The Believer   ザ・ビリーヴァー   ★★★
放送局: ショウタイム
プレミア放送日: 3/17/02 (Sun) 20:00-22:00
製作: ファイアワークス・ピクチャーズ、フラー・フィルムス
製作総指揮: ジェイ・ファイアストーン、アダム・ハイト、ダニエル・ダイアモンド、エリック・サンディス
製作: スーザン・ホフマン、クリストファー・ロバーツ
監督/脚本: ヘンリー・ビーン
撮影: ジム・デノール
編集: メイン・ロー、リー・パーシー
音楽: ジョー・ダイアモンド
美術: スーザン・ブロック
出演: デニー (ライアン・ゴスリング)、カーティス (ビリー・ゼーン)、リナ (テレサ・ラッセル)、カーラ (サマー・フェニックス)

物語: デニーはユダヤ人でありながらどうしてもユダヤ教を心から信じることができず、学校でも教師と対立、長じるにしたがって反動からユダヤ的なものをすべて憎むようになる。自宅にも寄り付かなくなり、余命幾ばくもない父親にも距離を置き、街角で偶然会ったユダヤ人を袋叩きにするという生活を送っていた。デニーはネオナチと接触するようになり、グループのコーディネイトをしているリナと、そこに出入りしているカーティス、リナの娘カーラと知り合う。元々弁の立ったデニーは、グループのスポークスマンとして頭角を現すようになる。しかし、やはり根はユダヤ人のデニーは、いつも最後にはグループの理念とは正反対の行動をとってしまう。グループからも疑惑の目で見られるようになったそういう時、ユダヤ人の著名な指導者の一人が暗殺され、その犯人としてデニーの名が挙がり、その素性も顕わにされてしまう‥‥

The Believer 「ビリーヴァー」は、昨年のインディ映画の殿堂、サンダンス映画祭で審査員賞、つまり最優秀作品賞をとった、れっきとした劇場公開用のインディ映画作品である。ところがこの映画祭には癖があって、例年審査員賞より、監督賞や観客の選ぶ観客賞の方に注目が集まる。それもしょうがないと言えばしょうがないのだが、インディ映画で審査員の選ぶ審査員賞よりは、思い切りインディ映画の特質が前面に出る監督賞、一般観客の選ぶ観客賞の方が、ずっと一般的な視点から見て面白い作品である方が多いのだ。

実際、観客賞が設定された89年に観客賞をとったスティーヴン・ソダーバーグの「セックスと嘘とビデオテープ」が今や古典となってしまっているのに、その年に審査員賞をとったナンシー・サヴォカの「True Love」なんて、今では覚えているものなど誰もいない。93年に審査員賞をとったブライアン・シンガーのデビュー作「パブリック・アクセス」よりも、観客賞のロバート・ロドリゲスの超低予算アクション「エル・マリアッチ」の方が人々の記憶に残っているだろし、96年審査員賞の「ウエルカム・ドールハウス」よりも、観客賞の「この森で、天使はバスを降りた」を覚えているものの方が多いだろう。おかげで、サンダンスの観客賞はほとんど神話化された感すらある。

その他、98年監督賞のダーレン・アロノフスキーの「Pi」、94年のフィルムメイカーズ賞のケヴィン・スミスの「クラークス」等、サンダンスでは審査員賞よりその他の賞で印象を残す作品の方が多い。そのため、この映画祭に出品する映画作家は、審査員賞なんかいらないから、配給会社の注目度が高く、自分の撮った作品が劇場公開に直結する観客賞や監督賞が欲しいと考えている者の方が圧倒的に多い。

そして昨年もやはりというか、審査員賞をとったこの「ビリーヴァー」が、その題材のせいで配給会社が尻込みしているうちに、観客賞をとった「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の方が一足早く一般公開を終えてしまった。特に「ビリーヴァー」にとって痛かったのが、ユダヤ人青年の実存的悩みに着目してユダヤ人の視点からナチズムをとらえたはずの「ビリーヴァー」が、当のユダヤ人のラビから反ユダヤ主義的という烙印を捺されてしまったことで、その結果、人種差別に敏感なアメリカの配給会社は配給に尻込みし、一般公開の見込みがつかないまま「ビリーヴァー」はお蔵入りするかと思われた (因みに監督のヘンリー・ビーンはユダヤ人であり、「ビリーヴァー」は私の宗教に対する愛の詩だとニューヨーク・タイムズのインタヴュウで答えている)。

