。 全体を通した印象は「随分と普通になったなぁ」というもの。ローファイ感はもはや無いに等しい。ギターと歌の比重が高く、ウッドベースとドラムスは後退してボトムでがっちりと屋台骨を支える。ハーモニカや鍵盤も印象的。 前作(←Click!!)ではギター・ベース・ドラムスが三位一体となったサウンドだっただけに、本作のサウンドはオーソドックスに感じてしまう。 そう、本作は音楽としてもオーソドックスだと思う。ラップの比重も激減。 これはGラヴの自信なのだろう。魔球を投げずとも直球投手として力がついたぜ、と。 1回目のリスニングでは、僕は戸惑いがあったのも事実。2回3回と聴くうちに馴染んできた。一旦馴染んだら納得。 前作と同じサウンドを提示されていたら、僕はGラヴを非難していたところだったもんな。 もうGラヴを語る際に「ローファイ」という言葉は捨てよう。
関連
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★★★★(2001.5.06)
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『輝ける10年/ニール・ヤング』 祝!フジロック2001出演決定! つうわけで、僕はニール・ヤングを聴いています。なにもベスト盤を紹介しなくても、と思うでしょ? でもなぁ、1枚を選択する自信がないんですよ、僕ぁ。ここ最近のアルバムは全く聴いていないし、このベストの時代も“歯抜け”でしか聴いていないから総括が出来ない。 僕にとってのニール・ヤングはアコースティックで甲高い鼻声をトーンッと出す御馴染みのアレ。『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』『ハ−ヴェスト』のラインね。 ヤングの声は優しい。その楽曲が嘆きや怒りの表明であっても、虚無感を訴えていてすらも優しい。 そして、電気ギターを抱えた時に一変するあの苛立ちをダイレクトに叩きつけるかのようなギターのトーン。でも、声は優しくて情けない。そう、月並みだけど僕が最も好きな『ライク・ア・ハリケーン』のことだ。 デヴューから10年間を総括する本作の収録曲に納得がいくわけではない。少なくとも僕が所有するディスクからの選曲に関しては首をひねる。っつうことは、オリジナル盤を地道に集めていく必要があるってことだね。フジロックの予習用に購入したんだけど、最初からオリジナルに手をつければいいのにね。僕はベスト盤で“アタリ”をつけることが多いんですよ。音源が重複しても、ソレとコレは違うんだもの。 Disc2の何曲かを聴いているうちに涙が出てきたから、コレはコレで重要なアルバムになってしまった。面目ない。 さて、苗場のグリーンステージで轟きわたる『ライク・ア・ハリケーン』を想像して欲しい。雨が降ろうが、猛暑だろうが関係無い。苗場の山や木や空気の全てがヤングのギターに呼応する様が思い浮かぶではないか! もはや風物詩となった祭典に“眼”を入れる儀式性が理解してもらえると思う。そして、興行主にとってニール・ヤングが“積年の夢”であった事実を知った時、僕は心を打たれたのであった。待ち遠しい。
関連(1・2・ライヴレポート)
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★★★★(2001.5.22)
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『1980X/PANTA&HAL』 日本産のバンドのライヴを観て鳥肌が立ったことが2度ある。パンタ&HALと上々颱風だ。どちらも“日本の音楽”であることをコンセプチャルな支柱とし、高い音楽性と娯楽性のバランスを極限で設定したクレバーなバンド。両者は僕にとって80年代・90年代のスタートを告げたバンドになった。 さて、本作は僕が80年の春に聴いて衝撃を受けたアルバム。CD再発の際に僕は“パンタ的世界”と距離を置いていた為に購入を見合わせた。廃盤となって市場から消えてしまった本作とようやく再会。 タイトルからも察しがつくとおり“昭和崩御(X-Day)”も含めた“80年代を迎える東京が孕む事情”を描き出した超傑作。ルポタージュのような冷徹さとハードボイルド小説のような味つけで、社会性のみならず娯楽性が保証されている。ニューヨークやロンドンで勃発したパンクムーブメントに的確に呼応して、“新しい10年間”に対して取るべき“東京のスタンス”を宣言。 勿論、20年後の今になってしまえば、空回りになってしまったロマンティズムも感じるわけなのだけれど、当時の“日本のパンク”にとってポリティカルなポップ音楽の在り方を適切に定義した1枚だ。 知的に計算し尽くされたアレンジは前作『マラッカ』並の水準だが、冷え冷えとした印象は僕にとっての“(善意で捉えた)東京”のイメージとピッタリ重なる。深夜の新宿高層ビルを見上げながら、本作収録の何曲かを口づさみながら涙を浮かべてしまったこともある。この冷え方は優しさだ。本作は皮肉に満ちたトーンを多用するが、東京への愛情に満ちている。東京はタフであるべきだ、という愛情。 大臣の娘を誘拐し、逃亡する政治テロをハードボイルドに描いた『Audi80』という楽曲のコーダで無機質にリピートされる「強風波浪注意報」というフレーズに“新しい10年間”を迎えるにあたっての希望や不安を読み取り、強烈に武者震いをしたことを思い出した。 関連(パンタ1・パンタ2・パンタ3・パンタ4・パンタ5&6・頭脳警察1・頭脳警察2)
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★★★(2001.5.22)
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『Just Enough
Education to
Perform/ステレオフォニックス』 ギターについて考えてみたい。90年代を通してギターの重要性を軽んじて来た立場として反省も込めて。 「ロックの本質はギターだぜ、イェィ!」的な発想は相変わらず僕にはない。スピードを競い合うような早弾きリード・ギターにも興味はない。しかし、ステレオフォニックスを聴いていると、「ギターだよなぁ・・・」などと強く思う。 ギターってさ、機能が純粋に“肉体的”じゃん。まぁ、あらゆる楽器は“肉体的”だと思うんだよ。でも、コンピュータによるシュミレーションが不可能であるという意味において、特殊なのではないか、と。ネックに置いた指の位置で音程が決定し、複数の弦の共鳴によって音が決定するという形態が特殊なのではないか、と。つまり、曖昧な要素で成立してるんだよね。ピアノは鍵盤に対して音は1つでしょ。(弾き方で音のニュアンスが出ることは了解していますってば! 今は楽器の構造で分類させてね!) さて、ステレオフォミックス。ギター・ベース・ドラムスのトリオ編成らしいんだけど、録音物を聴く限りは複数のギターが重ねられ絡み合っている。これ、1人がダビングで重ねているのかなぁ? 息の合った2人のギタリストが同時に弾いているようなコンビネーションだ。ディスト−ションで歪んだリフや、スライドや、アコギのストロークなど、あの手この手が飛び出してくる。ベルベットアンダーグラウンドやローリングストーンズを思い出した。ロッククラシックを“お勉強”した連中なんだろうな、とは思うのだけれど、ブリットポップ一派のような軽薄さは無かった。ギターとボーカルを心地よく聴かせるミックスダウンが暖かい。日本でもBUMP OF
CHICKENが似たテイストの音を鳴らしている。両者とも「ギターさえ鳴ればオールOK」という安直な発想でなく、ギターサウンドの気持ちよさを追及した音楽だ。 これからは心を入れ替えてギターに注目することを誓います。
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