伊藤キム+輝く未来ロゴ

●キムは今・・・


[2006年4月1日〜4月11日]

2006.5.8. update

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      『 世 界 が 展 示 室 』

「南半球では」
 僕は日本から小さな方位磁石を持ってきており、道に迷った時にこれがけっこう役立つ。でもサンチャゴでそれを取り出した時、太陽の方向が磁石と逆でとまどった。南半球では太陽は東から昇って南ではなく北を通り、西に沈むのだ。
 もうひとつ。ヨーロッパでは、国境を越えても通貨は変わらなかった。中南米では言葉が変わらない。スペイン語だ。喋る人の数で英語に次いでフランス語と2位を争っていたような気がする。いや、中国語か?
 通貨が変わらないのと言葉が変わらないのでは、どっちが便利? 僕の場合は通貨だ。次の国に移る時、今もっている通貨をどう使うかが悩みどころ。硬貨は両替できないから使い切ってしまわねばならない。それをどのタイミングでやるか? 紙幣の両替は国境を越える前か後か? もちろんこういう悩みも旅のうちだが、この心配のないヨーロッパではとても楽で、おまけに国によって物価の比較が単純にできて、興味深かった。言葉なんて何語でもどうせ分からないのだから。
 でも、スペイン語ができればなぁ。 


「首絞め強盗」
 南米の観光地はどこも警官が多い。普通の警察だけでなく、ツーリストポリスといって、観光客を守ることを専門にする警察だ。それだけ観光客を狙った犯罪が多いということなのだろう。この旅に出て初めて知ったのだが、南米では「首絞め強盗」というのがいるらしい。歩行中に後ろからはがいじめにして首を絞めて気を失わせ、その間に金品を持ち去る、という手口。あなオソロシや。場所は繁華街を少し離れたひとけのない裏道なんかで、ナイフなどで武装しているから抵抗すれば命が危ない。狙われたらあきらめるしかないのだという。予防策としては、そういう場所に行かない、必要以上に貴重品を持ち歩かない、常に周囲に気を配る。でもね、やっぱり観光だからカメラは持ち歩くし、表通りだけじゃなく裏道も覗いてみたいし。
 スペインのマドリッドにも出没するらしく、日本人だけが狙われているらしい。サッカー見にきて、金持ってそうで無防備そうだからか。


「僕の体に起こった恐ろしい出来事」
 スペインのグラナダにいる時だった。ホテルのベッドの上で、寝る前に本を読んでいた。11時頃から読み始め、気が付くと4時になっていた。前の晩もそうで、夜行バスなどで不安定な睡眠の取りかたをしてきたから、体内リズムが狂って眠るべき時間に眠れなくなっていた。「本なんか読んでいるから余計に眠れないんだ」と思って、電気を消して眠る努力をした。
 しばらくすると、上唇に変な緊張があるのを感じた。上唇の自分からみて左側が、徐々に上にせりあがっていくように感じるのだ。気のせいだと思っていたが、30秒ほどそれが続き、いよいよ下唇から離れそうだという瞬間に、左側だけが一気にガバッとめくれあがった。驚いて右側を気にすると今度は右もめくれた。上唇全体がめくれたまま約3秒静止、すると唇は勝手にすっと元に戻った。
 また同じことが起こるのかと唇を気にしていると、すぐに左がゆっくりせりあがり始め、両側がめくれ、今度は下唇までがめくれた。つまり上下の唇がめくれて上下の歯が剥き出しになった状態。やはり3秒ですっと戻った。
 驚いたなんてものではない。恐怖で冷汗が出たくらいだ。自分の意志では動かしていない。そこに神経を集中すると起こるのだ。真夜中、真っ暗な部屋の中。エクソシストみたいに、悪魔が僕の体で遊んでいるんじゃないか?なんて思ってしまった。
 数日後の夜、試してみると、また起こった。しかも今度は下唇からもできた。さらにしかも開いた時の唇の形が「ウ」や「イ」にもできた。さらにさらに、全開の時間も3秒だけでなくもっと伸ばすこともできた。ついでに鼻の穴もおっぴろげることまでできたのだ。
 幾晩か試したあと、昼間バスに乗っている時にやってみたら、できてしまった。夜、ベッドの上で、すべての刺激を遮断した状態でしか、と思っていたのだが。
 試しに、これらすべてをはっきり自分の意志でやってみると、当たり前だができるのだ。つまり自分の意志ではないことが証明された。本当に勝手に、というのは正確じゃない。「上がれ、上がれ、めくれろ」と念じているから。でも自分で動かしてはいない。
 以前「まぶたが勝手にピクピクするのは疲れているせい」というのを聞いたことがあるが、唇は聞いたことがない。前代未聞の初めての経験。いやひょっとして、有史以来ではないだろうか。もしそうだとしたら、僕は人類初の「唇勝手にめくれあがり人間」かもしれない。
 いったいこれは、なんだろうか?


