伊藤キム+輝く未来ロゴ

●キムは今・・・

[2001年7月〜2003年3月]


4月6日

 ホテルをチェックアウト後、14:55ミネアポリス発に押し込まれる。これが最後のフライト。そして翌7日夕方、成田で解放。長いような、短いような、どちらでもないような一ヶ月であった。
 ところでこのツアー中、ずっと続けていることがあった。3月5日に自宅を出た瞬間に始まり、いまこれを書いている4月8日午前1時までずっと続いている。禁煙だ。もともとそれほどのヘビースモーカーではなかったが(1日7〜8本)、いつも使わせてもらっている稽古場の喫煙スペースが最近なくなって、また喫煙には厳しい北米に一ヶ月行くわけだから「ちょっとやめてみようかな」という軽い気持ちだった。つまりホンの出来心だったのだ。悪気はなかった。ああ、どうしよう! Oh my Buddha!
 もうこれで、15年間一緒だったタバコさんを口に含むことが二度となくなるのかと思うと、寂しくてたまらないのだ。つらいのだ。長年連れ添った人を出来心で簡単に捨ててしまうような人で無しなのかお前は! という引き裂かれるような思いを振り切って、自宅にまだ残っていた三箱を、府中市の緑色の燃えるゴミボックスにポイした僕は、そうとう悪い、いや、いい奴だ。


4月5日

 午後、劇場の舞台でワークショップ。20人ほど。今回ほどワークショップの多いツアーも初めてだ。全六ケ所のうち、オタワとモントリオールを除いた四ケ所でやったことになる。
 そしてこのツアー最後の舞台が終了。ただ、ひとつだけ残念なことがあった。最後のカーテンコールで、カメラを構えた観客を発見してしまった。笑顔でおじぎしているのを堂々と撮っているではないか。後でスタッフに聞いたら本番中にもシャッター音が聞こえたという。日本では最近、カメラ付きの携帯で本番の舞台を撮影する不届き者がいるらしい。
 ミネアポリスの最終回で写真を撮っていたあなたに告ぐ。あなたの行為は、言語道断、非常識もはなはだしい。あなたのせいで記念すべき最終回が後味の悪いものになってしまった。今度同じようなことがあったら、僕は即座に舞台を駆け降りてカメラを取り上げに行くことにする。これは脅しではない。覚悟しておいてもらいたい。


4月4日

 本番二日目終了。ちょっと遠くの日本料理へ。ここもなかなかだった。なんか毎晩毎晩日替わりでいろいろ食べに出かけて、いい思いをしているように見えるが、そうなのだ。ただ今晩は特別で、このツアーの打ち上げを兼ねた食事会をダンサー・スタッフ全員で。最後の舞台は明日だが、最終日だと終了後にばたばたしているので、今日になった。久し振りのなかなかな和食でした。


4月3日

 本番初日終了。近くのエチオピア料理へ。


4月2日

 ホテルのプールで泳ぐ。というより、水遊びをした、という程度。水泳は苦手である。全然泳げないのである。ということで夜は日本料理へ。なかなか美味しかった。でもグラス一杯の真澄が9ドル!


4月1日

 午後、今回のミネアポリスでの受入先であるWalker Art Centerへ。現代美術を中心に、ダンスや映画などのプログラムもある、大規模なアートセンターだ。常設・企画展を2時間かけて見て回る。世界中の若手現代美術、なかなか面白い。夜、近くのインド料理へ。

