メレンゲ今週のCDご紹介26

ビョーク、マライヤ・キャリー、ジャミロクワイ、コーネリアス、
ステレオラブ、トーマス・ドルビー、頭脳警察、ケイト・ブッシュ、
エマーソン・レイク&パーマー、ジェスロ・タル
評価は5段階です。(★が得点。☆はオマケ)

 

★★★★(2001.9.06)

『ヴェスパタイン/ビョーク』 先週のシングル評に引き続きアルバム評。全体を聴き通して、包み込むような“癒しの成分”を感じると共に、癒し続けられることの息苦しさをちょっぴり感じてしまった。最近のビョークって理屈っぽすぎないかぁ? うーん。好きなアーティストだから言葉を選んで言うけれど、神に近づきすぎてしまったんじゃないかな? 「ビョーク」というイメージに本人もリスナーもがんじがらめになっているような・・・。 と、先に悪口を言っておいて、後半は誉めるんだけどさ。 このアルバム、すっげえ高品質だよ。ある意味ワンパターンなビョークの歌唱と、不可思議なバックトラックがせめぎ合い、幸福な融合を遂げる奇跡のアルバム。 僕は不埒な空想をしてしまった。 オケが無い段階で、ビョークがアカペラでボーカルトラックを作り、トラックメイカーが後付けでバックトラックを作るという工程を踏んだんじゃないか、と。つまり、リミックスの手法。 まぁ、実際はそんなことは無いんだろうけど、ビョークの歌がバックトラックに毒されていない風情が僕には不思議。いや、バックトラックからコンマいくつかの影響は受けているようにも感じるのだけど、どんなトラックが来ても臆せずに1つの表現を続行するビョークの在り方がもはや僕のコモンセンスを超えている。どのバックトラックもリズムの音量が低く、微弱な音量で存在感と音圧を稼ぐ工夫に命懸けになったようなアイディアが素晴らしい。アンビエントが充満し、モコモコした空気感の中で薄くクッキリと鳴るリズムを追っているだけでもウットリできます。 あぁ、なんだか、僕はさっきから何も語っていませんね。そう、この音源を総括することができないってのが本音なんですよ。ビョークが理屈っぽいのではなく、僕の理屈が敗北しただけなのかも知れない。 仕方ない。また、薄いリズムに身を委ねよう。 M-2とM-7のリズム。これ、本当にすげぇんだから! 関連(

 

★★★(2001.9.06)

『ラヴァーボーイ/マライヤ・キャリー』 マライヤの音源に財布の紐を解いたのはこれが初めてだ。下世話っぽい期待があったからさぁ。 80年代テイストって言うけど、そうでもなくない? バックトラックのネタ(『Candy』)を知っていたら「ふむふむ、なるほどね」なんつって関心できたんだろうけど、知らないんだもの、しょーがないじゃん。 それにしても、トリトメのない楽曲だなぁ。情報量が尋常じゃないんだが、何故か淡々と流れてしまう。何度聴いてもフックになってくれない、と言うか。 「ここだっ!」と思う個所をコーラス(と言うか、別トラックのボーカル)が邪魔しちゃうのね。おかげで、耳のフォーカスが絞りにくいったらありゃしない。 トラックの多さはちょっと半端じゃない。ボーカルだけでも20トラックは使ってんじゃねぇの? あ、20トラックって適当に多目に言ってみたんだけど、実はもっと多かったりして・・・。その膨大なボーカルがハーモニー以外にもグチャグチャに攻めてくるんだ。変な例えだけれども、『恋のダンスサイト/モーニング娘。』を思い出した。いや定位の不安定さで考えたら、モー娘。なんかより遥かに過激。妙な揺れ方に頭がクラクラする。 しかし、この過激さを僕は楽しむことが出来ない。芯が無いんだもの。ジャム&ルイスの仕事に見る「一見まっとうな音楽。しかし、超過激。」という驚きの方が僕には合うみたい(アルバムではジャム&ルイスが参加しているらしいね)。 あぁ、マライヤとはもっと素敵な出会い方をしたかったなぁ。などと溜息をついてみせつつ、個々のトラックのボーカルに耳を集中させると、なるほど見事なシンガーだ。 この声がミッシリと詰まった膨大なトラックが目の前に存在したならば、何でも出来るじゃん。失敗しようがないじゃん。と、思う。 あぁ、そうか! 失敗しようがないから、こんなことをやっちまったのかぁ。 んもうっ! それは贅沢なオフザケってもんだぜぇ。

