メレンゲ今週のCDご紹介24

R.E.M.、デスティニーズ・チャイルド、リンキン・パーク、ミッシー・エリオット、
メイシー・グレイ、コリン・ブランストーン、ザ・ビートルズ、鶴岡雅義と東京ロマンチカ、
トリッキー、頭脳警察
評価は5段階です。(★が得点。☆はオマケ)

 

★★★★(2001.6.03)

『REVEAL/R.E.M.』 アメリカ南部の男達が歌う"枯れた哀愁"に不覚の涙をこぼしてしまうことがある。一方、欧州の鼻にかかった歌声が強烈に胸を締め付けてきた経験も少なくはない。エルヴィス・コステロ、ロン・セクスミス、スミサリーンズ、ハウスマーティンズ等は欧州トラッドとR&Bソウルの"切なさ"を掛け合わせた極上の音楽を聴かせてくれた。(米国勢も含まれていますが、僕にとっては"欧州感覚"なので見逃してくれ!) 細い声で聴く哀愁ロックも良いものだ。あ、御大マッカートニー氏も、ネ! さて、R.E.M.の新作。 切ないねぇ。心に迫るねぇ。 トラッド感覚を絶妙に取り入れた楽曲群は名曲揃い。"捨て曲"は無かった。 しかし、冒頭3曲を聴いて「あれ?」と思う。電子音や打ち込みの比重が高く、隙間が無いサウンド。最初はシンセストリングスの分厚さに正直言って戸惑った。以下、何らかの形で電子音が顔を出す(中にはエフェクト処理されたギターらしき音もあり)。 これだけの名曲と名唱ならば、生演奏で定石通りに仕上げても傑作になったはずだと思うんだが・・・。 しかし、「ロック(っつうか生演奏)と打ち込みの融合」という近年のテーマに忠実な音創りではない。驚く程にドラムス(及びドラムマシン)の音量は小さい。ローファイ的な処理が施されているわけでもない。全ての音が一体となったミックスダウンは、最前線のボーカルに全ての主張が込められているという意図を伝えてくれる。時折、ボーカルラインとカウンターになるギターはフレーズも音色も心地よいなぁ。後半曲では乾いたギターのアルペジオと、打ち込みによる刻み(ハイハットやタンバリン)、更にシンセベースによる通低音が不思議なマッチングを見せる。 そう。つまり、時間の経過とともに説得されているわけだ。 前回紹介したステレオフォニックス←Click!!)にも言えたことだが、ギターを核としたニューサウンド。何かあるよな。。

 

★★★☆(2001.6.03)

『SURVIVOR/デスティニーズ・チャイルド』 何度も書いているように、僕は新しモノ好きです。しかし、流行から何歩か遅れることはしばしばです。「デスチャ」ことデスティニーズ・チャイルドのチェキもここまで遅れてしまった。 あぁ、そうとも、疎いんだよ! 文句言うな! 女の子が3人で澄ました顔してジャケに写っていると、それだけで聴く気がしない、っていう感覚はないですか? 特にR&B系とJ−POPでは・・・。あー、そうでしょーよ、僕だけでしょーよ! でもさ、米国のTLC以降、日本のSPEED(4人だけど・・・)以降の傾向であることは事実だよね。 で、今更ながら聴いたんだけど、良いじゃん、デスチャ! 何て言うか、日本で言えば“歌謡曲的”な音楽だと思うんだよ。下世話さが判り易いフックとなって商品性を向上させている、っつう。だけど、昨今のJ−POP女の子トリオの楽曲がそうであるように、一筋縄ではいかない。もう、安直な前時代的“歌謡曲の倫理”が通用する時代じゃないもの、“今”は。 具体的に言うと、メロディと歌唱が湿ってるんだよね。耳の高揚に直結し易いマイナーコードメロディの多用が歌謡曲的なの。しかも、リードの声に昔のディスコ的なニュアンスがあるもんだから、なにしろ下世話さ満開なんだ。・・・にも関わらず、バックトラックは大胆なまでにクール。ミックスダウンもいいなぁ。すげぇいい! 更に、コーラスの重ね方もヒップホップ以降のR&Bを巧みに取り入れつつ、歌謡曲的な効果を引き出す、と言う非常にクレバーな戦略。 冒頭で“3人組R&B”を否定的に書いた僕ですが、実は何枚か聴いていて「可も無く不可も無し」という結果に不満足だったんだよね。でも、デスチャは満足したな。 無粋な発想で〆させていただくが、現在が筒美京平の全盛期であったならば、デスチャの音楽は巧妙に日本の音楽市場に取り入れられたと思う。 筒美京平贔屓の立場で言うけど、デスチャにはその価値があるもん。