3月31日   「すうどん」から「フルコース」へ
 95年初演「生きたまま、、、」がすうどん(関東ではかけうどん)、00年の「抱きしめたい」がスパゲティナポリタン、01年の「激しい庭」が手の込んだフレンチのフルコース。「on the map」はバイキング形式でより取りみどり。全部見た人はこの意味がわかると思う。
 今回のツアーで、カナダでは「生きたまま、、、」「抱きしめたい」の二本立てだったが、そこで改めて思ったのは、「生きたまま、、、」という作品は、シンプルで、明確で、実によくできた作品なんだ、ということ。すうどんのように余分なものが一切なく、愚直な味だ。それだけに奥が深い。それに対して「抱きしめたい」は、カラフルで、手が加えられていて、「生きたまま、、、」にはない親しみやすさがある。同様に他の作品も徐々に手が込んできて、多様な味が施されるようになった。また味だけでなく食材の色合いや盛付け方など、見た目にもあれこれ工夫がなされるようになった。つまり振付家・演出家として成長したわけだ。しかし、である。すうどんのような素朴な味は作れなくなった。「どうも最近のはキチンとしすぎてつまらない。初期の頃のほうが荒削りだけど面白味があった」。多くの芸術家にぶつけられる言葉である。当然、僕にも。そして必ず引き合いに出されるのが「生きたまま、、、」だ。
 カンパニー結成以来、常に上を目指して成長しよう、質の高いものを作ろうとしてきた。実績を作り評価を得てきた。そして作家として「賢く」なった。しかし、である。  失うものがある。今後、どんなにがんばってもああいう作品は作れないだろうし、作りたいとも思わない。あの時だからできた、出来るべくして出来た作品だ。「やってみよう」と思って作ったとしても、それは過去の複製でしかないだろう。一旦生きてしまったら、二度と同じようには生きれないのだ。
 自分の心の叫びを聞くことほど、難しいものはない。
 年度終わりの思いを綴る。

3月30日
 ボストンからミネアポリスは飛行機の旅。ここは98年のツアーで来た街だ。ホテルも同じだった。

3月29日
 二日目終了。「抱きしめたい」だけなのでとても楽だが、ちょっと物足りない気も。劇場入りする前、ちょっと近所を散歩。緑豊かな大学の街を、学生達がたくさん行き交っている。3年前のベイツを思い出した。

3月27日
 ここでちょっとお知らせ。今日27日、扶桑社から「en-taxi」(エンタクシー)という季刊の文芸誌が創刊されるが、ちょっと僕が文章を書いているので、よかったらぜひ書店で手に取ってみて下さい。

3月26日
 夕方、大学内のスタジオでワークショップ。ダンス科の学生や、地域でダンスをやっている人、教えている人、さまざまな25人。年令もさまざまで、11歳と13歳の女の子がいた。ふたりともダンスをやっているらしい。人と絡む動きなんか、キャーキャー喜びながらやっていた。今回はこれまでと違う3時間なので、じっくりやれた。

3月25日
 トロント〜デトロイト〜ボストンと飛行機を乗り継ぎ、ボストンから車で3時間ほどかけて辿り着いたのは、ニューハンプシャー州のハノーバー(Hanover)という田舎町。小さな地図には絶対に載っていない。ちなみに「n」をもうひとつ加えるとドイツのハノーバー。大きな地図で、近くにレバノンやマンチェスター、ベルリンも発見。隣のバーモント州にはモンペリエという街もあった。地元出身のスタッフに聞いてみたら、やはり建国前夜ヨーロッパからの入植の歴史と関係があるらしい。この街のダートマス大学内にある劇場で、「抱きしめたい」のみ2回公演。

3月24日
 夕方2時間、ホテルから車で1時間ほど、ヨーク大学内でワークショップ。参加者は10人くらい、全てここのダンス科の学生。今日はこれだけ。

3月23日
 今日は一日中オフ。バスでナイアガラの滝ツアーへ。冬のナイアガラは雪ばかりで、いまいち。でも、別料金でヘリコプターに乗り、上空からの景色を楽しむ。ほんの10分程度だったが、いい眺めだった。去年はアムステルダムでバンジージャンプ。高い所が好きらしい。

