伊藤キム+輝く未来ロゴ

●キムは今・・・

[2000年1月〜3月]

3月23日

 今日は日本へ帰る日。正味たった2日間、なんと慌ただしいことか。ゆうべ「出演ダンサーが決まった」という連絡を受ける夢を見た。ずいぶん早いなあと思いつつ名前を聞いたら希望の人ではなかった。ま、いいか、と思ったところで目覚める。ダメだ、あきらめが早すぎる! 正夢にならなきゃいいけど。8時半にホテルを出て、10:10の便でシカゴ経由で成田へ。

3月22日

 昼間、昨日のスタジオを再び訪れたり、ハーバーフロントセンターで今後のスケジュールなどのミーティングをした後、夜はもう一度マリー・シュナールの公演へ。僕が作るのは多分ソロになると思うが、何人かダンサーの候補をあげ、後はこちらの制作に任せて出演交渉してもらい、日本で結果を待つことにした。
 この日、公演後のトークがあった。マリーは子供が病気でモントリオールに帰ってしまい不在。9人のダンサーが舞台前方にぺタンと座り込んでインフォーマルな雰囲気。観客の質問を受けると、誰とはなく自主的に喋りはじめる。物おじせず、遠慮もほどほどに、キチンと自分の意見をいう。このへんは日本と違う。

3月21日

 10時からダンスメーカーというコンテンポラリーのカンパニーのクラスを見学。この日はオープンクラスで、メンバー以外のダンサーも含め30人ほど。他人の指導するクラスを見てダンサーを選ぶのは難しい。僕のやり方は他と全く違うからだ。
 夜、モントリオールから来ている「カンパニー・マリー・シュナール」の公演。今回の目的のメインはこれ。ビデオを見て、ここのダンサーなら、と当たりをつけておいたのだ。でも公演中にアクシデント発生。幕が開いて5分ぐらいたったところで、振付家のマリー自身が客席から「申し訳ありませんがテクニカル上の問題が生じたので、ここで一旦とめて、5分以内にもう一度始めます」と、場内に響き渡る声でアナウンス。驚く観客。僕は最初「これも演出の一部だ」と思っていたが、もう一度最初から始まると本当にアクシデントだったのがわかった。来るべき所に照明が来なかったのだ。始まってからそれほど時間がたっていなかったからかもしれないが、途中で舞台をストップさせるには大変な勇気がいるだろう。でも彼女の判断は正しかったと思う。作家は、思い描く通りのものを舞台に現出させる責任を負っているからだ。
 さて肝心の内容だが、正直にいうと、ここ数年観たダンスの公演でベストだった。96年、バニョレで観たジョン・ジャスパース以来だろうか。メンバーは9人で、バレエ、モダンが基本だが、かなり崩して使っており、ほとんどテクニックが匂わない。演出もすばらしい。そして特筆すべきは照明。こういう照明の使い方なら、途中で止めるのも納得できる。

3月20日

 成田を午後1時発の便、シカゴ経由でトロントへ。ところで、ここへ何しに来たかを説明しなくちゃいけない。今年の秋から来年にかけて、カナダと日本の共同プロジェクトがある。双方から振付家とダンサーを何人か選び、お互いに振付け、カナダと日本で公演するという内容。その日本側の振付家のひとりに選ばれ、今回はそのためのダンサー探しの旅だ。
 トロントの空港で、このプロジェクトをまとめているハーバーフロントセンターのドナという女性の出迎え。ハーバーフロント、つまりトロントはオンタリオ湖に面しており、3時にホテルにチェックインしてから近くの船着き場ヘ。そこからフェリーで10分ほどの島へ行ってみた。曇っていたせいもあるが、とにかく寒い。1時間ほど歩き回る。日本でいうと軽井沢辺りの別荘地のよう。水と緑に囲まれた家々がぽつんぽつん。湖に浮かぶ島といっても立派に人が住めるくらいの大きさだ。それほど大きな湖。なにしろ対岸のアメリカが見えないんだから。
 街に出て夕食。ドナとその友人4〜5人。「オンタリオ湖の魚料理が食べたい」と言ったら「だめだめ。あそこは公害で汚染されてるから食べられる魚なんかいない」と言うので、とにかく何でもいいから魚!と頼んで連れてきてもらった。でも、じゃがいものスープ、サラダ、クスクスに焼いたサーモンが乗っかってるメイン料理、どれも?という味。トロントはカナダ内でもフランス語じゃなく英語圏なので出てくる料理もそれに見合っているということか。前回のモントリオール(フランス語圏)がうらめしい。