 

★★★(2001.6.11)

『ハイブリッド・セオリー/リンキン・パーク』 すっごく凶暴な気持ちになりたい時って無い? 僕は以前よくあってねぇ。ところが、そんな気分にさせてくれる音楽ってのが少ないことにイライラしていたんだよ。案外とパンクってヤワいでしょ? ヘビメタなんて、ユルユルもいいとこ。 例えばローリング・ストーンズの“血生臭い楽曲”を聴くと気持ちが凶暴化するんだけど、あれ、サウンドよりも歌詞(および、歌詞に付随する凶暴な表現)から漂うモノが大きかったんだよね。 90年代以降、耳から侵入して心(頭?)を凶暴化させてくれる音源が増殖したと思う。それは、ギャングスタラップであったり、テクノであったり、ミクスチャーロックであったり・・・。 さて、リンキン・パーク。そそのかしてくれますねぃ。 「もっと、荒れ狂え!」「容赦なく破壊しろ!」と炊きつけてくるようなサウンド。一種の興奮剤。身体に入れた瞬間に効く即効性の高い錠剤。 いや、甘い、か。手足を押さえつけられてパンツを剥ぎ取られ、ムキ出しになった肛門に座薬を押し込まれるような“強制興奮”だな。聴きながら、副作用を心配してしまう程に、効き目が高い。 心配だから、成分だけは分析しておこう。 リズム隊はサンプラーと生ドラム(曲によって生ベース)の組み合わせ。ブロックやフレーズごとにタイミングが決定されているから、かなり頭で考えたリズムパターンだね。ギターはディスト−ションがビンビンのメタリックな音色。シャウト気味の連射する声がラップとハードロックの中間に位置し、メロディアスなパートから一気に放り出すようなシャウトラップに変化する。ターンテーブルとメタルギターの相性も抜群。 う〜む、成分自体は安全だよなぁ。クレイジータウン←Click!!)よりも圧倒的にヤバいんだけどなぁ。 ところで、何故、かつての僕はそんなに凶暴な気持ちになりたかったんだったっけ? バイアグラの代用に音楽を聴いた覚えだけは無いんだが・・・。

 

★★★★(2001.6.11)

『ソー・アディクティヴ/ミッシー・エリオット』 彼女、引っ張りだこのプロデューサーなんだってね。ミック・ジャガーから指名がかかった、と。(好きそうだよね、ミック・・・) などと、今週はローリング・ストーンズのネタを連発してますが、偶然偶然! 21世紀仕様のR&B、僕は好きなんだけど、それは乱暴に言い切ってしまえば「匿名性の高さ」に起因するのではないか、と。例えばジャネット・ジャクソン。元来、匿名性の高いジャネットの声が“極めて個人的な内容”を歌うギャップに僕は快感を感じているような気が・・・。 本作を最初に再生した時、僕の中の“決意”はジャネットに対するモノと同等の意識だったと思う。イントロダクションを聴いた瞬間に居住まいを正す羽目になった。 すっごく「個人性」が高いんだよ、このアルバム。コーラスの重ね方や外部ラッパーの使用など、今様R&Bのセオリー通りだと思うんだけど、ミッシー・エリオット個人の圧倒的な存在感と向かい合わされる。 声だよね。 もちろん、表現力も含めた声。“自己主張”ってのとも違うような気がする。 う〜ん、言いたいコトを徹底的に説得して来る、と言うか・・・。綺麗に取り繕う気持ちなんか無いんじゃいか、とさえ思えた。 サウンドも、不思議な空間をポッカリと空けたまんまのアレンジ&定位。“響き成分”も少ない。ジャム&ルイスが聞いたら、全部差し替えたくなっちゃうだろうなぁ。 バックトラックが面白いから意識を集中していると、いつの間にかミッシーのボーカル&ラップに耳を占拠されていることに気づく。 言葉それ自体の説得なんてその場限りの“駆け引き”に過ぎないと思うんだけど、発するべき言葉を持つ動機と声の説得力次第では、ミッシーのように相手の耳を捕えて離さない、ってわけだ。 ふと、田中真紀子を思い出した。あの人も声と会話リズムが訴求力を持っていること事態は事実だ。しかし、言葉の内容が聴こえ過ぎてしまうのも事実。問題は“動機”なのかもね。

