伊藤キム+輝く未来ロゴ

●キムは今・・・


[2005年11月1日〜17日]


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2005年11月17日(木)

 バスは9:30発。ホテルからタクシーでバスターミナルへ。が、10時になっても乗車の案内がない。そして10:30ころ「峠付近の大雪 のため、今日はバスが出ない。明日の同じ時間に来るように」と係員。ガーン! やっとやっと、この国から脱出できると思ったのに。 仕方なく、近くのホテルに部屋を取る。


「世界が展示室〜中国脱出!」
 高層ビルにハイウェイ、車、車、車・・・北京に降り立って眼に入ってきた光景に少々驚いた。発展しつつある国だとは聞いていたが、 ここまでとは思わなかった。どの街に行っても工事現場だらけだし。
 ホテルの設備は日本と比べればまだまだだが、サービスは決して悪くない。「気持ち」が感じられる。以前聞いていたのと随分違う。
 インフラの整備が進めば物資や人の流れもスムーズになり、経済もより活発になる。成長して豊かになり、いずれ貧富の差も小さくなって いくかもしれない。
 そして日本を抜き、アメリカに次ぐ大国にのし上がるのだろうか。その時アメリカがあればの話だが。


2005年11月16日(水)

 今日も来た。2度目のGANGPAN。やみつきに。やみついてから、昨日同様、街ブラ。でも今日は大事な仕事がある。明日の出国に備え、 中国元をUSドルに両替しておかねばならない。中央アジアではドルが役に立つらしい。羊肉の吊し売り、金物屋、絨毯屋、ナン売りなんかを 脇に見ながら中国銀行までテクテク。
 昨日今日でかなり歩き、疲れる。

「世界が展示室〜旅の中国語」
 ニーハオ、シェシェ以外には
数字の0〜9、「いくら?」「トイレ」「すみません」「〜ありますか?」「〜がしたい、欲しい」「今日」「明日」「会計を!」 「要らないよ!」
これだけ。あとは筆談。よく通じたもんだ。


2005年11月15日(火)

 17日に出発なので時間がたっぷりある。が、カシュガルではそれほど時間をとる予定ではなかったので、時間を潰すと言ったほうが正確。 早くペシャンコにしたい。仕方ないから街を歩くしかない。
 まだこの街が新鮮だからかも知れないが、これまでの中国に比べてなんとなく温かい気がする。もちろん気温のことではない。みんな人 なつっこいし、子供もすぐに「ハロー!」と声をかけてくる。漢族の多い街が、色でいうと黒や灰色だとすれば、ウイグルのここは黄色、 オレンジ。日本人からすればエキゾチックな顔立ちのせいもあるかも。
 同じホテルに泊まっている白人のじいさんはアメリカ人で、やはり世界をグルッとしているらしい。が、彼は自転車だ! 「ずっと自転車 をこぐのは無理だから、場所によっては飛行機も使う」だって。アメリカのどこにすんでるの?と尋ねると「最後はコロラドだった」と。 住所不定なのか!? 65歳だって。そういえば、列車で一緒だった北山さんに聞いたが「飛行機はもちろん列車やバスも一切使わず、なんと 一輪車(小学生が遊んでるやつじゃない。昔、工事現場なんかにあった。大八車?)だけで世界中を回っている人」「いらない荷物を捨て 続けたら、最後に蚊帳だけが残り、それだけ持って旅する人」など、どちらも日本人らしいが、世の中にはいろんな人がいるもんだ。
 夜、お気に入りのあの店に。NARINCHUPというのを試す。平たくて四角い麺と、羊肉、ニンジン、香菜などがたっぷり入ったスープ。 これもうまい! ところでこの香菜、苦手な人も多いが僕は大好きで、文字通りこの香りと食感が僕の舌と鼻をつかんで離さない。中華でも よく使われていて、食べるのがいつも待ち遠しかった。この店、ホテルの前にあって、今日の昼食もここだった。明日も来る。


2005年11月14日(月)

