伊藤キム+輝く未来ロゴ

●キムは今・・・


[2005年10月]

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2005年10月31日(月)

 10月は今日で終わり。そういえば、いったい今日は何曜日なんだろうと手帳を繰る。旅に出ると、特に海外では曜日の感覚がなく なる。どうでもいいからだろう。でも今日から曜日も付けることにする。
 今日もまた、レンタル自転車。昨日は西だったが今日は北へ。白沙(バクシャ)という玉龍雪山のふもとの村まで。昨日の自転車 のサドルが堅かったので尻が痛い。尻の位置を微妙にずらしながら、ペダルを踏む。
 舗装された幹線道路、砂利道、石畳、泥道をかわるがわる転がしていく。トウモロコシ畑、農作業用の牛馬、軒先にうろつく犬や ニワトリ、採れた野菜を背中のカゴやリヤカーに山盛り積んで引き歩く人たち。実際にこの目で見たことはないが、昔の日本にも あったであろう光景に出会う。
 途中、道端に腰をおろしている老人に声をかけられ、家まで招待された。楽器が数多く置いてあり、尋ねると、かつてはナシ族音楽 の演奏家として活躍していたらしいらしい。楽器をかかえた写真も見せてくれた。和作正さん、82歳。
 白沙村を過ぎ、玉龍雪山に登る途中にある玉峰寺までこぐ。観光客相手に寺で働く若者たちを撮る。
 さあ、できるだけ来た道とは違うルートで帰ろう。昨日と今日、自転車で走り回って改めてわかったが、僕はこういうのが好きだ。 カメラ片手に歩く観光客向けの、お土産物屋がずらりと軒を並べた、いかにも観光地然としたところではなく、まだ誰も手を付けていな い、マイナーなエリア。常に新鮮で、自分にとって新しいものを求めるのだ。そういえば、中学高校のころ、回りの友人たちが夢中に なっていたのは松田聖子とか菊池桃子だったが、僕は一切興味がなく、友人に言っても「は? 誰それ?」と不思議がられるような マイナーな女優(失礼)を好きになったものだ。恥ずかしいので名前は伏せておくが。
 10:30に街を出て、戻ったのは夕方6時。30kmくらい走った。こんなにペダルをこいだのは久しぶりだ。


2005年10月30日

 お昼頃、レンタル自転車(一日15元)で街を離れ農村へサイクリング。街の西に見える山のふもとを目指す。10分20分と 走るうち、舗装された道路がだんだん砂利道に変わっていく。そしてさらに進むと山道に。
 30分ほど走って、景色を眺めながら休憩していると、人の良さそうなオッチャンに出会う。山でマツタケを採ってきた帰りだと いう。そういえばこの雲南省はマツタケが多く、日本にも輸出されているらしい。
 そんなこんなで特にあてもなく走っているので、適当なところで方向を変えないとキリがないし、街に戻れなくなる。その辺の オバチャンに訊ねながら、街につながる道を戻る。が、途中で見かける老人や子供につい目がいって、カメラを向ける。
 街に戻ったのは夕方6時ころだった。


2005年10月29日

桂林を発った頃から口内炎ができる。鼻の次は口だ。口の場合、食べ物の味が存分に楽しめないのが残念。
 旧市街で昨日回れなかったところを見、ちょっと買物、遅い昼食。川エビと小魚の素揚げ、湯豆腐、中華風パンケーキに ビール。一品ずつのボリュームの見当がはずれ、かなりの量に。しかし完食。口内炎はどこへやら。
 夜、歌舞団のショー。昨日のは音楽のみだが、こちらはダンスもあり、照明やスモークマシンまで。もちろんものにもよるが、 民俗芸能というのはそのまま上演してもダメで、ある程度現代的な味付けがされていないと、金を払って見るには退屈だろう。


