The Laramie Project   ザ・ララミー・プロジェクト   ★★1/2
The Matthew Shepard Story   ザ・マシュー・シェパード・ストーリー   ★★1/2
ザ・ララミー・プロジェクト
放送局: HBO
プレミア放送日: 3/9/02 (Sat) 20:00-22:00
製作: グッド・マシーン、ケイン/ギャベイ・プロダクションズ
製作総指揮: アン・ケリー、テッド・ホープ、ロス・カッツ
共同製作総指揮: ピーター・ケイン、ロイ・ギャベイ
製作: デクラン・ボールドウィン
監督: モイゼス・カウフマン
脚本: モイゼス・カウフマン、テクトニク・シアター・プロジェクト
撮影: テリー・ステイシー
編集: ブライアン・ケイツ
音楽: ピーター・ゴラブ
美術: ダン・リー
出演: クリスティーナ・リッチ (ロメイン・パターソン)、スティーヴ・ブシェミ (ドク・オコーナー)、ローラ・リニー (シェリー・ジョンソン)、サマー・フェニックス (ジェン・マルムスコグ)、ディラン・ベイカー (ルロン・ステイシー)、ピーター・フォンダ (カントウェイ医師)、ジャニーン・ガロファロ (キャサリン・コノリー)、ジョシュア・ジャクソン (マット・ギャロウェイ)、エイミー・マディガン (レジー・フラティ)、キャムリン・マンハイム (レベッカ・ヒリッカー)

マシュー・シェパード・ストーリー
放送局: NBC
プレミア放送日: 3/16/02 (Sat) 21:00-23:00
製作: アライアンス・アトランティス、コスミス・クリアライト・ピクチュアス
製作総指揮: ゴールディ・ホーン、エド・ガーノン、ピーター・サスマン
製作: クララ・ジョージ
監督: ロジャー・スポッティスウッド
脚本: ジョン・ウィーリック、ジェイコブ・クルーガー
撮影: ジョン・バートリー
編集: ドミニク・フォーティン
音楽: ミケル・ダナ
出演: ストッカード・チャニング (ジュディ・シェパード)、サム・ウォーターソン (デニス・シェパード)、シェイン・ミア (マシュー・シェパード)

The Laramie Project 98年10月、ワイオミング州ララミーで、一人のゲイの青年がリンチを受けて死んだ。マシュー・シェパードという名のその青年は、既に雪のちらつくほど気温が落ちている中を、頭を殴られて全身が血まみれになるほど怪我をしているのに、牧場の丸木の柵に縛りつけられたまま放置された。18時間後、自転車に乗ってそばを通りかかった若い男がシェパードを発見した。最初は案山子かと思ったが、よく見ると生きている人間ということに気づき、大慌てで助けを呼んだ。しかし手当ての甲斐もむなしく、5日後にシェパードは死んだ。その後二人の男が逮捕された。彼らはバーでゲイを装ってシェパードに近づき、連れ出したことが明らかにされた。物とりが犯行の実質的動機だが、シェパードがゲイだという事実が、必要以上に彼らを凶暴化させたと言われている。

「ララミー・プロジェクト」は、このマシュー・シェパード殺害事件を再構成した戯曲として、モイゼス・カウフマンが2000年に発表した作品である。カウフマンは、97年にオスカー・ワイルドの運命が激変する転機となった裁判を、様々な史実を基に別の角度から光を当て再構成した戯曲「オスカー・ワイルドの三つの裁判 (Gross Indecency: The Three Trials of Oscar Wilde)」で一躍注目された劇作家で、カウフマン自身もベネズエラ出身のユダヤ人の血が入ったゲイということもあり、シェパード事件が他人事のように思えなかったのだろう。「オスカー・ワイルド」は当時オフ・オフ・ブロードウェイで幕を開けながら、非常に注目を集めたヒット・プレイとなったが、「ララミー・プロジェクト」も似たようなアプローチで、実際にララミーに赴いたカウフマンたち劇団員が行った膨大な量のインタヴュウを基に、関係者の発言を総合して再編成し、マシュー・シェパード殺害事件とは本当はいったい何だったのかということを新たに再構成しようとする試みだった。