 次の目的地はキルギス。ここから国境まで約200キロ、東京〜静岡くらい。東京の旅行会社には、バスでトルガルト峠の国境を通ってナリン に抜けるルートを薦められたのだが、ホテルで情報収集したらあいにくそのルートは中国人キルギス人のみに変更されたらしく(大陸の国境 事情はコロコロ変わって不安定)、もうひとつのイルケシュタム峠経由オシュ行きに。「最近のキルギスの治安事情から、避けたほうが無難」 と言われたほうを、避けずに行くことに。仕方ない、他に方法はないのだから。いや正確には、ウルムチまで戻って飛行機に乗るとか方法は あるけど、それはしない。
 こちらの代理店で17日朝9:30発のバスチケットを手配。
 ところでこの街、今までの中国と違うのは、ウイグル族が多いこと。イスラム教徒だ。日本人向けにとても分かりやすくいえば、アラブっ ぽい。独特な、彫りの深い顔立ち(そうでない人もいるが)。顔、言葉、食べ物(羊肉が多い)、どれをとっても「イスラム」という感じが する。ホテルにはパキスタン人も多いし、街の中心にはモスクもある。先日大地震のあったパキスタンのカシミール地方も、さほど遠くは ない。本当にここは中国か?と見まごうほど。いわゆる中国人の顔をした漢民族を見慣れてきた眼には、非常に新鮮。
 街の食堂でGANGPANという料理を食べる。羊肉、ピーマン、タマネギ(みたいなやつ)、しらたき(みたいなやつ)、その他野菜を、 トマトで煮込んだ、ちょっとスープィーな(スープっぽいという意味。いま造った)おかずに、油でサラッと炒めたライス。ムチャクチャ うまい! 上海でごちそうになった高級中華くらいうまい! この旅で、中華以外で初めてこんなうまいものに出会った。ウイグル万歳!


2005年11月13日(日)

 同じコンパートメントに偶然、日本人ふたり連れが一緒に。北山さんというカメラマンとその彼女内藤さん。カシュガルとその近郊に 2カ月ほど滞在、写真展の素材を集めるという。旅なれた彼の口からは、中国はもちろんトルコ、カザフなど日本人の意識からは遠い国々で の逸話がポンポン飛び出してくる。「固定された土地・国家を持たない人々に興味がある」と。「旅に出ると本当の自分を発見できる」とも。 ハゲシクドーイ。
 昨日15:50ウルムチを出た列車は、23時間後の今日午後、カシュガルに。日本人3人で駅からタクシー、5分ほどで市街、チェック イン。
 いよいよ、いよいよだ。中国の西の端、カシュガル。この国奥深く分け入って、とうとうここまで来ちゃった。


2005年11月12日(土)

 今回は硬座。北京〜上海の時と同じ普通席向い合わせ、おまけに自由席。敦煌で切符を買った時、これしか残ってなかった。急がないと 座れる席がなくなってしまう。と思って乗ったら意外にすいており、小さなおばあさんの前を確保。ウルムチ着は翌朝8:20、約12時間。 でも前回とはワケが違う。とにかく寒い。暖房が効いているのかどうかもはっきりしない。これまでで一番の厚着をして、ヒマつぶしに本と ビール。寒いのになんでビール? 旅の不思議その2。
 寒さ狭さ騒がしさのスリーS攻撃でなかなか眠れなかったが、ウルムチには着く。明けない夜はないのだ。
 駅ですぐにカシュガル行きの切符を入手。15:50発、7時間ある。まず温いメシを食べ、さあ西安の時のように街をブラブラして時間を つぶ・・・寒い! 諦めて近くのホテルのロビーに非難。たぶん今回の中国で最も寒いだろう。寒さの苦手な僕がなぜこの時期、こんな 旅に? 謎は深まるばかりだが、来てしまったものは仕方がないと観念。
 夕方前、列車に乗り込む。ところで今日で1カ月だ。最初の2週間はとても長く感じたが、その後はあっちゅうま。楽しかった山間部が 多かったからか。この国に1カ月もいてしまった。いてしまった、という感じ。


2005年11月11日(金)

 何もすることがないので、ひとしきり街をふらついた後、15:40、駅に向かうバスに詰め込まれる。また2時間ガタゴトして、砂鍋面 (麺)をかき込んでから駅で20:50発ウルムチ行き列車を待つ。乗る。


2005年11月10日(木)

