Murder by Numbers   完全犯罪クラブ   ★★1/2   (2002年4月)
Murder by Numbers 最近サンドラ・ブロックの映画をまるで見ていない。近年、ラヴ・コメやラヴ・ロマンス等にはまるっきり食指が動かなくなったが、彼女の出ているのがまさにその手のやつばかりだったので、まるで見る気が起きなかった。とはいっても、その辺が彼女の持ち味であることも事実で、そういうコケティッシュでありながらしみじみとした味わいを与えることのできるハリウッド・スターとしては、ブロックはジュリア・ロバーツとメグ・ライアンのすぐ下くらいには位置していると言えるだろう。

しかし、最近どのくらいブロックを見てなかったのかとチェックして、97年の「スピード2」以来、「プラクティカル・マジック」、「微笑みをもう一度 (Hope Floats)」、「恋は嵐のように (Forces of Nature)」、「ガンシャイ」、「28 Days」、「デンジャラス・ビューティー (Miss Congeniality)」と、主演作の全部をパスしていたのに気づいた時は、我ながら偏りが過ぎたかなと少しばかり反省した。今回みたいにたまにスリラー系のアクションものとかに出てくれると、私としては嬉しいんだけれども。

二人の高校生、頭の切れるジャスティン (マイケル・ピット) と人気者のリチャード (ライアン・ゴスリング) は、学校ではお互いに疎遠の振りを装っていたが、実は裏で二人は誰にも知られることなく完全犯罪殺人を計画、実行に移していた。その後、重要な物証を手がかりに学校の用務員レイ (クリス・ペン) に容疑がかかり、彼が自殺したことで事件は幕を引いたかに見えた。しかし事件を担当することになったFBIのプロファイラー、キャシー (ブロック) は、詳細に仕組まれたように見えるこの事件を愚鈍なレイが犯したとは信じられず、上役の意見も無視して独自に調査を進め、ジャスティンとリチャードが事件に関係しているのは間違いないと確信するが‥‥

自分が他の人間より優秀だと考える人間が、ただそのためだけに自分は何をしても許される、あるいはバカな世間は自分の完全犯罪を見破ることができないと考えてそれを実行に移すというのは、結構昔から使われている題材である。ヒッチコックの「ロープ」はまさにそれだった。また、最初にまず犯人と犯行が描かれ、その後の展開をその犯罪が露見するかどうかという、追うものと追われるもののサスペンスにおくという倒叙型の手法は、ミステリではお馴染みだ。 刑事コロンボ・シリーズはその代表だと言えよう。

「完全犯罪クラブ」はその列に連なる最新の例ということになるが、実は最初にジャスティンとリチャードを見せ、彼らの犯罪であることを匂わせはするが、では彼らがどうやって殺人を犯したかということは、時間の経過と共に、徐々に捜査が進んでいくのと同時進行で映像で見せてわからせるようにできているという、ちょっとした捻りが加えられている。実際に本当に何が起こったのかは、クライマックスになるまでわからないのだ。色々と皆考えている。今回はさらに、主人公のキャシーが、自分の個人的な過去の亡霊に苦しめられているという設定で、作品に奥行きを持たせている‥‥

はずなんだが、この、キャシーの過去の設定が作品に貢献しているかというと、私見ではまったくそんなことはない。彼女は若い時、若気の至りというやつで、ただハンサムというだけで、本当は暴力をふるう取り柄のない男と結婚してしまい、胸元にはまだ当時の傷痕が残っている。そういった過去の傷を抱えながら捜査に挑むわけだが、で、それが何? と思ってしまう。はっきり言って、作品の展開とあまり関係がないし、いらないと思う。ちょいと絡んでくるのは、そういう、キャシーが昔痛い目に会った男の性格がリチャードに似ているということで、そういう点からもリチャードは何か怪しい、何か隠している、とこういう展開になるのだが、結局そのキャシーの昔の彼自体は最後まで結局画面には登場しないため、それがトラウマになっていることにあまり説得力がない。でも、きっとそういう背景の描き込みがないと、今度はなければないでキャラクターに厚みがないと文句を言われてしまうんだろう。このあたり難しい。

