今週のCDご紹介7

『スロッビング・ディスコ・キャット/石野卓球』 『加藤和彦の世界/加藤和彦』
『セントラル・リザベイション/ベス・オートン』 『WINDOEWLICKER/エイフェックス・ツイン』
『1999/カシアス』 『セブン・サマーズ/V.A.』
『PARTY LICK-A-BLE'S/ブーツィー★コリンズ』『スカイセンサ/ユーリカ』
『ミュール・ヴァリエイションズ/トム・ウェイツ』 『ピカデリーサーカス/ピカデリーサーカス』
評価は5段階です。(★が得点。☆はオマケ)

 

★★★☆

『スロッビング・ディスコ・キャット/石野卓球』 「世界の石野」。偉くなったもんだよなぁ、卓球。 偉くなるはずだよなぁ、卓球は。 電気グルーヴとソロとDJモノを交互に出し続けて、全て高品質なクオリティをキープ。いや、キープじゃないな。毎作、向上している。信じられないくらい勤勉な音楽家だと思う。 初期の電グルのライヴを観た時、僕は「卓球ってなんて真面目な人なんだろう」と思った。ステージのピエール瀧はふざけ半分にラップ・パートを崩しまくっていた。アドリブというよりギャグ。一方、卓球はCDと寸分違わぬラップを聴かせてくれた。ライムは1字1句変わらないし、発声もタイミングもCDのまんま。それ自体が驚異的なコトだとは思うけど、瀧がいなかったらライヴはちょっと生真面目すぎて辛かったかも知れない。「ハルク・ホーガン、俺の睾丸、キミのコーマン」って真面目顔で切実にラップすんだぜ、卓球は。 さて、テクノ・グル“Tack-Q”の新作。「テクノ=インチキな嘘未来」という現代音楽〜クラフトワークで確立した定義を激しく打ち砕く。つまり「インチキな」というエクスキューズを完全撤去。卓球のテクノは“今”をポジティブに鳴らし、“未来”をポジティブに再生する。 この音楽は明るくて逞しいです。 卓球って本当に真面目なんだなあ。  関連

 

★★★☆

『加藤和彦の世界/加藤和彦』 加藤和彦の旧譜復刻に伴って未発表音源をコンパイルした企画CD。いきなり恐縮ですが、加藤和彦って本当に凄かったと思いますか? フォーククルセイダースの一連のヒットシングルの作曲者&歌手で、サディスティック・ミカ・バンドのリーダー。インディーズ史上最古&最高峰のヒット(『帰ってきたヨッパライ』)や、クリス・トーマス制作アルバム(『黒船』)の海外展開、英国でのライブ(ROXY MUSICの前座)といった栄光は輝かしい。系譜的にはYMOの直接の親でさえある。ミカバンド解散後のソロ3部作ではYMOファミリーをバックにヨーロピアンなセンスとテクノポップの融合に成功。エレガント! 僕は、ずっと加藤和彦のファンであり、憧れてもいました。しかし、今、改めて冷静に聴くと、この人パクリが多すぎないかぁ? ユーモアで「引用」しているわけじゃなくて、「盗み」だぜ、こりゃ。遍歴ったって“モード”ごとに研究対象を移動してるだけじゃん。 そこまで思いながら、僕はやっぱり凄いと思うんですよ、この人。古典を焼き直して時代にぶつけ、挙句、先端に存在し続けたわけでしょ? 誰よりも早くグラムロックに反応して、特殊な人脈(サディスティックス)で奇妙なアウトプットを制作したわけでしょ? それって、時代に選ばれたプロデューサーって意味だよ。 だから、作曲家・歌手としての品質とは別の次元で優れたクリエイターだと思う。  関連(

 

★★★☆

『セントラル・リザベイション/ベス・オートン』 アコースティックサウンドが清楚に響く、というサウンドコンセプトは一見当り前のようで、実は少ないと思う。特に90年代では皆無と言っても良いくらいに見当たらない。つまりは、打ち込みによるデジタルな音像とアコースティックの掛け合わせにおいて、デジタルが優先され続けてきたわけだ。ダンス音楽全盛の90年代において、それは当然の選択だと思う。 ベン・オーストンは90年代の終わりに強烈な揺り返しを仕掛けてきた。憂いを持った声はキャロル・キングの歌唱を思わせるが、ドライに響くリズム・トラックと彼女の声のギャップは不思議なくらい感じない。Lo-Fi的なトリック無しの正攻法なのに違和感は無い。その要因はアコースティック楽器の絶妙な選択とアレンジ、そして声。最終的に歌唱が全てを説き伏せている。メロディ・唱法・アレンジにはイングリッシュ・トラッド(例えばペンタングル)的なアプローチも感じた。 癒してくれる音楽だと思うけれど、この音楽が99年において「悠長」であることも事実。要は聴く人間の「気持ち」の問題なのでしょう。 僕にとって、日常的に必要な音ではないが、時々このCDに耳を傾ける余裕を持ちたいと思う。

 

