★★★☆(2002.02.25)
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『サンセット・レッド/ルシンダ・シーガー』 久々の“お洒落系”。87年のアルバムで、好き者達が血眼で捜しまくり高価で取り引きされていたんだと。20分の1の価格で初CD化。 原盤であることの価値観とか、CDよりアナログレコードの方が音が良いとか、様々な言い分はあるのだろう。しかし、僕はアッサリとCD化が決定して、商品が市場に出回り、デジタルコピーさえも可能な状況で、希少価値が粉砕される実情を悪くは思わない。(デジタルコピーにおける倫理観は別問題として・・・) CD化されていないアナログレコードは僕も所有しているけれど、少数リスナーの隠し金庫に保管されるよりも、速やかにCD化されて“皆のモノ”になることを望む。 ちなみに僕のCDプレイヤー購入動機は『ペットサウンズ/ザ・ビーチボーイズ』(←Click!!)のCD化だった。世紀の名盤が解放された歓び。それ以前の不当な取引価格と来たら・・・。 さて、本作はちょいボッサなテイストでポップで清涼感があって・・・。ご本人の弾くギターにダブルベースとパーカッション。バイオリンとクラリネットの使用がユニーク。 臭さ寸前のハイセンスっぷりだが、臭くはない。 綺麗声で歌っているのに、ギリギリの処でオシトヤカではない。澄み切った風情にどこか“熱情”が配分されているような・・・。 リズム感の問題なんでしょうね。バックミュージシャンの技量や急き立てるようなバイオリンの妙もさることながら、ルシンダのボーカルがミクロにハネているんだ。 しかも、綺麗な発声のトーンが旧式のジャズボーカルのように震える瞬間に歌の表現力が爆発的に広がる。モンロー的な可愛らしい色気がチラリ。 ボサノバの影響は強いけれど、英国的な響きやジャズ風味も配合されたメロディは実に魅力的で奥深い。 表題曲をCDショップで視聴した僕は迷わずにレジに直行した。この曲を生涯で最低20回は聴きたいと思ったからだ。 名曲とは誰かに聴かれる為に生まれてきたはずなのだ。
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〜歌謡曲を聴く15〜
★☆(2002.01.25)
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『ベスト・コレクション/天地真理』 70年代前半に天地真理は間違いなくトップアイドルだった。社会現象を起こし、レコードは売れていた(のだと思う)。 ルックスも音楽も“性的な匂い”が希薄。当時の真理ちゃんファンは真理ちゃんに一体何を求めていたのでしょうね? キャッチフレーズでもあり、デビュー曲『水色の恋』で歌われる「白雪姫」をまさか本気で欲していたってわけ? げげー。 な〜んて、それが「時代」と言うものでして。当時のアイドルファンは欲情なんかしなかったのよ。「天地真理の時代」が在ったからこそ、山口百恵の登場は衝撃だったわけでね。 “白雪姫が提唱する恋”には障害は無く、淫らな快楽も無く、淡い幸福感だけが果てしなく続いていくかの印象。そんな恋を夢見ている“現在地”にはホンノリと孤独感も漂っているけれど、だからと言って姫様は自慰行為なんかしない。あ、ごめん、姫様はトイレも行かない御方だったよね。性器の無い姫様が自慰行為だなんて・・・。失敬失敬。 『ひとりじゃないの』をブレイク点とするならば、一応それ以前の楽曲(僕は『ちいさな恋』が好きだな。)には手探りの跡が伺える。しかし、それ以降は姫様が美しい情景に囲まれて拙い恋を謳歌する健全な幸福楽曲が安定的に続く。明らかに市場のニーズと姫様の役割が合致して定着した証拠。山上路夫の作詞パターンが“美しい青春像”をこれでもかと叩き売る。森田公一の楽天的なメロディと抜群の相性。ドラムの音にソウルが無いなぁ(後期の筒美京平楽曲は面白味に欠けるけれど、ドラムはガッツがある)。時代的に言えば驚くほどに電気ギターの使用頻度が低い。徹底して除臭に励む制作姿勢。姫様も“お嬢様歌唱”で無菌化。こまっしゃくれたビブラートは城内で寂しさを紛らす姫様から大衆社会への羨望か? 姫様は自身の性器の在り処を懸命に探していたんじゃなかろうか? そして、股間に性器を発見した時、天地真理はアイドルの座から滑り落ちたのだろう。
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★★★★(2002.03.04)
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『レインボウ・チルドレン/プリンス』 新作が出ると、決まって発売日に国内盤を購入した。翻訳でどれだけニュアンスが薄まってしまおうとも、彼の言葉に近づきたかったからだ。 本作の購入は漠然と見合わせていた。らしからぬジャケットのイラストに対する幻滅もさることながら、彼への信頼感が随分と薄いものになってしまっていた。 記号でも長ったらしい名前でもなく「プリンス」の新作。それだけでも、大喜びで飛びつく動機になったはずなのに・・・。 さて、重い腰を上げて聴いた本作。これは良い! 孤高の前衛期(80年代)、時代との同調期(90年代)とは全く違うプリンス。生演奏主体で音数の少ない楽曲群はなにしろウォーム。基本的にはワンマンレコーディングなのに、かつての閉塞感がここには無い。1つ1つの音に存在感があって豊潤だ(特にベースが素晴らしい!)。ミックスダウンも繊細で入念。耳に良いディスク。かつての変態的なトリックは無い。いや、もはや必要ない。 どう言ったら良いのかな?