3月17日

 秋吉台のレポートがやっとできた。毎晩、朝までキーボードに向かっていたので、夜型を通り越して夜中型になってしまった。どうしても昼間に寝ることになり、夕方目覚めることも。天気が良かったりすると、一日損した気分。留守電やFAXのメッセージがいっぱい入っていて、ちょっと申し訳ない気分。返事に忙殺され、連日の打ち合わせや稽古などで休む暇もない。同じ忙しさでも秋吉台のようにツアーだと、東京での日常を離れられるから気分は楽だ。来週は打ち合わせでカナダへ5日間。またまた寒い所へ逆戻りだけどいい気分転換になるだろう。

3月13日

 最近、夕方の6時7時に帰宅することが多い。普段は稽古や舞台などでたいてい11時 頃になるから7時なんて僕にとっては立派な夕方。こまごまとした雑用を終え、何もする ことがなくなってもまだ8時(本当はいっぱいあるんだけど、面倒だから先送り)。もう 風呂に入るくらいしか道は残されてないのだが、習性上、夜8時はまだ風呂に入っては いけないなどと思ってしまう。「あなた、お風呂になさいます?それともお食事?」など というホームドラマの決まり文句を思い出してしまった。仮にこれが7時だとして、聞か れた当人が「お風呂」を選んだとすると、沸かす時間も計算に入れ、なんと7時半には湯舟につかることになる。すごい!えらい!これが日常ってやつなのか!?

3月11日

 久しぶりの日記。2/23から3/5まで秋吉台へ。その間は忙しくてとても日記どこ ろじゃなかった。レジデンスワークショップのレポートを近々にまとめるのでおたのしみ に。
 午後、DOZENという音楽のグループの稽古に立ち会う。去年の3月まで、神奈川芸術文 化財団主催のASK音楽部門にいた人たちが、名前を変えて引き続き活動している。ASKの 時、講師のひとりとして関わったのが縁で今も付き合いがある。こむつかしくない方法で 音楽を捉えようとする姿勢に可能性を感じるからだ。ものすごく簡単に説明すると、若い 女性の視点で日常的な音やしぐさを音楽作品として作り上げるグループ。去年8月にはセ ッションハウスでも20分程度の作品を上演した。機会があればぜひ見て聞いてほしい。 現代音楽は難しいという常識を裏切られるはず。DOZENです。

2月21日

 「関東大雪」はずれ苦情殺到、気象庁「申し訳ない」
 今日付けの読売新聞の記事だ。「20日の朝は大雪になる」と注意報が出されたのに実際はほとんど降らなかった。そりゃ入試日が重なった受験生や、交通関係の仕事につく人にはお騒がせ情報だったかもしれないが、降らないといってたのに降った、よりはいいではないか。迫りつつある危険に用心するに越したことはない。この記事を見て似たようなことを思い出した。Y2K問題だ。莫大なお金や労力を費やしたが、何も起こらなかった、というけど、ちゃんと用心したから何事もなかったとも言える。情報やサービスを受ける側は、受け続けるとそれに慣れ切って送り手に頼ってしまう。当然、何か起こると送り手の不手際にしてしまいがちだが、それは表面的な見方だ。情報やサービスは、利用するものであって、頼るものではない。苦情を言うのは自由だが、気象庁は謝る必要なんかないと思う。まあ、その日の朝、僕は昼まで寝ていたのであまり切実じゃないんだけど。

2月18日

 3週連続のミューズカンパニーのWSが終了。ここ数年、WSの数が増えてきた。特に去年は国内ツアーもあったりして、10ケ所くらいでやってるはず。同時期に2ケ所で、という時もあって、頭が混乱してくる。でもなんとかなってる。と思う。来週は秋吉台でレジデンスWS。山の中だからかなり寒そう。