 

★★★☆(2001.6.18)

『オン・ハウ・ライフ・イズ/メイシー・グレイ』 たった2年前のR&Bディスクなのに、圧倒的に違う。 うーむ、現状のトレンドに馴染んでいる僕の耳が時間の経過に対応出来ないという問題なのか、そもそもメイシー・グレイが“特殊”なのか・・・。 もう、今更その問題の根拠を探し出すことは出来ない。耳を2年前に戻すことは出来ないもんね。 仕方ないから、現状で僕が認識しているR&Bサウンドとの差異を考えてみる。 あのさぁ、スムーズじゃないんだよね、なんだか。デコボコしてるっつうか、ザクザクしてるっつうか。 過激&過剰な試みさえも、最終的にキッチリと収束していくような今様R&Bのサウンドに比較して、頑なに収束を拒絶しているような音。 まぁ、単純にサンプラーの使用頻度の低さっつう事情はある。ここまで生ドラムと生のエレキベースが聴こえるR&Bって最近無いもんね。小さく聴こえるギターやオルガンも、かなり行儀が悪い。 加えて、メイシーのボーカルが、なんとも収まりが悪い。僕は「ほら、ここにピースを埋め込めばパズルは完成だぜ」と言って待ち受けているのに、全く違うピースを入れられてパズルがグシャグシャになっちゃう、みたいな。 で、その“収まりの悪さ”が不快かと言えば、かなり快感。 なんつーか、ロックっぽいんだよね。60年代のサイケデリックロックやガレージロックに通じるような猥雑さがストレートに飛んで来るんだわ。照れも恥じらいもなく、ただただ猥雑な印象。 歌詞を読んでみても、SEX・ドラッグ関連のテーマが多く、それは「SEX・ドラッグ・R&R」なんつうカビ臭いプロパガンダじゃなくて、純粋にストリートの感覚なんだろう。 演奏家にはレッチリやファンカデリックのメンバーもいるみたい。なるほど、ファンクとロックのミクスチャー。 僕の耳が感じた(現状との)違和感とは、つまり、「現状のR&Bの喪失感」なんだと思う。 現状のR&Bは「猥雑さ」を喪失している。

 

★★★☆(2001.6.18)

『一年間/コリン・ブランストーン』 ゾンビーズを初めて聴いた時のショックは忘れられない。60年代のブリティッシュビートを聴き漁っていた頃だな。僕はビートルズは勿論だけど、ザ・フーとキンクスがお気に入りだった。そんな折に『ブリティッシュ・インベンション』というドキュメンタリー映像を入手。これは、今となっては何十回観たかわからない大好きなビデオなんだけれど、1回目の視聴ではなにしろ動いているビートルズやアニマルス、ホリーズ、マンフレッドマン等の映像にワクワクしたっけね。 ザ・フーの『My Generation』で映像本編は終了し、エンドロールが始まった。その瞬間、僕は息を飲んだまま凍りついた。信じられない程美しい楽曲がBGMに使用されていたんだ。ゾンビーズの『She's Not There』。 さて、ゾンビーズ解散後71年発表の本作。1曲目にゾクッと来た。そうそう、この声なんだよね。『She's Not There』の美しさは楽曲の完成度の高さもさる事ながら、この声なんだよ。コリン・ブランストーン自身の1年間を綴ったという本作(その割に収録曲は10曲なんだけどね・・・)は、フワフワ・トロトロと沈静した楽曲が流れていく。どこか感情を押し殺したような淡々とした歌唱なんだが、その分、センチメンタルな印象が強い。過不足の無いアレンジも秀逸。全ての音がクリアに聴こえる。 ストリングスやホーンの上品な鳴り方などから、ソフトロックの文脈で再評価された事情は理解できる。ゾンビーズの名盤『Odessey & Oracle』も再評価されている。 でもなぁ、なんかなぁ、こーいうのって客観的に評価していいもんなのかなぁ? いや、皆は誉めているんだから僕も嬉しいんだよ。第一、僕だって、こうして文章化してるわけでさ。 でもなぁ、心の中でヒッソリと大事にしたい音なんだなぁ。多くの人に聴いてもらいたいんだけれど、語り合いたくはない、つうか。 なんかなぁ・・・。 とっても幸福なアルバムです。嬉しいです。  関連(ゾンビーズ1ゾンビーズ2