圧倒的な祝福感で胸が一杯になるんだ。歌詞も曲調もサウンドも歌唱も全てが肯定的。かつての悲観的なプリンスも大好きだったけれど、アレはもう終わったことなんだよね。過去の傑作を引き合いに出す気になんて僕はなれないよ。僕は“プリンスの成長”について行きたかったんだもん。“プリンスの成長”が信頼に足るならば、僕はまた彼を見つめていたい。 黒人ジャズメンをモチーフにしたジャケイラスト、実は象徴的で、本作は黒人音楽の肯定性をしっかりと土台にしている。僕にはプリンス流ゴスペルに聴こえた。黒人音楽の体系を踏まえて、新しい地平線に踏み出したという意味で本作は十分に前衛だ。今流R&Bとの距離感において本作は十分に孤高。 本作がメインストリームを制覇するイメージは出来ない。しかし、「プリンスは堕ちた」などと悲観するなかれ。 プリンスはアナタと真剣にマン・ツー・マンの対峙をしてくれようとしているのだ。 関連
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〜歌謡曲を聴く16〜
★★★(2002.03.04)
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『JET
CD/PUFFY』 なんとなく最近、その耐久年数を完了しつつある気配のパフィー。本作にはデビューシングルを除く初期のヒット曲が惜し気もなく収録されている。本作は、力を抜いた佇まいを隠れ蓑に“音楽的な悪ふざけ”の限りを尽くしたパフィーの存在意義を正確に刻んだ記録だ。冒頭『ジェット警察』では『無法の世界/ザ・フー』のイントロをまんま引用。2曲目『これが私の生きる道』のイントロは『ババ・オライリー/ザ・フー』ですね。ビートルズ・ネタにばかり気を取られていたら駄目よ!
モノラル録音、ハンドクラップの妙に耳を傾けたい。 なんつう調子でネタを暴いていたら際限が無いですね。 パフィーとは、当時のJ-POP市場のセキュリティホールにあっさりと侵入した音楽ウイルスだったのだと僕は思う。「裏ポップ」などという卑下した開き直りで薄ら笑いを浮かべて居直っていた音楽手法でマーケットを撹乱した実績は実のところパフィーだけが成し得た奇蹟なんじゃないか? 「マニアだけが共有できる感覚」とも言うべき卑屈なセンスを、最も卑屈ではない形式(アイドル性の導入、っつうか)で開放したのがパフィーという音楽だったと思う。ジェリーフィッシュの志の撤回修正。 あ〜、それを言っている僕の立場が卑屈に思えてきた。ガタガタ言ってちゃダサいかも。 、と思い込ませることさえ奥田民生の戦略には組み込まれていたのかな? そう!
この全方位のトリック!