3月22日
 今日はダンサーのひとり長井江里奈の誕生日。僕の時と同様開演前にステージ上でお祝い。トロント最終回も無事終了し、みんなでメキシコ料理へ。

3月19日
 2日目本番中、ブッシュの「48時間」の期限が切れて、イラク攻撃始まる。そのせいか客席は半分程度の入り。みんな家でTVの前か。
 そういえば、最近「抱きしめたい」に関して興味深い反応をよく耳にする。作品中、女性ダンサーが男性ダンサーに投げ飛ばされ、男性たちがガンを飛ばしあうシーンがある。「時節柄、あのシーンを戦争に結び付けて考えてしまう」という意見が少なくない。昨日も今日もそう言う人がいたし、仙台でもだ。いままでは全くなかった意見だった。「なるほどねえ、面白い巡り合わせだ」と感じ入る。もちろん「戦争」という意図を込めて作ったわけではないが、こういう時には社会との結びつきを強く感じる。人間の想像力は実に豊富で、時に不思議で、まさしく人間の想像力の及ばないところにある。

3月18日
 今日がトロント初日。上演中に大きな笑い声が起こるほどウケのいい観客。終了後のレセプションで、やはり北米ツアー中の「鼓童」の人たちを紹介される。2ヶ月間、30ケ所、しかも劇場キャパは2000〜4000人だって。文字通りケタが違う。僕らはトロントで5日間の5回公演だが、キャパは300〜400くらい。全部で2000人も来るんだろうか?

3月16日
 昨日、モントリオールでの3日目を無事終了し、今日は再びバスで約5時間かけてトロントへ。雪まみれの代り映えしない車窓の風景。ハイウェイの途中で立ち寄ったドライブインには、巨大なマクドナルドが一件あるだけだった。

3月14日
 円周率な誕生日。本番前の舞台で、ダンサー、スタッフ、現地スタッフまでが音楽・照明付きのお祝いをしてくれた。こんなに派手なのは初めて。ありがとうございます。本番二日目終了。

3月13日
 ホテル朝食のレストランで見た印象的な光景。隣に家族連れが座っている。椅子に座ったままゲームに熱中する息子二人のパンケーキを、フォークとナイフで細かく切り分ける母親。カナディアン過保護。本番初日終了。

3月12日
 ここもやはりCJ8で来た場所。その時に一緒だったテッド・ロビンソンという振付家が、やはり一緒だった川野真子さんと作品を創っている。リハーサルを覗かせてもらう。彼女ほど「舞姫」という言葉が似合うダンサーはいない。

3月11日
寒い! あのね、ホントに寒いんですよ。最低気温がマイナス20℃、最高でもマイナス5℃前後。外を歩いていると、昼間でもほっぺたが凍りそう。こんな場所は生まれて初めてだ。単純に比較はできないが、緯度でいうと稚内くらい。寒いはずだ。
 てなこと言ってるうちに、本番終了。「生きたまま、、、」と「抱きしめたい」。
 同時上演だと、二本目の「抱きしめたい」のソロがサラッとしたものになる。いつもはこれ一本なのでもっと力が入っていた。でもそれくらいがちょうどいいかも。やるほうは疲れるが。
 終演後、すぐに荷物をまとめてバスに乗り込み、次のモントリオールへ。なんかバンドのツアーみたい。1時間半後、モントリオールのホテル着。チェックインしたのは2:00だった。

3月10日
 オタワ。後発の「抱きしめたい」「生きたまま、、、」のダンサー達とホテルで合流。ここは2000年の「CJ8」で来た。ニューヨークではほとんどなかった雪にまみれた街。世の中は白かった、とあきらめざるを得なくなる街。寒い。

3月9日
 今日はJapan Societyで2時間のワークショップ。参加者は12人くらいで、老若男女取り混ぜた、いろんな人たち。本格的なダンス経験者は半分もおらず、あとは変なおじさんおばさんばかり。演劇経験者が多かった。こうしてみると、やはり踊りをやっている人よりも、変なおじさんおばさんのほうがやっぱり変で面白い。
 終了後、飛行機で次の場所オタワへ。さよならニューヨーク。

