伊藤キム+輝く未来ロゴ

●キムは今・・・


[2006年1月12日〜1月31日]

2006.4.7 update

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2006年1月31日(火)

 明日、飛行機でローマに発つことにした。何でまた、ローマ? ワケはこうだ。
 元々は列車でブルガリア、マケドニア、ギリシャと回り、そこから船でイタリアの南部へ渡る予定でいた。ところがテレビの天気予報で気温を見ると、イスタンブールは毎日−2〜5℃くらいなのが、ブルガリアのソフィアはなんと−15〜−5℃。とてもじゃないがこれでは生きていけないと軟弱に考え直し、陸路のイスタンブール〜アテネを探った。
 が、再び問題発生。これは僕の不注意だったのだが、北キプロス入国の形跡のあるパスポート所持者は、ギリシャ政府が入国を許可していないらしいことが判明。「地球の歩き方」には「そのためにスタンプはパスポートでなく別紙に押してもらう」とあったが、入国係官任せにしていて特にそれを申し出なかった。パスポートには赤いスタンプがしっかり押されたが、何とかなるだろうとたかをくくっていた。
 念のためイスタンブールのギリシャ領事館に電話したら「多分問題ないと思うが、国境警察の判断次第なのでこちらでは何とも言えない。フィフティフィフティです」ときた。国境警察をコントロールするのがあんたたち政府の役目なんじゃないの?と思ったが、ここでそんなことを問いただしても仕方ない。
 さあどうする? アテネまでの金を出して列車かバスに乗り、運が良けりゃOK、悪けりゃ国境から先の金が無駄になる。それならとりあえず国境の町まで移動して、国境警察に尋ねてみるか? ダメならイスタンブールに引き返して別の方法を探ることになる。
 ああめんどくさい! もういっそのことイタリアまで飛んでしまおう! となったわけだ。
 この旅は西へ西へと向かっているので、ギリシャの次はイタリア。そこに飛ぶ直行便はローマとミラノのみだ。


「世界が展示室〜アメリカの足音」
 ホテルでテレビをつけると、必ずどこかのチャンネルで映画を流している。そのほとんどがアメリカ映画。どの国でもそうだった。旧ソ連のキルギスで初めてそれを見た時は少し驚いた。映画だけじゃない。マクドナルドにコカコーラ。もうこんなにアメリカ文化が浸透しているのか。タシケントで乗ったタクシーの運転手が「ツーリストか? ようこそタシケントへ」。そして街のあちこちの近代的な建物やスーパーを指さしながら「あそこもここも、どこもかしこもアメリカアメリカ、こりゃもうタシケントアメリカだ」と嘆いていた。
 そしてもうひとつ、インターネット。小さな町でも、観光地じゃなくても、歩けば必ずネットカフェが見つかるのも以外だった。これも元はといえばアメリカの軍事通信用だったはず。アメリカってホントに・・・


「世界が展示室〜消えゆく風景」
 中国からトルコにかけて旅をする中で、だんだん見かけなくなったものがある。
 掃除婦・夫。
 特にタシケントでは多かったが、道路掃除の老人たち。一見頼りなさそうなじいさんばあさんたちが、オレンジの揃いのジャンパーで竹のホウキを手に、幹線道路や裏道の落ち葉を掃き集めている。それを大きな袋に詰めてみんなでヨイショと持ち上げ、巡回してくるトラックに積み込んでいた。
 働く子供。
 これは中国では田舎都会を問わず、他の国でもちらりと見かけたが、子供が物を売り歩いたり農作業の手伝いをしたりしていた。重要な働き手として、家計を支える一翼を担っているようだ。
 砂利道。
   僕が小学生のころ、近所の道路はまだ舗装されておらず、数カ月に一回くらいのペースで日曜日に大人に混ってトラックの荷台に乗り、スコップで道路脇のドブの泥をさらう作業があった。道路掃除とかドブさらいとか称していたと思うが、終了後は近くの居酒屋で宴会となり、酔ったオッサンたちの卑猥な歌を聞かされたものだ。
 都会ではもう、ドブなんてものはなくなった。


2006年1月29日(日)