2005年10月28日

麗江。地図上、老人の額のシワのように波打つヒマラヤ山脈が、その東端で目尻にこぼれるように流れ落ちている。 そのシワシワのほぼ中央に位置し、周囲を山に囲まれている。標高2400m。
 早朝6時すぎ、麗江バスターミナル着。外はまだ真っ暗だ。空を見上げて驚いた。星が手に取るように見える。 フィルターはどこにもかかっていない。
 ずらりと待ち構えるタクシーのひとつに荷物を放り込んで、運転手にガイドブックに載っているホテルを指さして 向かってもらう。が、そこは既に閉鎖されていた。なんと変化の激しいこと。すぐそばにあった別のホテルにした。 シングルで220元。朝6時すぎに他を探すのも面倒なのでここにチェックイン。もう一度寝る。
 2時間ほど寝たあと、周辺を歩く。玉龍雪山という5596mの万年雪を被った峰が街を見下ろしている。この麗江に多く 住むナシ族にとって、神々が宿る聖なる山だという。この美しさを見れば、合点がいく。
 午後は、四方街と呼ばれる旧市街を歩く。石畳の小路と山から流れ下る運河が迷路のように入り乱れ、非常に趣深い。 表通りには、民族衣装、アクセサリー、大理石を使った額縁、透し彫りなどの民芸品店が並ぶが、少し奥に入ると、一般市民が 暮らす普通の生活がある。
 欧米人の観光客が多く、洋風の洒落たカフェが多い。そこでチベット風ギョウザとバター茶を頼む。チベットギョウザは中に カレー味の具が入っていてわりと美味い。バター茶は、温い牛乳に塩とバターを入れてかきまぜました、という味。う〜ん、 慣れないうちはおいしくないかも。
 夜、ナシ族の楽団20数名の民族音楽コンサートに。宣科という高名な民族音楽家がリーダーだが、この人の曲ごとの解説が ユーモアたっぷりで、隣で見ていた欧米人が「スタンダアップコメディのようだ」と言っていた。中国語が分からなくても、 観客の反応と合わせて楽しめた。でも肝心の音楽は、リズムに変化がなく、僕の好みではない。ただ、女声の澄んだ独唱は、 高音と低音を自在に行き来する節回しが見事だった。
 ちなみにこの麗江旧市街は世界遺産に指定されている。そのせいか、あちこちでゴミ拾いの市民の姿が見られる。学校の行事 なのか、子供たちまでもがグループでゴミを拾っている。これまで見た中国のほかの街ではあり得なかった光景だ。


2005年10月27日

昆明の街を歩いて気づいたが、道行く人のファッションセンスが独特。原色が多く、野性的な着こなしだ。 特に女性。華やかな衣装をまとった少数民族が多いからだろうか。  21:00、麗江行きの寝台バスに。到着は6:00すぎ。列車じゃなくてバスなのは、このあたりからバスの ほうが交通の便がいいからだ。寝台バスなんて日本でも乗ったことはない。2段ベッドが大型バスにギュウギュウ 組み込まれ、26人乗り。列車のベッドよりも窮屈だ。


2005年10月26日

6:35、定刻通り昆明着。外気は12℃。早朝だし、おまけにここは標高1800mの高地なのでセーターを着る。 ホテル探しの前に駅近くのバスセンターに寄る。次の麗江へは列車ではなくバスで行くことにしたからだ。 といっても出発は明日の21:00。旅の疲れで体調が気がかりだし、何しろ麗江はここよりも高地にある。 高山病予防の為にも体を少しづつ慣らしていきたい。あせらずゆっくり。誰にも怒られないのだから。