3月8日
 Japan Societyでの二日目終了。「F.T.」は「Fairy Tale」の略。つまりおとぎ話。「風呂場でタンゴ」とかでは全然ない。これまでの伊藤キム+輝く未来とは少し傾向の違う、女の子っぽい、可愛い作品。もちろんいつもの濃くてグロい趣向もある。なかなか面白い作品になった。観客の反応も良かったので、今後が楽しみな作品。いつか日本で再演ができればと思う。どこか買ってくれるところがあればの話だが。
 僕のソロ「radio to dance」も、割と受けていた。一人で淡々と喋っている「クリスチャン放送」というのがあり、主にこれを使う。途中で他の局に移ったらたまたま音楽番組で、DJがマイケルジャクソンの話題を始めたので、下手なムーンウォークを披露したら大受けだった。リハの時には、これもたまたまブッシュ大統領のイラク攻撃に関する演説が入った。面白かった。でも本番の日にはやってなかった。残念。

3月5日
 成田出発。デトロイトでトランジット後、NYへ。ここへ来るのは3回目。中華屋で少し腹ごしらえしてから、寝る。

2月27日
 本番終了。作品の出来、お客さんの反応、どちらもかなりいい感じ。これまでにやった中でも、上位10%に食い込むと思うような舞台だった。打ち上げは「あべひげ」。先日ほどではないが、やはり4:00まで。まあしかし毎日毎日よく飲むもんだ。

2月26日
 ひどい二日酔い。昼頃までホテルの部屋でグッタリ。美味しい日本酒、飲み過ぎた。夕方劇場へ。少しリハ。夜はまたまた飲み会。といっても今日はちょっと特別で、大前さんの家にお邪魔して久し振りの再会。彼は僕が踊り始めたころ知り合ったダンサー・振付家で、一度作品で使ってもらったことがある。彼はその後東京から仙台に移り住み、自分のスタジオを持って活動している。ダンサーである奥さんと、小学生の息子二人。とにかくエネルギッシュな人で、これがまたよく喋る。やめられない止まらないのかっぱえびせん状態。結局1:00まで。

2月25日
 仙台へ出発。午後、劇場の舞台でリハ後、夜はワークショップ。かなり盛り上がる。その後、仙台の舞台関係者の溜り場「あべひげ」で再び盛り上がる。2:00まで飲む。

2月17日
 その後カナダを3ケ所、アメリカ2ケ所を回る。演目はすべて「抱きしめたい」だが、カナダでは「生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きているのか?」も合わせて上演。この作品、2000年にセタパブでやって以来だ。思い出さなきゃ。でもそろそろ第二弾を作ろうか。タイトルは決まっている。「生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きていたのだ! やっぱり!」

2月16日
 北米ツアーは、3月5日に出発して、4月7日帰国。最初のニューヨークでは「F.T.」と僕のソロ「radio to dance」。これは以前ディープラッツや札幌でもやった「ラジオでダンス」のNY編。もちろん現地のラジオを受信して。海外ではインドでやったことがあって、もちろんラジオが何を喋っているのかさっぱり分からなかったが、観客には受けていた。でもNYの観客の目は厳しいので、たぶん彼らは訳が分からないだろう。僕と同様に。

2月15日
 最近の主な仕事は、3月のニューヨークでの新作「F.T.」のリハ。4人の女性ダンサーの出演で、30分程度。最近では珍しく、最初に使用曲がすべて決まった。これまでのカンパニーメンバー以外の人たちも出演していて、僕にとっては新たな試みでもある。あれこれ試行錯誤しながら、少しずつ形になってきている。ねじくれた可愛さと、不気味で楽しい感じ。

2月12日
 日比谷公会堂で鳥肌実。これで3回目。もう立派なファンだ。おととしは後楽園ゆうえんちの年末カウントダウンイベントにも行ったし。今回は時節柄、北朝鮮の話題で始まった。あれだけやばいことを喋ると、いくら冗談とはいえ私生活は何かと大変だろうな〜、などと思う。相変わらずの下ネタオンパレードだったが、今回はフリチンにはならなかった。