結局、「ビリーヴァー」はペイTVのショウタイムが放送権を獲得、劇場公開の見通しが立たないまま、先にTVで放送されることになった。ショウタイムは昨春、結局一般公開されなかった「彼女を見ればわかること」も放送しており、最近は自社製作のオリジナル映画より、劇場用映画でありながら公開の見込みがないインディ系の問題作放送の方で注目されている。実は「ビリーヴァー」を世に出したサンダンスだって、サンダンス・チャンネルという直系のペイTVチャンネルを持っている。しかし、ペイTVとしてはサンダンス・チャンネルはまだ新参で、加入者数が少ない。それでペイTVとしては古く、加入者の多い、姉妹チャンネルのショウタイムで放送されることになったんだろう (両チャンネルとも、親会社はヴィアコム)。製作者に支払われる放送権も、ショウタイムで放送された方が金額が大きいのは間違いないし。多分、ショウタイムでプレミアされてしばらくしたら、サンダンス・チャンネルでも放送されるものと思われる。

しかし、「ビリーヴァー」は、ショウタイムでのTV放送ですら問題なしでは済まされなかった。「ビリーヴァー」は当初の発表だと、昨年9月30日に放送が予定されていた (9月はロッシュ・ハシャナー (新年祭) からヨム・キッパー (贖罪の日) と続く、ユダヤ人にとって重要な月である)。しかし、ここでも9月11日の同時多発テロの影響が大きく影を落とす。事件の後、予測できたことではあるが、アメリカに住むアフガニスタンを中心とする中近東出身の人々に対する嫌がらせや人種差別が大きくクロース・アップされた。殺された人だっている。当然のこととして極右やタカ派の勇み足が懸念され、一夜にして人種問題はアメリカの最もセンシティヴな問題として、簡単に取り沙汰される代物ではなくなってしまったのだ。ここで徒らに人種差別を助長する懸念のある「ビリーヴァー」の放送が延期されたのは、致し方ないところだろう。こんな時期にネオナチの話なんか放送するのは、わざわざ火に油を注ぐようなことになりそうだという懸念は至極もっともだ。結果、「ビリーヴァー」は当初予定の9月30日から、今春まで放送が延期されていたものである (3月はパスオーヴァー (過ぎ越しの祭) があり、やはりユダヤ人にとって重要な月だ)。

「ビリーヴァー」はユダヤ人なのにネオナチに荷担、ユダヤ人殲滅運動に協力した一人の青年を巡るドラマである。非常にドラマティックな設定だが、これは実在の人物からヒントを得た一種のドキュドラマなのだ。「ビリーヴァー」では、主人公のデニーは少年時代、ユダヤ人学校で教育を受けていたのだが、ユダヤ教を絶対とする教えに疑問を抱く。彼は学校の先生と対立するようになり、反動から、ユダヤ教およびユダヤ人全体を憎むようになる。そのデニーがネオナチに荷担するが、結局はユダヤ的なものを憎みきれず、最終的にはネオナチからも疑惑の目で見られ、両方の世界と相容れずに破滅の道を転がり落ちて行く様が描かれる。

作品中、ニューヨーク・タイムズのレポーターがデニーに対し、実は私はあなたがユダヤ人であることを知っている、なぜユダヤ人のあなたがネオナチなんかに荷担するのかと質問するシーンがある。デニーは逆上して、もし俺がユダヤ人だと新聞に書いたら、おまえを殺して俺も死ぬ、というようなことを口走るのだが、それは現実に起こったことだそうだ。デニーのモデルとなったダニエル・バロスという人物は実際にニューヨーク・タイムズの記者に対して同様のことを発言し、そしてバロスのことが新聞の一面に載った朝、バロスは銃で自分自身を撃って自殺した。1965年のことである。もちろん「ビリーヴァー」ではその事実をそのまま使用してはいないが、少し捻りを加えて重要なプロットとして利用している。

主題は重く、見た後にも心に残るドラマであるが、それとは別に、いかにもインディ映画くさい作品を久し振りに見たなあという印象も強い。センセーショナルな題材もそうだが、そういうことよりも、今一つ流暢じゃないカット割り、画面構成、移動撮影、ライティング、編集、音楽、その他の細かいところで、ぎこちないというか、手慣れていないという印象を受ける。そういうのよりも、この作品に対する作り手の気持ちの方が前面に出てくるのだ。こないだ見た「ララミー・プロジェクト」が、やはり新人監督の初監督作品でありながらも演出自体は非常にこなれていたことを思うと、「ビリーヴァー」はやはり素人くさいと思う。

