The Vagina Monologues   ザ・ヴァジャイナ・モノローグス   ★★1/2
放送局: HBO
プレミア放送日: 2/14/02 (Thu) 21:30-23:00
製作: HBO
製作総指揮: ポーラ・マズア、フランク・ドールガー、ウィラ・シャリット、デイヴィッド・ストーン
舞台監督: ジョー・マンテロ
撮影: ダニエル・ストロフ
編集: ポーラ・ヘレディア
音楽: リック・ベイツ
出演: イヴ・エンスラー

内容: イヴ・エンスラーの話題となったオフ・ブロードウェイの一人芝居を収録。

Vagina Monologues タイトルの「ヴァジャイナ」とは、ヴァギナ、あるいはワギナで、要するに女性器、おまんこのことである。日本では医学用語だとドイツ語読みが定着しているのでヴァギナになるが、英語読みだとヴァジャイナになる。そのヴァジャイナの一人芝居という意味のけったいなタイトルを持つ「ヴァジャイナ・モノローグス」は、1996年、オフ・ブロードウェイのウエストサイド・シアターで幕を開けた。以来、全米のみならず国外でも公演され、オビー賞を得るなど広く人気を博している。

「ヴァジャイナ・モノローグス」を書き、演じるのはイヴ・エンスラー。最初、エンスラーは女性が自分の性器のことをどう考えているかを知りたくて、知人にインタヴュウを試みた。その結果に痛く感銘を受けたエンスラーは、さらにその枠を拡大、下は10代から上は70歳以上の女性200人以上にインタヴュウを施し、それを元に書き上げたのが、「ヴァジャイナ・モノローグス」である。既に同名タイトルの本 (邦題「ヴァギナ・モノローグ」) も出版されている。

舞台は女性器にまつわる様々な話をエンスラーが語るという構成をとる。笑える話もあれば哀しい話もあり、ただ色んな女性器の呼び方を連呼するというセグメントもある。これらの様々なエピソードを通して、現在の女性が置かれている立場や境遇を浮かび上がらせるという趣向で、舞台が進むに連れ、フェミニズムの視点に立つ舞台の本質が鮮明になってくる。セグメントとセグメントの間には、エンスラーがまた新しく様々な女性に女性器についてのインタヴュウを行っているシーン等が挿入される。

実際の舞台は最初タイトルを聞いて想像するようなどぎついものではなく、一番しっくりする形容詞は「ペーソス」だろうか。笑える話も腹の立つ話も哀しい話もおかしな話も、聞いた後で相手の肩を叩いて同意を示したり、あるいは慰めてやりたくなるような、そのような話が多い。私が最も面白いと思ったのは、彼の車に乗ってデートに出かけた女性の話で、彼女と彼は車の中でキスをし、あまりにも興奮した彼女は下半身が濡れ濡れになってしまい、彼が大事にしている車のシートを汚してしまう。怒った彼を前にパニクった彼女は恥ずかしいやらなんやらでどうしてよいかわからず、目一杯おめかしをしてきた大事なドレスで汚れを拭き取って家に帰るが、それ以来彼女の (下の) ドアは開くことはなかった、というもので、この話は胸キュンとなりました。一番好きじゃなかったのは、ただ色々な節をつけて「カント」と叫びまくるやつで、あれははっきり言ってうるさいだけだった。

番組の中では様々な女性に自分の女性器についてインタヴュウする別撮りのセグメントが挿入されるのだが、ふうんと思ったのが、大きくなるまで自分の性器を見たことがなかったと答えた者が多かったこと。女性器の場合、男性のおちんちんのように突出しているわけではないので、それを目にするためには、見ようという自発的な意思を必要とする。思い切り前かがみになったり、鏡の上にまたがったり鏡を前にして自分の指で広げてみたりなんて真似をしなくてはならず、そこまでして自分の性器を見ようという気にはならない者の方が多いみたいだった。自分の性器を初めてちゃんと見たのは、生理が始まって、タンポンを使う必要上、どうしてもそうせざるを得なかったからというのが一般的のようである。

男性の場合、チンポコはおしっこをするたびに必ず目にすることになるので、寝たきりの病人でもない限り、どんな人でも一日最低3、4回は自分のおちんちんを目にし、触れているだろう。物心ついた時からずっと一緒にいるので、おちんちんがそこにあることに対する違和感も何もない。ところが女性の場合、大きくなってから初めて自分の性器を見る機会を得て、グロテスクだとかショックを受ける者が結構いるらしい。いつも一緒にいる自分の身体の中に自分の知らない何ものかがあることを発見するわけで、ショックを受けた者には悪いが、この話は私には面白かった。男性と女性って、やはり違うんだなあ。

一つ一つのエピソード自体は興味を惹く話が多いのだが、そういう内容とは別に私が最も気になったのは、滅茶苦茶瞬きの回数が多いエンスラーのアップである。舞台から観客席まで距離がある劇場では、あまり気にならないか、ほとんど見えないものに違いない。しかし顔がTVの画面いっぱいになったクロース・アップで1秒間に30回は繰り返すような超高速瞬きを連続してやられると、これは見ている方まで、なんか、瞼が痙攣してきそうになる。かといって、一人舞台で他に映すところなんてないし、どうしようもないんだろう。また、わりと声を張り上げる機会が多いことも気になった。結構うるさく感じてしまうのである。これも演じる本人から距離のある舞台だと、わりと効果的な演出になっているのかも知れない。舞台とTVは別物なんだなと思ってしまった。

あと、もう一つ気になったのが、女性器の独り言ということで、エンスラーは「私のおまんこが (My vagina...)」という言い回しを何度もするのだが、結局、それが「私のおまんこ」である必要性が私にはあまり感じられなかったこと。「私」ではなく、「おまんこ」が一つの人格を持っているような話し方をするのだが、でも、だったら、それがなぜ「私」ではだめなんだ。必ずしも「私のおまんこ」でなければならない理由があるのか。試しに舞台上でエンスラーが発する「私のおまんこ」を単に「私」に置き換えても、半数は問題なくその場所に収まると思う。「おまんこ」に固執しすぎというのが、嘘偽りない私の感想である。多分、この舞台は女性による女性のための舞台なんだろう。「私のおまんこが」と口にすることによって、初めて解放される何ものかが女性にはあるのかも知れない。これまで隠されていたものを明るみに出すことによる抑圧からの解放こそが、この舞台の本質なのではないか。それはきっと男性には到底推し量れないものなんだろう。

今回HBOが収録した「ヴァジャイナ・モノローグス」は最初から最後までエンスラーが自演しているわけだが、人気の舞台ということもあり、他にも色々な人がこの作品を演じている。ニューヨーク以外にもシカゴ、LAでも公演されているだけでなく、全米を巡業中のツアー・ヴァージョンもあり、人気があるところを裏付けている。だいたい3人ほどで演じられるのが普通で、これまでにこの作品の舞台に立った役者としては、グレン・クロース、ケイト・ブランシェット、ウィノナ・ライダー、スーザン・サランドン、カリスタ・フロックハート、アラニス・モリセットと、ざっと見渡しただけでもたじたじとなるようなメンツが揃っている。いや、このような人たちが「私のおまんこが‥‥」と話している舞台を想像すると、やっぱり興味は惹かれるなあ。最近有名デパートのサックスでの万引き事件が露呈してスキャンダルとなったライダーなんて、「私のおまんこが万引きを‥‥」なんて、また面白いエピソードを一つ付け加えることができそうな気がする。



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