今回HBOが放送した「ララミー・プロジェクト」はその映像化であり、舞台同様、カウフマンが脚本/演出を兼ねている。カウフマンは映像化に当たり、オリジナルの舞台の手法をそのまま映像においても取り入れた。つまり、劇団員がララミーで土地の人間にインタヴュウを行い、カメラはその模様を撮影しているという構成にした。インタヴュウを基に事件を再構成するという、要するにドキュメンタリーの手法である。しかし、もちろん実際に画面に映っているのは、インタヴュウをする方もされる方もどちらも俳優である。そのため、番組は現実の事件を再構成してドラマ化したドキュドラマとも異なり、ドラマ仕立ての擬似ドキュメンタリーといった印象を受ける手触りになっている。

また、この番組には、結局最後までマシュー・シェパード本人は登場しない。マシュー・シェパードという一人の人間は、人々の口を通して、最後まで間接的な形でしか現れてこない。擬似ドキュメンタリーという体裁をとっているわけだから、既に死んでいる人間が登場しないのは当然であるが、過去の事件の再構成という形でも、俳優が演じるシェパードという人間は画面に登場してこない。写真ですら現れないのだ。いわば当事者不在の物語であり、そのことによって事件から距離を置いた、第三者の視点から見た事件の再構築を狙っている。

この構成が、番組を観賞する上で効果があるかどうかは、大いに意見の分かれるところである。人々のインタヴュウにより、最初はうっすらとでしかないマシュー・シェパードという一人の人間のイメージが段々と鮮明になってくるという試み自体は、なかなか考えられていると思う。しかし、番組として大きく失敗してしまったのは、登場人物のほとんどに、よく知られている俳優を使ってしまったことにある。シェパードの親友として登場するクリスティーナ・リッチ、シェパードが彼をリンチした男と出会ったバーで、一部始終を目撃していたというバーテンダーにジョシュア・ジャクソン、そのバーにシェパードを運んだ車の運転手にスティーヴ・ブシェミ、大学の演劇科の教師にキャムリン・マンハイム、ゲイの大学教師にジャニーン・ガロファロ、シェパードを最初に介抱した警官にエイミー・マディガン、その他ローラ・リニーやピーター・フォンダ等、よく知られている俳優が次々に顔を出す構成は、破綻を持ち込みこそすれ、番組をよりよくする一助とはなっていない。

彼らは何らかの形でシェパードと接触のあったララミーの住人として登場し、インタヴュウを受けるのだが、彼 (女) らがよく名前の知られている俳優であるために、逆にそれらがまったく嘘臭いものとなってしまっている。リッチが、マンハイムが、リニーが、ブシェミが、フォンダがシェパードのことを語れば語るほど、私の頭の中ではマシュー・シェパードという人間の像がボケて、焦点を結ばなくなっていく。彼らがシェパードのために涙を流せば流すほど、私は逆にこれは演技だということを強く意識せざるを得なくなる。この番組に出ている人間は、本当は誰一人として実際のシェパードと面識はない。それなのになぜこんな風に見たことも会ったこともない人間のことを断言できるんだ。リッチがシェパードの親友として画面に登場してきた時、私が受けた印象はただ一つ、嘘をつくな! あんたはララミーに行ったこともシェパードに会ったこともないはずだ! だった。

マンハイムが事件に憤っている姿を見る時、彼女は本当に事件に対して腹を立てているんだろうと思う。しかし、その感情を、まったく他人の姿を借りて表現しないでもらいたい。言いたいことがあるんなら、一個人のマンハイムとして発言しろ。これが他人になり切るスタニスラフシキ・システムの具現なんてこじつけは聞きたくない。私がその時画面で見ているのは、大学教師のヒリッカーではなく、ヒリッカーの振りをして自分の意見を喋っているマンハイムにしか見えない。シェパードの血を素手で触ってしまって、エイズに感染していないか憂えるマディガンもまた、非常に嘘臭い印象を受ける。これが実際にシェパードの血に触れた本人へのインタヴュウなら、こういった印象は受けないに違いない。総じて、多かれ少なかれ登場する全員からこういった違和感を受ける。