しかし、そういう点がまた、常に根無し草のように心が揺れている主人公の心とヘンにうまい具合にシンクロして効果を上げているのも事実だ。ただし、私はこの手の作品は、ヴェテランの監督が演出すれば、もっと力強くなっただろうにとどうしても思ってしまう。例えば、これを脂がのっていた時期のアラン・パーカーあたりが撮っていれば、有無を言わさない迫力のある作品に仕上がっていただろうなあという、一抹の残念さを感じてしまうのだ。

この番組と前後して、劇場で見たサンドラ・ブロック主演のスリラー「マーダー・バイ・ナンバース」で、こちらの方にも主人公のデニーを演じたゴズリングが準主演級で出ているのに、そちらでは「ビリーヴァー」で受けた新人の熱演といった感じの気負いがまるで感じられなかったことで、よけいそういう印象が強まってしまったということもある。ゴズリングは自分の意図ではまるでなかったろうが、結果として主演/準主演作が続けて映画、TVに登場したことで、大きな印象を残すことになった。「ビリーヴァー」に主演した時にはまだ19歳。またまた有望な新人の登場だ。

デニーが出入りするネオナチ系グループのコーディネイターのような役柄で登場するのが、テレサ・ラッセル。昔「ジェラシー」のラッセルに圧倒された身としては、ちょっと体重が増えて全体的に丸まった印象がある現在の姿はちとつらいものがあるが、あの存在感は今でも不変である。実はラッセルは今春、WBが編成した新番組「グローリー・デイズ (Glory Days)」に、町の人間がいつも集まるダイナーのオーナーという役で出演している。「グローリー・デイズ」は「スクリーム」シリーズや「ドーソンズ・クリーク」で知られるケヴィン・ウィリアムソンが製作したミステリ・ドラマで、番組のできはともかく、町の名士的謎の女にラッセルを起用するというアイディアは悪くなかった。多分ウィリアムソンも昔、ラッセルのあの冷たい眼差しで見つめられてみたいと思った口なんだろう。

その他の出演者には、リヴァー、ホアキンのフェニックス兄弟姉妹の一番下のサマー・フェニックスが、ラッセルの娘役で出演している。彼女は「ララミー・プロジェクト」にも出ていた。ちょい役で出演のビリー・ゼーンは、実は最近色々なところで目にするのだが、何を見ても「タイタニック」を思い出させるという点で、非常に損をしている。あまり大っぴらに言われることはないが、ゼーンは「タイタニック」に出て、確かに知名度は上がって出演作は増えたかもしれないが、レオナルド・ディカプリオほどギャラが急上昇して引く手数多になったかというとそれほどでもなく、それなのに視聴者は彼を見ると誰でも「タイタニック」の悪役と結びつけて見てしまうという点で、「タイタニック」に出演してキャリア的には損してしまったという唯一の役者だろう。

「ビリーヴァー」のような映画はやはりハリウッドでは製作されまい。ゴズリングも演じながら、この映画が本当に公開されるのか半信半疑だったと言っている。しかし、なぜだかTVでプレミア放送を終えた今頃になって、「ビリーヴァー」の劇場公開の話が持ち上がっているのだ。こういう展開は、これまでにもなかったわけではないが、非常に稀だ。数年前にエイドリアン・ライン監督、ジェレミー・アイアンズ主演の「ロリータ」が、題材のせいで劇場公開のめどが立たず、やはりショウタイムでプレミア放送された後、紆余曲折を経て劇場で公開された例というのはある。昨年HBOが放送したTV映画の「ショット・イン・ザ・ハート (Shot in the Heart)」も、TVプレミア後劇場公開され、NBCが放送した第二次大戦ドラマの「アップライジング (Uprising)」も、様々な理由からTV放送された後、劇場で公開されている (詳細はこちらを参照)。「ビリーヴァー」はその最新の例となるかもしれない。最近公開されてそれなりにヒットしたインディ作品の「イン・ザ・ベッドルーム」「チョコレート」ほどの話題を巻き起こすことができるかというと、題材が題材であるだけにそれは疑問だと思うが、一度は断念せざるを得なかった一般の配給網に乗った公開が実現するならば、製作者にとってこんなに嬉しいことはあるまい。



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