横溝 『ドグラ・マグラ』読んで、頭が変になっちゃったらしいんだね。だから、おれはまだ相当感受性が強いなと思って、安心したよ。(笑)

小林信彦編『横溝正史読本』(角川文庫)


『ドグラ・マグラ』私的覚書

夢野久作が、10年の歳月をかけて書き上げた『ドグラ・マグラ』は、昭和10年1月に松柏館書店より書き下ろしで刊行された。
この作品の評価は以下の引用が物語っている。

日本の本格探偵小説の三巨峰として、夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、そして中井英夫の『虚無への供物』を挙げることに、それほどの異論がでるとは思われない。

笠井潔「完全犯罪としての作品 −中井英夫−」
(『物語のウロボロス 日本幻想作家論』所収)

しかしながら、多くの人間が指摘するように、この『ドグラ・マグラ』は、その複雑な文章構造により、読破する事を難しくさせている。
そこで、この頁では、『ドグラ・マグラ』の構造を整理してみようと思う。
テキストは『日本探偵小説全集4 夢野久作集』(創元推理文庫)を使用する。

創元推理文庫・表紙 表紙 アトリエ絵夢 志村敏子

「巻頭歌」

九州帝国大学精神病科第7号室(真夜中)
目覚めた「わたし」
九州帝国大学精神病科第7号室(翌朝) 若林博士による説明
第7号室〜精神病科本館〜第7号室
若林博士による実験・1
精神病科本館教授室
若林博士による実験・2


 巻頭歌

胎児よ
胎児よ
なぜ躍る
母親の心がわかって
おそろしいのか

(本文154頁)


場所:青黒い混凝土の壁で囲まれた二間四方ばかりの部屋
  ( 九州帝国大学精神病科第七号室)
時刻:真夜中


「わたし」眠りから目覚める。
起きた時に聞いたボンボン時計の
「…………ブウウ──────ンンン──────ンンンン………………。」
とゆー音以外に自分がどこの誰だか何一つ覚えている事はない。

われを忘れてあげた叫び声に呼応し、隣室より少女が悲痛な叫びで訴えてくる。

少女: 「わたし」の許嫁であり、結婚式前夜に「わたし」によって殺害、その後生き返ったモヨコである。
「わたし」が返事をする事により、キチガイでない事が理解され、二人してこの病院から退院することができる、と呼びかける。

隣室の女性を思い出す事が出来ない「わたし」は少女に話しかける事が出来ず、次第に意識を失ってしまう。


場所:九州帝国大学精神病科第七号室
時刻:明朝


朝食を運んできた看護婦に対し、自分が誰なのかを尋ねた事から、若林博士が訪れてくる。

若林鏡太郎: 九州帝国大学法医学教授であり医学部長。
精神病科の主任教授であった正木敬之の 急死により、暫定的に精神病科の主任教 授も兼任する。


「わたし」は正木博士が提唱した『狂人の解放治療』という学説の実験材料であった。
実験とは「わたし」の過去の記憶を回復させることを中心に行われたという。
この実験は成功したものの、実験のショックにより「わたし」の意識は喪失されてしまった。
「わたし」が自分の記憶を回復するとゆー事は、研究の立証と、空前絶後の犯罪事件の真相を同時に明らかにする事を意味するという。
      
正木敬之: 九州帝国大学精神病科前主任教授。
本年2月赴任。7月、解放治療所完成。
一ヶ月前の10月20日死亡、と同時に治療所閉鎖。


『精神科学応用の犯罪と、その証跡』

正木博士の指導のもと「精神病理学」を発展させた若林博士の研究。

『精神科学応用の犯罪』とは、人間の心理の奥底に潜在している遺伝心理に、適応した暗示を与える事で、精神状態を突然、その精神に潜在している、何代か前の祖先の性格と入れ換えさせられる事を応用した犯罪。

更に、その人間を発狂させた犯人にたいする、記憶力までも消滅させ得るような時代が来たとしたら、ほとんど検察、調査の不可能な完全犯罪が、世界中のいたるところに出現する事になり、この種の犯罪に対する予防と検出探索方法の研究を、極度の秘密を厳守しつつ研究をしていたが、この理論を応用した犯罪事件が勃発した。


空前絶後の犯罪事件(一部)

頭脳明晰な青年が、美しい従姉妹との結婚式前夜、夢中遊行を起こし、少女を絞殺。
その後青年は、屍体を冷静に写生。
青年に夢中遊行をさせるようしむけた犯人と目的は未だに不明。