 

★☆(2001.6.25)

『THE OTHER WAY OF CROSSING/ザ・ビートルズ』 例の“アンソロジー”フィーバーに辟易した僕は「もう、ビートルズのアウトテイクに散財するのはキッパリと止めよう」と誓ったのであった。公式発表されていないテイクをありがたがってちゃマズいだろう。そして、インターネットであろうと、非公式ディスクをレビューするのはルール違反だ、とも思う。 ・・・と、あらかじめ自己批判しておいて、チャッカリと話を進めさせていただく。『アビーロード』のアウトテイク集レビューだ。 カセットテープもDATも無い時代、ビートルズはスタジオでの成果をアセテート盤に刻んで持ち帰った。毎日毎日、誕生していたアナログディスクが流出してレアトラックスブームとなったわけ。 オーバーダビング前のセッションが聴けるので、ビートルズの複雑なレコーディングの秘密を垣間見ることが出来る。ポールはリズム録りで必ずしもベースを弾いていない、とかね。 セッション時の“お遊び”も楽しい。例えば『Something』のエンディングに何故か『Remenber』(ジョンのソロ作品)がくっついていたりする。 さて、『アビーロード』と言えば、後半のメドレー。クライマックスでは、解散を前提にした重苦しい歌詞が登場し、『The End』で幕を閉じる。実にポールらしい演出。 しかし、20秒の沈黙の後『Her Majesty』がヒョコッと顔を出して、“荘厳な終焉”を茶番に変えてしまう。元々はメドレーの中に在った楽曲をテープから鋏で切り取り、マスターテープの最後に貼り付けた“スタッフの職業意識”という偶然が生んだハプニング。 本作では『Mean Mr.Mustard』と『Polythene Pam』の間に『Her Majesty』が存在するという初期のメドレーバージョンが収録されている。 何故、ポールはこの流れに不満があったのか、と首をヒネる。これはこれで自然な流れだ。 しかし、結果はビートルズに味方した。 終焉を茶番劇にしたからこそ、ビートルズはビートルズであったのだ。  関連(・4・

 

★★☆(2001.6.25)

『ベスト/鶴岡雅義と東京ロマンチカ』 僕の爺様は仏壇作りの職人だった。昔気質の職人体質モダン指向が同居した人物で、アナーキーな逸話の多い“変人だったと聞く。僕が譲り受けた形見の品は、彼が使用していた腕時計、彼が作った箪笥、彼が愛聴した東京ロマンチカのシングル『君は心の妻だから』の3点だった。物心つく前に、この楽曲を繰り返し聴かされ、ドサ周りのロマンチカを生で聴くことも出来た。(三条正人の在籍時!) そのせいか、いわゆる“ムードコーラス歌謡が好きでたまらない。特にマヒナスターズとロマンチカが好きだ。どちらも軟弱で艶っぽい歌声が素晴らしい。クールファイブの場合、前川清の歌唱がソウルフルであり、それはそれで好きなんだけど、僕が求める艶っぽさとは違う。 高音でファルセットに急変し、独特のビブラートで震えた声じゃないとね。しかも、両グループともバックコーラスも震えたファルセットなんだよね。 今回、ロマンチカの音楽をジックリと聴いて、大きな発見があった。このグループの音楽には根底にラテンがあるんだね。(マヒナスターズはハワイアン) 「ロマンチカ」って名前が、そもそもラテンムードなんだけどさ。バックで薄く鳴るパーカッションのセンスも然る事ながら、鶴岡雅義のギターが問題だ。今の僕の耳ならば、『君は心の妻だから』が『影を慕いて』の影響下の楽曲だということぐらい、すぐに判る。そう、古賀政男の“ギター演歌。鶴岡のガットギターも、古賀が確立したセオリーの傘の下にスッポリと収まっている。しかし、アクセントがハネているのよ。比類すべき対象がいない独自の音。 偉大な先輩が敷いたレール上でマナーを踏襲しつつも、ラテン風味を取り入れて“別の地平線”に到達。 僕の爺様がロマンチカを聴いていた理由が判明した。アンタは東京ロマンチカのように生きたんだね。 アンタの孫もね! 僕がアンタから譲り受けた最高の形見は、それなのかも知れない。感謝です。  関連(爺様2

 