 朝食後、またまた貸し自転車で、街から5kmほど走ったところにある鳴沙山という砂漠に。鳥取砂丘以来の生まれて二度目の砂漠。 海に面した鳥取砂丘もいい眺めだったが、こちらもスケールがでかい。
 街に戻って散策。日本人観光客が多いのか、今までの街よりも「ひらがな」をよく見かける。異国でこれを見るとかなりホッとする。 世界中で日本人だけが使う文字。
 歩き疲れたのでカフェで休憩。コーヒータイムだ。コーヒーなんて、喫茶店での打ち合わせ以外では日本じゃまず飲まない。それがここ 数日、毎日のように飲んでいる。旅の不思議。
 夜、ホテル近くの「旅人の家」という食堂に。主人の隋さんは西安の大学で日本語を勉強したらしく、流暢にあやつる。敦煌を訪れる 多くの日本人バックパッカーがこの店に寄るらしく、壁には日本人の写真がペタペタ貼ってある。この旅でこういう店は初めてだが、そもそも この敦煌は日本人に人気があるようだ。隋さんも「最近は年配のお客さんが増えました」。シルクロードのオアシス都市(と『地球の歩き方』 に書いてある)として魅力があるのだろう。敦煌観光のメインは莫高窟という石窟(と書いてある。あれに)なのだが、街から離れており、 壁画や彫刻などもあるらしいが、僕はあまりそういうものには興味がないので、すっ飛ばす。


2005年11月9日(水)

 今回はまた硬臥(2等寝台)に戻る。この列車、消灯が22:30で、朝8:00になると爽やかな音楽が流れ始め、みんな起き出して慌ただ しくトイレや洗面所に立ち始める。そして例の騒がしい声が飛び交いだす。
 寝台列車は第2のホテルだ。快適とはいえないが、移動しながら宿泊できるので貧乏旅行者にはありがたい。雑然としていて回りの中国人 を観察しながら過ごすのも悪くない。前回の豪華寝台はあまりにすっきりし過ぎていて、面白みを感じなかったくらいだ。
 中国北部のモンゴルに近いところを西に向かっているから、車窓の風景が今までと違う。徐々に砂地が増え、遠くには草木のほとんどない 茶色の山々が見渡せる。少しづつ、砂漠に近づいているのがわかる。いままで見なかった羊がチラホラ。
 夜、それまでのように起伏があったり時々街があったりではなく、本当の真っ平らな砂漠を走る。真っ暗な中、唯一見える明かりは、 星ふたつと月だけ。初めて見る「月の砂漠」。
 21:00少し前、敦煌着。市街は駅から130kmも離れており、駅前に待ち受けるミニバスに半ば強引に引き込まれ、街に向かう。2時間、 暗闇の砂漠を揺られ続け、街に着いてすぐ近くのホテルにチェックインしたのは、23時半ころだった。
 寒い。高地だったシャングリラよりも。最高で7℃、最低が−3℃。おまけにシャワーのお湯がなまぬるく、震えながらベッドに入る。


2005年11月8日(火)

 30分ほど遅れて6:00すぎ、西安着。駅に着いてすぐ、その日発の敦煌行きの切符を買いに行く。なぜ、西安に滞在しないのか?  それならなぜ最初に、昆明〜敦煌の切符を買わなかったのか? 理由がある。
 実は中国最後の目的地は西の端カシュガルで、そこからキルギス、カザフスタン、ウズベキスタンと巡る予定になっている。で、カザフ とウズベクのビザが12月4日で切れるため、これ以上中国滞在を延ばすと中央アジアでの時間が取れなくなってしまうからだ。ビザ日程の 設定に問題があった。中国滞在は3週間程度だと踏んでいたのだ。本当は西安、ウルムチなんかでもゆっくりしたかったのに。ガイドブック で最も興味の持てそうな敦煌を選んだのは、昆明を出てからだった。
 というわけだ。まぁ、目論みがはずれるのも旅のうち。この旅、実はだいたいのルートを決めてある。でも最初からそれを明かしてしまう のは面白くないので、今後もなるべく予定は書かずにおく。
 話を戻して西安の切符売場。8時台や12時台のを希望したがあいにく満席で、18:35発しかなかった。仕方なくそれを買い求め、出発 までの12時間ほど、西安の街をふらつく。バスで1〜2時間走れば世界遺産である秦の始皇帝陵などにも行けるが、時間もあまりないし、 とても行く気分ではない。早くここを離れたくて、心はすでに列車に乗っているのだ。
 12時間が始まった時は先が途方もなく遠くに感じられたが、終わってみればあっという間だった。日記を書いたり考えごとをしたりした からだろうか。時間というのは、生き物のようだ。
 列車に乗り込み、またカップめんを食べて寝る。

