
Nuremberg - ニュールンベルグ - ★★1/2
放送局: TNT
プレミア放送日: 7/16/00 (Sun), 7/17 (Mon) 21:00-23:00
製作: アライアンス・アトランティス、プロダクシオン・ラ・フェテ、ブリティッシュ・アメリカン・エンタテインメント
製作総指揮: アレック・ボールドウィン、ピーター・サスマン、スザンヌ・ギラード、ジェラルド・エイブラムス、ジョン・コーニック
製作: イアン・マクドゥガル、ミシェル・ボウドリアス
監督: イヴ・シモノー
脚本: デイヴィッド・リンテルス
原作: ジョゼフ・パーシコ (「Nuremberg: Infamy on Trial」)
撮影: アラン・ドスティ
編集: イヴ・ラングロワ
音楽: リチャード・グレゴワ
美術: ガイ・ラランド
衣装: マリオ・ダヴィノン
出演: アレック・ボールドウィン(ロバート・ジャクソン)、ジル・ヘネシー(エルシー・ダグラス)、ブライアン・コックス(ヘルマン・ゲーリング)、マイケル・アイアンサイド(バートン・アンドラス大佐)、クリストファー・プラマー(デイヴィッド・マックスウェル-ファイフ)、マックス・フォン・シドウ(サミュエル・ローゼンマン)、コーム・フィオリ(ルドルフ・ヘス)、シャルロット・ゲンズブール(マリ・クロード・ヴァイラン-カルティエ)
物語: 第2次世界大戦直後、ドイツ駐留の米軍キャンプにゲーリングが自ら出頭してくる。ヒットラーが自害した後、何百万もの人々を殺害したナチスのナンバー2だったゲーリングは、戦犯として最重要の人物だった。連合軍は、戦犯を裁くニュールンベルグ裁判の原告として米最高裁のジャクソンを指名、ジャクソンは有能な片腕のエルシーを連れてニュールンベルグに乗り込む。トゥルーマン大統領は戦勝国の立場から戦犯を弾劾するのではなく、公明正大に裁判を受けさせることを欲していた。しかし相手と同じ土俵に立った場合、相手を打ち破ることが至上命令の戦争という極限状況において、たとえ何万人殺そうとも軍人を殺人罪に問うのは難しい。何故ならそれが軍人の存在理由だからであり、彼らが殺人罪に問われるならば、勝った連合軍の軍人も同罪であるはずだからである。そのためナチス戦犯は、たとえ何百万人もの人間を殺していようとも、無罪の判決が下る可能性を秘めていた。ジャクソンと英国のマックスウェル-ファイフを含む連合国側の4人の原告は、どのような戦略で裁判に挑むかを熟考し、ゲーリングを含め第三帝国から職務の異なった様々な被告21人を集めてナチスを代表する戦犯とし、裁判に挑む。そして1945年11月、世界中が注目する中、歴史的な裁判が始まった‥‥
ナチ戦犯を裁いたニュールンベルグ裁判は、言わずと知れた戦後最も重要な歴史的裁判である。戦勝国が懲罰の観点から戦犯を裁いたという雰囲気が濃厚な東京裁判に較べ、人道的立場から戦犯を裁いたニュールンベルグ裁判は、後世に与えた影響が大きいという意味で、より歴史的意味合いが大きい。どうせ日本は軽く見られていたわけだ。
ニュールンベルグ裁判を再構成した映画としては、1961年にスタンリー・クレイマーが監督した「ニュールンベルグ裁判」がある。この映画は当時のアカデミー賞の大部分にノミネートされるなど話題になったが、対抗馬の「ウエストサイド物語」に主要な賞の大部分を持っていかれ、「ニュールンベルグ裁判」は主演男優賞のマクシミリアン・シェル他、幾つかの賞をとるに留まっている。事実を忠実にとらえ直すというよりも、ヒューマニズムや俳優の演技に焦点を当てたよくできたドラマとして評価が高い。今回またこの裁判をとらえ直すTNTが放送した4時間のミニシリーズ「ニュールンベルグ」は、ジョゼフ・パーシコが上梓したノン・フィクション「ニュールンベルグ: インファミー・オン・トライアル (Nuremberg: Infamy on Trial)」(邦題「ニュルンベルク軍事裁判」)を底本としていることもあり、より事実色を強調した作品として仕上がっている。