「わたし」は事件の中心人物、としか触れられていない。


「わたし」の精神状態の遍歴

遺伝心理に強烈な暗示作用

→夢中遊行状態:
一千年前の先祖の記憶にとって変わる

→夢中遊行心理が発揮し尽くされる

→自我忘失症:
現在の状況。最近の記憶はあるが、潜在意識と脳髄の一部分が長い間の緊張から疲労し、回復していない状態なので、過去の記憶が思い出せない。

→自我覚醒



名前を思い出す為の実験

理髪師により学生ふうの頭に刈ってもらう。
丸一ヶ月前も散髪してもらっているとの事。


「もしそうとすればわたしは、その前にも、そのまた以前にも……何遍も何遍もこんな事を繰り返したことがあるのかも知れないので、とどの詰まりわたしは、そんなことばかりを繰り返し繰り返し演っている、つまらない夢遊病患者みたような者ではあるまいか……とも考えられる」(199〜200頁)


精神病科本館にて入浴。
大学生の制服に着替え、目覚めてから初めて姿見鏡で自分の姿を見る。


精神病科6号室にて少女と対面。
少女の名前も顔も思い出せない。

若林博士による説明: 「わたし」のたった1人の従姉妹であり、許嫁。
6ヶ月前の大正15年4月26日に結婚する予定であった。

*正木博士の死んだ時期からすれば、今は11月でなければならず、一ヶ月の矛盾が生じる。これは何故か?

夢中遊行と自我忘失を繰り返しており、夢中遊行の状態では、一千年前の先祖になってしまう。
少女の慕っている、義理の兄が「わたし」の一千年前の先祖ということになっている。

自我忘失状態では「わたし」が許嫁であることは覚えているが、自分の名前や「わたし」の名前も覚えていない。

*「わたし」が目覚めた時に、少女はハッキリと「モヨコ」と名乗っている。これは何故か?




精神病科本館教授室

教授室の中の品物から、過去の記憶を呼び起こすヒントになるものを探す。

『ドグラ・マグラ』

正木博士の死後まもなく、入院していた精神病患者の書いた一種のモデル小説。

胎児よ胎児よ何故躍る 母親の
     心がわかっておそろしいのか

という「巻頭歌」(230頁)で始まる『ドグラ・マグラ』の内容 は以下の通り。

……「精神病院は此世の活地獄」という事実を痛切に唄いあらわした阿呆陀羅経の文句……
……「世界の人間は一人残らず精神病者」という事実を立証する精神科学者の談話筆記……
……胎児を主人公とする万有進化の大悪夢に関する学術論文……
……「脳髄は一種の電話交換局にすぎない」と喝破した精神病患者の演説記録
……冗談半分に書いたような遺言書……
……唐時代の名工が描いた死美人の腐敗画像……
……その腐敗美人の生前に生写しというべき現代の美少女に恋い慕われた一人の美青年が、無意識のうちに犯した残虐、不倫、見るにたえない傷害、殺人事件の調査書類……

(236頁)



若林博士評
それらの出来事一切合財が、とりも直さず、ただ一点の時計 の音を、ある真夜中に聞いた精神病者が、ハッとした瞬間に見た夢にすぎない。
(237頁)



正木博士の研究計画

大学時代より『狂人の解放治療』の準備を行う。
20年もたてば、スバラシイ精神病患者が現れ、精神科学が最高の学問となる、と予言。
卒業論文『胎児の夢』はその文体・内容からして物議をかもしたが、のちの精神病科主任教授、斎藤寿八博士(当時は助教授格)の強力な推薦により卒業論文中の第一位となる。
正木博士は卒業式の当日、式に欠席したまま行方不明に。

その後の正木博士は、八年間欧州を巡り、墺・独・仏三国で学位を取得。

大正4年、帰朝。
全国の精神病院をまわり、一方で「各地方の精神病者の血統に関する伝記、伝説、記録、系図等を探って、研究材料を集め」る。(本文259頁)
又、精神病者虐待や精神病院の実情を『キチガイ外道祭文』として民衆に唄い広めるものの、世間から黙殺。
目的は、精神病者虐待や精神病院の実情を告発するものというより、『狂人の解放治療』の実験に対する準備事業ではなかったか?

大正13年3月26日。
恩賜の銀時計をとりに九州大学に現れる。
その際『脳髄論』なる論文を持ち込む。
斎藤博士により約1年ばかりかけて審査考究された結果、正木博士に学位を授与することに決定された。

学位授与後まもなく、大正14年10月19日斎藤博士変死す。
葬式に現れた正木博士、斎藤博士の遺志を取次いだ総長自ら後任を要請される。
大正15年10月19日、「わたし」と少女が過去の記憶を回復し、結婚生活に入ることで完成するはずの実験が、悲劇的な出来事によりいきづまる。
翌20日、正木博士自殺。

現在はそれから1月後の11月20日である。


以上の説明を若林博士から聞いた「わたし」は、正木博士の研究を理解する為の原稿を読み始める。

『キチガイ外道祭文』
『地球表面上は狂人の一大解放治療場』
『脳髄は物を考えるところに非ず』
『胎児の夢』
『解放治療の実験の結果報告』

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