【お答えします】
 この欄は、掲示板に寄せられた質問にお答えするところ。どんな質問にでも、というわけにはいかないけど、できる限り回答します。

 1/26、さくらさんの「なぜダンスじゃなくて舞踏から始めたのですか?」
 理由は、たまたまです。87年頃、今ほど日本のダンスシーンは盛り上がっておらず、大学生だった僕も踊りの公演などほとんど見たこともなく、知識もありませんでした。でも中学時代に器械体操を少しだけやっていたせいか、身体を使った表現には興味があって、都内のジャズダンススタジオをいくつか覗いたりしている時、たまたま知った古川あんずという舞踏家のWSに通いはじめたのですが、これがむちゃくちゃ面白かった。「静脈を引っ張る」とか、両足を前後に開いて「その間にできた亀裂が地球を一周してパカッと音が聞こえたら後ろ足を前に出す」とか、聞いたこともないようなイメージに溢れていました。踊りを習うというより「イメージの海で泳ぐ」という感じで、ジャズダンスなんて選ばなくて良かった、と思いました。「自分の感性を使って、自分なりの踊りができる」と感じたからです。他の舞踏はどうなのか知らないけど、古川あんずはそうでした。

2月16日

 5月19日にアサヒビールの企画で対談することになっている布施英利氏の『死体を探せ!』を読む。脳死、解剖、死体とアート、バーチャルリアリティ。読んでいてわくわくする。そういえば一ヶ月くらい前の新聞に「骨銀行」の記事が出ていた。亡くなった人の骨をストックしておいて、事故や病気で骨が欠けたりなくした人に移植する、という内容だったと思う。アメリカでは立派なビジネスになっているらしい。いずれは、自分の骨の細胞を採取して銀行に預け、培養しておいて、何かあった時にカードで口座からおろして身体にはめたり、利子をつけて人に貸したりできるかも。それを返してもらっても困るけど。

2月12日

 今日は神奈川県民ホールでDance Today 3。ヒマなのかなんなのか、最近劇場に足を運ぶことが多い。「他人の舞台は影響されるから見ない、という振付家が多いけど、キムさんは違うんですね」とよくいわれる。はいそうです。だって人が何をやっているか気になるから。僕が劇場に行くのは、世間の人たちは何を考えているんだろうというごく自然な興味の延長でしかない。そもそも何の影響も受けずに生きることじたい不自然でしょ。ならばどんどんさらしてみようと思う。それでも影響を受けたくなければ、自分が強くなればいい。

2月10日

 映画はほとんど見ない。年に数本。そのうちの一本、「ジャンヌダルク」を見た。自分がすがれるもの、大切に守るものがあると、その人を強くするが、ひとたびその関係が崩れると、自信のない、混乱した自分だけが残される。結果、他人の非難を浴びたり、場合によっては火あぶりにされることも。2時間半で2回は泣いたと思う。けっこう涙腺は弱いほう。

2月6日

 横浜ランドマークホール。バニョレのプラットフォーム。初日を見ていないので正確なことは言えないが、以前にくらべると「非主流・異端」が増えてきたような気がする。彼らには自分なりの持ち味があるから、結局海外で注目を浴びて評価されるのはこういう人たち。いいことだ。だから、大橋可也氏の作品が「全裸」が理由で非公開の審査になったのは残念。またか、という感じ。98年、ジョン・ジャスパースの上演作品が変更された時と同じ。いろんな意味で限界があるのは理解できるが、「日本のコンテンポラリーダンスを盛り上げて育て、もっと身近なものにする」には、勇気をもって闘って、アーティストを支えなくちゃいけないときもあるはず。「そんなことは百も承知だ!」という声が聞こえてきそうだけど。
 それはともかく、輝く未来のメンバーでもある白井剛がナショナル協議員賞を受賞。おめでとう。さて彼等はバニョレに行けるのでしょうか?3月末にはわかる。

2月3日

1日と2日、「ダンスが見たい!」(神楽坂DIE PRATZE)に参加。20分と短かったが、東京では96年6月「ナルシスの変貌」(シアターX)以来のソロ。「とにかく気軽にやってくれればいい」という今回のプロデューサーで旧友でもある鶴山欣也氏の意向もあって、ラジオの生放送をバックに全編インプロで通す。4組のラストだったのでやりたい放題遊ばせてもらった。客に絡んだり、1日2回だったので2回目は客席の配置を変えたりなど。また初日は稽古着だったが、2日目は近くの雑賀(さいが)バレエスタジオから貴族の衣装(バレエ用でド派手なブルー)を急遽お借りした。こんな衣装めったに着られないからぜひ写真をと思って、コンビニでインスタントカメラを買って本番中お客さんに撮ってもらう(写真参照)。輝く未来を結成する前の「むちゃくちゃな伊藤キム」に徹する。2日目終了後、鶴山氏、丹野賢一氏ら数人で神楽坂の居酒屋で朝まで。始発の電車で頭痛。
 DIE PRATZEの真壁さん、スタッフのみなさん、鶴山さん、そして雑賀バレエのみなさん、どうもありがとうございました。ああ楽しかった。