2005年10月25日

8:52桂林発、柳州、南寧を経て6:35昆明着の列車。では昆明がある雲南省のガイドを少し。
雲南省は中国南部に位置し、ベトナム、ラオス、ミャンマーに国境を接している。昆明は省都。中国はその92%を占める漢族と、残り8%の 55の少数民族で構成されているが、雲南省にはそのうち29の少数民族が住んでいる。また北京や上海のような平地ではなく、山岳地帯が非常に多い。
ちなみにこれ全部「地球の歩き方」からの抜き出しです。
桂林からの車中、ウルムチまで向かうという男性4〜5人と親しくなる。ウルムチ。中国西北の端、カザフスタンやロシアの国境に近い街。ひとりが 僕の持っていた中国の地図を眺めていたので、世界一周旅行中だと言ったら驚いていた。以下、筆談ゼスチャーによる会話。
 彼ら「仕事は?」
 僕 「舞踊家です。あなたは?」
 彼ら「ウルムチで警察官をしている」
確かにみんなガッチリした体型だ。 
 僕 「観光で桂林に?」
 彼ら「そう。でもその前に海南島に行ってきた。とてもよかった」
海南島。中国の南に浮かぶ、台湾くらいの島。ベトナムにも近い。
 僕 「何日くらい?」
 彼ら「17日間だ」
 僕 「結婚は? 子供は?」
 彼ら「いない。全員独身だ。あなたは?」
   僕 「僕もひとりですよ」
 彼ら「年齢は?」
 僕 「40歳。あなたは?」
ここで僕とメインに話していたひとりが身分証を取り出してみせた。1976年生まれとある。29歳!? とても見えない。
どう見ても40代後半から50代だ。何が違うんだろう? まぁ、あらゆるものが何から何まで違うんだろうが。
カップめんを食べ、ビールを飲んで寝る。22時。寝台はこの時間になると消灯なのだ。


2005年10月24日

昨日のツアー中から、持病のアレルギー性鼻炎が出たもよう。持病といっても、ここ数年は出ていなかったのだが。クシャミを連発、鼻水が止まらない。
なので今日はホテルで一日じっと、と思っていたが、次の目的地、昆明への列車が明日なのでもう一泊しなければならない。そこで安いホテルに変えることにする。
幸い歩いてすぐのところに80元(約1300円)の宿が。部屋は思ったほど悪くなく、逆に今日までのよりいいくらい。ただしお湯は午後7時から朝の8時までしか出ないが、苦にならない。なるほど、こういうこともあるのだ。
昨日予約しておいた列車のチケットを旅行会社に取りに行く。英語が全く通じないので、ゼスチャーと漢字による筆談。口で言われても判らないことが漢字だと判る。なんか不思議。



2005年10月23日

桂林のすぐそばを流れる離江という川を下るツアーに。穏やかな流れを、水よりわずかに速いスピードでゆっくり進む遊覧船。 両岸に、とんがり帽子のような山々がポコポコ並ぶ。山水画のモデルになった風景が多いらしく、岩、水、緑に牛やアヒルも参加して、とても美しい。 でもシステム化されたツアーなので、なにしろ他の客やガイドの案内が騒がしく、落ち着いて楽しめないのが残念。

 風光明媚
 我是好愛
 旅人導人
 声大耳障
 
 20数kmを4時間ほどかけて下り、帰りはバス。お寺や鍾乳洞、特産の水晶を展示販売する博物館などこれでもかと回り倒す。中国語のガイドがつくが、なにしろ言葉がわからないのがつらい。


2005年10月22日

 上海から南西に、抗州、株州を通り28時間を経て21:30、やっと桂林に。車中ですることといったら、この日記を書く、読書、食べる、ボーッと外を眺める、寝る、くらいしかない。中国語ができれば隣の人とも話すだろうが。いや、人付き合いの悪い僕にはそれも無理かも。
 駅に降り立ち、しつこいホテルの客引きを振り払って適当な宿を探す。客引きのいるところは「50元」(約800円。これまで泊まったところの4分の1くらい)と言っているが、あまり安すぎるのも考えものだ。衛生状態も気になるし。一泊250元のところを見つけ、チェックイン。桂林は中国の南部に位置し、緯度は台北と同じくらいだ。