「回文シリーズ」

 クルマのタイヤを焼いたのマルク

 どこの国かは忘れたが、原っぱに古タイヤが山積みになっていて、そこにいた少年が火をつけて燃やしていた。黒煙がモクモクと立ちのぼる。彼に話しかけると、車の解体の仕事をする父親の手伝いをしているのだという。名前をきくと「マルクです」。

 寝るのにバラバラさ。さらばラバに乗るね

 モロッコの田舎の、草原の一軒宿にふたりで泊まろうと思ったが、空部屋はひとつしかなく、しかも小さなベッドがひとつだけ。仕方ないので僕は別の宿を目指して、その先を行くことにした。

 いえ、与田のイタリアでの留守番さ。で、僕は薄暮でサンバするのでありたいのだよ。エイ!

 ヨーロッパで与田君という男性と知り合った。後に南米で、彼の友人であるブラジル人を訪ねた。あとは想像してください。



2006年4月11日(火)

 宿は日本人専用のペンションで、10人ほどが泊まっている。ラウンジには昼も夜もたいてい誰かがいて、本を読んだりテレビを見たりおしゃべりしたり。卒業旅行のシーズンは終わったので、数カ月とか一年の長期旅行者が多い。話してみると、以前住んでいた場所に近かったり、僕の実家のすぐそばだったり、今度ワークショップに行く大学の学生だったりと、なぜか不思議なつながりがある。これまでこういう宿にはあまり泊まらなかったが、和気あいあいとしてなかなかいいものだ。
 そこに「天空の城ラピュタ」のビデオがあって、みんなで見る。この宿の人たちの間では、これに出てくる宙に浮かぶ島は、マチュピチュをモチーフにしているのでは?という説が飛び交っているらしい。僕はこの映画初めて見るが、いわれてみればそう見えなくもない。スペイン軍らしき集団が大量の金銀財宝を強奪していくのも、インカの歴史と符合している。
 ゆうべはペルーのピスコという40度以上もある強い酒をみんなで飲み、僕は記憶がなくなるまで酔っ払ってしまった。それで今日は案の定二日酔い。実は今日、次の街へ出発なので、だるい体にムチ打って荷物をまとめ、部屋を出る。飛行機が夜の便なので、ペンション屋上のイスにすわったままうつらうつら。夕方頃には何とか回復。
 次の目的地はメキシコシティ。中米を一気にまたぐ。23:55、リマ発。



2006年4月9日(日)

 今日はペルー大統領選挙の日。そのせいで、ゆうべは町中のレストランでアルコールが出されなかった。なんでも前回の選挙時、酒がもとで大きな暴動か何かが起きたらしく、その対応策だという。選挙のために有権者が酒を断つ。おもしろい社会だ。
 投票当日の今日もお酒は禁止のはずだが、午後レストランでビールを頼むと、グラスの代りにコーラの紙コップに入って出てきた。「選挙なので、ボトルのままじゃ出せないんですよ」という店員。見つかると罰金なのだそう。いろいろ大変だ。なにしろ投票に行かないと罰金、というほどの社会なのだ。



2006年4月8日(土)

 昨日、思いがけない人にバッタリ会った。ミゼール花岡。ドイツ在住の日本人ダンサーで、僕が輝く未来結成前、数年活動をともにしていた女性だ。一緒に踊ったのは91〜94年頃だが、5年ほど前モントリオールでバッタリ会った。そしてまた今回も。運命。たまたま新聞でイベント情報を探していたら、リマの小劇場で公演しているのを知り、駆けつけた。チケットが売り切れだったので踊りは見られなかったが、翌日(今日)の夕食の約束をする。シャンパン傾けつつ、イタリアン食べつつ、日本のこと、舞踏のこと、旅のこと、古いことなど交わす。
 旅というのは、まるで交通事故のようだ。



2006年4月7日(金)

 朝10時半のリマ行きフライトは、天候不良で飛行機の到着が遅れ、実際に飛んだのは2時間後。山だから天気が不安定。
 クスコ〜リマは1時間で、アンデスを越えるのだが、窓の外は雲ばかりでがっかり。  実は昨日、マチュピチュからの帰りの列車で日本人二人連れと一緒になり、リマの日本人宿を薦められた。空港からタクシーでそのホテルへ。
 もともとクスコ〜リマはバスで20数時間を過ごすつもりでいたのだが、体調不良でクスコ滞在が延びたのと、長旅の疲れが出てきたのとで楽な飛行機に変更。ある程度無理はするが、それ以上は避けるのがこの旅の方法。まぁその線引きが難しいのだが。



2006年4月6日(木)