つまり、擬似ドキュメンタリーとして構成したはずのこの番組は、知名度のある俳優を起用したことによって、目に見えるものが実はまったく作り物であることを逆に強調してしまうという矛盾を抱え込むことになってしまった。オリジナル戯曲が話題になったために、わりと名の売れた俳優を起用できたんだろうが、この番組は映像化に際しては、戯曲同様まるで知られていない俳優を使うか、あるいは、著名な俳優を起用したいんだったら、最初から擬似ドキュメンタリーという体裁をとらず、ドラマ化してしまった方がよかった。本当なら擬似ドキュメンタリーではなく、本人が登場する本物のドキュメンタリーにした方が作品として最も強力になったと思うが、多分それは本人たちが出演にうんと言わない人の方が多いのはわかるし、カウフマンは自分の言いたいこと、あるいは自分がこの事件で感じたことを最も効率的に語るには、一般市民をそのまま起用するより、画面によけいな夾雑物を持ち込まない、訓練された俳優を使用した方がいいと判断したんだろう。

その演出は実際わりと隙がなく、ツボを得てコンパクトにまとまっている。ほとんどのせりふは実際の関係者の生の発言から取られているわけだし、その点での生の感情の発露は確かに感じられる。だが、それだからこそかえってこの番組を見ている時の、真実と作り事という落差もまた大きく感じられるのだ。この番組が今年のサンダンス映画祭でプレミア上映された時、話題性抜群で前評判も高かったのにもかかわらず白けた反応しか返ってこなかったというのは、私と同じように感じた者が多かったからだろう。この作品は、舞台で見るなら、狙った効果を得ることができるに違いない。しかし映像にするならば、これがまだ事件の記憶が鮮明な現在ではなくて、人々が事件を忘れ始めた頃に製作した方がよかった。つまり、その点では、この番組は5年後、10年後に見たら、非常にできのよい作品として認められることになるかも知れない。昨年、やはりHBOが放送したTV映画の「ウィット」を見た時も、出演者の演技はいいのに、主演のエマ・トンプソンが画面に向かって語りかける、どうでもいい奇をてらった演出さえなければと思ったものだが、今回も同様だ。方法論の取り違えがすべてをぶち壊しにするという例をまたまた見せられたという気がする。

「ララミー・プロジェクト」は、まだ記憶に新しい題材ということもあり、わりと注目を集めたが、それ以外にも注目された理由として、当初放送が予定されていた3月16日に、ネットワークのNBCがまったく同じ題材を基に製作したドキュドラマ、「マシュー・シェパード・ストーリー」を裏番組として編成したことが挙げられる。しかもNBCは同じ題材を扱った両番組が同じ日、同じ時間に編成されたのはまったくの偶然、とぬけぬけと白を切った。HBOが「ララミー・プロジェクト」をこの日にプレミア放送するのは年明け早々に発表されていたことであり、NBCがそのことを知らなかったのは、万に一つもあり得ない。HBOのオリジナルTV映画は質が高く、いつも高い注目度を得る。NBCはそれを承知の上で、同題材の番組を裏番組として編成することで話題を作り、漁夫の利を得ようと思ったのは火を見るより明らかだった。

怒ったのはHBOである。今年初めから徐々に番宣を強力にしてきて、放送直前となった時に横からまったく無関係な奴が出てきて、知らぬ顔して同じ日、同じ時間帯で同題材の番組を放送すると言ったら、そりゃ怒るだろう。そのため、HBOはプレミア放送日を一週間早め、3月9日に放送したのであった。今度は流石にNBCは追随しなかった。そりゃま、今度また「マシュー・シェパード」を「ララミー」に合わせて放送日を早めようなものなら、今度こそ言い逃れは効かないし、いくらなんでも全マスコミから最低と叩かれるに違いない。しかし、これがFOXならきっとやっただろうなあ。