 

★★★☆(2001.9.17)

『ア・ファンク・オデッセイ/ジャミロクワイ』 CG処理されたジャケットデザインが本作の方向性を如実に顕している。どこかヒンヤリとした手応え。過去の作品以上に隙間を残した音空間からシンセ音が飛び出してくる瞬間に僕は口ごもりながら「ハ、ハイパー・・・」などと取り敢えず言ってみたりして・・・。 前作←Click!!)がディスコテイストの傑作であったのに対して今作はタイトルが示す通りファンク。JB以来のマナーである2拍4拍のスネアによるファンクリズム。しかし、これさえ死守すれば何をやってもいい、っつう思想もまたファンクマナー。いつもながらのカッコいいベースと「クチュクチュ」鳴ってるギターにシンセ音や超絶にいかしたストリングスが絡みつく。うん、言ってみれば前作のディスコムードと大差ない。しかし、決定的に違うのはクールネスだろう。なんだか冷めた表現なんだな。音が埋まって行かないミックスダウンが象徴的。いつになく抑制されたジェイ・ケイのボーカルもクール。いくつかの「ニューファンク」を提案しているが、練り込まれていない印象の楽曲もあるよなぁ。主題が曖昧、と言うか・・・。 アコースティック楽曲ではボサノバとオリエンタルサイケを融合させたような不可思議な世界で驚かせてくれる。洗練を徹底的に避けたようなアレンジ&音処理と、何故か土着的なメロディが素晴らしい。新しいレベルのステージに突入したね、ジャミロは。このアルバムの評価がマニアに限定されはしまいか、と少し老婆心が起こる。 統一感の希薄な全楽曲に言えるんだが、ストリングスやブラスが左右に片寄ったままのミックスダウンが印象的。この手法の音源が最近多いように僕は思う。楽しいね。60年代的だ。ビートルズやバカラックを思い出したりして。 前作の発表後、世を上げてのディスコブームが起こったのは記憶に新しい。するってぇと、今年後半のトレンドはファンク? うひょ〜! そいつは嬉しいぞ! 腰を鍛えておかなくっちゃ!  関連

 

★★★★☆(2001.9.17)

『POINT OF VIEW POINT/コーネリアス』 随分と待たされたよなぁ。3年ぶり? いや、僕は5年ぐらい待っていたような気がする。アルバムに先駆けたシングル。今時、ミニサイズのCDに収録曲はたったの1曲。クレジットは「CORNELIUS from Nakameguro to Everywhere」とあるだけ。あまりに素っ気無いパッケージに不安とトキメキが心の底から湧き上がった。CDプレイヤーの再生ボタンを押す瞬間の狂おしいドキドキ感はいつ以来だったろうか? 再生ボタンを押したが最後、僕はとんでもない世界に引き擦り込まれてしまった。静かに、しかし熱く高揚していく感情が抑えられない。今現在、音楽世界で最高峰のカリスマと言っても過言ではない小山田圭吾の福音に触れる神聖な4分16秒間。そう、これはまるで宗教だ。 長いインターバルで鳴らされる2つのコードが魔法のように未知の世界へと誘う。誰も体験したことのない音世界だ。 言葉じゃ言い表しようがないよぉ。循環されるコードの中で発生するイベントは、もはや「アイディア」なんつう言葉で語ることさえ出来ない。これは“成るべくして成った到達点”としか僕には思えない。 待てよ? このサウンドを人間の業と思っていないのか、僕は? フェイドアウトと共に増幅するリヴァーブのパラメーターを探れよ!と自分にけしかけてみても、全く対応できない。そんな次元で、この音楽と向かい合うことが出来るもんか! もう、何巡も何巡も繰り返し聴いたけれど、僕には未だにこの楽曲の全貌を把握出来ない。そして、楽曲が始まるたびにウットリとして、静かに音の海に落ちていく自分を制御できない。この時代をコーネリアスと共有できる歓びに打ち震える。同じ日本人である、などという低俗な同胞意識でコーネリアスを想うなんて馬鹿げた真似は止めた方がいいよ。地球レベルでの祝福なんだよ、この音は! 本人も言っているじゃないか! 「from Nakameguro to Everywhere」って!  関連