 ※写真をクリックするとひとまわり大きな画像がご覧になれます。

1月29日

 愛知県芸術劇場小ホールで「生きたまま死んでいるヒトは...」の2日目。ソロの最中、指から血が出ているのに気付く。真っ白な衣装にも血の跡。客席からはあまり分からなかったみたいだけど、当人は本番中で高揚した気分が、血を見てさらにハイに。なんとも言えない感覚。こういうアクシデントもたまにはいい。でも昨日は最初の暗転板付きで失敗し、明りに入れなかった。これはプロとして一番みっともないアクシデント。何度もやっているといろんなことが起こる。この作品、何回やったんだろう?こんど数えてみようかな。
 ところでこの公演、他に大島早紀子、山崎広太、笠井叡の作品も上演された。この4人がそろう舞台なんてめったにないだろう。2日目の今日は、4人を含めほぼ全員のダンサーが最後に舞台で踊りまくるカーテンコール。たった45秒間。プロレスのバトルロイヤルみたいだった。

1月23日

 先日、グローブ座に行った。笠井叡、木佐貫邦子、その他3名(ごめんなさい。全部挙げるのが面倒なので)のダンス。とても良かった。スピード感があって、自由で、見てると楽しそう。でも終演後、近藤良平に聞いたら「キツかった」と。かなりの運動量。お疲れさまでした。
 で、次の日はアートスフィア。ジンジャントロプスボイセイ。一度見たいと思っていて期待したのだが、つまらなかった。何をどうしたいのか解らない。気をつけなきゃ。

1月22日

 “インドの山奥でぇ〜、しゅうぎょおおしぃてぇ〜”
いきなりレインボーマンのテーマで始まったが、世代的に理解できないかた、すみません。
実は8日から19日までインドに行ってきた。別に山籠りに行ったわけではない。日印の舞台芸術関係者の交流プログラムで、日本からは佐藤信さん、竹屋啓子さん、能の役者、評論家、研究者など8名が参加。デモンストレーションやレクチャー、シンポジウム、ws、竹屋さんと現地の振付家と3人で共同で、wsに参加したダンサーに振付けたりと、これでもかこれでもかの盛りだくさん内容。
 インド人の印象、うるさい。議論好き。もちろん人によるが、思ったことをズバズバぶつけてくる人が割と多い。インドの街の印象、やっぱりうるさい。行ったのは首都ニューデリーと南部のバンガロールだったが、どちらも喧騒に満ちていた。クラクションをブーブー鳴らしながらゴタゴタ走るボロボロの車、客引きに忙しいタクシーの運ちゃん、「ハローマダム、ワンルピーマダム」と呪文のように唱えながら近付いてくるしつこい物売りの子供、道ばたで堂々と眠りこける犬、たまに見かけるウシ、そしてごくたまにゾウ! アスファルトの上を歩くゾウを初めてみた。関係ないけど、「印象」という字は、インドのゾウと書くんですね。おまけにひっくりかえすと「ぞうじるし」にも!
 冗談はともかく、インドのコンテンポラリーダンサーやシンポジウム参加者の話を聞いて思ったのは、日本人と境遇が似ていること。自分達本来の文化と、西洋のそれとの間でもがく。同じアジア人だと分かった。

1月21日

できましたねえ、掲示板。ついでに僕専用のスペースもつくってみました。
舞台・ツアーの感想や近況など、あれこれ言葉の並んだ日記のようなもの。伊藤キムの「今」を報告していきます。掲示板も常にチェックしていますので、どんどんメールを寄せて下さい。待ってます。

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※このページは「キムは今・・・」と題して伊藤キムみずからがコラムを担当します。
いただいたメールや掲示板への書き込みにもこのページで答えていく予定です。


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