番組は戦争直後、米軍のドイツ駐留キャンプに自ら出頭してきたゲーリングをとらえるシーンから始まる。同じ軍人としてゲーリングを賓客並みにもてなした米軍の振る舞いは世界中の反感を買うが、ただ命令を遂行しただけであり、軍人という観点から見れば、米軍人との違いは戦勝国の側にいたか敗けた側にいたかの違いだけしかないと確信しているゲーリングは、戦犯となって収容されても居丈高の態度を崩さない。実際、ゲーリングの論理にも一理あり、トゥルーマンが望むように公正な裁判を受けさせたら、無罪となる確率も低くはないのであった。アメリカ側の原告として選ばれたジャクソンは、世界中が注目している中、絶対に敗けられない裁判に挑む。
この主人公のロバート・ジャクソンに扮するのは、今回製作総指揮も兼ねるアレック・ボールドウィン。現在ジェリー・ブラッカイマー製作の「パール・ハーバー」を撮影中であり、第2次大戦を舞台とする作品への出演が続くことになる。ジャクソンの右腕となって活躍する秘書のエルシーに扮するのは、「ロウ&オーダー(法と秩序)」のジル・ヘネシー。その他、被告側代表のゲーリングにブライアン・コックス、英国側原告のマックスウェル・ファイフにクリストファー・プラマー、戦犯収容所の看長にマイケル・アイアンサイド、ボールドウィンの上司にマックス・フォン・シドウら、重厚な役者陣が大挙出演している。製作総指揮はボールドウィンの他に、「ジャンヌ・ダルク」のピーター・サスマン。撮影は「グレン・グールドをめぐる32章」のアラン・ドスティ。監督は「インテンシティ/緊迫」や、「36アウワース・トゥ・ダイ」のイヴ・シモノーが担当している。
事実を強調したドキュドラマは見応えたっぷりで、実際にもジャクソンとエルシーの間にあったという恋愛感情の発展まで描いているのだが、世紀の裁判の合間に描かれる個人の恋愛問題は、いかにも不釣り合いに見える。世界中が注視している裁判に備えて二人が膨大な資料を目の前に四苦八苦している最中、突然一陣の風が窓から吹き込む。慌てて乱れ飛んだ紙を拾い集める二人。思わず手と手が触れ、はっとして見つめ合うジャクソンとエルシー‥‥なんだそりゃあ。二人は実際にこの裁判中に離れられない間柄となり、ジャクソンは裁判の後アメリカに帰ってから妻の元を離れ、エルシーと暮らすようになったというから、本当にそういう場面もあったかも知れない。しかし、しかしである。こんな場面不要だよ。番組の意図をぼかしこそすれ強調はしない。うまく演出すればそれなりに見れる場面になったかも知れないが、ここでは少なくとも失敗している。
私はボールドウィンをうまい役者だと思ったことは昔から一度もなく、ここでも頑張っているとは思うが、こういう事実の重さを基に圧倒的に役者名利に尽きる役を演じていながらも、やはり今一つという感は拭えない。こういっては何だが、奥さんのキム・ベイシンガーの方がずっといい役者だと思う。二人で共演した「ゲッタウェイ」も、特にボールドウィンはスティーヴ・マックイーンに対する冒涜にしか見えなかった。でも他のボールドウィン兄弟に較べればずっとましだと思うが。ボールドウィンが行う裁判の冒頭陳述のシーンがこの番組最大の見せ場であり、流石にこのシーンは実際にスクリプトにすると何十ページにも及ぶというジャクソンの本当の陳述のエッセンスだけを圧縮し、名セリフを詰め込んだというだけあって見応えがあったが、でもそれが精一杯という感じがした。