「世界が展示室〜公衆道徳?」
 中国人はよく、食事の時に口をクチャクチャいわせる、所かまわずタンを吐く(これ、女性もやる。上海雑技団を観に行った時、後ろの席 の人がやった。劇場内だ。思わず床に置いてあった荷物を膝に抱えた)、立ち小便をする。この国にはデリカシーというものがない。交通 マナーも同様で、人も車も信号は守らない、平気で割り込む。
 幹線道路には信号がほとんどなく、歩行者は、ビュンビュン走り抜ける車のスキを突いて道路を横断する。命がけだが、みんな普通にやって いる。完全にクルマ優先社会。
 とにかく全てにおいて荒っぽい。人を人と思わない、欲望むき出しの荒っぽさ。都市で生活するには、それぞれが欲望のまま行動したら 混乱するだけで、快適には過ごせない。だからルールやマナーが必要だが、この国はまだそういうものが未熟だし、当然人権意識というもの も根付いていない。日本のある政治家が中国を「民度が低い」といったが、このことだろうか。
 こう書くと、まるで僕が高所からこの国を見下しているように聞こえる。たしかにそうだ。日本で生活する身としては、正直いってここは 快適とはいえない。だがこの国は14億という数の人間が、曲がりなりにもまとまって猛烈な勢いで前進している。そういう中では人権も マナーもへったくれもないのかも知れない。
 たかだか1カ月程度の滞在ではほとんど分からないと思うが、ひとりひとりと接すると、ほんのちょっとした気遣いや親切を受けて、 とても暖かいものを感じるのも確か。そういうとき、「公衆道徳」というのは単なる約束事で、前進する14億のパワーの前では霞んで 見える。


2005年11月7日(月)

 今回は初めての軟臥。いわゆる一等の寝台だ。4人ひと部屋のコンパートメントで、廊下と仕切るドアがあるので今までのように騒がしく なく、小ぎれいでトイレも清潔だ。でも昼間は冷房が効き過ぎて寒い。
 同室になった二人は、人民解放軍の制服を着たおじさんと、若い女性。彼女は英語ができるので、3人で少し話す。世界一周旅行中だと 言ったら驚かれた。「寂しくないのか?」と聞くので、カッコつけて「寂しさより、新鮮さのほうが勝っている」と筆談で応える。本当は 寂しい時もあるけど。年齢を明かしたらまたまた驚かれた。「中国人をどう思う?」には「声が大きい。数人で話しているとケンカしている ようだ」と言ったら大いにウケていた。
 彼女に年齢を聞いたら「1982年生まれの23歳。この年から一人っ子政策が始まって、私には兄弟姉妹がいない。学校でもわずかの例外を 除いてクラスのほとんどがそう。とても残念です」と。


「世界が展示室〜こってり中国」
 この国をひとことで言い表すとしたら「こってり」に尽きる。料理は言うに及ばず、考え方や行動様式、あらゆるものが、濃い。特に人の しゃべり方がいい例で、まず声がでかい。小さな声でボソボソ話す人はほとんど見かけない。相手が知り会いだろうがそうじゃなかろうが、 男だろうが女だろうが、真夜中の寝台車のケータイだろうが、とにかく大声でわめくようにしゃべる。しゃべるというより、吐き出す感じ。 タンのように。
 でも、列車の中やレストランなどで、回りに仲間がいても何もせずボーッと辺りを見つめていることもある。この人たちの頭の中は いったいどうなっているんだろう?


2005年11月6日(日)

 この部屋は日本人ばかり。ゆうべは8つのベッドすべてが埋まったが、今朝4人発ち、すぐに1人が入る。廊下を行き交う人の中にも今日 初めて見る顔が多く、入れ替わりが激しい。中国、特にこの雲南省を旅するバックパッカーは多いようで、それは日本人も同様。魅力を感じ なくなった仕事に見切りをつけた人、オーストラリアにワーキングホリデーに行く前にアジアに寄り道しているフリーターの若者、来春大学 卒業予定の学生、旅馴れた様子の一人旅の女性、なんだか得体の知れないオッサンなどなど。いろいろ話してみると、実にさまざまな状況で 旅に出ている。でも多くの人が「この旅は逃げだ」という。分からないでもない。僕のこの一周旅行も、そうだ。現実逃避以外の、なにもの でもない。
 16:22昆明発の列車。成都を経由して西安着は翌々日の早朝5:40。約35時間、これまでで最長。


2005年11月5日(土)

