メレンゲ今週のCDご紹介27

コーネリアス、ケミカル・ブラザーズ、エイフェックス・ツイン、
ガービッジ、マイケル・ジャクソン、フォーリーブス、ポール・マッカートニー、
森進一、マグマ、榎本健一
評価は5段階です。(★が得点。☆はオマケ)

 

★★★★■(2001.10.30)

変則的最高得点

『POINT/コーネリアス』 このページはあくまで僕個人の主観100%で書いているものなのであって、制作者にも読んでくださる方にも商業的なシガラミは無い。 さて、これでエクスキューズは完了しましたね? いいですね? 俺、言っちゃうからね? よし! 言う! このアルバムは『ペットサウンズ/ビーチボーイズ』(←Click!!)以来の“音に関する事件”だと思う。コーネリアスが仕掛けた事件としては、これが3件目にあたると思うのだけれど、前2作は本作に比較したらまだまだ悠長かも知れない(敢えてデビュー作は除外しています)。 前作ではサンプラーで持続する声に過激な発明品の匂いを感じてゾクゾクしたけれども、本作でのサンプラー表現はもはや完全に彼の手の内。驚くより先に、あまりの気持ち良さに酔い痴れる。サンプリングコラージュの技法を云々言う前に、身体が感じている快楽をどうしようもないことに気づいて僕は幸福な気持ちになってしまう。彼は発明品の第一人者である名誉に固執していないのだ、もはや。 誰も踏み込んでいない領域に無邪気に到達し続けたコーネリアスではある。そして、それはサウンド的な領域を指していたように思うが、今回の到達先は「楽園」だ。う〜ん、前作も楽園ではあったんだよなぁ。でも何かが決定的に違う。 あぁ、エクスキューズが無いのかもね。前作で言うところのドラムンベースのようなエクスキューズ。(強いて言えばキーワードは“ブラジル”か) もはや、コーネリアスは孤高のトップランナーだ。「今、目の前で展開している時代に対する反応」という次元から明確に隔離された最先端でフラッグシップをガッチリと握ったかのような決意を感じる。 2001年の秋にはまだ完全なフィットを果たさない音源かも知れない。彼がどこまで先に行ってしまったのか、僕には見当もつかない。僕を含めた時代がこの音に追いつく時を待つ他無いのだ。『ペットサウンズ』の時がそうであったように。  関連

 

★★★☆(2001.10.30)

『IT BEGAN IN AFRIKA/ケミカル・ブラザーズ』 4つ打ちキックに乗せてタイトルを呟く声がリピートされる。この声がなんだかヤバい。“いけない処に連れて行かれてしまいそうな気分になる。そして、“いけない処”に行ってしまえ、という捨て鉢な気分が確実に増幅する。 特に「アフリカ」という単語の最後の「カ」が小刻みにループする部分(♪カ・カ・カ・カ・・・♪)がヤバい気がする。背後のパーカッションがアイコン的にアフリカを象徴していて、♪カ・カ・カ・カ・・・♪を更にヤバいものにする。あまりに安直な連想ゲームなので恐縮なんだが、呪術を思わせる。うん、合言葉はブードゥって気分。深い意味がるのかどうかはよく判らないんだけどね。 (意外にも本コーナー初登場の)ケミカルブラザーズのライヴには一種の儀式性と宗教性が漂う。シンセやサンプラーを(不自然なままに)自然音であるかのように重ね合わせ、リスナーの精神を深い処で占領してしまうような儀式性と宗教性。心音や体温や血の巡りにシンクロしてしまうかのようなリズムと音圧は脳に特殊な刺激を促す。うん、まさに“ケミカルとは言い得て妙。 シンセの音色が脳内の“ある部分”に優しく(或いは激しく)適応することは過去のシンセマスター達が知り尽くしていた事実だとは思う。イーノ、クラフトワーク〜一連のアンビエントもの〜エイフェックスツイン。(←あまりに大雑把な流れ図だけれど、言いたい意味も行間も読み取ってもらえることを期待します。) そして、ケミカルは“最新のグル”にあたるシンセマスターである、と僕は思う。 本作はケミカルの最新シングル。この楽曲が彼等の新しいライヴのレパートリーになることは自然な流れだろう。だが、しかし・・・。 これはヤバいと思うなぁ。想像するだにヤバいなぁ。ケミカルのライヴのピーンッと澄み切った空気の中で♪カ・カ・カ・カ・・・♪ヤバいなぁ。 わたしを“いけない処”に連れて行って! 関連