一方のエルシーを演じるジル・ヘネシーは、これはもう、誰がやっても同じの出番の少ない、ほとんど意味のない役をやらされただけの貧乏くじをひいてしまっている。彼女の登場シーンはほとんど意味がないのだ。ボールドウィンとの絡みは番組に何の役にも立っていないし、実際の裁判シーンになると、彼女はボールドウィンの後ろに座ってたまさか画面に映るだけで、セリフも何にもないのだ。なんてもったいない。「ロウ&オーダー」であんなに活躍した彼女に対する仕打ちがこれか。
その他の脇を固める面々も、名前の重さからいうともうちょっと活躍してもよかったとは思う。プラマーは「インサイダー」の方が断然よかったし、フォン・シドウも「ヒマラヤ杉に降る雪」の方が威圧感があった。ところで、「ヒマラヤ杉に降る雪」で震えていた手がこの番組では震えていなかったところを見ると、あれはやはり演技だったのか。いや、それがわかっただけでも一つ収穫だった。アイアンサイドはいつ見てもこういう役ばかり。合っているとは思うけど、やはり目新しさに欠ける。ルドルフ・ヘスに扮するコーム・フィオリも、「ストーム・オブ・ザ・センチュリー」ではあんなに底冷えのする狂気を醸し出していたのに、ここではそれほどでもない。批評家がほぼ絶賛しているゲーリングを演じるコックスも、私はそれほどいいとは思わなかった。実はコックスは先週A&Eが放送したミニシリーズ「経度への挑戦」にも出演しており、何十年にもわたって主人公のマイケル・ガンボンに向かって「ノー、ノー、ノー、ノー、ノー」と声を荒らげて懸賞金を与えるのを拒否する貴族階級を演じていた。今回はほとんど主役とも言える役どころなのだが、私には、出番は少なくとも「経度への挑戦」の貴族階級の方がずっと印象に残った。
しかし、上記の者は皆、コックス以外は出番も少ないため、あれ以上のものを要求するのは無理かも知れない。それ以外であっと驚いたのが、証言台に立つフランス人女性に扮したシャルロット・ゲンズブール。彼女が出ているなんてこれっぽっちも知らなかったから、番組の冒頭のクレジットで彼女の名前を見つけた時は本当に驚いた。久し振りに見るシャルロット、「ジェーン・エア」以来だな。番組の第1部の後半に1シーンだけの出番だけしかないが、結構証言の時間がとられており、久し振りの彼女をじっくり堪能した。アウシュヴィッツに連れて行かれたフランス人主婦という役どころで、相変わらずの舌足らずっぽい喋り方は健在。元々美人とか演技派だとかいうよりも雰囲気で持っている女優なだけに、こういう不幸っぽい役は悪くないと思う。私は英語を母国語としないヨーロッパ女優の喋る英語というのが、その人の癖や喋る特徴がよく出ていて好きなのだが、シャルロットも然り。特にフランス人女優の喋る英語というのは、独特のリズム感があって好きである。本当はフランス語を喋っているのを聞くだけでも結構楽しいのだが、あれはさすがに何を言っているのか全然わからないからな。
シモノーの演出は悪いとは言わないが、積極的によいとも言えず、主題が大き過ぎて手に余ってしまったような印象を受ける。その上ボールドウィンが主人公である以上、番組は彼を主体に回らざるを得ないが、いかんせん彼は4時間も番組を引っ張っていける器ではない。最初から無理があったということだろう。また、番組で最も印象的なシーンが、第1話の最後の方に挿入されるアウシュヴィッツで痩せ細って死んでいく多くのユダヤ人をとらえた実写フィルムの上映シーンであるということも、番組が成功していない理由の一つである。実写フィルムが番組自体よりも大きな印象を与えるのならば、なにもわざわざ新しくドキュドラマを製作する必要なぞなく、その実写フィルムを上映すればいい。この番組を見るよりも、アラン・レネの「夜と霧」を見る方がずっと簡単かつ効果的に所期の目的を達成することができる。実際、「夜と霧」で見たようなシーンも多かった。つまり、そういう風に思わせてしまうこの番組は、やはり成功しているとは言い難い。
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