 あいだがかなり空いた。先週とうとうイスタンブールにも大雪が降って、20〜30センチメートルは積もった。吹雪が4日くらい続いて、しかたなくまた部屋の中で過ごす。この旅にはお尻がないし(あるにはあるが)、もうビザの期限を気にする必要もないので、雪が降ろうが金が降ろうがほとんど関係ない。あ、金は別。
 久しぶりの晴天の今日は、市内バスに乗ってドルマバフチェ宮殿。トプカプ宮殿と並んで、ここもオスマントルコ時代のスルタン(王様)や初代大統領アタテュルクの居城だったところ。しかしまぁほんとに、絢爛豪華・華美壮麗とはこういうことだとでもいいたげな、床を覆う手縫いの大きなカーペット、大理石の柱、フランス、ドイツ、イギリスなどからの家具、食器、絵画、クリスタル製シャンデリアなどがそこらじゅう。ハマム(風呂)の窓からはマルマラ海が一望できたりする。どうだまいったか。はは、恐れ入りました。


2006年1月22日(日)

 夜、メヴレヴィ教団の、いわゆる「回旋舞踊」を観る。場所は鉄道駅構内にあるイベントホール。縦笛、シタール(のようなもの)、二人の歌手、ギター(のようなもの)、パーカッションからなる6人の楽団の演奏がまず10分ほどあって、続いて黒いマントに身を包んだ4人の男性舞踊手が現れる。ひとりづつ、おじぎをしながら、ゆっくりゆっくり位置につく。
 音楽の合図でいよいよ踊りが始まる。
 黒いマントを脱ぐと、真っ白な床まで届きそうな長いドレスが現れる。自分の胸を抱きしめるように両腕を胸の前で交差させ(この形は、統合したひとつの神、という意味らしい)、ドレスの裾を揺らしながらしずしずおごそかに位置につき、回り始める。裾がフワッと舞い上がる。長い帽子をかぶった頭はわずかに右に傾けられている。胸に置かれた両腕を徐々に下にすべらせ、腰まで達すると今度は伸ばしたままゆっくり拡げ、そのまま空を支えるようにVの字に持ち上げる。右手の平は上、左のそれは下に向けられている。天からのアッラーの恵みを地上の人々にふりまく、という意味だそうだ。
 ここまでの両腕の動作はとてもゆっくりだが、回転のスピードはかなり速い。そのコントラストに魅入られる。
 回転はなおも続く。回りながら4人の舞踊手たちは距離を一定に保ち、大きな円を描くように少しづつ移動している。ちょうど地球の自転と公転のように。そして音楽の合図で突然回転を止め、再び腕を交差させた姿勢に戻って、4人は円のまま向き合っておじぎをする。
 ここまで3〜4分はあっただろうか。しかもこれを、まったく同じことを4回も行うのだ。回転はずっと左方向のみ。余計なものは一切なし。ただ「シンプル」がそこにあるだけだった。白く回転する4人を眺めていると、まるで邪心がなく、地上から天に具される捧げもののようで、回りながらこのまま天に昇っていってもおかしくないくらい、それくらい「無心」に感じられた。美しかった。
 もらったパンフレットによると、4回の旋舞にはそれぞれ宗教的な意味があるらしく、そしてやはりその回転には惑星の動きが意味付けられていた。人間と宇宙の対話を表しているのかもしれない。4回同じことの繰り返しでも、それぞれ違った意味付けがあれば、それは全く別ものになる。また、この教団の創始者ルーミーのこんな言葉も記されていた。
「私たちは神から授かり、それを人々に恵む。だから私たちには何も残さない」
 これを読んで、僕の中ではあの踊りにちゃんと結び付いた。僕なりに解釈すればこれは「自分たちは天と地のあいだの、ただの通過点、媒介でしかない」となる。そしてこれは舞踏の基本的な考え方である「身体はただの器だ」というのに似ている。仏教的でもある。もちろん舞踏は宗教には何の縁もゆかりもないはずだが。
 この旅で観た公演で、思いがけず最も感動したものになった。


2006年1月19日(木)

 トプカプ宮殿。オスマントルコ時代の皇帝の宮殿で、居室や会議室、ハレム、中庭などを擁し、かなりの規模。でも北京の故宮には及ばない。
 グランドバザール。グランド、というだけあってとても広く、浅草の仲見世の100倍くらいはあろうか。大小の通路が迷路のように入り組み、絨毯屋、宝石店、革の店、陶器やタイルなどの土産物屋などが無数に並ぶ。
 この旅の出発前にある人が「アジアの魅力はなんといってもバザールですね」と言っていたが、たしかにこれまでのほとんどの街には、食料品や生活雑貨などを扱う大きくて雑然としたバザールがあった。その多くは地元の人達が利用するものだったが、イスタンブールのここは完全な観光客対象のようだ。歩いていると客引きに日本語で声を掛けられ「実は来月日本に行くんだよ」とか「おばあさんが日本人でね、だから僕には日本の血が混ってるんだ」などとうさん臭い言葉を並べ立ててしきりにこっちの気を引こうとする。買う気はさらさらないが、こういうのに付き合うのもなかなか刺激的で楽しいもんだ。