 

★★★☆(2001.10.03)

『サウンド・ダスト/ステレオラブ』 けっこうコンスタントに商品をリリースしてるよね、ステレオラブ。ジャケットのデザインテイストが基本的には毎回似ているから、なんとなく連作のように感じちゃう。音も毎回違う(←Click!!)のに、総論的には毎回同じことをやっているような気がする。しかし、今回耳を引くのはクラリネットだね。あ、僕の耳にはクラリネットに聴こえるのだけれど、間違っていたら誰か指摘してくださいね。金管や木管を完全に聴き分ける知識が無いもので・・・。 ニノ・ロータを思わせるクラリネット(っつうか、クラリネットを聴くと僕は必ずニノ・ロータを思い出す)。 ステレオラブの視点は非常に乾いた処に置いてあると思うのだけど、その意味ではクラリネットのセンチメンタルな響きが徹底して対象化されている風情が心地よい。いつになく歌モノが多いし、サウンドはともかくカラフル(生ブラスとトランペット風シンセ音の融合とか、マリンバやスチールギターの使用とか)。でも、素材に対する距離感は相変わらずクール。冷徹って意味でのクール、ね。展開が楽しい楽曲でも僕の頭と身体に温度差が生じる。 生楽器の批准がこれだけ高くても、僕にとってのステレオラブとは“クラフトワークのクールネス”を徹底して継承した音楽家に思える。うん、つまり「テクノだなぁ」と。そもそもラウンジもモンドもテクノとは紙一重であった、と言うよりも根底において同質のモチベーションを所有していると思う。しかしながら、そのモチベーションを懐に抱くにあたって発生する頭でっかちな理屈を露呈せずに、サウンドによって明解な娯楽性の提示に成功したのはやっぱりクラフトワークとステレオラブのような気がする。手法(テクノとかラウンジとか)の発明家である誇り以上に音楽家として楽天家である、と解釈したら綺麗すぎるかな? でも1つだけ確実に言えることがある。クラフトワークもステレオラブも聴いている時の僕が幸福であるということだ。  関連

 

★★★(2001.10.03)

『ゴシック/トーマス・ドルビー』 ケン・ラッセルの同名映画のサウンドトラック音源。 僕、ラッセル映画、大好き。 出会いはもちろん『トミー』。監督が誰だなんて話題には興味もないままに僕のDNAに一滴の毒を注入された。意外に思われるかも知れないけれど、僕はザ・フーのオリジナルアルバムを聴くより以前に映画の『トミー』を観て感激したのさ。 その後、『アルタード・ステーツ』を経て出会った『ゴシック』『サロメ』が僕にとってのフェイバリットかな。 『ゴシック』『サロメ』はどちらも閉鎖空間に起こる時間経緯が恐ろしく短いドラマ。非常に平面的な構成であり、平面的であるが故に登場人物のネジれた個性人間関係のネジれ方が際立つ、といったキワモノ的な映画。世間一般にはB級ですか? 別にC級扱いでも全然かまわないんだけど、僕は『ゴシック』『サロメ』が大好きなのよ。 『ゴシック』はホラー映画の体裁をとっている為、儀式的なシーンやエピソードに話題が集中するのだけれども、僕にとってはフェリーニ映画に通じるような“スノッブという名の人間風俗”っつう感じかな。デタラメに展開する刺激的なシーンもたかが一夜の戯れにすぎない、という儚さ。そして、無意味さ。あぁ、ヨーロッパだなぁと思う。 ラッセルの映画に射し込むブルーの光は、斜陽も含めた英国の象徴のように思えてならない。 さて、音源をディスクで聴いたのは今回が初めてだったのだけれど、ほとんどのエレメントに記憶があった。シーンの特定も可能。僕ったらそんなに何度も『ゴシック』を観たってわけなのね。てへへ。 トーマス・ドルビーというマルチアーティストがホラー映画(って呼びたくはないのだけど・・・)のサウンドトラックを担当。ディスクの発売元はヴァージンレコード。どこかで聞いたような話だけれども、本音源と映画が『エクソシスト』のように大ヒットしたという話は聞いたことがない・・・。  関連

 

★★★(2001.10.15)