 

★★★☆(2001.11.12)

『DRUKQS/エイフェックスツイン』 ポップ音楽が未来に連なっていく時間軸上で“指標”となるサウンドがある。そのサウンドを定期的に送り届けてくれるアーティストがいる。彼等は今現在見えている世界の遥か先方に旗を立てて、“未来の在り処”を指し示してくれる。その未来が実現されるか否かなど問題ではない。その旗が確実に立てられること、そして、その旗を見た人間が思慮を始めること。これが重要。 さて、僕にとって、信頼に値する旗を立ててくれるアーティストは「ABC」。 何のことか判らないって? エイフェックス・ツイン()、ベック()、コーネリアス()のことだよ。 Aはエールだろ?とか、ダフトパンクを加えて「ABCD」にしろ!とか御意見はあるのでしょうが、まあまあ! 「ABC」は匿名性の高い表記を使っているがいずれも個人。そして、パーソナリティを言語でなくサウンドで表現し得る才人だ。 さて、エイフェックスの新作、2枚組。 十八番の高速ビートが登場する楽曲と、ピアノを主体としたミニマルな楽曲とが代わる代わる脳を直撃。変態的な高速ビートには静寂感を伴ったサンプリングストリングスが寄り添うなど、以前にも見られた特性が継続されている。このタイプには以前から、僕の右脳と左脳が別々な認識を始めてしまうような快感があって、僕の神経が欲する一種の“治療薬”みたいな効用がある。安定と興奮が同時に進行する官能。 高速ビート楽曲とミニマル楽曲の連携はことのほか効果があるのね。ヘッドフォンを被って音に集中していると特殊な脳治療を受けているような気分になる。いや、一種のマインドコントロールと呼ぶべき“危険な音”だと言われたら、それも十分に納得出来るな。 しかし、またしても全体の印象は美しいんだな。リチャード・ジェイムスは"音楽の力”を確信しているのだろう。音楽の美しさによる効用を信じ切っているのだろう。 それは「ABC」3人に共通するセンスだと思う。  関連

 

★★★☆(2001.11.12)

『ビューティフルガービッジ/ガービッジ』 もう散々言い尽くされた言葉ではあるんだが、日本では録音技師(レコーディングエンジニア)のステータスがことのほか低い。いや、然るべきエリアでは“カリスマエンジニア”が存在しているにせよ、一般認知に至らない。まぁ、正直に言えば、米国でエンジニアが一般認知を受けているのかどうかは知らないんだけどね。せめて、音楽産業におけるエンジニアの地位が日本でももっともっと向上したらいいのになぁと思う。 楽曲の良さや、歌(演奏)の上手さだけで素晴らしい音楽が生まれるわけでは決してない。世界的に音楽の本質は向上しているわけで、下手クソな音楽を探す方が難しいもんね。向上の結果、横並びになった楽曲に特殊な生命を与えているのがエンジニアであるケースは多い。 ってわけで、ガービッジ。評判は以前から耳にしていた。聴いたのは本作が初めて。もっとバンドっぽい音を想像していたなぁ。アコースティックであれ、パンキッシュであれ、バンドサウンドに違いないと思い込んでいた。打ち込みやサンプラーとバンドサウンドが自然に掛け合わされているのね。収録楽曲にはバラエティがあり、ボーカルには良い個性があって、すごく楽しいアルバム。打ち込みサウンドとバンドサウンドが同一楽曲内で入れ替わる瞬間の処理は見事。世界観をドラスティックに変えながらも音圧をキープして、歌モノとしてのクオリティを見事に確保。決して奇を衒った思いつきの実践ではないのだろう。いや、思いつきであったとしても、丁寧な処理によって商品性が確保・向上されている。 このグループがバンドサウンドで固められていたならば、同次元で優秀なグループなど数え切れないわけで、ガービッジだけがヒットする理由は“運”ってな結論になってしまう。しかし、このアルバムを聴けば理解できる。優秀な音処理によって、独自の足場を持っているんだもの。 でも、収録時間は長いかも。途中でダレた。

 

 

★★☆(2001.11.19)