2月9日
 突然の再開である。約1年半振り。なぜ今なのか? それは、先月末の福岡公演で、 主催の福岡市文化芸術振興財団のみなさんが「キム今をずっと読んでいたんですけど、 今どうなっちゃったの?」としつこくおっしゃるので、「わかりました。すぐに再開 しましょう」と約束してしまったからである。ひょんなことだ。
 その福岡、演目は「抱きしめたい」。初演が2000年の夏、セタパブだったが、その 後海外ツアーで最後のパートに手を加えた。輝く未来の創立メンバーで、現在北九州 で芝居をやっている人が手伝ってくれたりして、公演は順調に進んだ。
 福岡は二度目だ。初福岡は、95年にユニバーシアードの開会式イベントが福岡ドー ムで行われた時、100人ほどの男性達と「火吹き」をやった。そう、大道芸なんか でやるあれである。福岡ドームのグラウンドを黒タイツ姿の100人がぐるっと取り 囲んで、いっせいに「ブヮッ」とやるのだ。昔、まだ踊りを始めたばかりの頃、ショー 回りの仕事でストリップ劇場で火吹きをやったことがあった。あまり上手ではなかっ たので、本番中に吹いた火が自分のほうに戻ってきてしまい、口の中をやけどした。 慌てふためき、本番中にもかかわらず舞台袖に引っ込んでしまった。情けなかった。
 ひょんなこと、の「ひょん」ってなんだろう? ついでに、ひょっとすると、の 「ひょっと」もだ。


<長い休息中、書いたけど日の目を見なかった日記が見つかったので、捨てるのももっ たいないし、せっかくだから手直しせずここに発表することにする。何を今さら、と いう気もするが。2001年7月〜11月、二重構造になっている>

10月某日
 光陰矢の如し。あれから、すでに3ヶ月たってしまった。別に書く気がなかったわ けではない。むしろ満ち満ちていた。だが、アメリカでテロがあったり、台風が立て 続けに来たり、暑かったりで、どうしても自粛せざるを得なかったのだ。
 そこで、この3ヶ月を振り返ってみることにする。当然、長くなる。

「激しい庭」7/20、27〜29
 もう過去の事になってしまったので作品の細部には触れないが、簡単に言うと、内 容盛り沢山の作品だった。動きの種類や場面の方向性、演出の方法など、僕の知りう る限りの(でもないけど)ものをブチ込んだ感じ。95年に輝く未来を結成して以来の 集大成、総決算にしてみた。おおむね評判は良かったが、これまでの僕の作品を観て くれた人には違和感があったかも知れない。現にここの掲示板でもそういう意見があっ た。だが、新たな観客を獲得するという意味では成功した公演だったと思う。他の意 味で失敗した、というわけじゃないけど。
 びわ湖で初演、続いて世田谷でやったが、僕は、作品が完成したとは思っていない。 こう書くと言い訳のように聞こえるが、どんなに完成度が高いと思っている作品でも、 再演する度に振付や演出を変えている。舞台作品というのはナマモノであって、ビー ルやクルマを作るって売るのとは違う(あ、ビールはナマモノか。あ、クルマはモデ ルチェンジというのがあった)。だから「激しい庭」も全精力を注ぎ込んだ結果の 「現時点でのとりあえずの完成」であって、これはどの作品も同じ。次に再演する機 会があれば、変えるかも知れない。変えないかも知れない。先のことはわからない。 作品は成長するものなのだ。

「鳥肌実」8/3
 何度も観ている友人に連れられ、日比谷野音で初めての鳥肌体験。面白い。雑誌で、 ニュース23で取り上げられたのを見たことはあったが、動き、喋っているのは見た ことがなかった。過激でコミカルで、自虐的でカワイイ。楽しめた。
 