『1973.10.20日比谷野音“聖ロック祭”/頭脳警察』 パンクだ、ニューウェーヴだっつう時代(80年代前半)に東京近郊で活躍するアングラバンドのライブ音源を大量に所有している女の子がいた。録再型のヘッドフォンステレオで録音したカセットテープなんだけど、この内容が尋常じゃなかった。じゃがたら・リザード・フリクション・INU(町田町蔵ね)・スターリン・EDPS・午前四時・ジャングルズ・灰野敬二etc。列挙したらキリがない。あの時代を知っている人間がこの文章を読んだらきっとその女の子を特定できるに違いない、というくらい彼女のコレクションは膨大だった。今や伝説となった(なってないかも・・・)80年代前半の東京ライブシーンを検証する為には彼女の所有するカセットテープから音を起こすことが有意義なのだが、しかし・・・。僕が彼女と最後に会った時に彼女は言っていた。「もう、楽しいMCを入れないバンドは嫌いなのよね。暗いのは駄目よ。私、眼が覚めたわ」 もう、あのカセットテープは処分されてしまったかもね。 などと、その時代の音源に対していかにも貴重だっつう側面を強調している僕ですが、僕もあの時代の音はコリゴリだね。懐かしい、っつう感情以外の次元では必要ないや。 さて、頭脳警察の1973年ライブ音源。 音質は最悪。カセットかどうかは判明しないけれども、ライン録りではなく会場でPAの出音を録音した音源だね。音が団子状態で分離は最悪。 モコモコした音を聴きながら、僕は“幻のパンクカセットテープ”を思い出しちゃったわけだ。事実、共通点はあるのさ。正式発表された音源と歌詞やアレンジが違うといった楽しさや、現場の空気が漠然と伝わってくる感じとかね。もうどうしようもない“時代の空気”をタップリに孕んでいる。この音源を聴いて、過去の傷が疼く人もいるんだろうなぁ。 その時代の核心に近づいた人間には確実にツケが回るのさ。 僕が80年代を傷にしてしまったように。  関連(パンタ1パンタ2パンタ3パンタ4パンタ5&6頭脳警察1・頭脳警察2)

 

★★★(2001.10.15)

『レッド・シューズ/ケイト・ブッシュ』 過去に精神的なレベルで熱中し、その熱中ゆえに重く深刻な“気分”を刻印してしまい、結果的に嫌悪せざるを得なかったアーティストが僕には多い。挙げてみようか? ディビッド・ボウイー、ロクシー・ミュージック、ルー・リード、イギー・ポップ、ドアーズ、ジャックス、パンタ・・・。そして、ケイト・ブッシュ。 なんとなく理解してもらえるでしょ? 観念的な思い入れを許容してしまう人達。10代の“傷つくのが大好きな気分”にしっくり来るのさ。 あぁ、列挙したアーティストを現在進行形で好きな方々、ごめんね。これは僕個人の体験を語っているだけなんだからね。 僕は上記のアーティストを夢中になって聴いた。言葉の1つ1つ、表現の1つ1つを聴き逃すまいと必死に聴いた。そして、僕という人間が存在する為の指標にしていた。う〜む、青臭い。 そして、ある時期にその青臭さにゲンナリしたの。そして上記のアーティストの音楽には嫌悪すべき“僕の気分”が封印されたの。 さっきから“気分”という表現を使っていることこそが、僕が獲得した距離感。 彼等と距離を開けた時期とアナログ→CDへの買い替え時期が一致した。僕は新しく出会う音楽に熱中し、彼等のCDを全く購入しなかった。アナログではブートレッグまで買い漁ったのに! 20世紀が終わると共に、何故か封印が解けた。唐突に。 僕がケイト・ブッシュと和解したのは『愛のかたち』以来だ。本作を聴いたのもこれが初めて。クラプトン・ベック・プリンスという外部ゲストの導入は前作のデイヴ・ギルモア同様にあざとい。十分に商業主義。ブルガリアンコーラスとのマッチングも未消化。 しかし、ミクスチャー音楽というポイントで考えれば、この音楽はとてつもない可能性を提示していたのだと思う。ケイト・ブッシュの現状には疎いのだけど、もう新作は出ないのかな? 僕のCDラックには未だケイト・ブッシュのCDが揃ってはいない。

 

★★★(2001.10.23)