『YOUROCKMYWORLD/マイケル・ジャクソン』 妹の作品(←Click!!)は発売当日にアルバムで購入して、兄の作品は発売日をとうに過ぎてからシングルで購入。とんでもない妹贔屓なんだが、贔屓は事実だから仕方ない。 マイケルにとって初の大々的なソロ来日公演が東京ドームで開催された時、僕はう〜〜〜〜んと後ろの席でマイケルを聴いていた。「マイケルは黒人を辞めた」とか非難されていた時期でもあったけれど、バラード系の何曲かには黒人シンガー特有のネバッこいアプローチがあって、僕は堪能した。 それ以降、マイケルの歌唱と肌の色は呆れるほどに白くなっていき、皮肉なことに90年代に台頭したR&B旋風の中でマイケルは蚊帳の外だった。黒人を続けていたならば、もうちょっとは優位な立場にいられたはずなのにねぇ・・・。 グローバルなメッセージ性を立てるなどの施策もシチ面倒くさいだけで、個人性を前面に打ち出したジャネットとの優劣は見る見る間に開いていった。 今作を聴く契機は「マイケルの黒人回帰」との前評判を確認する為だ。 ディスコタッチの太いリズムと下品なストリングス。お膳立ては万全。「アッ」という溜息を多用した歌唱も精一杯に下世話。 しかしなぁ・・・。 なんつーか、“ニオイ”が無いんだよね、無臭なの。かと言って、ジャネットのように黒人も白人もないでしょ、っつう極みに行こうとしている態度も感じられず・・・。 歌が空滑りしているのさ。歌と言うより、マイケルの存在が空滑りしているとも言える。 彼にとって忠誠心をつくす対象が無いのではないか? 自分の血に忠実になるには彼は自身を否定しすぎてしまった。 などとまぁ、アリガチな論点でマイケルをクサしているわけですが、僕は「黒人から白人になった男」として新しいブラックミュージックを構築することに期待していました。 Photoshopのアイコンの“目”がマイケルの目に似ていると指摘した友人がいたけれど、このシングルのジャケ写、確かに・・・、ね。

〜歌謡曲を聴く1〜

 

★★★(2001.11.19)

『ベスト/フォーリーブス』 歌って踊れるアイドルボーカルグループ。何の変哲もない。今となっては。 70年代前半期にフォーリーブスが歌って踊れるボーカルグループとして成功した事実は重要だろう。シングル楽曲を時系列で聴くとフォーリーブスが担った歌謡史上の役割が明確に伝わってくる。 『オリビアの調べ』『涙のオルフェ』等は紛れもなくGS時代からの引継ぎ業務だ。アイドル志向が強いGS楽曲から抽出した“うま味”を丁寧に再構成。作家の鈴木邦彦にとってはGS歌謡の総括行為か? 良くも悪くも60年代の歌謡楽曲とリンクしていた楽曲事情が70年代突入と同時に一変する。筒美京平が持ち込んだソウル編曲『約束』に端を発し、都倉俊一によるモータウン調の『地球はひとつ』でR&B歌謡路線を確立。以降、鈴木筒美都倉による三つ巴の主導権争いに揉まれながら楽曲のクオリティが恐ろしく向上していく。各自とも編曲に注ぐ熱意が尋常じゃない(洋楽からのパクリは多い)。うねるグルーヴ、切れ味鋭いホーン。70年代グルーヴ評価においてフォーリーブスを論じなかったことは片手落ちだと思う。 全盛期の短さはアイドル歌謡の宿命。特に男子の場合、花の季節は短い。個人メンバーのソロを打ち出した『あなたの前に僕がいた(青山孝)』『愛と死(北公二)』あたりから、明らかに失速。アイドルからの脱皮につまづいたパターンか。青い自意識が自己を認識してしまうと暑苦しい。 最後のビッグヒット『ブルドッグ』は都倉にとって山本リンダ・ピンクレディの方法論(編曲に顕著)を実験的に応用したバクチだったんじゃないかと思う。 フォーリーブスは70年代歌謡史において“中継ぎ”の大任を果たした。GSの息の根を止め、来るべきアイドル全盛時代の礎を確立。筒美都倉のスキルアップの踏み台となり、郷ひろみのコンセプトの青写真となった。 今年、23年ぶりに再結成(!)。 『新しい冒険』『踊り子』がお薦め。

 

★★★★(2001.11.26)