★★★★(2001.7.02)

『ブロウ・バック/トリッキー』 サンプラーやシンセを駆使した打ち込みサウンドであるにも関わらず、制作者の人格や感情が伝わってくることがある。例えば、カール・クレイグやエイフェックス・ツインの音楽に僕は人肌の温もりを感じる。打ち込みの最小単位である“bit”に人格や感情を注入する達人と言えば、間違いなくトリッキーだろう。いくらダークな音像を構築しようとも、僕は彼の暖かい人柄を感じ取っていた。 さて、新作。 「BLOW BACK」とは、自分の吸い込んだ煙を噴き出して周囲の人達にも吸わせてあげる行為のこと、らしい。つまり「俺だけじゃなく、キミ達もハイになりなよ」、と。ジャケ写を見る限り、かなり愛情豊かな行為のようですね。(煙の正体は各自勝手に想像しろ! 野暮言うな!) うん、これは、わかりやすいね。俺の感情を共有しようぜ、とトリッキーは切り出してきたのだ。僕はずっと共有してたつもりなんだけどね…。 相変わらず沈静したムードではあるんだが、今回は何かが決定的に違う。開かれている、っていうのかな? 微細な“bit”を顕微鏡で覗かなくとも、トリッキー個人と出会える音楽として成立している。オープンな印象。 ズルズルと引きずるようなリズムが、僕の体内で開かれていくような気分。決して“暗黒回路”を刺激しない。だいたいさぁ、トリップホップをダークと決め付けたこと自体、僕は納得がいかないんだけどね。逆に言えば、トリッキーにダークを期待している人達にとって、本作はガッカリするかもよ。 すっごく、変な言い方だと自覚した上で言うけど、僕は本作を真夏に聴きたいと思った。汗を拭いながら屋外でヘッドフォンから聴きたい。そうねぇ、人工的な空間がいいなぁ。ビルの窓がギラギラと照り返すような環境。 これが夏の音かよ?と疑問を持たれることなんざ、百も承知! どういうわけだか、僕は本作の“bit”に潜むトリッキーの汗を感じたんだもん。 いいもん、俺、夏に聴くんだもん!

 

★★★☆(2001.7.02)

『1/頭脳警察』 発禁の経緯には触れない。んなものは、どこでも学習できるからな。他所で調べて下さい。 やはり発禁処分で封印されていた『頭脳警察セカンド』が復刻された時、正直に言って僕は落胆した。なんだこの程度か、と。 セカンドがファーストの焼き直しという建前であった以上、僕はファーストにも実は期待してはいなかった。大袈裟に言い過ぎなんだよ、てなもんで。 ま、かつてパンタに憧れて、頭脳警察のアルバムも聴き込んだ身ではあるし、今回の復刻に乗らないわけにはいかないだろう。昔、この音源には喉から手が出ていたのも事実だしな。 冒頭の「アーアー、試験試験、期末試験、中間試験」というパンタのマイクチェックに苦笑したのも束の間、一瞬にして僕は凍りついた。 『世界革命戦争宣言』でパンタは絶叫する。なんつぅ切羽詰った声なんだ。「ベトナムの民」「ニクソン・佐藤・キージンガー・ドゴール」なんて言葉は21世紀の今となっては風化しているにも関わらず、とんでもないモノが耳に飛び込んでくる。いや、赤軍思想がどーのこーのという次元の話じゃあないような気がする。“革命戦争”が幻想であったにしても、彼ら(頭脳警察と聴衆)はこんなにも熱かったのかという空気。熱い聴衆(多くのセクトが潜入していたに違いない)を前に、絶叫することしか許されなかったパンタの“死を覚悟した声”。 正直、こういう音源は、その時代にしか通用しないものだと信じていたし、その意味で僕にはリスナーの資格なんかないと思っていた。30年の時間を隔てた復刻に意味なんかない、と。 頭脳警察は30年後のリスナーをも標的にして叫んでいたのだ。 音楽で世界が変わるか、なんつうレベルで頭脳警察を批判するんじゃねぇ! じゃあ、オマエは叫ぶって言うのかよ? パンタみたいに叫べるのかよ? 30年前の頭脳警察が突きつけたモノを僕は真摯に受け止めたい。 パンタは歌う。「てめえのマンコに聞いてみな!」  パンタ1パンタ2パンタ3パンタ4パンタ5&6・頭脳警察1・頭脳警察2

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