 西安へは明日発つことにした。高い金はそうそう続けては払えないので、ホテルをチェックアウトし、すぐ近くに見つけたユースホステル に変える。今回の旅で初めてのドミトリー(4〜8人の大部屋)。30元。ユースなんて、87年にパリとロンドンで泊まって以来18年振りだ。 2段ベッドが4台、8人部屋。トイレ・シャワーは共同で、キッチン、洗濯機、談話室などもある。バックパッカーが多く利用するところで、 各自が旅に関するさまざまな情報を書き込む「情報ノート」が置いてある。日本人旅行者が書き込んだものもあり、ガイドブックには出て いないネタが満載。主観性を孕んだ客観的レポートは、読んでいるだけでも面白い。それにしても、みんな、よくまぁいろんなとこに、 行くもんだ。
 近くの旅行代理店で西安行きの切符を調達。


2005年11月4日(金)

 なぜまた昆明に戻ったのか? 次の目的地は西安なのだが、鉄道の便がいいのは昆明だからだ。
 今日は日がな、写真の整理と、この日記をポケットPCに打ち込む作業。仕事など、諸々の連絡を取るにはメールが便利だが、なにしろ ネットにつながらない可能性の高い旅だし、日本語の使えるネットカフェはどこにでもある訳じゃない。そもそも旅の目的が、そういう 煩わしさから逃れるということもあるけど、日記を書いてそれをホームページに載せるとなると、やはり自前のPCは必要だと思い直し、 とてもとても小さな「ザウルス」を持って日本を出た。

 ところで、日々のことを綴る日記とは別に、旅の中でいろいろ思うことを記すコーナー「世界が展示室」をつくってみた。

「世界が展示室〜中国にたくさんあるもの」
 この国にはケータイショップがいたるところにあることは書いたが、他にこういうものがあちこちで見られる。
<電話屋、公衆トイレ>
 どちらも一般家庭にあまりないからだろうか。
<床屋、美容室>
 なぜこんなにあるのか不思議。掃いて捨てるほどとはまさにこれだ。髪のケアだけでなく、フットマッサージ、ボディマッサージまで メニューにある。中国人女性の間ではエステがブームらしい。でもほとんどの店が客待ち状態で、ヒマな店員はソファにどっかと沈み込んで ボーッとテレビを観ているだけだ。なかには男性向けのちょっと怪しい店もあって、店の奥の別室で「特別サービス」が受けられるらしい。 試す勇気なし。病気は怖い。
<靴磨き>
 僕の知る限り、東京ではほとんど見ないが、こちらではある程度の大きさの街なら必ず、道端で道具を広げて客引きする姿が見られる。 中国人男性は、黒か茶系のジャケット、同じような色のシャツとスラックスに革靴といういで立ちがほとんどで(ビジネスマン・肉体労働者 問わず。人民服の名残だろうか。この格好で工事現場にいるのだ)、スニーカーなどはあまり履いていない。おまけに乾燥していてホコリっ ぽいから、靴磨きも商売になるのだろう。
<人間>  農村以外ではとにかく人が多い。でも、人口密度は日本より低いはずだ。人口が日本の14倍に対し、国土は26倍だから。その分、都市と 農村の差が大きいのだろう。これは貧富の差も同様で、上海で会ったある建設会社の弱冠36歳の社長は、日本円で1億以上だまし取られても 平然としているような大金持ちだが、一方で農村では月収500元(8000円)という家庭も珍しくないらしい。


2005年11月3日(木)

 そういえば、鼻炎はとっくに治り、口内炎も頭痛も昨日あたりからおさまりつつある。が、今度はノドだ。とにかく空気が乾燥している ので、朝起きるとノドが痛む。
 病気といえば、TVニュースで見たが、中国各地で鳥インフルエンザが大流行しているようだ。自然と鳥料理は敬遠してしまう。これでも 食物には気をつけているのだ。生水は飲まない、ごくごくたまにしか行かない高級レストラン以外では生ものは食べない、果物の生ジュース は飲まない、など。
 でも、おいおいホントにここで大丈夫か?と突っ込みたくなるような安食堂についつい入ってしまう。生来の冒険家魂がムクムクと頭を もたげるのだ。でも不思議と下痢や腹痛はまだ起こしていない。胃腸はどちらかといえば弱いほうなのに。
 9:00のバスでシャングリラから昆明に戻る。夜8時過ぎに到着。ネットにつなげる環境確保のため、四つ星高級ホテルに泊まる。たまの 贅沢。


2005年11月2日(水)

