★★★★
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『アップル・ヴィーナスVolume1/XTC』 “ビートルズ風味”が免罪符のようなブリットポップに対して僕は不信感を抱く。本家ポール・マッカートニーが、アンソロジー騒動の後にリリースした『Flaming
Pie』の“ビートルズっぽさ”にも失望した。(ファンとして言い切るけど、ソロ以降のポールがビートルズを新解釈で扱った事例の半分以上はミステイクだ!) XTCはデビュー当時からビートルズと比較され続けたけれど、“ビートルズ風味”を目的にはしていなかった。しかし、7年前の前作『ノンサッチ』は“ビートルズ風味”と“ビーチボーイズ風味”の品評会状態。誠実な作品だっただけに戸惑った僕は、以来XTCとの距離を置くことになった。 本作も実は気が乗らなかったのだけれど、長年憧れさせてもらった感謝の気持ちで聴き始めた。 凄かった。 過去のどのアルバムとも似ていないし、オーケストラもジョージ・マーティン風だけれど“架空のビートルズ”といった風情(真似ではない!)。ポップで歪んでいて、穏やかなのに過激。1曲目のストリングス・ループで歌いまくる異常なミックスを聴いて『Drums &
Wired』の過激さを思い出した。2人の頑固親父は未知の海に旧式の船で新しい航海に出た。 悔しいけれど告白します。4〜7の流れを聴いて不覚にも涙が出ました。(特に6曲目“Greenman”は楽曲も歌詞も、過激なのに美しい!) CDで泣いたのはステレオ版の『Pet
Sounds』以来です。アンディ、心からありがとう。 関連(2)(3)(4)(5)(6)(7)
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★★★★
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『ソーシャル・ダンシング/bis』 70年代末に一瞬だけあったパンク黄金時代、セックス・ピストルズは“象徴”ではあったが“標準”ではなかった。パンクはテクノ・レゲエ・スカ等と連合して、オールドウェーヴ(要は長髪で勿体ぶったロック)に反抗していたわけで、音楽性がピストルズだけに収束されようがないわけだ。“ニューウェーヴ”という括りで様々な音が乱立。例えばラモーンズとB-52はお互いのサウンドを浸食し合わなかった。(ファンを共有していたにも関わらず、だ) 単体で十分面白かったわけだからミクスチャーの必要もなかった。 97年にラモーンズとB-52を融合させたのがbisの1stアルバム。「コロンブスの卵」と呼ぶにはあまりにも単純で理屈の無い足し算。「何故、誰もやらなかったんだっけ?」と首をヒネりながらも愛聴した。パンクだなあ、と。 全世界の過剰な期待に応えてリリースされた2ndアルバムはディスコやテクノと大胆に融合。圧倒的にサウンドは向上したが、質感はパンクだ。ピストルズだけがパンクだと思っている人には理解しにくいかも。パンクを“学習”したがっている阿呆は覚えておくといい。bisのマンダ・リンのボーカルこそがパンクなんだぜ。 プロデューサーのアンディ・ギルは元ギャング・オブ・フォー。今も昔もパンクを“概念”として突き放す姿勢に、相変わらず僕はリスペクト。傑作です。
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★★★
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『プット・ザ・ニードル・オン・ザ・レコード/VA(グランド・ロイヤル)』 これこそが現在 最高速の勢いを持ったレーベルの音だ。淡い印象だけど、お洒落で、ちょっと自慢気。僕はグランドロイヤル系の音に漂う“控えめな自信”に好感を持つ。所属アーティストには謙虚なルックスの若者が多いしね。 本作はグランドロイヤルの代表的最先端曲を集めたオムニバス。 な〜んか鼻につくんだ、これが。 控えめな個人も集合したら嫌味になるのね。各楽曲からジャケットデザインに至るまで「ハイセンスのカタログ」として機能する“チープな高級アルバム”。「理解できない奴(好きにならない奴)は現代のリスナーとしては失格かも…」とリスナーは萎縮。 彼等がパーティの招待状に「普段着で来てね」と書いても信じちゃ駄目だよ。彼等は古着を着ているけど、実は一点豪華主義なんだから。ショーン・レノンの眼鏡が300万円で、ベン・リーのピアスが250万円ってな感じ。グランドロイヤル軍団の服は総額で1億円だ(←創作だから信じないでネ)。“控えめな自信”が他人に恥をかかせることだってあるのよ。 本作は、服選びの発想がレーベル全体で似通っていた事実を露呈してしまった。チボ・マットが全曲リミックスする等の“1本化したフィルター”が必要だったのでは…。いやいや、グランドロイヤルには
そんな姑息な手段は必要ないのだ。だって、勢いに乗りきってるんだもん。 関連
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★★★★
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『ファンメイル/TLC』 彗星のようにシーンに登場し、大ブレイク。人気は加熱する一方という状況下でTLCは何故4年間も沈黙したのだろう? 世界の音楽市場に荒れ狂う“R&B旋風”は、TLCの新作を熱望していた。パフ・ダディやベビー・フェイスといった背後関係なんて どうでも良い極みにTLCは存在するのだと思っていた。 4年ぶりの新作は最高峰の“機能性”を保証する最高スペックのR&Bだ。素晴しいミックスを施したサウンドに聴き惚れた。気がつけば、TLCのボーカルは単に“ミックスされる音”として存在していた。極論すれば、最高の機能をプロパガンダする為の“看板”と言ってもいいだろう。i-Macのブルー・スケルトンのボディみたいだ。i-Macが一般消費者にアピールする最大の武器はスペックではなく、青いボディに他ならない。 TLCは背後のプロデューサーが最先端サウンドを一般市場に流通させる為の“口実”だ。米国音楽産業における端的なアイドル消費構造。僕は、そういうショービズ発想は嫌いじゃないし、むしろTLCの評価を上げたくらいだ。だって、TLCが“看板”として最高スペックである証拠だからね。この4年間はバージョンアップ期間だったわけだ。 ストリートの匂いは消えました。
関連
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★★★
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『collection/John
Barry』 “お洒落サントラ”の供給インフレは続く。映画に加えてTVドラマのBGMもオールOKだから、際限無いお宝発掘天国。 で?