★☆☆☆

『WINDOEWLICKER/エイフェックス・ツイン』 本人になり代って謝罪させて下さい。ごめんなさい。 エイフェックス・ツインの最新シングルは相変わらずロマンティックなサウンドと、相変わらず最悪なビジュアルのカップリングです。とは言ってみたものの、お目当てはエンハンスドCDに収録されたビデオクリップ。前のシングルで、子供がリチャード・ジェイムスのお面を被ってたヤツも気味悪かったけど、今回はもっとバッドです。 粗筋を紹介しましょう。コールガールと口汚なく口論するチンピラの車の後ろから20mもあろうかというリムジンが登場。中から現われたリチャードがマイケル・ジャクソンばりに踊ると、コールガールの顔がリチャード顔に変貌。ナイスバディ&リチャード顔の女達が踊りまくる中、1人の女性がフューチャーされるのだけれど、こいつの顔が思いっ切り醜顔(特殊メイク)。 リチャードはシャンペンを精液のように彼女達にふりかける…。 文章で表現してみたら、尚一層最悪でしたね。 デビューアルバムから一環して、この人は自分の顔をデフォルメして「醜」を強調する。そして、子供や女性のイメージに重ね合せ、虚像をひっぺがす。 今世紀最後の狂人は全存在を賭けて筋を通しているわけだ。たった1曲収録されたデモトラックは何故か途中でブツ切れ。でも、エンハンスドCDをお薦めします、敢えて…。  関連

 

★★★☆

『1999/カシアス』 随分とムーディーな音楽だなあ、と感じた。フロア対応万全のダンス・サウンドでありながら叙情的。「1999」というタイトルが示す通り今年発売のアルバムなのに、絶妙に古い音色に耳が持っていかれる。シンセの音色もフレーズも古くて、しかも手弾きだな、こりゃ。ドラムマシーンの音色も意図的にトレンドを避けているような部分がある。サンプラーのセンスを差し引いたら、80年代初頭のテクノ・フュージョンを思い出してしまう。しかしながら、サンプラーのセンスは差し引かれてはいないわけで、やはり全体的には古くはない。ふと、思ったのはフュージョンに接近するドラムン・ベースのリズム・トラックを差し替えたら、こうなるんじゃないか、と。最近のドラムン・ベースと比較したら、むしろ合理的でストレートな表現のような気もする。ダブ・ミックスが似合うんじゃないかなぁと思う曲もあるが、このアルバムの目指すポイントは多分そんな方向ではない。彼等の志とは「叙情性」を貫くことだ。ダンス音楽が過激さを追及する状況への拒絶声明。彼等がフランス人ということもあって、「1999」をノストラダムスと結びつけたくなかったのだけれど、逆説的に無関係ではないかも知れない。つまり、アンチ・ハルマゲドン主義という意味で…。

 

★★★

『セブン・サマーズ/V.A.』 ネオ・アコースティック。う〜む、曖昧な言葉だ…。最新型(ネオ)で、ギターを生っぽく鳴らすアンサンブルってわけですね。加えて、清楚でポップでお洒落ならOK、と。OKはOKなんですけど、全然絞り込めていないじゃん! ジャズ風もフォーク風もカントリー風もボサノバ風も一緒かよ!? 第一、電気ギターじゃん、全部。 などと難癖つけてみましたが、このCDは楽しいです。ドイツKindercoreレーベルのオムニバス。春の風を感じながら聴いたら幸福間違いなし。暖かい日差しの中でウットリと居眠りする時のBGMに最適の1枚です。音楽に“刺激”だけを求めるリスナーには、ほとんど無音状態。ひっかかりは無いでしょう。 “安らぎ”と“刺激”。どちらが日常生活において重要なアイテムかはさておき、どちらもしたたかだと思う。手法だけで簡単に状況を作っちゃうわけだから厚かましい。 厚かましい分だけ、目的への到達度は高い。 「ネオ・アコースティック」という言葉の成り立ち事態が既に厚かましく、“お洒落系”の本質は厚かましいものなのです。わかりますね? “お洒落系”は、印象ほど繊細なわけではなく、図々しい音楽なんです。(“お洒落系”考察は更に続く…)

★★★

『PARTY LICK-A-BLE'S/ブーツィー★コリンズ』 『ゴジラVSガメラ』という映画が制作されたら、素晴しいと思います? 僕は予想できるなあ、ガッカリするって…。東宝と大映のエース対決だから、両者の面子は潰せない。互いの技を最大限に引き出し合って、ドローに持ち込むしか道は無い。G馬場・A猪木のシングルマッチが実現してたとしても一緒です。馬場の16文に猪木が倒れなかったら掟破りだ。 さて、「ファンク界のゴジラ(ブーツィラ)」ブーツィー★コリンズと「ハイパーDJ(つまり、平成ガメラ)」ノーマン・クックの音楽対決(ノーマンによるブーツィー作品Re-Mix)。 2人とも、僕のフェイバリット。現在のパワーはノーマンが優勢。ビッグタイトルの戦歴や、技の大きさでブーツィーは超1流。ここはノーマンが1歩譲ってブーツィーの大技を受けてみせる、というのが僕の読みだった。 ノーマンはシンセベース曲に手を加え、ブーツィーの持ち味を封じるという禁じ手で応酬!(でもP-FUNKマナーなんだ、これが!!) もはやブーツィーの得意技はフィニッシュ・ホールドではない(四の字固めのように)。かと言って、スペース・ベースを温存したままではブーツィーの存在意義はない。これはノーマンからブーツィーに提案された生き残り策だ。ブーツィラからヅィラトロンに進化した怪獣ブーツィー。ハイパー・ブーツィラへの進化の時だ。さもなければ、ブーツィラの末路はデパート屋上の怪獣ショー…。  関連(