 ホテル、変えてよかった。朝はムチャクチャ寒い。
 朝食後、ナパ海へ。タクシーで10分ほど走ると、回りを山に囲まれた広大な湿原が現れる。今はほとんど水はないが、夏場の雨期には湖と なって、放牧の場所になるそうだ。とにかくだだっ広い。東京ドームいくつ分かは分からないが、41平方キロ、だって。もう、広くて広くて、 こんな光景は生まれて初めて見た。感動した。標高3266m。ひとりでボーッと歩いたあと、馬に乗った。
 麗江近くの村でもそうだったが、僕はこういう景色に心打たれる。何故だか分らないが、水と緑と岩があると、本当にいい気持ちになれる。 海か山かと問われれば、断然、山派だ。
 街に戻ってただひたすら歩く。ところで、どの街に行っても見られるのがケータイショップだ。CHINA MOBILE以外にもいくつか会社が あるらしく、こんな田舎街にも。なにしろ14億人、世帯数もハンパじゃない。それぞれの家庭に電話を引くよりは、基地局をいっぱい立てて 、端末は各自で購入させたほうがなにかと安上がりなのだろう。
 シャングリラはチベット族が多く、エンジ色の民族衣装の男性もよく見かける。市場を見つけては立ち寄りながら、ホテルに戻った。


2005年11月1日(火)

 昆明もそうだったが、この麗江も驚くほど美人が多い。少数民族特有のすっきりした顔立ちのせいもあるが、ファッションセンスがいい。 街には洋服屋がたくさんあるし、CDショップも小さいがいたるところにある。この麗江は、その昔チベットとの交易が盛んだったらしく、 外部との接触によって常に新しいものに通じ、流行に敏感になったのだろうか。
 今日、いよいよ香格里拉(シャングリラ)に向けて発つ。この場所、実は今回の旅で僕がいちばん楽しみにしているところだ。麗江から さらに北へ進み、チベット自治区に近づく。読んだことはないが、ジェームス・ヒルトン『失われた地平線』のモデルとされた場所らしく、 秘境と呼ばれている。
 9:10のバスで麗江を出て、山道を走る。急斜面に造られているところが多く、道路脇の切り立った崖にはあちこちに落石や崖崩れの跡が 見られる。こうなると、いつ事故に遭ってもおかしくない、と覚悟を決めなければならない。
 などと考えていると、本当に「それ」に遭遇する。といっても事故に遭ったわけではなく、落石の現場に出くわしたのだ。前の方で渋滞が あり、何だろうとバスを降りて見に行くと、なんと崖から岩がどんどん落ちてくる。びっくりして見上げると、何のことはない、人間が岩を 落としているのだ。恐らく落石の危険のある箇所で、あらかじめ岩を取り除いているのだろう。でも最初に岩が落ちてくるのを見たときは 驚いた。すぐに逃げ場所を確認したくらいだ。反対車線にも車が列をなして渋滞していて、その間20分ほど。当たり前のことなのだろうか、 文句を言うでもなく、平然としている。日本人にはとうてい真似できない。
 約5時間バスに揺られ、14時すぎにシャングリラ着。まずは宿だが、『地球の歩き方』の地図と実際がどうも合わず、バスセンターで 訊ねると「ああそれは古い地図だね」と。2004年の春版だが、こんな田舎でも1年で状況が変わる。この国は大変なスピードで発展してい る。
 ふらふら歩いていると、例によってホテルの客引きが寄ってくる。ま、いっか、と思ってついて行くと、暖房もなく、窓ガラスも頼りなく、 安全に不安のある部屋。でも、50元という安値につられてチェックインする。
 部屋に荷物を置いて街を歩くが、いままでの場所と違ってここはまだあまり観光地化されておらず、交通も不便。空気が乾燥していて、 車が走るたび道路には砂ぼこりが舞う。
 と思ったら今度は雨が降り始める。山の天気は変わりやすい。寒くなってきたので、近くの安食堂で「砂鍋」を食べる。といってもべつに 砂が入っているわけではない。5元。キムチのないチゲ鍋に細目のうどんをいれたような感じ。とても美味いし、辛くて熱いので冷えた体に はもってこいだ。
 歩くうち、だんだん頭痛が。軽い高山病だろう。ホテルの部屋に戻るが、頭痛と寒さ(日中で10℃、朝は0℃くらいになる)を思うと とてもこの部屋では耐えられない。50元が無駄になってしまうが、ホテルを変えることにする。幸い近くに、できたばかりの大きなホテルが あり、部屋もきれいで快適で、朝食付で一泊160元。このホテルでゆっくり風呂に浸かった。

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