「世田谷・子供ワークショップ」8/6〜12
 毎日9時〜12時、世田谷区の小学生(5、6年生)を相手にワークショップ。13人 (男の子は一人だけ)が集まった。最終日の日曜日には、父母や一般の人を呼んで発 表会。びわ湖公演の時「孫と祖父母のワークショップ」というのをやったが、5歳 〜70代まで20人ほどだった。だが今回は子供だけでしかも生意気盛りのガキども。初 日は全然うまく行かず、向こうもこっちもお互いに堅くて、先が思いやられて困り果 てた。本来僕は子供が大嫌いなのだ。

11月某日(大阪にて)
 行ってきたでー、見てきたでー、なんばグランド花月!
 フットボールアワー、ちゃらんぽらん、のりおよしお、仁鶴、Wコミック、おかけ んたゆうた、え〜、ほかは忘れてしもたわ。あっ、カフスボタンは「1回目は都合に より出演しません」て貼紙がチケット売り場にあって、見られへんかった。残念やっ たわ〜。もちろん新喜劇も堪能したでー。桑原和男がひさしぶりに見れたのが収穫やっ たな。いつものおばあさん役のな。チケット予約せえへんかったから、開場前にずら ずらーっと並んでな、しかも2階の立ち見や。けど通路に座ったがな。2時間半ずーっ と立ってるの、辛いやろ? 見づらいのが玉にキズやったけど、でもしっかり笑わし てもうたわ。
 終演後は、ちょっと欲しいCDがあってな、アメリカ村のタワーレコードに寄って ん。あのへん、賑やかやな〜。若もんがぎょうさんおったわ。
 なんやベタベタの大阪弁やな〜。せやけどこのイントネーションが表現でけんのが 惜しいな〜。しゃあないな。
 ほなさいなら。


<最後のは、伊丹のワークショップに行っていた時のもの。一度見たかったのが、実 現したのである。この他にも、休息中の『あの時のあれはどうだったんだ!?という御 質問があれば、できる限り答えるつもり。ぜひ掲示板まで!>


<もうひとつ発見! 2002年>
1月16日
 ディプラッツでの「しゃべりながらおどっているところになげこむんです」無事終 了しました。お客さんに投げ込んでもらったものをズラッと書き並べてみます。

12日   紙風船、紙テープ 沢山
     蜘蛛の糸     2個
13日昼  ヘリウムガスのキティちゃんなど 沢山
     クラッカー    沢山
13日夜  孔雀の羽根    沢山
     紙風船      沢山
14日昼  ヘリウムガスのキティちゃんなど 沢山
     孔雀の羽根    沢山
     クラッカー    沢山
     蜘蛛の糸     3個
14日夜  パイ(本物じゃない) 沢山
     クラッカー    沢山
     蜘蛛の糸     2個

 初日は、いつ投げ込まれるか、投げ込まれたものに対応すべきかどうかなど、勝手 がわからず、困り果てる瞬間がかなりありました。でも回を追うごとにだんだん慣れ ていったようです。最終回はパイ投げが主体で、トッピングのチョコやふりかけが白 いムースに混じって異臭を放ち、全身グチャグチャ、床もベタベタに。あんなにドロ ドロしたのは何年振りかでした。それにしても民謡は踊りやすかった。発見でしたね え。
 時々「舞台と観客が一体となって」という言い方をしますよね。ああいうのはある 意味で主観的な見方で、「本当にそうかよ?」と思ってしまうことがあります。でも 今回は、そういうきれいごとではなく「観客が能動的、実質的に作品に参加する」こ とをやりたかったのです。アンケートなどを読んでいると、とても好評で、僕の目論 みは達成できたかなと思っています。
 ホームページに提案をくださったみなさん、どうもありがとうございます。全てが 実現できたわけじゃないけど、とても参考になりました。

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※このページは「キムは今・・・」と題して伊藤キムみずからがコラムを担当します。
いただいたメールや掲示板への書き込みにもこのページで答えていく予定です。


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