劇評:劇団・風紀委員会&劇団ネジ公演
「フローズン・ビーチ」 作/ケラリーノ・サンドロヴィッチ 演出/加藤 源広

 ブラックと見るかリアリティーを感じるか?
めんこいテレビアナウンサー 落合 昭彦 


 忙しさにかまけて久々の観劇である。最前列にすわる。開演まで10分。私はこの開演直前の時間が一番好きだ。快い緊張感。何気なく天井を見上げ、黒い照明や装置にワクワクする気持ちを覚えた。芝居は、あのケラの本だとのこと。見たことはなかったが私の生まれた’64年が起点になっていて、私が大学生だった’87年がストーリーの始まりということで(咲恵と”同い年”ですね)物語への親近感は一気に強まった。「ノルウェイの森」をはじめ、バブル、ボディコン、金妻など30代の私の世代にとって感情移入できる単語が連発される。佐々木奈文演じる咲恵の「何だかわからん」というセリフの繰り返しが、バブル直前の時代の空気を象徴している。その点で、柏木史江演じる市子の不条理な会話も、空々しい感じが出ていて良かった。あれは彼女の持ち味なのだろうか。客席に「意味の無意味さ」を訴えていた。”95年を描いた第2場も、空虚感、終末感といった空気に包まれた世界が展開されていたが、それ以上に目を引いたのは、高野ひとみ演じるオウムの存在感だ。(・・・リアルな迫力?があった。)逆にまわりの役者が彼女の存在感についていってない部分が目立ち、影が薄く残念であった。’87年、’95年という、最近の大きな転機となった年をモチーフにして、それをふまえて進んでいくラスト数十分はこれまでの2場とは異なり「近未来」の設定である。物語を通じて登場する蚊が市子を刺したとき、「みんな知ってるわよ!」と叫ぶシーンは印象的だった。過去を断ち切ろうとしながらも「過去をぶら下げて」生きている私たち、そしてそれを見透かしているかのように飛び回る蚊。結末はあまりにも軽く、明るい死である。それを演出するためか、3人が窓から飛び降りる場面はとてもさりげなく見せていたが、2時間の芝居のラストとしては、いささか拍子抜けしてしまったのではないか。過剰な演技になる必要はないが「過去をぶら下げて」生きてきた人間のあかしとして、もう少し役者の存在感がほしかった。もっともその「拍子抜けする感じ」が今の時代の空気なのだと言う人もいるだろう。そこまで考えて演出しているのだとしたら、加藤源広氏は・・・深い!・・・でも少なくとも、役者たちに演出意図が伝わっていたかどうかはちょっと疑問に思った。今回の芝居で私が一番気になる役者が、愛と萌の二役を演じた武蔵里奈である。彼女の個性的な表情と平板なセリフ回しはとても貴重なキャラクターだと思う。ただその平板さがときに棒読みに聞こえた。ひとつのキャラクターになりきっていないのではないか。また平板な魅力を生かすために、たまには抑揚のある会話も入れてメリハリをつける手もあったかもしれない。舞台装置については幕間のスクリーンに映る版画風のイラストや字幕がとてもいい雰囲気を醸し出していた。お洒落である。盛岡の小劇場で珍しくお洒落さを感じた。おしゃれといえばセットもなかなかよかった。中央の長椅子は今ひとつだったが、全体的に美的センスを感じさせる力作だったと思う。色々勝手なことを言ってきたが、今回のような合同公演はこれからもどんどんやってほしいものだ。劇団の個性がぶつかり合うことで新しい魅力がうまれる。またとかく「井の中の蛙」になりがちな盛岡の小劇団が、自らを客観的に見つめるいい機会になるはずだ。劇団ばかりではない。めんこいテレビも今年開局10周年。そろそろ他局と共同で番組やイベントを考えてみるのもおもしろいかも・・・区切りの年に決しておごらず、自分たちの実力をチェックする必要を感じる。(終盤ややPRくさくなりながら・・・めんこいテレビ報道部デスクにて)

 「コラボることの効用」
現代時報 平川 重寅 


 開演直前までロビーにいる僕が言うのもなんだけど、パンフも全部読んじゃって、さあどうしようって時に、必要以上に装置や照明などを見つめてしまう癖がある。別にうしろの女子高生を見つめてもいいけど、そんな事してもしょうがないし、癖になったら困る。そもそも「観賞に値する」という前提あってのことだし、人は人の仕事を見るのが好き。
 さて、ここ何年、僕たちのまわりは「コラボレーション」だ。カヒミカリィ+モーマス、森高千里+細野晴臣、武論尊+原哲夫(今は高橋克彦と)、最近はデンマークのデザイナー、ヤン・トレーゴー+南部鉄器メーカー岩鋳なんてのも。これすごいですよね。これらの行為は「バリューアップ」と受け取られがちだが、目的はひとつ「より高い質を持つハイブリッド」を生み出す事。それをほんのり意識して今回の舞台の感想を。
 装置は柔らかめの素材をメインとしながら、やや部屋のエッジを強調させたつくりになっているのだが、下からの間接照明により、高さを意識させない、ほど良い広がりを持った空間に仕上がっている。照明に関して欲を言えば下手奥出ハケのドロップが若干きつい事。舞台美術(担当は風紀の駿河紀子)は、素材の魅力を活かし、毎回違ったテイストを出してくるのだが、今回も感銘を受けた。研究熱心というか、センスと努力あってのやりたい事ですね。ひつじの帽子も似合うというものです。
 キャストは風紀から1人、ネジから3人なのだが、今回のオレ的注目は、佐々木奈文(咲恵役)。以前の彼女によくみられた「釈然としないいやらしさ」が消えて、安心感を与える役者になったように思う。しかも今回挑戦するのは盲目の女性とあって、相当な努力を感じた。今後の自然体っぷりに注目。武蔵里奈(1人2役っていうか双子の愛/萌役)は、いつもクールで、シャープだが、前半部分に固さが目立つ。台詞の度に、台詞の無い度に、途切れるような感じは否めない。なんというか、それ以上の事は自分に要求する必要はないと思う。特筆すべきはよく通る声。これは相当な武器です。僕もあんなフォルマントがほしい。柏木史江(市子役)は、社会性の欠如した「なんだこいつ?」という雰囲気が良く出ていて、なんだか、ムカツく。ボーダーすれすれの危ない役をさわやかにこなすのは、ならではといったところ。ただ(別に全く正確である必要性など無いのだが)オウム真理教の会話のくだりで、彰晃ソングのステップが違うのは、個人的に無念。そして風紀の高野ひとみ(千津役)。かなりコアなお笑いファンということもあって、ぼくはばくしょうしたのです。ツボを押さえ安定した演技は健在。
 風紀委員会とネジは、どちらも必ず観ると決めている劇団なのに、ほとんど毎回、がっかりする事がある。それは、客席の形状。「座った場所が悪かった」なんて、変じゃないですか?もう少しましな客席に座りたい。テクニカルな面で根本的じゃない部分だけど、大切じゃない事なんて、無いと思うので。
 さまざまな所で「ハイブリッド」さ加減を見る事ができた今回の舞台。僕はとても羨ましい。でも劇団が「団」である限り、いや劇団に限らず、考えの違う2人以上なら、それってもともとコラボレーション?ともあれ合作によって2つの劇団がさらに瞬発力を高めたように感じました。
8月12日   於 盛岡劇場タウンホール


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