誰がどんな聴き方してんの? まさか、クラブ帰りに「都会生活のテンションをチルアウトさせっかぁ」とか言って聴かないよね?
イージーリスニング(モンドやラウンジ含む)は好きですか?
本当に好きですか? ビートやストリングスのサンプリングだけが目的?(低予算録音のオーケストラってチープで良いよね。「良いよね」を翻訳すれば「微笑ましいよね」でしょ。差別だな、この構造は。) 僕はモンド系を聴き始めた頃
馴染むのに時間がかかったけど、今では即効で反応する身体になった。裏返せば、時間をかけて馴染ませたわけだ。何故?
このCDを聴いてちょっと理由がわかったぞ。 ジョン・バリーは007シリーズや『ナック』で知られる作曲家。英国のキッチュ&スマートな映画に飛び切りお洒落な演出を加えた張本人。
口あたり良いサウンドはゴージャスでチープ。リスナーに敬意と優越感という両極の感情を与える。その感情は音によって芽生えてはない。“消費”の段階でとっくに価値を持つ。結論を言いましょう。 “お洒落サントラ”って映画や音楽がお洒落ってよりも、リスナーの態度がお洒落(スノビッシュ)なんだよね。 僕もね。 ジャケのセンスったら!
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★★★☆
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『Casablanca/V.A.』 現代フレンチ・ポップのオムニバス。全体にゆるいです。現代において、ここまでリズムのサウンドをしょぼくするのは困難とさえ思う。メンテナンスしてないビンテージ・シンセを鳴らし損なったみたいなバックトラック(つまりプレイもマニピュレートも下手)。ボーカルは脱力。フランス語のニュアンスが更に脱力を増進。 大変満足しました。これぞ、フレンチ・ポップの伝統芸。「しょぼさ」を「エレガンス」で隠し込む巧妙さこそフレンチの王道! 必死にスキルアップする“勤勉家”に対して、センスの押し出しに集中する奴ってカッコいい。ま、センスがあっての話だけど。演奏技術を磨く時間があったら、集中力が落ちる前にまとめ上げちゃえ、っていう。 お馴染み曲のカヴァーも数曲含まれる本作はアーティスト18人のバラバラなトラックが不思議と収束された印象を受ける。それは感覚が似ているのでなく、技術水準が似ているのだろう。 ジャケのデザインも含め「お洒落」のベクトルが、グランドロイヤルと正反対なのが面白い。徹底してLo-Fiな水準。(きっと本人達はHi-Fiのつもりなんだろうな…) 僕が感じたショーン・レノンの音楽哲学って、このアルバムのベクトルに近いんだけどなぁ。でも、それだけじゃ売れなかったか…。
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★★★★
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『トラヴェリング・マイルス/カサンドラ・ウィルソン』 それにしても何故? 何故、女性アーティストばかりが鋭い? ミシェル・ンデゲオチェロ、エリカ・バドゥ、ローリン・ヒル、TLC、宇多田ヒカル…。 カサンドラ・ウィルソンの前作『New Moon
Daughter』は愛聴した。新感覚のジャズ・サウンドだと感じたからだ。U2やモンキーズの“お馴染み楽曲”をジャズ風味でアレンジした発想が新しかったわけではない。研ぎ澄まされた“サウンド欲求”を結晶させた「解釈」が素晴しかった。普遍的かつ個人的にジャズを「解釈」する姿勢は徹底してストイックだった。 今作はマイルス・デイヴィスへのトリビュート作品。アマチュアリズムという名の「私的な気分」で、元曲をなぞるだけのクズなトリビュートとは全く違う。 これは、マイルスに対する究極の解釈だ。きっと壮絶な想いで臨んだ「解釈」に違いない。カサンドラはマイルスの遺志を受け継ぎ、彼の偉業を「オリジナル」に昇華させた。
マイルスの亡霊が憑依したと言うより、マイルスの冷凍精子をカサンドラの胎内で受精させて産んだ新生児だ。顔なんか似ていなくったって構わない。 “素材”を頭でなく子宮で「解釈」しているんですかねぇ? だから女性アーティストは鋭いってこと? 話のまとまりは良かったけど、この解釈は好きじゃないや…。 例によって音数は少ない。
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★★☆☆