ただし、そういう設定をすることで、いつもは陽気なキャラクターを演じることが多いブロックが陰のある役を演じることになったという点では○である。つまり、そういう設定が作品に厚みと奥行きを与えたかというと、別にそんなことはないと思うが、ブロック自身はこれまでと違う役柄を演じることができて悪くない。 元々ブロックの持ち味は、「スピード」シリーズで顕著なお転婆娘という役どころである。「28 Days」で、しゃぶっていた棒つきキャンディを口をあんぐり開けてべえーっと出して見せる予告編を見た時には、そういう一般的には行儀の悪いことをして見せながら、それでも愛嬌がある、可愛いと感じさせるのは大したもんだと感心した。というか、自分の魅力、自分がどうやったら受けるかということを完全に把握してやっている。どこまでなら許されて、どこからだと逆効果になるという、その辺のラインの引き方を心得ているところが、ハリウッドで一線に居続けられる理由なんだろう。ジュリア・ロバーツやメグ・ライアンあたりも、そういう自分の見せ方は非常にうまい。ただし結構首が太いブロックが正面を向くと、実は彼女は女子プロレスでも結構人気者になれるんではないかとも思ってしまうのだが。

作品のポイントとなる二人の高校生、ジャスティンとリチャードを演じているのは、マイケル・ピットとライアン・ゴスリング。ピットが演じる、切れ者でありながら鬱屈したジャスティン、ゴスリングの演じる高校中の人気者リチャードと、共にともすれば荒唐無稽の役柄でありながら、こういう奴等、本当にいそうだと感じさせるところがなかなかいい。この映画に限って言うなら、ブロックよりも彼らの方が印象が強い。特にゴスリングは、つい最近、ユダヤ人なのにネオナチに入った青年に扮したなかなか強力な作品、「ビリーヴァー」を見た直後なだけに、印象に残る。今気づいたのだが、「ビリーヴァー」はサンダンス映画祭で昨年審査員賞を受賞しているが、その時観客賞をとったのが、ピットが出ている「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」だった。こういう役者が続々出てくるのを見ると、アメリカの役者の層の厚さを感じる。キャシーのパートナー、サムに扮するのがベン・チャップリン。一見英語のうまいアントニオ・バンデラスであり、その辺で得もしてれば損もしているだろうという気がする。

作品の冒頭、波打ち際をヘリコプタかなんかで前進しながらとらえるショットは、イメージとしてはいいのだが、最近、この手のショットをあまりにも色んなところで見過ぎて、飽きたなあ、この手のやつ、もうちょっと他に新しいアイディアがないんかいと思っていた。そしたら、それがそのまま崖際の一軒家をとらえ、そのまま降下し、窓に近寄り、破れたガラス窓を通り抜けて、中にいるジャスティンとリチャードを頭上から見下ろすという1シーン1ショットになっていて、窓を通り抜ける段階でCGが加えられた別ショットになっているのはわかっていても、やはり大きな距離を動く1シーン1ショットの移動撮影というのは、印象に残る。カメラの移動という点では、これも最初の方で殺された被害者の皮膚の上をカメラがマクロで這っていって、肌の上に落ちていた糸屑や髪の毛をとらえるショットもなかなか面白かった。CBSの「CSI」がヒットしてからというもの、こういう犯罪捜査の視点から見た描写を入れるのは最近のサスペンス/スリラー系の作品ではほぼ常套手段になっているのだが、皆、色々とあの手この手を考える。カメラが肌に密着していって、うぶ毛どころか肌のきめ、細胞の一つ一つまでもがはっきり見えるようなショットなのだ。

演出はバーベット・シュローダーで、こういうカメラの使い方も含めて、確かにヴェテランという感じはするが、しかし、この人の作品って、「運命の逆転 (Reversal of Fortune)」以来、これぞと思える作品がない。特に「運命の逆転」以降、「ルームメイト (Single White Female)」、「死の接吻 (Kiss of Death)」、「判決前夜 (Before and After)」と続いたあたりは、面白いんだが、皆、見終わった後にもっと面白くなったのにという印象が抜けなかった。「絶体×絶命 (Desperate Measures)」は、予告編を見た時に、何か、これ、外していそうだと思ったのでパスして、TVに降りてきた時に見て、自分の直感が正しかったことを知った。シュローダーの作品って、なんだか、いつもいつも傑作になりそこねるような作品になってしまう。実は今回もまさしくそう感じたのだが。しかし、ジャスティンとリチャードの造型なんて、役者二人の力だけでなくシュローダーの演出が大きくものを言っているような気がする。「運命の逆転」を超える作品を期待するのは次まで待つか。



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