2005年10月21日

 ホテルを昼頃チェックアウト。17:10上海発の列車で次の目的地桂林へ。現地着は21:05。なんと28時間の旅。前回のようなボックス席ではあまりにキツイので、寝台をとる。
 ここで中国の列車の座席種を紹介しておこう。まず硬座。2〜3人がけの向かい合わせのボックスシート。横になれず、前の人の脚が邪魔で脚が伸ばせず、長旅にはつらい。北京〜上海で乗ったのがこれ。
 軟座。硬座のシートが文字通り柔らかくなっているらしい。でもこれは短距離用。
 次は寝台の硬臥。上中下の3段ベッドが向かい合わせに配置され、それぞれに布団、枕、タオルが備え付けられている。今回の上海〜桂林はこれだ。
 最後は軟臥。上下2段のベッドが向かい合うコンパートメント。硬臥よりクッションがいいらしい。
 この4種類で、後者になるにしたがって当然高くなる。フランス製の新幹線がまもなく整備されると、さらに快適で速い、そして高い旅が約束される。
 上海を出発後、時間が経つにつれ、車窓を流れる風景は都会から農村、そして山村に変わっていく。それにしてもよく見られるのが工事現場だ。鉄道や建物、とにかく開発ラッシュ。 社会主義時代の遅れを一気に取り戻そうとしているのか?


2005年10月20日

 多気さんの知人の荘さんの案内で、ホテルから車で2時間弱、上海郊外の周荘という水郷の村へ。900年の歴史があるらしい。運河が縦横に走っていて、歩く以外の移動は小さな舟だ。ヴェネチアを彷彿とさせる。ここで財をなした商人の屋敷などを見て回る。荘さんの勧めで写真を撮りまくる。彼の知人で、少数民族土家族出身の歌手、方さんも。
 夜、多気さんや、彼の仕事仲間と合流して中華へ。またまた豪華な食事をごちそうになる。ここでのサプライズは「川エビの踊り食い、紹興酒版」。生きたままのエビを紹興酒に浸し、エビが酔っ払っているスキにすかさず食べる。食べることがそのままエンターテインメントになっていて、こういうのは西洋ではあまり見られないだろう。もちろん和食にもあるが、中国はもっとえげつない。
 それにしても、日本でもこれほど豪華な中華は滅多に食べたことはない。おそらくこの旅で最後のごちそうだろう。


2005年10月19日

 昼間は市内観光。夜、上海雑技団に。マルチメディア・シアトリカル・スペクタクル「時空の旅」というタイトルで、要はサーカスだ。トランポリンや宙吊りなどの アクロバット、総タイツの柔軟技といった、いかにもサーカス的なものから、普段着っぽい衣装でひとりひとりがシンプルに舞台を横切るなど今風も。照明と紗幕で出す影絵や、ビデオの投影などもあり、マルチ、というほどメディアメディアしていないが、新しいものと古い表現を混在させた構成は、作品のテーマに共通している。現在の中国、上海を象徴しているのかも。結構楽しめた。派手なアクロバットでは、あまりの技のすごさに思わず口をポカンと開けて見入っていた。


2005年10月18日

 多気さんの計らいで上海蟹を食べに。市内から車で2時間ほど、陽澄湖という湖のほとりが、巨大なカニエリアになっていて、上海蟹を食べさせる専門店がずらりと軒を並べている。  ビールで乾杯後(ちなみに昼食です)、まずはキュウリ、ピータン、青菜の炒めもの、豚、鳥など肉類の炒めもの、湖で捕れる川エビの水煮、魚の煮つけなどなど、メインのカニが来る前に前菜だけで腹一杯になりそう。だから食べたいのを我慢してカニ待ち。
 紹興酒を少しなめた後(あくまで昼食です)、いよいよカニさん登場。この湖で養殖されたもので、日本や台湾にも輸出されるらしい。上海蟹の本場といえばここだそうだ。元気がよくて暴れるので、ヒモで縛ってゆでるらしい。
 ひとりにつきオス、メス一匹ずつ食べる。握りこぶしより少し大きいくらいで、それほど大きくはない。だから食べるのに技術がいる。味はまずまずだが、ミソが格別にうまい。甲羅に紹興酒を流し込み、ミソもろともズズッとすする。ハオチー!(うまい!でも昼食!)
 食事後、店の主人の案内でモーターボートに乗り養殖場まで。この周辺には、ホテルや、なかにはリゾートにあるようなコテージもあって、泊まりがけでカニを食べに来る人もいるらしい。中国人、食べることに労力を惜しまない。