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『1stP/ポリシックス』 弱った…。99年に1980年前後のテクノポップをオマージュされてしまうとは…。 ジャケにP-MODEL、メンバーの記号表記(POLY1〜4)やファッションにDEVO、といった露骨なトレースがあり、プラスチックスのカヴァー曲も収録。もろにクラフトワークやP-MODELなフレーズも多い。(しかも、ほとんどのシンセがリバーヴ成分の無いスッピン音!) でも、この人達が偉いのはテクノポップを完全に99年の感覚で咀嚼していること。テクノポップの奴隷でもフォロワーでもない。「テクノポップってパンクでしょ」という本質を見抜き、シンセ音よりも立花ハジメや平沢進のギターこそがテクノポップだったことを直感的に理解している。これも立派な「解釈」だ。歌がトシやチカに似せすぎだけど、プラスチックスとは確実に違う着地。 このアルバムを聴く為にテクノポップの復習なんてする必要はないよ。ポリシックスとテクノポップは同じ遺伝子を持つが、言語も機能も全く違う。同一軸で語るのは危険だし、彼等に失礼というものだろう。 ただし、平沢進は謙虚な姿勢で聴くべきだし、石野卓球はこれが自分に向けられた挑戦状であることを自覚してもらいたい。心意気に☆2つ。
関連
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★★★★
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『ドーズ/ラテン・プレイボーイズ』 ロス・ロボスの印象って「ラ・バンバ」? 南米のロケンロールって感じですか? ロス・ロボスのメンバーが課外活動的に始めたプロジェクトがラテン・プレイボーイズ。その名前から想像するサウンドは大方“ラテン色の濃い陽気なサウンド”だと思う。ジャズやイージーリスニング的なラテンを思い浮かべるかも知れない。 ラテン・プレイボーイズは最も過激なLo-Fiサウンドを聴かせるユニット。ベックのフォーク方式やソウル・コフィングのジャズ・ブルース方式に比べ、その過激度は尋常ではない。ラテン・プレイボーイズの方式は
ずばり、ロック方式だと思う。ビースティー・ボーイズにとってのターンテーブルがロックだったのと同じ原理でのロック。サウンドのLo-Fi処理によって、楽器を極端に狂暴化。 ラテン・プレイボーイズの2作目にあたる今作は「ロウ&ハイテク装備の原始サウンド」だ。音の切り張りは、ミキサーが唱うアドリブ・スキャットのように躍動して、サンプラーと生楽器の意味を根本的に変革。気持ち悪いけど、快感! どことなくピュアーでロマンティックな印象を残すあたり、プロデューサーのミチェル・フルーム&チャド・ブレークのセンスを感じた。 ロックを聴きたい人は迷わず買い!
関連(1・2)
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★★★★
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『好時代/林海峰(ジャン・ラム)』 グランドロイヤル、トラットリアといった“いかにもなレーベル”や、お洒落サントラに難癖つけながら、僕は“お洒落系”を聴いてしまう。このジャンルには鼻持ちならなさと同時に見過ごせなさがあるんだもん。その理由はとっくにわかってんだ。“お洒落系”を否定しながら聴き続ける理由。そして、“お洒落系”がポップ音楽として実際にラジカルである理由。 それは、このジャンルにある1人のアーティストが存在するからだ。勿論、それはコーネリアス。小山田圭吾 個人が抱える矛盾と解決方法がジャンルをトータル・リコール。 本作のジャケを見た大半の人はコーネリの新譜(それも企画物!)だと思ったんじゃない? 香港の林海峰の新譜。サウンドも微妙にコーネリに同期。言ってしまえば、これはコーネリアス不在のコーネリアス作品だ。“パクり”とか“引用”とは次元が違う。コーネリの送信するMIDI信号にシンクする自動アルペジエーター。そんな感じ。←わかりにくい? う〜ん、同一コマンドに従って作動する別回路のプログラム、と言うか…。 マチュー・ボガートとコーネリアス、林海峰が作る仏日香トライアングルは、実のところ強力な磁場だと思う。時間軸を吸収してしまいそうな暗黒スポットだ。暗黒ねぇ…。えっ!?
ちょっと待てよ!! コーネリ系のサウンドを“お洒落系”って言うこと自体に無理がないかぁ? これから“暗黒系”って呼ぼう!
←な〜んか、シックリ来ないなぁ。(というわけで、多分「続く」…) 関連
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