そして、とどのつまり、それは「ポップスマニア」の権威の全てを自滅させたのかもね。この音楽が大量の「音楽マニア」を生むこともなかったわけでさ・・・。 しかし、実のところ、これは目的無きテロリズムだったのだろう。面白がりたかっただけ、みたいな。 面白がってられる時間なんぞたかが知れてらぁ。もはや、面白がる対象を欠いたパフィーの音楽はポップである分だけ痛い。 耐久年数を越えた今、過去のシングル集は確かに空しさを伴って響く。
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Drive
to 80's Vol.1
★★★(2002.03.11)
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『ミュージック・ファクトリー/ザ・フライング・リザーズ』 80年の英国を凌駕していたモノの正体が本作で明らかになる。 あたかも「パンク発祥の地」としてチャッカリと居座ったロンドンではあるが、正しい「パンク発祥の地」はニューヨークだ。NYパンクが飛び火し、“ある策略”によってイベント化したものがロンドンパンク。などと極論を言ってみたものの、状況はそんなにシンプルじゃあない。NYパンクのアフターマスに60年代のビート音楽を加味しただけの音楽であってくれたならば、ロンドン事情はこれほど複雑にはなり得なかった。 ロンドンが独自に加味した最重要エッセンスとは紛れもなくレゲエだ。ダブ、と言い直した方が正しいだろう。 別々のトラックに録音されたパートに強力なEQ処理やエフェクトを加え、トラックのバランスを激変させ解体する手法。ま、ダブとはそういったもの。 本作は通常のコンボ型のアンサンブルを避け、明らかに不足したトラックを感じさせる奇形の楽曲で成り立つ。言い換えよう。各楽曲は特定のトラックを強調させる目的で編曲され、仕上げられている。あまりに低い音程のベースと甲高いハイハットが象徴的するように、多くの意味で“ダブの原理”だ。 たった1人の“非音楽家”が鋭い感性と仲間の協力を得て創り上げた“純音楽的作品群”に脈絡は無いが、決して散漫ではない。1人の人間の脳ミソが直結しているのだから当然だろう。 調子っぱずれな打楽器(段ボールを含む)は得体が知れず、何故かグルーヴィ。ふと、気づけばコード楽器が無い。いや、コード意識さえも無いのだろう。演奏は雑だが、端正な音響。最近で言えばエール(←Ckick!!)やダフトパンク(←Ckick!!)的音響だと思う。このサウンドがハードディスクやサンプラーの恩恵無しに制作された事実に唖然とする。そう、既に編集感覚を獲得。 21世紀、時代はようやくフライングリザーズに追いついた。 僕らに与えられた猶予が20年間だったということさ。
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〜歌謡曲を聴く17〜
★★★(2002.03.11)
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『Good!/BaBe』 実を言って80年代中後期の歌謡曲には門外漢なんだよね。洋楽中心にリスニングしながらも歌謡曲との距離だけはキープしていた僕にとっておニャンコクラブが鬼門だった。あの現象についてとやかく言及する程、僕は実態さえ知らないのだけれど、サウンド的に感じていた嫌悪感だけは今もハッキリと覚えている。 実を言えばBaBeってのもよくは知らない。いや、そんな2人組がいたことは知っていたけれど、ヒット曲を口ずさむことは出来ないし、顔もよく知らなかった。ジャケ写を眺めると、今の感覚ではあんまり綺麗ではない女の子が2人、今の感覚ではあんまりお洒落ではないコスチュームを着てニッコリ。ポニーキャニオンのトレードマークが大きく印刷されているから、無知な僕は一瞬おニャンコかと思ってしまう。 代表曲も不明のまま、ライヴ音源を含む本作を聴き通す。 はぁ〜。溜息。DX-7だぁ。 FM音源シンセサイザーYAMAHA
DX-7の音は、あの時代のあらゆる音楽に蔓延した。エレピ、シンセストリングス、パッド、シンセベース・・・。これに2拍4拍のスネアを中心に組んだリズムマシン。ショートディレイがくどい。僕は、これが駄目だったのさ。 小癪にもノンストップで編集された楽曲群に、嫌悪感が蘇りゲンナリ。しかし、頭の中で各々のスコアを別の音源に置き換えてみれば、なかなか優秀なダンスポップだということに気づく。メロディはシンプルだし、編曲の1音1音が簡潔。目的に対して一直線なコンセプト。明るく爽やか。一連のつんく♂楽曲の遺伝子となった音楽だと思う。 しかし、なかなか脳に届いて来ない。曖昧だ。歌唱力、ミックスダウンがヘボなんだなぁ。それとDX-7への従順な執着が品格を下げている。 90年代初頭にアフリカのポップ音楽ではDX-7が全く意味を変えて使用されていた。目から鱗。機材が鳴っているのではなく、人間が楽器を鳴らしているのだと痛感した次第。
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Drive
to 80's Vol.2
★★☆(2002.03.18)
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『ユースクエイク/デッド・オア・アライヴ』 あんれまぁ、オラ、ぶったまげただぁ! 1985年、或る男は叫んだ。いや、この場合、特定地域を侮辱しようと思っているわけではない。昔の漫画に登場する奴隷黒人の口調だと思って欲しい。 この音楽、ギターやらベースやら、人間が演奏してねぇでねーか! これ、コンピューターだっぺ?