2005年10月17日

 上海駅。少し遅れて10時少し前に到着。まずは宿探しだ。地下鉄で市の中心へ。10分ほど歩いてツーリストインフォメーションを見つけ、安ホテルを紹介してもらう。チェックイン、シャワー。
 夜、父の仕事の関係の知人、多気さんに会う。上海に10年住んでいるかたで、中華をごちそうになる。中国に来て初めて美味しいものを口にした。


2005年10月16日

 午後、胡同と呼ばれる下町を歩く。ホテル近くは本当のスラム街だが、この胡同は道も広くわりときれい。
 夕方、ホテルに荷物を取りに戻り、そのまま北京駅へ。19:51発、翌朝9:23上海着。13時間40分の長旅だ。食料調達に売店に行くと、カップめんがある。食べてみたいが、お湯はどこ? 驚いたことに駅の待合室に、水道の蛇口から熱湯の出るコーナーがあった。中国人は、お茶のポットを携帯している人が多いからだろう。
   寝台が取れず、普通席に。2〜3人で向かい合って座るボックス席。足が伸ばせないのがつらい。徐州、鎮江、無錫を経由して上海へ。


2005年10月15日

万里の長城。ホテルでツアーを頼み、いくつかある中の、慕田浴長城へ。車で約2時間。北京市街の喧噪とは掛け離れた、山々に囲まれた静けさに包まれる。ここも北京市なのだ。
 車を降り、5分ほどケーブルカーに乗って登城口まで。そこから距離にしたら3〜400mだろうか、一番高いところを目指して歩く。山の稜線に建てられているから平坦なところはほとんどなく、常に登るか下るかのどちらか。行き止まりで記念撮影。
 心地よい風に真っ青な空。時々聞こえる鳥のさえずり。ここが戦闘の前線だったとは思えないような静寂。
 夕方5時、ホテルに戻る。明日、上海に向け発つことにする。ホテルの小さなフロントで列車のチケットの手配をしていると、ホテルの主人がアヒルの肉と野菜がギッシリ煮込まれた鍋をデンと持ってきた。一緒に食べようと言う。回りにいたスタッフ(若い女の子ばかり2〜3人)と卓を囲む。思いがけないことだったが嬉しかった。お礼に、20秒ほど踊る。本心かどうか分からないが、一応拍手をもらう。僕にできるのはこれくらいしかない。


2005年10月14日

 ホテルを変える。より市街地に近く、安いところへ。
 故宮。天安門広場同様、本当に大きい。外部の人間が簡単に把握できないよう、細部の構造も複雑。そこに「権力」がデンとあぐらをかいているようだ。
 ホテルの隣の食堂で夕食。野菜ラーメン、キュウリのチリソース漬け、ビール。まずい。特にキュウリのチリソースは、タマネギや香菜も入り、それはともかく、辛すぎ。一口食べただけで残す。


2005年10月13日

 ホテル近くで昼食。水餃子と包子。その後周辺を歩く。天安門広場南側の「前門」までフラフラし、いよいよ天安門広場へ。


2005年10月12日

 こんな大きなリュック(50?)を背負うのは15年振りくらい。14kgあった。自宅から駅まで徒歩20分。いつもならスーツケースでタクシーに乗るところだが今回は背負って歩く。 世界一周だから。なんか変な理屈。
 成田。北京行き中国国際航空926便。14:55発のはずが使用機の到着遅れで16:00発に。高校の修学旅行団体客のせいでエコノミーからビジネスクラスに回された。世界一周なのに。まあべつに、だからといって貧乏旅行に徹する必要もないが。でもフライトはわずか3時間半。それほどありがたみはなかった。
 北京着。現地時間で18:30。もやがかかったように白い。実は僕、初中国なのだ。
 まずはバスで市内へ。日本で予約しておいたホテルに近いと思われる繁華街で降りるが、実際は遠かった。仕方なく今度はタクシーで10分ほど走り、やっとホテルに到着。21時近かった。日本で予約したのは北京の最初の1泊だけで、あとは全部、当日現地で探すことになる。

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