それに、実はHBOだってあまりNBCに強力に文句は言えない立場にあるのだ。「ララミー」の中で、実際のニュース・フッテージとして、NBCのアンカー、トム・ブロコウが登場するシーンが一瞬登場する。たとえ一瞬であり、本筋に関係がなかろうとも、こういう著作権が存在するフッテージの使用は、その所有者から使用許諾を得なければならない。しかし、HBOはそれをやらなかったのだ。というか、お伺いを立てたが断られた。それでも番組を製作したグッド・マシーンは、いわゆる公共財産を個人の裁量で使うことが許される「公正利用 (フェア・ユース)」権を主張して、フッテージの使用に踏み切った。

この公正利用権というのは、いつも何かと問題となる、灰色のエリアの多い権利である。著作権のあるTV番組や映画ヴィデオを一般家庭で録画しても罪に問われないのは、この公正利用権が認められているおかげだが、基本的にこれは個人の私的利用において認められており、今回のように、商業番組において勝手に著作権のある番組からフッテージを利用することは、まず許されない。ただし、本当に危急を要するニュース情報のような番組において、あるチャンネルが他のチャンネルからのフッテージを利用することは、それは公共の福利に貢献することだから、認められている。例えば、貿易センター・ビルに飛行機が突っ込んだ瞬間を撮ったヴィデオが一つしかなかった場合、他のチャンネルがそれをコピーして流しても、その場合は問題にならないのだ。今回の番組プロデューサーの判断は、この例を悪用した例と言える。

しかし、法律にはそれほど詳しくない私の目から見ても、これは勇み足だったという気がする。多分番組プロデューサーは訴えられたら負けるよ。NBCがそこまで大人げないことをするとは思えないが、しかし、HBOも監督不行き届きだった。いずれにしてもこういった話が表面に出てくることは、自分たちは文句つけられたのに、HBOだけ自分勝手することは許されないと憤るNBCの意趣返し的な意味合いが大きいだろう。

ところで今回のこの悶着で笑えたのは、CNN幹部が漏らしたとされるコメントである。CNNとHBOは共にAOLタイム・ワーナー傘下の姉妹チャンネルだ。CNNははっきり言って、ニュース・チャンネルとしての全世界的知名度はNBCより断然上である。それなのに「ララミー」プロデューサーはその姉妹チャンネルの、多分フッテージ使用をお願いしたら喜んで提供してくれるだろうCNNには見向きもせず、何を考えたんだか、よりにもよってライヴァル・チャンネルのフッテージ使用に固執してしまった。「なんであいつらは俺たちには一言もなくNBCなんかのフッテージを使ったんだ」というCNN幹部のコメントには、悪いが大笑いしてしまった。

さて、その、もう一本のシェパードの話であるNBCの「マシュー・シェパード・ストーリー」であるが、こちらは「ララミー」とはまったく異なり、どちらかと言うとごく常識的な、普通のドキュドラマである。物語はまず、マシューがリンチを受けて牧場の柵にくくりつけられるシーンから始まる。その後、そういう顛末になるに至ったそれまでのマシューの生活と、マシュー亡き後の生活を強いられる両親の生活が交互に描かれる。どちらかと言うと話の重点は、息子を失って哀しみにくれ、喪失感に苦しむ両親の方にあると言える。愛する息子を殺された彼らが、どうこの苦悩から立ち直るかに作り手の視線は向かっている。父親を演じるのがサム・ウォーターソン、母親を演じるのがストッカード・チャニングだ。マシューを演じるシェイン・ミアは、どことはなしに本人にも似ている。

しかしこちらの方は、ウォーターソンとチャニングというヴェテラン俳優を起用していながら、どうしても急ぎ足で製作した番組という印象を拭えないものとなってしまった。もうちょっとじっくりと描き込めばそれなりにエモーショナルなものになりそうなものを、ほとんどが中途半端な印象を受ける。ウォーターソンとチャニングは、それぞれ「ロウ&オーダー」と「ウエスト・ウィング」という、NBCの人気ドラマに出演中である。二人共毎回出ているわけではないが、準主役級というどちらも重要な役で、多分そちらのスケジュールとの兼ね合いもあって、時間が限られていたのではないか。二つの、話題となったTV映画であるが、どちらも私はあまり感心しなかった。



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