でも、知的な印象がしねぇだ。ドイツの学者様みてぇな顔したコンピューター技師(筆者注:クラフトワークのことらしい)はネクタイしてるっぺ? ディスコの店員みてぇなヤサ男にもコンピューターは扱えるんだべか? 馬鹿にすんでねぇ、オラだって知ってるだ、コンピューター。『2001宇宙の旅』だぁ。2001年になったらコンピューターが家庭に普及するかって? しっこねぇだ。あんだらバカでけぇもん、家に置けっこねぇ。 ところで、都会の娘っこは綺麗なベベ着て、こんだら音楽で踊るだか? オラ、音楽ってば聴いたり歌うもんだと思ってただ。盆踊りみてぇなもんか?
オラ、こんな「デッデゲデッデゲ」ばっかりの電子音楽じゃ踊れねぇだ。盆踊りみてぇに皆で同じ振り付けを踊ってみてぇだ(筆者注:後にパラパラが登場)。 歌っこ歌っている白人サンは男だっぺ? 派手な化粧して、グラムロックっつうの?
んだんだ、ボウイとかボランの・・・、70年代の・・・。あれの真似なんだべか? グラムロックは芝居が多くてオラは肩が凝ったども、このピート・バーンズって別嬪サンの歌は、なんつーか、無色透明だべ。本人は力んでいるみたいだども、他の歌い手サンと同じだぁ。そうそう、ニューロマの歌い手サン。あ、いや、ニューロマさん達よりお祭りっぽいだ。 これはお祭り音楽だぁ。このバンド名が米国大統領の口から連呼されるような物騒な社会が来ないことを祈って、オラも踊るだ(筆者注:G・ブッシュはこのバンド名がお気に入りだ)。♪同じ阿呆なら踊らにゃ損損♪ この男は実在しない。 が、状況は限りなく近かったと思う。
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〜歌謡曲を聴く18〜
★★★(2002.03.18)
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『若大将トラックスVol.2/加山雄三』 『Vol.1』(←Click!!)に続き、律儀に続編を扱う。 再会不可能と思っていた本シリーズであったが、中古市場でオズオズと声をかけられた。 本作の性格を一言で言えば、『Vol.1』の補足。時系列で繋がっている前編・後編ではない。つまり、前作で“おいしいところ”は蔵出し完了。マニアさんにはこんな音源もありますぜ、シッシッシ。温泉街で怪しい親父がいかがわしい写真片手に擦り寄って来たような1枚。 正直言って、前作に比べるとヒット曲の比率は低いし、トピックも少ない。劇中台詞や未使用音源が収録されている為、散漫な印象も受ける。 しかし、僕は許す。誰が何と言おうと許す。 『ランニング・ドンキー』がラフミックス・バージョンで収録されているからだ。これは映画『エレキの若大将』のテーマソングとも言うべきエレキインスト。フォスターの『草競馬』がモチーフになっているのだろうか、競馬の健康的で明朗なイメージをエレキリズムに託したかのような名曲。なにしろ、ドラミングが最高です。ちょっと冷や冷やしてしまうギターの指使いに比べ、圧倒的にタフで自信に満ちたドラムサウンド。不鮮明なベースの重低音と重なった時のグシャッとした音もカッコ良過ぎてゾクゾクする。ギターとユニゾンで決めるパートはスナップが効いていて最高の疾走感だ。バディ・ホリーのバックバンドのドラマーを思い出した。こーいうラフでデリケートなドラミングが出来る男は絶対に不良に決まっている。喧嘩が強くて、女の子にはモテるんだ。バンドで一番お洒落なんだ。家庭は貧乏なんだ。早死にするんだ。 あ、僕の思い込みですね。でも、ドラマーがバンドの花形だった時代には、あり得た話だと思うよ。エレキバンドがPTAの顰蹙を買ったのは断然ドラマーのせいだね。 一方、若大将はお坊ちゃん。あの時代に自宅録音してんじゃねーよ! 悔しかったら青大将みたいに「僕のパパ社長なんだ」って言ってみな! 関連
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Drive
to 80's Vol.3
★★★(2002.03.25)
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『デイズ・イン・ヨーロッパ/スキッズ』 「パワーポップ」という言葉の定義はなかなかに難しい。チープ・トリックが対象にされていたりすると僕は潔く撤退する。撤退っつうか、「あ、違うや」って思って、そこから先に進まないだけのことなんだけどね。僕が80年代初頭に「パワーポップ」と呼んだ対象は、XTC、リッチキッズ、バズコックス、マガジン、ヨッツ、モーターズ、ビ・バップ・デラックス(レッドノイズ)・・・、そんなところ。 パンクの体系で登場し、音楽的に複雑なポップを展開した人達、と言うか・・・。単純に言えば、3コードで音楽を成立させなかった人達。 あれ? じゃあ、ジャムはどうなるの?