2006年1月17日(火)

 暖房がなかったセルチュクの例の宿でどうやら風邪を引いたらしく、おまけに連日の雨だったので、この数日食事に出る以外はほとんどホテルの部屋の中で過ごす。熱や頭痛はなかったが、鼻とノドにきたようだ。
 今日はここに来て初めての晴天で、風邪も回復したので少し街を歩いてみることにした。
 アヤソフィア。ローマ時代に教会として建てられたが、その後オスマントルコになってからジャミイ(トルコ語でモスクの意)に変えられた。中央のドームは50mほどの高さがあるが、たまたま天井の内壁画の修復期らしく、真っ黒で巨大なイントレが天井まで組み上げられていた。係員に尋ねると10年がかりの修復という話。
 それがため、内部の景観は本来の姿とは全く違ってしまっているが、数え切れないほどの黒い金属製のパイプが複雑に絡まって天井までそびえている姿は、この寺院に負けないほど異様で壮大で、これはこれで趣深かった。古いものと新しいもののミスマッチは意外な効果を生むものだ。
 次は地下宮殿。宮殿といっても居室や宝物庫があるわけではなく、広大な貯水池だ。入口から階段を降りていくと、天井の低い体育館くらいのスペースがあって、頑丈な柱が無数に、でも整然と並び、天井を支えている。柱の根元には深さ20〜30?ほどの水が張られ、鯉も泳いでいた。ライトアップされた柱がとても幻想的だった。
 以前、宇都宮の近くにある大谷石の採掘場に行った時のことを思い出した。この地下宮殿よりもはるかにスケールは大きく、石が切り出されたあとの壁が天然の縞模様をつくっていて、その美しさと多様さに魅了された。ちなみにいうと『少年〜少女』という作品に使われた壁は、この採掘場で見たものがモチーフになっている。


2006年1月12日(木)

 そのあとの「光る砂漠でロォ〜ルゥ〜」の何がロールなのか分からないまま、朝8時イスタンブール着。ホテルあるのエリア目指してトラムで四つほど、スルタン・アフメットという、中心街でもある旧市街へ。本来なら通勤通学の慌ただしい時間帯だが、クルバン・バイラムのせいで路上には人も車もなく、商店のシャッターも下りたまま。しかも雨期なので、雨が降ったばかりの路面がヌメヌメ光って、空もしっかり雲が覆っている。ガランとした寂しい風景。
 今日で3カ月がたった。北京に降り立った初日がなんだか懐かしい。


「世界が展示室〜ふたつの現実」
 バスや列車の窓から風景を眺めている。ひとり旅。いろんなことを考える、思い出す。そういえば小さい頃、年に一回は家族旅行をしたなぁ。親父は怖かったなぁ。
 保育園のころ、母の迎えの自転車が楽しみだったなぁ。大学時代の友人が、一度だけ舞台を観に来てくれたなぁ。ある日その彼と街で偶然バッタリ出くわしたなぁ。女に振られて泣いて、目の前の人に驚かれてそれを見て自分も驚いたのはいつだっけ?
 不安や寂しさに襲われている時、こういう光景を思い出すと、すこし楽になる。
 高樹さんやハイウッドのスタッフは元気かなぁ。カンパニーのみんなは何をしているかなぁ。帰ったらまず何をしようかなぁ。そういえばうちに置き去りにして来たベンジャミンたちは大丈夫かなぁ。
 こんなことを想ってふと我に返ると、車窓には砂漠や山や海や草原が流れている。時間通りに着くだろうか。宿は見つかるだろうか。
 脳内の現実と目の前の現実。
 ある光景を見ながら頭の中では別の光景を思い浮かべている。家で新聞を読みながら富士山を思い描けるし、音楽を聴きながら好きな人の声を頭の中に響かせることもできる。ふたつのあいだで、あちらとそちらでいつも揺れ動いている。

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