 マチュピチュ。クスコから列車で山奥の斜面をジグザグゴトゴト走り4時間、マチュピチュ村の駅に。そこからさらにバスで30分。
 とんがった山々が、空をつき刺すようにいくつもそびえている。その、山と山をつなぐ尾根に、切り出した石を積み上げて町が造られている。ジャングルの緑濃い山のこんな奥深くに、こつ然と現れるオアシスのように。
 それにしても、よくもまあこんな所にこんなものを造ったものだ。要塞説とかインカ皇帝の離宮説とか諸説あるらしいが、石を切り出し、急斜面を運び上げ、隙間なくキッチリ積み上げる技術は、かなり発達・洗練されたものだったらしい。しかしそういう技術を生み出すのは「やってみよう」と思う勇気であり「これでもか」という粘りをともなった実行力である。要は気力なのだ。それが源泉となって技術を生み、成功へと導く。
 マチュピチュのはるか下方の谷には、ウルバンバ川がごう音をたてて流れている。ここが建造された15〜16世紀、当時の工夫たちも僕と同じようにこの音を下に聞きながら、重い重い石を運んだのだろう。



2006年4月5日(水)

 クスコはマチュピチュへの起点となる街だ。体調と相談しながら、マチュピチュ含め他の近郊の観光など今後数日のプランを立てたが、なかなか思い通りの日程にならず、自分の不注意で時間かカネかどちらかが無駄になる。結局、明日マチュピチュ、あさって飛行機でリマヘ、というスケジュールに。
 高山病はほぼ克服したが、軽いノドの痛みと下痢のため、あまり動き回らず、クスコ市内の、ホテル近くの教会など。
 泊まったホテルのベッドにダニがいて、二晩ともやられたので、ホテルを変える。下半身中心に大きな赤いハレがたくさん。ああかゆい!



2006年4月3日(月)

 昨日の朝から少し風邪ぎみ。熱はないがクシャミと下痢。だから一日ホテルで過ごす。
 ところで、チリのカラマでバスに乗る際、財布をなくしてしまった。席に着いた時、ウエストポーチのファスナーが開いているのに気づき、財布がなかった。どこかで落としたか、乗る時の混乱でスラれたか。いずれにしてもチリのお金で1000円程度しか入っていなかったので、大きな害はなかった。僕は不注意で時々ウエストポーチを開けたままにしていることがあり、これまでも何度か人に注意された。ありがたいことだが、今度ばかりはうかつだった。
 そして実はサンチャゴでも、シティバンクのカードをなくしてしまったのだ。地下鉄に設置してあるATMでお金をおろして、最後にカードを取るのを忘れてしまった。気づいたのが翌日で、もちろん現場には残っておらず、駅員にも確認したがダメだった。日本の本部に電話して口座を止める措置をとってもらい、誰かに引き出された形跡もないことがわかって、不幸中の幸い。電話代が3000円もかかったが。現金を現地通貨で引き出すのに便利だったが、クレジットカードが残っているので、とりあえずは困らない。
   この5ヶ月こういうことはなかったのに、いよいよ疲れと気の緩みが出てきたか。



2006年4月2日(日)

 ラ・パスを朝8時発のバス。ボリビア・ペルーの国境越えはとてもスムーズ。車窓からチチカカ湖やアンデスの美しい景色を眺めながら走る。ペルーでは4月9日に大統領選挙があり、沿道の町には候補者の名前や写真の入ったポスターがペタペタ。家々の壁にも候補者の名前がペンキで大書きされている。あれ、選挙後に消すのだろうか?
 夜9時、クスコ着。



2006年4月1日(土)

 ホテル周辺は土産物屋が多く、極彩色のポンチョや帽子なんかが道端に並ぶ。フラッと店に入ってもあまりしつこくは勧めてこない。気楽に回れる。
 街は坂が多く、酸素が少ないので少し登るだけでも息が切れる。はぁはぁ、ゆっくり歩く。だからいろいろ歩き回るつもりだったのを諦めて、ホテル近くの散策にとどめる。
 というわけで、ここは早々に出ることにした。はぁはぁ。だって慣れるには1週間は必要だろうしはぁ、とてもそんな長居はできないので。明日朝のバスではぁ、国境を越えペルーに入り、クスコへと向かう。はぁはぁ。
 夜、ペーニョという、フォルクローレショー付きのレストランへ。チャランゴというギターを小さくしたような楽器、ケーナ、サンポーニャ、太鼓などの演奏と、民族舞踊。初めてナマで「コンドルは飛んで行く」を聴く。なかなかいい。踊りはたいてい男女のペアで、途中、他の客とともに舞台に引っ張り出された。半年振りの舞台。ノリのいい曲で、パートナーの女性に引っ張られるように踊る。向かい合ってグルグル回ったり全員で手をつないで店中を練り走ったり。踊るというより慌てふためく感じ。どうも僕はこういうのはダメなようだ。街あるき同様、ひとりで勝手にやるのが性に合う。席に戻って、当然はぁはぁはぁ。 


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