じゃあ、定義を変えよう。ビートルズの遺伝子を持った人達。 あれ? ジャムだって持っているんじゃないの? くー!
こんな風に矛盾しちゃうから、真剣に定義を語る前に撤退しちゃうんだ、僕ぁ。 スキッズは(僕が思うところの)パワーポップですね。特に本作はビ・バップ・デラックスのビル・ネルソンがプロデュースしているわけだから、文句は無いだろう。 ギター主体の8ビートポップに、アナログシンセのフレーズが絡みつき、独特のネットリとした感触を創出。メロディもシンプルではあるがヒネリが効いていて、ストレートではない。オマケにあんまり歌がお上手ではない。欧州男特有の鼻声が気弱に響く。 こんなサウンドを「パワーポップ」と呼んだのは、実は差別だったんだね。「オマエなんか、パンクの仲間に入れてあげねぇよっ!」という差別。つまり、パンクが優位に在って、そこから落ちこぼれた音楽の受け皿が「パワーポップ」(或いは「ニューウェーヴ」)という呼び名だったように記憶している。 「パワーポップ」好きの僕は随分とパンクスの友達から馬鹿にされたっけな。 僕がキンクスを本腰入れて聴き始めたのはパンク壊滅以降だった。傑作アルバムを聴きながら僕は思った。「キンクスだってパワーポップじゃねえか! 文句あっか!」
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〜歌謡曲を聴く19〜
★★☆(2002.03.25)
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『シングル・コレクション/C-C-B』 メンバー全員でコーラスを担当するボーカルグループが目標だったんだろう。チューリップやガロがお手本だったかも知れない。 リードシンガー1人の資質に頼りきらず、音楽性の微調整も可能。とことんリスクを避けた消極策のようにも思える。思えるけれども、この戦略が次の一手を有効にしたわけですね。 当時、市場パイを持っていた「ドゥワップ歌謡」に色目を使いつつもビーチボーイズ側に路線をシフトした状態をスタートラインとすれば、そこで獲得したものは「洗練」。しかし、薄い印象の構成メンバーゆえに洗練は地味に転ずる。ピンチ。 筒美京平の登場。グループの商品性と時代(市場)をデータとしてインプットし、高度な演算結果を算出。 『Romanticが止まらない』。 これはリスクの高い戦略だったと察する。「ビーチボーイズばりのコーラスグループ」という旧評価を切り捨てる覚悟。しかし、それは切り捨てるべき要素なんだよね。地味じゃ誰も聴かないんだからさ。 で、カラフルな髪で再出発・ブレイク、と。 一連の楽曲を通して聴くと筒美京平の悪ふざけっぷりが商品性と実にフィットしている。他のアイドルに提供する楽曲としては「やりすぎですかね?」なんつう冒険もC-C-Bなら普段着。そう、C-C-Bはリスクそれ自体を個性として取り込んでしまったわけだ。リスク=安全策という転換。しかし、悲しいかな、成功した戦略には固執が伴うもの。その個性を維持する為に躍起にハードルを越え続ける楽曲、多用されるシンセドラムス。それらは結果的にメリハリを喪失。そうなんです。ダラダラと聴いている僕の集中力が見る見る落ちて行く。「安全なリスク」が時代を経て、退屈にまで転化。 筒美京平メロディ総動員の各楽曲構成要素を分解して、「筒美京平メロディデータベース」を作成出来そうな気はする。でも、そのデータベースは筒美京平以外に使用可能なのかな? 『ないものねだりのI Wnt
You』が好き。
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