★★★☆

『スカイセンサ/ユーリカ』 最近の国産R&Bは肉体を懸命に鍛えあげ、勇気を持って世界大会に臨む。しかし、五輪の陸上競技に出場した名誉と、優勝した名誉は全く別のものだ。誰もニッポンの100m走者に期待はしない。五輪という舞台に固執しなければ十分優れてるのになぁ。金メダルが無理ならば、『ハイパーオリンピック』(コナミのゲーム)の世界大会で優勝すればいいんじゃないの? この発想にロジックと手段を与えた時に、ニッポン人は世界を超えるわけだ。これは消極策ではない! 過去、ニッポンの音楽が世界のシーンと対峙する際に幾多の手の内があった。テクノは貧弱な体力をアイディアで埋めた。 ニッポンの次なる手の内は…どうやらラウンジ。ユーリカは世界大会での優勝を目論む。競技は“ニラメッコ”とか“怪獣の名前当てクイズ”。ラウンジはこの世で最も気弱な音楽だけれど、「世界一」は立派な名誉だ。 ぶっとい腕と体内クロックを持ったリズム隊がいないなら、そのフィールドでの勝負を避ければいい。アメリカ選手の訓練と技を真似ても、国体優勝が関の山。自分で五輪を主催すれば、金メダルを獲れる確率は高い。ラウンジが世界を超えた時、ニッポン人は「世界センス名鑑」に名を連ねるわけだ。その時、国内の意識や評価なんか関係ないね! 当然じゃん。おまえらは国体でもやってりゃいいのさ。

★★★★

『ミュール・ヴァリエイションズ/トム・ウェイツ』 何年間も行方知れずだった放蕩親父が突然に帰宅した。最後に出て行った時のようにベロベロに酔っ払っている。ちょっとだけ煩わしいのだけれど、この親父の語り口に逆らうことは出来ない。 そんな帰宅を思わせるトム・ウェイツ親父の新譜に、僕は一瞬「ゲ! 帰って来ちゃった…」と思った。う〜酒臭ぇ! 音は「いつも同じだから安心するねぇ」とも言えるし、「またしても新機軸!」とも言える。親父のポジションは特殊だ。アルバムを聴く度に感じるのは、この親父、こんな顔してムチャクチャ音楽主義者だということ。本当に素晴しい音楽だ。 親父は今回も弱者に暖かい哀れみを施す。弱者の痛みを知らないアナタ、「同情は相手に対する侮辱だ」と思いますか? (←)シャラ臭せぇんだよ!! 見下してあげることや差別してあげることだって、時には優しさなんだぜ。 泣き腫らした眼で見上げたら、涙越しにトム・ウェイツ親父がいて、無言でウイスキーをおごってくれる。親父のアルバムはいつも、僕の中の「弱者」をクローズアップする。それは、嬉しい屈辱なんだな。そして、いつも最後には酔っ払って親父と肩を組んで歌っているような気分になる。あのシャガレ声を耳元で聴きながら、「ああ、俺って弱者で良かった。得しちゃった…」なんて思う。 シッポリと心が濡れます。 今回は長く滞在してよね、お父ちゃん。

★★★

『ピカデリーサーカス/ピカデリーサーカス』 ともかく僕はブリットポップを聴かない。ヒネくれたメロ(コード)、適度にうねるビート。好きなはずなのに、オアシスもブラーもしっくり来ない。 ピカデリーサーカスはBOXオールウェイズ(つまりチューリップの残党)から結成されたチャキチャキの国産“ビートルズもどきバンド”。 OKですねぇ。ブリットポップ聴くより全然良いや。杉真理と松尾清憲の構築するメロディは美しく歪む。聴き流せばニッポン的なニューミュージック。しかし、手強い。 ブリットポップが対象にするビートルズってレノン+(ジョージ)マーティンに限定しすぎなんじゃないの? しかし、レノン個人が持つ“毒”は真似ようがない。 一方、ピカデリーサーカスはマッカートニー+マーティンに、レノンから抽出した“変”を混ぜている感じ。(10ccやQueen的な印象も有り!) おかげで現代においてクッキリと浮かび上がる特権をゲット。 70年代のポスト・ビートルズ達がマッカートニーに傾倒したように、現代はレノンに傾倒。そーいうトレンドでビートルズを扱うこと自体が不愉快だけど、ピカデリーサーカスは安心だ。生涯“ビートルズもどき”で存在する決意を感じるからね。しかも、レノン派が多ければ多いほど、得する構造。う〜む、マッカートニー派って計算上手だよなあ。

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