『アトランティック・イヤーズ/エマーソン・レイク&パーマー』 偶然、気になって聴いた音楽が現在発売中の雑誌の特集と合致した。今週は『レコードコレクター』11月号の特集に合致した2つのグループを扱います。本当に偶然だったんだからね! 何度でも言い訳しちゃうぞ。偶然! ってなわけで、EL&P。僕は全盛期の彼等に憧れていた(恥ずかしー!)のだが、彼等の失速後に音を聴き直して愕然とした。こんなにショボいもんに憧れてたのかぁ!? 子供の耳なんて信用できねぇもんだなぁとばかりに封印。思い出すことさえなかった。21世紀、何故か唐突に本作を購入。便利なベストがあるもんだわい、と。 なかなかどうして、面白いぞ、EL&P。 こんなにもクラシック音楽を引用していたのね。ジャズ、ブルース、トラッドをも巧妙に取り入れたミクスチャーロックだと気づいた。 楽曲が長くて大袈裟なので瞬間のインパクトをついつい見逃してしまうのだけれど、瞬間風速で見たならばかなりユニークな混ぜ合わせ。 取り入れた要素をフレーズで表現しようとする発想が良くも悪くも彼等の音楽的個性で、リズムを放棄してしまったような3人のパートのユニゾンアンサンブルが変テコ。スネアが一生懸命にオルガンとユニゾンしていたりして、うーん・・・、まぁ・・・、騒々しい。 おまけに初期のカール・パーマーったら音が抜けたり、リズムが一瞬止まったりするのね。グレッグ・レイクのベースも音抜けが何箇所か目立った。キース・エマーソンの演奏は案外雑だ。 って、悪口ばかり書いてますが、つまり、もうEL&Pをバカテクとか言うのは止めにしましょうね。 ミクスチャーロックとしての革新性、そしてミニモーグを太く鳴らすリード奏法(およびコード奏法)こそが強烈な現代性。 全体にダビングが少なそうな印象があった。変拍子の多い長尺楽曲を一発で演奏したのかぁ。唖然。 レイクの楽曲のみ本人のダビングがしつこくて面白かった。目立ちたかったのだろう。

 

★★★☆(2001.10.23)

『20イヤーズ・オブ/ジェスロ・タル』 レア音源を含む“アンソロジーもの”らしいんだが、僕はジェスロ・タルに詳しくないので、その貴重さがいまひとつ理解出来ない。っつうか、“音源の貴重さ”なんぞ僕の中でプライオリティが低いから実はどうでもいい。 古い音楽番組をアーカイヴ化したビデオを見て、ジェスロ・タルの音楽性に興味を持っていた。アルバムを2枚ほど聴いてみたが、どうも印象を一本化できない。う〜ん、正直に言えば、僕が求めていたイメージと合致しなかった。 つまり、僕はビデオに収録されていた楽曲の印象を強く求めていたのに、ジェスロ・タルの音楽的守備範囲が広過ぎた為、はぐらかされたような気分になっていたのね。 その楽曲とは「WITCH'S PROMISE(魔女の約束)」。欧州トラッドとジャズロックが融合したような不思議な楽曲。欧州トラッドのマナーを少し崩したようなイアン・アンダーソンの発声が素晴らしい。アンダーソンのトレードマークでもあるフルートの使用もエキゾティック。 しかし、この楽曲をジャンルに分類するのは難しい。きっと、過去の音楽ジャーナリスト達は苦心の末にプログレッシブロックに分類したのだろう。う〜ん、それはどうかなぁ・・・。 本作を聴き通すと分類不可能な楽曲のテンコ盛り状態。しかも各楽曲のベクトルはバラバラ。 音楽ジャーナリストでなくとも、ある意味、聴き手を不安にさせる音楽だと思う。分類出来ない音楽は刺激が強すぎるからね。 いやいや、音楽的には非常に暖かいし、安らぐんだよ。でも、定義できない不安感を感じるの。その感情はつまり音楽に対する聴き手の思い上がりなんだけどね。定義できる範疇で音楽を聴こうって意識は不自由そのもの。僕はなるたけ自由な耳で音楽を聴こうとしているつもりだけれども、こんな時に自分の不自由さを自覚してしまう。 60年代〜80年代に演奏された楽曲群を聴き、まだ時代がジェスロ・タルに追いついていない事実を深く思い知った。

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