『ドライヴィング・レイン/ポール・マッカートニー』 遂にポールの新譜を語る日が来てしまった。嬉しいような怖いような。 ポールはビートルズ脱退後、数多くの作品をリリースしている。僕にとって「超」のつく名作は3枚程度、耳を疑うようなヘナチョコも3枚ほど(ワンマン録音による、タイトルに「McCartney」とつく作品に集中)。残りは単なる“凡作”。他のアーティストが作ったら秀作でも、ポールにおいては凡作よ。 ポール作品をダラダラと聴いていると嫌でもあることに気づく。“雑な制作姿勢”だ。メディアが彼を称える「完全主義者」という言葉に首をひねる。技術の高いセッションマンを起用した作品は少なく、一人で何でもこなしてしまうポールであって、初期ウイングスのメンバーは下手クソだし・・・、なにしろポールの録音物は雑だ。ずれたリズムやミストーンが収録されていたり、練り込めば傑作に仕上がったはずのものをセコいアレンジで完成させてしまったり。考えてみればビートルズ時代から雑な制作ではあった。そして、ポールの雑な姿勢は、雑ゆえに時として驚異的な成果を生んだ(例えば『Band On The Run』)。 さて、新作。これまた、雑な録音物! しかし、今回の雑な姿勢はどうやら成功に向かったようだ。ホフナーのベースをブリブリに弾きまくっている。ドラム演奏も含め、かなりワンマンなダビングも重ねた模様。(たった)16トラックへのアナログ録音が荒々しい。ビートルズの上っ面をなぞった駄作であった前々作に対し、本作はまるでビートルズの新作を聴いているような気分だ。ホワイトアルバムの雑さ加減を思い出す。 ポール音楽の集大成のような優秀な楽曲群。しかし、決して権威的ではない。荒々しいシャウトと言い、瑞々しい衝動に溢れた音楽だ。使用楽器やカポの位置まで記したクレジットが微笑ましい。 偉大なるアマチュア、ポール・マッカートニーが帰って来たのだ。 僕は泣きそうだ。 このアルバム、『McCartney3』と名付けたかったな。  関連(ライヴレポート

〜歌謡曲を聴く2〜

 

★★★(2001.11.26)

 

『女心〜ベスト/森進一』 両性具有。 さしあたって、そこから森進一を考える。 歌詞の主人公が男であっても女であっても、森の歌唱は実に見事にフィットする。『花と蝶』『港町ブルース』に代表される女歌では高音に女性が憑依しているようだし、『おふくろさん』では男の脆い感性が細やかに、そして激しく表現されている。『年上の女』は歌詞を何度読み返しても、歌い手の“性”が決定しない。女自身が発した言葉と、伝え聞きによる男の客観発言が同居したような不思議な世界だ(『女のためいき』も微妙)。一人称を使わない歌詞の巧妙さも森の声が持つ“性”を超えた(或いは喪失した)色気を前提としたものだろう。どちらの性から聴いても受信できる感性を、どちらの性にも成り得る歌唱で表現。こんな芸当が森進一以外に可能なのだろうか? 角川博を思い出したが、格が違うような気がする。 初期の森の歌唱は女の声色を使うなどと言う手法ではなく、ハスキーな低音でシャウトさえ混じえている(猪俣公章に弟子入りする際に、森はポップス歌手を志していたらしい)。そのシャウトが決まれば決まるほど、何故か女の性が強調される。また、実績が浅い若い歌手として、シャウトも微細な表現も粗いのだけれど、その粗さにはゾクッとするような危うい色気が漂う。青江三奈サン←Click!!)の表現に「少年性」を加味したような・・・。 一方、『襟裳岬』『冬のリビエラ』といったニューミュージック系楽曲では、男としての余裕や貫禄を感じる。良くも悪くも、僕にとっては企画モノ。レコ大受賞曲だからって『襟裳岬』を代表曲扱いにするのは嫌だな。 魂や情念がドロドロと込められた「イタコ体質の歌手・森進一」は演歌史の奇跡ではなかったのか?(『おふくろさん』の歌唱は録り直し不可能の絶品だ!) まぁ、当人が「ただの上手い歌手」に成り下がったんだもんな。 推薦曲は『花と蝶』。これ以上に悩ましい情念恋歌があったら教えて欲しい。

 

★★★(2001.12.10)

『Merci/MAGMA』 80年代再評価にあたって、困難なトラップは「サウンドの古さ」を本質とするか否か、だと思う。テクノロジーが音楽制作において重要な鍵を握り始めた時代であり、以後テクノロジーは音楽の進化以上のスピードで向上した。「80年代風味」を旧式テクノロジーをも含めた音像として回顧するのか、表面の特性を差っ引いた“本質”で評価するのか。これは難題。“本質”なんてものが実際に存在したのか?という疑惑も拭えない。根本にあるものがR&Bだとは思う。思うのだけれど、ディスコブームからの連携という気もしないではない。スクリッティ・ポリッティもプリンスもファンキーなテイストを持ちながら“軟着陸”仕上げに神経を使っている。 てなことを考えながら、80年代の未聴音源を聴くのは楽しい。過去に聴いている音源だと、付加価値がつきまとうからね。 83年リリースの本作。初聴き。 根っ子はブラックミュージックなんだろうと思う。が、90年以降のR&Bとは決定的に違う。ヒップホップ以前と以降の差異には驚くばかりだ。なにしろ、リズム認識が違う。スクエアな打ち込みビートや、フュージョンタッチの軽快な生ドラムが登場。シンセもフュージョン風。コンプのかかったギターのトーン(及びフレーズ)然り。 表面のサウンドばかりでなく、楽曲のニュアンスも今となっては不思議。JBの解釈がグルーヴではなく、ボーカルフレーズにある、と言ったら良いのかな? 達者な歌とコーラスを中心に、周囲に音を配置していく。配置される音もシーケンサーやサンプラーで仕込まれたものではないが故に、演奏者の特性がモロ出し。特性とは“時代のモード”をも含む。薄く発するニューウェーヴの匂いが心地よい。 そっかぁ、80年代の“本質”を歌モノと考えるのは面白いかも。発見! などと言いながら非R&B的なトラッド楽曲が滅茶苦茶気に入った。やっぱ、プログレ体質だね。 今回のレビューはifさんのリクエストで実現しました。

〜歌謡曲を聴く3〜

 

★★★(2001.12.10)

『エノケンの大全集/榎本健一』 以前、「東京ロマンチカのように生きた僕の爺様」の話(←Click!!)を書いた。今回は母方のもう1人の爺様を紹介します。 明治生まれの彼は大正時代を呉服屋に丁稚奉公して過ごした。故郷に仕送りを続ける激貧の彼の楽しみは月刊誌『キング』の愛読と、休日を利用しての浅草巡りだったと言う。 大正時代の浅草、ってどういう意味かわかる? 田谷力三の「三文オペラ」、榎本健一や古川ロッパの「レビュー」、チャップリンの映画を安い入場料で見れた“浅草娯楽”の最頂点期。ストリップショーの名門フランス座のオープンを待っている時代だ。僕はかねてから、この時代に憧れていた。 さて、エノケン。現在に残されたエノケンの歌は昭和期に再録音されたもので、声には老いが来ている。僕の爺様が聴いたに違いない全盛期の歌声を聴くことは出来ない。しかし、イタリアオペラやジャズを日本的に解釈して楽しい歌詞を当て、芝居っ気たっぷりに歌うエノケンこそが日本のポップスの礎を築いた人物であることは明確に理解できる。僕は『月光値千金』という楽曲が日本語歌詞のセンスも含めて好きでたまらない。(僕とこの楽曲の出会いは東京パンクのリザードによるカヴァーだったんだけどね) 東京最高峰の娯楽地浅草の対抗勢力は銀座だった。モボ&モガが闊歩する銀座は浅草の野暮ったさと対象に都会的でスマートであり、浅草派の人間は銀座に対して卑屈さを感じていた。この状況に落とし前をつけたのがエノケンだ。 「俺は村中で一番モボだと言われた男」で始まり、「こわい所は東京の銀座/泣くに泣かれぬモボ」と結ばれる『洒落男』は、モボを茶化し、銀座のしたたかな人間像をヤンワリと批判する“アンチ銀座楽曲”。これを浅草の舞台でエノケンが歌うと観客は拍手喝采だったと言う。僕はこのエピソードが大好きだ。 僕の爺様も拍手したのかな? 僕に浅草好きのDNAを残してくれた爺様。 2人でエノケンみたいに歌おうぜ  関連(エノケンリザード爺様1

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